5 いい雰囲気で夜のテラスに出る夫と妻 ※ステフ目線
わたくしとミッチーは、あれよあれよという間に一曲踊り終えてしまいました。
そして去ろうとするわたくしを、なんとミッチーが引き留めてきたのです。
「なんでしょうか」
「良ければもう一曲、如何ですか」
「……そんなにワタシのこと、気に入りましたの」
社交パーティーで二曲以上連続してダンスを踊るのは婚約者や夫婦くらいのものです。そして、仮面舞踏会であれば、今宵の本命はあなただという意味合いになります。
(ミッチー、わたくしを探さないの!? こんなところでわたくしと踊っていて、わたくしが見つかると思っているの!?)
わたくしという単語がゲシュタルト崩壊しそうな混乱の中、わたくしは恨めしげな目線でミッチーを見上げます。
「もちろんですよ。私の目には、……その、今宵のパーティーに参加されている女性の中で、あなたが……」
「……?」
「あなたが、一番、美しいので……」
最後はほとんど聞こえないくらいの声で、ミッチーはボソボソ呟いています。
(ミッチー、他の女によくもそんな美辞麗句をヲヲヲヲ!! わたくしのミッチーの心を奪うなんて、その女を許しませんわ、わたくしはわたくしを許しませんわ)
「も、もう一曲……だめかな」
ミッチーは必死のようで、格好いい紳士モードがだんだん剥がれて、普段のウブミッチーが顔を出し始めています。
わたくしは混乱と悲しさと悔しさで目を回しながらも、照れるミッチーに『会場で一番美しい』と言われた悦びが勝ってしまい、涙目でこくりと頷きました。
ぱぁああ! と仮面越しでも分かるくらい笑顔になったミッチーに、わたくしの乙女心が嫉妬心を踏みつけて暴れ回っています。
(チョロい! わたくし、ごっつチョロい!!)
なんだか一曲目よりもモジモジしながら踊るわたくし達は、とても夫婦とは見えなかったでしょう。何故かわたくしもミッチーも緊張してしまって、お互いに言葉を発さないだけでなく、目が合うとパッと逸らしてしまったりと、なんだかもう、なんだかもう……。
(この甘々な空気はどういうことですのぉおお)
あまりの甘さに、息苦しくて窒息しそうになったところで、二曲目のダンスが終わりました。
「とてもお上手なのですね」
「そんなことは……あなたこそ、素敵なリードでしたわ」
「そ、う……ですか」
狼狽えたように赤く頰を染めたミッチーは、照れ隠しなのか、給仕を呼んでわたくしに度数の低いシャンメリーを持たせてくれます。
お礼を言ってこくりと一口飲むと、なんだか生き返るようでした。たった二曲しか踊っていないのに、この疲労感はどうしたことなのでしょう。
「……続けて踊って疲れたでしょう。よかったらテラスで休みませんか」
わたくしをエスコートしながら、なんだかチラチラこちらを見ながらそんなことを言ってきます。
(確かに、テラスもいいかもしれませんわ。そろそろネタバラシもしなければなりませんし……)
それにしても、ミッチーは見ず知らずの女をテラスに連れ出そうだなんて、どういうつもりなの。
わたくしっ、わたくしのことは?
ステファニーのこと、探してくれませんの!?
