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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

恋獄

作者: 愁知 こにこ









僕は、罪を犯しました。


僕は、償わなければなりません。


僕は、僕は、僕は……。








 山間の中に突如としてそびえ立つ無機質な建物、アルブール刑務所。ここは僕の職場でもあり、償いの場でもあった。

 ここに来てから三年が経つ。毎朝思うこと、夢にまで出てくる人物……。僕は彼女に償い続けなければならない。

 ――そう、アイリーンのために。

 僕は自室にある鏡をゆっくりと見据え、深呼吸をし、壁に貼ってある紙に書かれた言葉を読み上げる。

「僕は、ウォルト・ロンズデール。ロンズデール家の嫡男であり、一人息子。いかなる時も、品位を持った行動をしなければならない」

 もはや習慣となってしまった行為。ここで働くことになった僕に、お父様がこれを手渡してくれた。心に刻み付けなさい、という言葉とともに。


 身支度を済ませ廊下へと出ると、そこはすぐに職場となる。女の、嫌な臭いがした。

 右の方から上官がツカツカと靴音を響かせながら僕に歩み寄る。女と会っていたのだろうか。

「おはよう、ウォルト君。今日もいい朝だね」

「いい朝、と言われましても……」

「あぁ、そうだった。君は朝が嫌いだったか、これは失礼した」

 僕は悪びれる様子がない上官に、嫌な気持ちを抱きつつも要件を促す。

「ところで、僕に何のご用でしょうか?」

「君の、仕事の調子はどうかと思ってね」

「僕の仕事、ですか」

 先輩方の仕事を見学していただけで、まだ僕自身仕事はしたことがない。

「あぁ、そろそろ上手くやっていけそうな頃だろう。最初の数年間は皆、君と同じように戸惑うものだ。例え十年たっても全く仕事にならないやつもいる」

「それは……」

 返す言葉もなく視線を足元へと泳がせていると、彼は僕に一歩近づき周囲に聞こえないようにして、ドスを含ませた小さな声で囁いた。

「いつまでもお前一人だけが綺麗なままでいられると思うなよ」

 その言葉に僕は思わず息を飲む。僕の反応に満足したのか、彼は先程とは反対に丁度一歩分僕から距離を取ると、にこやかな笑みを張り付かせたその顔で僕に一つのファイルを差し出した。

「それじゃあ、君には彼女の仕事を頼もうか」

 僕がファイルを受け取ると、彼は踵を返し職場へと去って行った。

 ――僕の仕事は『恋人』と呼ばれるものだ。

 死刑間近の受刑者のもとに近づき、死刑までの数日間、親身にそれこそ本物の恋人のように振る舞う。死ぬ前のほんの一時でも人間らしい良い思いをさせてやろうという、国の理念から出来上がった職業。

 この刑務所内には、受刑者と刑務官そして『恋人』がいる。『恋人』になるための条件は、我が国の法律では裁くことのできないような罪を犯した者とされているが、実際には職に就けなかった者が多く、自己満足な償いをしている者は半分以下だ。

 僕は仕事を全うすべくファイルに目を通す。そこには名前と、犯してきた罪、死刑日等が項目ごとに記入されていた。それを見る限り、パトリシア・ガウリーという名前であること、いわゆる結婚詐欺という名目のもと国の重要人物を殺害したということ、そして死刑執行日は一週間後だということが分かった。



 僕は簡単な事務仕事を終えると、その夜パトリシアのもとへ向かう。途中、鉄格子で区切られただけの大部屋に収容されている受刑者たちの前を通った。彼女たちは僕を見つけると鉄格子の隙間から手を伸ばし口々に言う。

