早朝――、その時間帯の灰色スズメの声はとてもうるさい
「ただ条件がある――」
暗部の勘で怪しんで捕まえた少女は、怪しんだ通りのどこか他国のスパイではなく――。もっとやばい魔族の、さらに言えば魔王ラララであった。
俺としてはその魔王ラララを尋問している最中なわけだが、さて、これは尋問なのだろうか?
「条件って? ハンスくんてば、これだけ可愛い子がお願いしているのに? 聞いてくれないのぉ?」
ラララは俺の胸に抱きつきながら甘えるような声を出した。
少しながら黒い闇の波動も感じる。威圧だろうか?
「なに? 追加で欲しいものは? 金? 富? 名誉?」
青く妖しい瞳で俺を見つめてくるラララは、妖艶でなまめかしい。
甘い囁きは赤く甘美ですぐにも頷きたくなるほどだ。
そのシアン色の双瞳に吸い込まれそうになる。
香ばしく甘い苦扁桃の香りが鼻をくすぐる。
その香りに俺の身体はその甘美に悶え痛痒した。
それは、退廃的な死の臭いだ――
「ははは。そんなものが欲しいなら初めから暗部などやっていないよ――」
「ふーん。それで何? ハンスくん」
「そうだなぁ。これからずっと、勇者には近づかないこと。かな――」
――勇者にざまぁしたい――
こんなことを言っている完全闇落ち系少女を、俺は今後手に入れることができるだろうか。いやない。この機会以外にはありえないだろう。
そう思った時、もしもこの後、彼女が陽キャな勇者にあってほだされたどうしよう。と俺は思ってしまったのだ。
考えれば分かる事だ。魔王と勇者。その関係性が無いはずがない。
ラララが魔王であるからには勇者となんらかの因縁が絶対にあるはずだ。
ラララは魔王であるがゆえに、勇者にはなみなみならぬ思い入れがあるのだ。
だからこその「勇者ざまぁ」
そんなラララが、実際に「ざまぁ」された勇者を見て何を思うのか?
そう、積極的に近づいて「勇者ざまぁ」とか言いたくなるに決まっている。
もしも万が一、そこで何かのやり取りがあり、一瞬でも同情して勇者にほだされてしまったら?
もしも明るく笑うラララの顔が勇者に向けられるようになったら?
そんなのは俺的には絶対に嫌だった。
自覚している。
俺は心根が黒い。
まっくろな男で、空虚な男で、なにより最低な男だ。
そんなまっくろな俺に付き合ってくれそうな女性は、彼女以外にはきっといない。今後きっと、出会わない。
――ならばどうするか?
逃げられないように魔力を封じて監禁する?
それはダメだ。そんなことをすれば彼女の心は逃げるだろう。
ラララは普通に感情を持っている。
俺の元から逃げられないようにするには?
ラララを満足させて、かつ、勇者に近づけさせないためには――
思いついたのが、これだった。
勇者にそもそも近づかないようにお願いする。
自覚している。
その思考は、人のクズのものだと。
「キミが勇者との未練を断ち切って俺のモノになるなら、俺は幸せの絶頂違いないだろう?」
――。ちょっとキザすぎるか。
言い訳としても適当すぎる。
本当なら、もっと良い説得の仕方はあるに違いない。不器用過ぎた。
だが、とっさの俺にはこの程度しか思い浮かばなかった。
「未練? 私が勇者と?」
ラララは考え込む。
その瞳はまっすぐに俺を向いていた。
なにかくすぐったい。
(これは、まさか《鑑定》スキルの力か?)
ラララはおそらく俺の思いを全て見ているに違いない。《鑑定》スキルを使って。
ならばそれですら、逆手に取ってやろう。
俺は強く願った。
その真っ暗な心の中で、ラララのことを好きだと、俺のモノにしたいと。
俺はキミが欲しいと。
「『勇者ざまぁ』はいいだろう。だがそうした後は? その後ラララはどうする気だ? 本当は勇者に構って欲しくてこんなことしているのでは? 実際構われて――、ラララの気持ちが勇者に向くなんてことは――、俺は嫌なんだ――」
俺は俺の心情を素直に打ち明けた。
「私は勇者に構って欲しい? 私は勇者に構って欲しいのかな? 魔王として――、あー。確かにそうかも――?」
「男の子は、適度な睡眠と食事、そして女がいれば大抵幸せだが、その女が他の男を想っているとかだと、かなり幸せにはなれないと思うのだが、そうは思わないか?」
「うーん。確かに。私もハンスくんが他の女に取られるとかだったら、なんだか嫌だねぇ。せっかくの勇者ざまぁ要員なのに……。こんな素敵な勇者ざまぁ要員が幸せになれないなんて――」
うんうんと頷くラララ。
本当に分かっているのだろうか?
「でもハンスくんてば、そんなこと条件にして良いの? もしかしたら私が断るかもしれないよ?」
「もし断ったら――。俺は死ぬよ。そしたらほら、勇者ざまぁできなくなってラララは困るだろう?」
勇者パーティを追放された、冒険者が何か特別な能力を得て勇者にざまぁする。帰ってこいと言われても戻りません―― そんなタイトルの小説は、ネット小説としてはある種の王道で、ストーリーとしては良くあるものだ。
それこそ美少女と一緒になって「勇者ざまぁ」する小説は、吐いて捨てるほどあるだろう。
だが、ラララがそのネタをやりたいのなら、俺が死んだら困るハズだ。
俺はそれに掛けた。
「そりゃぁハンスくんが死んだら、勇者ざまぁプレイができないねぇ。困ったねぇ……」
そして少しの沈黙――
その時間がやけに長く感じた。
だがそれは一瞬だったのだろう。
唾が俺の喉をごくりと流れる音が聞こえた。
「――ふうん。そんなことを言うのは勇者を守るために?」
「ん?? 勇者を守るためって?」
「あぁ、その疑問符で分かったわ。この国の王子である勇者に私を近づけないためにそんなことを言っているのかと思ったら、まさかただ単に自分の欲望のためだったなんて――」
確かにこの国の暗部であれば、国を守るために行動するものだ。
国のためであれば、王子を守ろうとするもの。
勇者である王子から魔王ラララを遠ざける行為は、暗部の人間であれば自然だろう。
だが、そこまで俺は頭が回っていなかった。
純粋に、ラララのことを想ってしまったからだ。
「ねぇハンスくん。そんなにも――、私が欲しいの?」
「あぁキミが欲しい。なんだったら《鑑定》してくれても良いよ」
そんな俺を、魔王ラララは下から見つめている。
その瞳はトルマリンの玉石のように青く透明で――美しかった。
長い金髪がさらさらと流れている。
「わかったわ。ハンスくん。『今代の勇者に私から向かって会うことはない』 《怠惰之魔王たる》魔王ラララがここに約束するわ。勇者ざまぁは音にでも聞くことにしましょう」
「――ありがとう。嬉しいよ」
「でもね。それならハンスくん、それらなら私からもハンスくんに条件がある」
「それは一体――」
「ねぇハンスくん。ハンスくんが私の勇者になるというなら――考えてあげなくもないわね」
俺は心なしかラララの頬が赤みを帯びているのに気づく。
(勝った――)
俺はなぜか、勝利を確信した。
「だからねぇハンスくん。私のこと、もっと楽しませてよ――」
ちゅん。
ちゅん。
ちゅん。
早朝――、その時間帯の灰色スズメの声はとてもうるさい。
近くの青空を飛ぶ灰色スズメの数は、3匹だった――
もっと良い説得方法があったらください。