急に静かになったわたくしに、ミッチーは夜の庭園を見ながら、わたくしの腰に手を回してきます。
「美しい方。その……こ、このような気持ちになったことがなくて、なんと言ったらいいのか……」
………………。
「あなたは魅力的です。私にその、おこぼれをくださいませんか」
そう言うと、ミッチーはそっと……わたくしの額に口付けしてきました。
その途端、ブワッとわたくしの涙腺が決壊いたしました。
「!?」
ミッチーは慄いていますが、わたくしはもう、止まることができません。
「ど、どうされましたか!? そんなに嫌で……」
「ワ、ワタシ、夫がいますの!」
わたくしの叫びに、ミッチーはポカンとしています。
「ワタシ、夫を裏切れませんので失礼しますわ!」
「えっ!? ちょ、ちょっと……」
「離してくださいまし!」
「待った待った! 夫がいても別に問題ないだろう」
「問題だらけですわ! だって、ワタシ……」
「夫と仲良くするのに、なんの問題があるんだ?」
「え?」
「え?」
シーンと静まり返ったテラスに、室内の喧騒が小さく聞こえます。
わたくしとミッチーは目線を合わせながら、お互いにパチパチと目を瞬いていました。
しばらく無言空間が形成されてしまいましたが、ミッチーがその静けさを破って言葉を発します。
「ま、まさか」
わたくしは、ミッチーの言葉に耳を傾けます。
「私の変装が完璧すぎて「そんな訳ありますかー!!」
普段のメガネの代わりに仮面をつけているだけのミッチーを見分けられないなんてこと、ある訳ありませんわー!
わたくしの叫びに、ミッチーは「じゃあなんで……?」と呟いています。
「なんで知らないふりを続けましたの!」
「……? ああ、私が君に気がついていないと思ったのか。せっかく見つけたのに君が知らないフリをするから、仮面舞踏会を楽しみたいのかと思って、かなり頑張ったんだが」
「気を回しすぎですわ!」
憤るわたくしに、ミッチーは笑い出してしまいました。
「ミッチー!!」
「いや、悪い。可愛い妻だなと思って。そんなに心配してたんだな」
「心配しますわよ! わ、わたくし、ミッチーはわたくしを全然探していないし、わたくしという知らない女に夢中だし」
「ははは」
「笑わないで! もう、ばか!」
泣きながらぽこぽこ叩くわたくしを、ミッチーは楽しそうに笑いながら抱きしめてくれます。
「私にステファニーが分からないはずないだろう?」
優しい声でそんなことを言われたら、わたくしはもう限界突破です。とうとう仮面を外して本気泣きモードに入ってしまいました。
さすがのミッチーも、わたくしの様子を見て慌てています。
「わ、悪かったよ、ステフ。すまない、泣き止んでくれ」
「ミッ、ミッチーが、意地悪っ……する、からっ…………」
「そんなに不安だったのか。すまない、そこまでとは」
「ミッチーが、教えてくれないから……っ」
「え?」
涙に濡れた目で見上げると、ミッチーが目を瞬いています。
「ミッチーがっ。ど、どうやってわたくしを見分けているのか分からないから、まだ気がついてないんじゃないかって、こんなに不安で……っ」
「そ、それは、その」
「まだ、意地悪するんですの?」
悲しい気持ちを全面に出した顔で見つめると、ミッチーはまたしても首から上を夕焼け色に染めながら、「う」「そ、それは」「でも……」と声にならない声を出して震えています。
「ミッチー」
この呼びかけが、最後の一押しになったようです。
「……その、笑わないか?」
目を彷徨わせるミッチーに、わたくしはこくりと頷きます。
ミッチーはそんなわたくしに向き合いながら、観念したようにぽつりと呟きました。
「わ、私は……その…………実は、ステファニー以外を、綺麗な女性だなと思ったことがないんだ」
「え?」
間抜けな声を出したわたくしに、ミッチーはヤケになったのか、ようやくちゃんと聞こえる音量で話し始めます。
「だ、だから! 私はステファニー以外の女性を、綺麗だと思ったことがないんだ」
「えっ……えええ?」
「私が綺麗だと思ったら、それはステファニーなんだ!」
「!? ど、どういうことですの?」
「だ、だから……」
床を見ながら、ミッチーは本当に恥ずかしそうに続けます。
「今日も、私が綺麗だと思った女性がいて、やっぱりそれはステファニーだったんだ……」
キュートでシャイな夫の告白に、わたくしは頭が真っ白になってしまって、しばらく反応を返すことができなかったのです。