「ねぇ、恋人さん。今度私とどうかしら?」

「抜け駆けなんてずるいわよ」

「そうよ。でも、この子たちより私の方がいいに決まってるわ」

 『恋人』の取り合いをする彼女たちを見ていると、『恋人』が死ぬ前最後だとは知らされていないという事実を改めて思い知らされた。

 このまま放っておくと喧嘩になってしまう気がした僕は、軽く深呼吸をし『恋人』用の偽りの仮面を付け、困ったように微笑んでみせる。

「ごめんね。僕はもう仕事に行かないと……。また時間のある時に来るからさ、その時にお話ししようよ」

 すると彼女たちは急に大人しくなり「約束よ?」なんて聞くものだから、適当な相槌を打ってその場を後にした。



 そして刑務所内の奥にある個室の前へと辿り着く。死刑日が確定してからこの個室へと移ることになっている、それは『恋人』という仕事の特性と関与していた。パトリシアは数日前からこの部屋に入っているらしい。

 僕はゆっくりと深呼吸をし、仮面が剥がれてしまわないようしっかりと貼り付けると、扉を軽くノックした。返事はないがそのまま入ってしまう。

「こんにちは。パトリシア・ガウリーさんで合ってるかな?」

「何よ、貴方は誰? いったい私に何の用?」

 中はランプの明かりが灯されており、パトリシアはベッドの上に横たわっていた。突然現れた僕に驚き、僅かに警戒しているようだ。僕はパトリシアの警戒を解くために、勤めて明るく振る舞ってみせる。

「僕はウォルト・ロンズデール、ここでは恋人をしている。ぜひ君と恋人になれたら、と思ってきたんだ」

 すると彼女は不思議そうな顔をして、ベッドから上体を上げる。

「あたしと?」

「そう、君と」

 しばらくの間、僕らは言葉を交わすことなく見つめ合っていた。それは、相手の真意を探りあっているようで、不信感や不安、そして相手に対する興味というものが視線の中で複雑に絡み合っていた。

「いいわ、気に入った。ウォルトって言ったかしら? 貴方をあたしの恋人にしてあげる」

 そう言うとパトリシアは、ベッドから降り僕の前に立つ。そのまま両手をゆっくりと上げると僕の首の後ろに手を回した。僕のことを上目使いで見つめているパトリシアは、口元に不敵な笑みを浮かべている。急に顔が近くなったかと思うと、僕の唇は奪われていた。

 ――アイリーン、許してくれ。

 心の中が申し訳ない気持ちでいっぱいになっていたとき。

「ん……?」

 キスをやめたパトリシアが僕を睨み付ける。

「貴方、あたしといるのに考え事なんて。随分と余裕ね」

 女の勘というやつだろうか、あながち間違ってはいなかったため、僕は適当に受け流すことにしたのだが。

「僕は考え事だなんて……、不安にさせちゃった?」

「あぁ、他の女のこと考えていたのね。気に入らない」

 今のパトリシアの言葉は僕にとって、アイリーンを侮辱する言葉に聞こえた。これ以上聞きたくない一心で乱暴に彼女を引き剥がすと、ベッドへと押し倒す。

「何するのよ」

「言ったろ? 僕は君の恋人だって」

 ランプの明かりが二人を照らし、不規則な陰影を作る。しかし僕はそのことすら不快に思う。相手の汗、化粧や香水の匂い……。

 ――あぁ、むせ返るほどに気持ちが悪い。

 気持ちが悪いとは思いつつも、僕の心は今までに出会ったことのない女性、パトリシアを見ようとしていた。



「……ルト?」

 誰かが僕を呼んでいる。この声はアイリーン? 僕を、許してくれるのか……?

 重たい瞼をゆっくりと開けるとそこにいたのは。

「あぁ、やっと起きたの」

「パトリシア……?」

 どうしてパトリシアと同じ部屋にいるのだろうか? 確か昨日は仕事をして……、そうだ。僕は仕事のためにここへやってきて、そのまま眠ってしまったのか。

「どうしたの? 貴方、大丈夫?」

 パトリシアは心配そうに僕の方へとその身を寄せる。僕は彼女から距離を取りながら、なんでもないということを伝える。

「大丈夫だよ。朝は少し、苦手なんだ」

「朝が苦手、ね。それでどうして泣くのかしら?」

「え? あれ、どうして……?」

 彼女に言われ、そっと目元を拭ってみる。指先が濡れ、僕は自分が涙を流していることを理解した。

「訳アリ、かしら?」

 問いかけなのか、呟いただけなのかも分からない言葉に、付け加えるかのように続けた。

「アイリーン、さんって言った方がいいのかもね」

 昨日会ったばかりのパトリシアに、アイリーンの話は一切していない。それなのに、何故?

