第70話 メルクリウスの姫
次の日、私たちはカインのお母様に会うために、エーデル城の離れを訪れていた。
「離れというよりは、地下室? なんでこんなうす暗いところに、カインのお母様は暮らしているの」
「護衛のためというのが一番の理由だが、実際は護衛を理由にして、正妻のエメラダと兄嫁のミリーが結託して押し込めたという方が正しいかもな」
「そうなんだ・・・なんだか酷い扱いだね」
「・・・まあな。ついたぞ、この部屋だ」
入室を許可されて、カインと二人ゆっくりと部屋の中へ入る。
半地下になっているその部屋は、窓の上半分から僅かばかりの日光が差している他に光源はなく、その薄暗い部屋の奥に、カインのお母様がいた。
「母上。先日顔合わせをした相手のネオン・フェルームだ。今はフェルーム姓を名乗っているがメルクリウス一族の可能性が高いので、早く母上と会わせたかった」
カインの母親とは思えないほどの若さと美貌の女性は、しかしどこか疑り深い眼差しで私を見つめた。だが、やがて興味を失ったようにそっぽを向くと、カインの方へ向き直り、にこやかな表情で話し始めた。
「カイン、よくぞ戻ってきた。ボロンブラーク校ではどのように過ごしておるのだ」
「俺はまあ気楽にやってるよ。仲間もできたしそれに婚約者も。ネオンからも挨拶をさせてくれ」
カインが私をお母様に挨拶するよう促す。
「初めまして。ネオン・フェルームと申します」
今日も安心安全のフリュオリーネ・モードだ。しかし、
「カイン、この女は何者じゃ。無理やりメルクリウスを装わせて、なにを企んでおる」
お母様の眼光が鋭く光る。
猫を被っているのがバレたか!
「母上。企んでいるわけではありません。ただ学園の同級生であるネオンとの婚約を結びたいので、そのご承諾を得るために参上したまで」
「ではなぜ、その者にわざわざ白銀のかつらを着けさせているのだ。それでメルクリウスを語られても、何も信用できないではないか」
「・・・ネオン。そのウィッグをとって母上にありのままの姿を見せてやってくれ」
カインの真剣な眼差しに、私は頷くしかなかった。
ウィッグを外して、本来の短くカットした髪を顕にして、カインのお母様のもとへ近づいていった。
お母様は私が傍によると、怪訝な顔つきで私をなめ回すように見つめ、そして髪の毛を触れてしばらく沈黙していた。
「そなた、本当にメルクリウス一族の末裔なのか」
お母様の目が少し優しげに変わった。
メルクリウス一族。
あのタイムスリップした街で出会った、ご先祖様とその一族。
そしてわたしがボロンブラーク領に逃がした、若い夫婦とお腹の赤ちゃん。
200年以上たってフェルーム騎士爵家として復活したのが、メルクリウス一族の末裔なのだ。
私は胸を張って肯定した。
「はい。私はメルクリウス一族の末裔、ネオン・フェルームです。200年前のご先祖様から受け継いだ、地下神殿の鍵もこの通り持って参りました」
私は大切な地下神殿の鍵を、お母様に手渡した。
お母様は震える出て鍵を受けとりしばらく見つめていると、おもむろに私の体を抱き締めた。
「この鍵に刻まれた紋様は確かに本物の証。ついに、メルクリウスが我らのもとに帰ってきたのだ。われらバートリー一族同様に、歴史の裏側に隠れて生き残っていたのだな」
「母上、その通りです。ようやく母上たちの悲願であるバートリー家の名誉回復の時が訪れたのです」
「そうだな。だがまずはネオンとやらに謝らねばならない。先ほどの件、気を悪くしないでほしい。それからまだ名を名乗っていなかったな。わたしのことはクレアと呼んでくれてよい」
「いえこちらこそ申し訳ございませんでした、クレア様。ウィッグを着けていたのは悪意があった訳ではなく、婚約者として美しく見せたかっただけなのでございます」
「さようか。だが今のままの方が美しく見えるぞ。その姿こそ伝説に伝えられたメルクリウス一族の姫の特徴。煌めくような白銀の髪に、燃えるような赤い瞳。まさに双子月セレーネの化身じゃ」
「母上、それではネオンを婚約者として認めて頂けるのでしょうか」
「うむ、そのつもりがメルクリウスの姫であれば、バートリー家に戻り母君に報告せねばなるまい。明日ネオンを連れて本家へ向かうとしよう」
「お婆様の所へ・・・わかりました。それならネオンにバートリー家について教えてあげて頂けませんか」
「そうだな。我がバートリー家について教えておこう」
クレア様の語ったバートリー家の歴史。
バートリー家はもともとこの地を治める辺境伯家だった。しかし200年以上前に起こった政変により、時の王から王国を裏切る売国奴の汚名を着せられ、領都バートリーごと攻め滅ぼされてしまった。
その時、バートリーとともにこの地で王国の守護に当たっていたメルクリウス一族も、王国の敵と認定され一人残らず滅ぼされた。