「どうして君が知っているんだ……?」

「寝言で言ってたのよ。アイリーンアイリーンって、全くこんなに失礼な話はないわ」

 僕が、寝言を……? いままで周囲にそんなことを言われたことはない。いや、僕は一人部屋だったから指摘してくれる人がいなかっただけで、毎晩アイリーンのことを?

「で、その人は誰なのかしら?」

「それは……」

「いいじゃない。あたしは今、貴方の恋人なのよ?」

 僕はどうするか少し考えたが、パトリシアが言った『恋人』の意味を考えた。きっと彼女はたいして意味を含まずに言ったであろうが、僕にとっては『恋人』が終われば関係が全て終わる。と考えるには充分だった。

「アイリーンは、僕の幼馴染で。婚約者だったんだ」

「だった?」

 彼女は僕の言葉に違和感を感じたようで、聞き返してきた。

「そう。僕が、殺してしまった」

 その言葉に彼女は息を飲む。しかし、口を挟むようなことはせず、静かに黙って僕の話に耳を傾けていた。

 僕は三年前、幼馴染でもあり、婚約者でもある女性を殺めてしまった経緯を話した。二人で行った花畑、美しい花を愛でる僕の愛おしいアイリーン。それはとても、心穏やかな時間だった。そう、その時までは。

 突然近くの森から狼が現れ、アイリーンを襲おうと近づいて行った。アイリーンはまだ狼には気付いていない。僕は狼を追い払おうと猟銃を手に取り、狼を打った。はずだった。しかし弾は狼ではなく、近くにいたアイリーンに……。彼女はそのまま、帰らぬ人となってしまった。

「これが、全てだ。僕は、最愛の人を自らの手で殺めてしまった」

 僕が話し終えると、重苦しい沈黙が部屋の中を支配した。

 おそらく沈黙に耐え切れなくなったのだろう。パトリシアは重たい口を開く。

「でもそれは、貴方のせいじゃ……」

「君に何がわかるんだ!」

 怖がらせてしまったのだろう、彼女はその身をすくめている。

「すまない。つい……」

 ベッドから立ち上がり、身支度をする。その間、パトリシアにはずっと背を向けていた。

「僕は、そろそろ……。さっきの話は、忘れてくれ」

 部屋から出て行こうとしたとき、パトリシアが口を開いた。

「あたし、貴方が好きよ」

 こんな話をしたのに、パトリシアは僕を軽蔑していないのか? 

「何を、バカなことを……」

 そんな都合のいい話、あるわけないじゃないか。きっと今のは僕の聞き間違いだ。

 すると僕の背中に何かが当たった。きっとパトリシアだろう、と容易に想像できた。振り払おうとすればすぐにできるはずなのに、体が動かない。布越しに彼女の暖かな体温を感じる。

「無理をして、表面を取り繕っている貴方じゃなくて。そのままの貴方が好きなのよ」

 確か彼女は結婚詐欺師。それなら今だけ、騙されてもいいだろうか。彼女に騙されていると言い訳をして、彼女を愛してもいいだろうか。

 僕は薄々気付いていた。自分の心がパトリシアの元へ揺れ動こうとしているのを。

 このままパトリシアとともにいると、言ってしまいそうで怖かった。心の中だけで、留めておきたかった。

 ――君に、惹かれ始めている。でも僕には、アイリーンが。

 僕は、考えることを放棄した。


 彼女を愛し始めてから、僕の心は軽くなっていった。パトリシアはどんな僕でも受け止めてくれた。愛していると言ってくれた。僕は、それに応えたかった。抗うことのできない死刑執行日がやってくるまでの限られた時間だけでも。



 そしてパトリシアの死刑執行日がやってきた。僕は彼女が処刑室に連れて行かれるぎりぎりの時間まで傍にいようと思い、ここ数日は彼女の部屋で寝起きしていた。彼女を連れて逃げてしまおうかとも考えたが、この刑務所のセキュリティでは不可能だと知り、愕然とした。

「ねぇウォルト? あたしはもうすぐ殺されるんでしょう?」

「パトリシア、どうしてそのことを?」

 処刑のことは直前まで本人には伝えないはずなのに……。

「やっぱりそうなのね。貴方の様子がおかしいから、何かあるとは思ったんだけど」

「実は……」

 僕が処刑のことを話そうとしたとき。ノックの音が聞こえた。

「パトリシア・ガウリー、いるんだろう?」

「開いているわ」

 扉が開かれ、現れたのは処刑人。彼らはパトリシアを連れて行こうとするが、彼女は必死に抵抗する。

「なによ、あんたたち! 離しなさいよ! あたしはウォルトの傍にいるのよ!」

 無理やり連れて行くことを諦めた処刑人が僕を見る。

「この女の『恋人』、ウォルト・ロンズデールだな。仕方がない、お前も一緒に来るといい」

 彼らの言葉に従い、僕とパトリシアはともに処刑室へと向かった。



 処刑室には、ギロチンが用意されていた。

「ウォルト……?」

 彼女は不安そうに僕を見上げる。

「パトリシア、すまない。君は、今日……」

 それですべてを悟ったのだろう。彼女は瞳に涙をため、緩く首を横に振った。

「夢はいつか覚めるもの。そろそろ貴方の夢も覚まさせてあげないとね」

 彼女は今にも泣いてしまいそうな顔で、無理やりに笑顔を作ってみせた。

「でも……」

 僕の言葉をさえぎって彼女は続ける。

「もういいの。貴方と過ごした一週間、とても楽しかったわ」

 そして僕の首へと手を回し、キスをした。それは一週間前の奪うようなものではなく、今を愛おしむようなものだった。パトリシアは僕の耳元へ唇を寄せると、別れの言葉を囁いた。

「先にアイリーンさんの元へ行くことにするわ。二人で貴方のことを待っていればいいんですもの。そうでしょう?」

 僕は愕然とした。パトリシアに別れを告げられたこともそうだが、アイリーンのことをすっかり忘れてしまっていたのだ。

 パトリシアは動かない僕に微笑みながらも身体を離し、処刑人の元へと向かっていった。

「覚悟は決まったのか?」

「そんなものとっくに決まってるわ。さぁ、早く殺しなさいよ」

 パトリシアはギロチンへと連れて行かれる。今回は抵抗していなかった。

「ウォルト! あたし貴方に言い忘れていたことがあったわ」

 パトリシアがギロチンの前に立った時、彼女が僕を呼んだ。僕は彼女の声を、言葉を聞き逃したくはなかった。

「なんだ? パトリシア!」

「あたしね、貴方のこと大っ嫌いだったの! 別れられて清々するわ!」

 きっとこの言葉は彼女の優しさ。自分のことを忘れて、前に進んでほしいという気持ちの裏返し。

 ――バカだな、パトリシア。そんなことで僕は君のことを嫌いになれるわけないのに。

 僕は涙を流しながら、彼女の最後を見届ける覚悟を決めた。

 彼女はギロチン台に仰向けに横たわり、静かにその時を待っている。

「やれ」

 処刑人の感情の籠らない声が響いた途端、ギロチンの刃が彼女の元へ……。切り落とされた首が、高く舞い上がる。それを見つめていると、亡骸になったパトリシアと目が合う。僕はそれを見て、また一つ重い十字架が増えたような気がした。
















かつて愛していたアイリーンを殺してしまったという十字架。



忘れないと決めていたはずなのに、パトリシアを愛するが故にアイリーンを忘れてしまったという十字架。



愛していたのにパトリシアが殺されるのを見守ることだけしかできなかったという十字架。



僕は重い十字架を背負いながら、生きていく。














僕の償いは、いつ終わりますか?

 


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[良い点] 刑罰が死刑間近な死刑囚の恋人役という設定が珍しかった。 [気になる点] パトリシアのことを唐突に好きになったような感じがしました。 主人公が恋人役をやるのは今回が初めてだったのかな? [一…
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