しかしバートリー本家の末娘が、数名の分家や従者とともに秘かに逃げ出しており、絶滅することだけは免れていた。
やがて、政変を主導した新教徒の王が没すると、王国の混乱も沈静化を見せてきた。また、この地は王国へ外敵が侵攻するルートに位置しており、新たな辺境伯を任命する必要も出てきた。
そこでもともとバートリー家の家臣であり、王国守護の功績が高かったフィッシャー家がその任に着くこととなった。
だが政変後の王達は分かっていなかった。辺境伯とは単なる爵位ではないことを。王国を守る盾である辺境伯家にのみ使うことができる固有魔法の存在を。
当時のフィッシャー辺境伯は、バートリー家の生き残りを密かに保護してその血を絶やさないようにしていた。そして王国の防衛戦への出陣の際には、バートリー家の騎士を出陣させて、辺境伯家の代わりに固有魔法を使用させていたのだ。
さらに時代が進み、再び旧教徒の王が政権に着くと、フィッシャー辺境伯はバートリー家を騎士爵に叙し、フィッシャー領の辺境に領地を与えて定住させたのだ。
しかしバートリー辺境伯の名誉回復には、まだ至っていない。
「そうだったのですね。おそらくメルクリウスも同じように、現代まで続いてきたのかも知れません」
「ということは、お主は自分の一族の過去を知らないのか」
「私のお母様たちは知らないと申しておりました。私たちのご先祖様は、ある日突然ボロンブラーク伯爵領に現れて、当時の伯爵から騎士爵に叙せられたとしか分かっておりません」
「うむ、なるほど。ボロンブラークは王国の西南の端にあり、他国と隣接していないため平和で安全な場所と聞いておる。代々のボロンブラーク伯爵は、そなたたちメルクリウス一族を王家の目に晒すことなく密かに匿い続けたというわけだな」
「代々のボロンブラーク伯爵は、賢明な方たちだったのですね」
「現在の伯爵はどのようなお方なのか」
「今の伯爵は、私の小さい頃から病に臥せっており、その二人の息子を旗頭に二つの派閥が内戦を繰り返しておりましたので、どのような人柄か私は存じ上げません。ただお父様が言うには、息子たちとは違い大変な人格者だと」
「そうか。伯爵の病と内戦をきっかけに、メルクリウスが再び歴史の表舞台に現れたということか。事情は理解した。いずれにしても明日、母上の所へともに参ろう」
「最後に一つだけ伺ってもよろしいでしょうか」
「申してみよ」
「カイン様の婚約者を認めるのは、なぜフィッシャー辺境伯ではなくクレア様なのでしょうか」
「それは我がバートリー一族の血を絶やさぬために、親子二代続けて他家との婚姻を認めないからだ。これは代々のフィッシャー辺境伯との同意事項でもある。だから私がカインの婚約者を決める役目を負っている」
「私はバートリー一族ではないのですが」
「メルクリウスの姫は例外で、同意事項ができる遥か以前の政変前の歴史に関係するため、母上の判断も仰ぎたいのだ」
フィッシャー家の長男のライアンは、母親のエメラダと妻のミリーの二人に挟まれて、カインとネオンの婚約についての文句を聞かされていた。
「フェルーム家なんて聞いたことのない家門で、騎士爵家からいきなり子爵家に叙せられた成り上がりだから、カインの婚約者に丁度いいと簡単に考えていたけれど、これはまずいわね」
「お義母様。メルクリウスの伝説って本当の話何ですか。私はてっきり子供が読む絵本のこととばかり」
「わたくしも詳しくは知らないのだが、辺境伯がクレアを側室として迎え入れた時に、少し説明を受けたことがある。クレアのバートリー家はかつての辺境伯家であり、当時その双璧を成したのがメルクリウス家だと。あの娘の特徴が聞いた話とよく似ておる」
「もしネオンが本物のメルクリウス一族で、バートリー家の血を引くカインとあの娘が結ばれたら、バートリー家がフェルーム家と結託してカインを次期当主に推してくることになりませんか」
「辺境伯が何を考えているのかよく分からんが、あり得ないことではない。ライアンのためにも危険の芽は摘み取っておいた方が無難だな。ところでライアン、そなたは固有魔法をまだ使えぬのか」
「使えぬ訳ではないのですが、バートリーの血の濃さがカインより薄いので、あいつほどには使いこなせないのです。ただ、属性魔法が一切使えないあいつと違い、母上から受け継いだ属性魔法が使える分、実戦では私の方が上回っておりますが」
「フィッシャー家も定期的にバートリーの血を取り込んでおるからな。だがあの娘が本物のメルクリウスなら、クレアは喜び勇んでバートリーの復権を目指すだろう。ミリー、ネオンに婚約を辞退するよう少し言い聞かせて来なさい」
クレア様との面会を終え、明日バートリー家の領地へ向かうことになった私は、もうエーデル城には戻らずそのまま学園に帰るため、家から持ってきたドレスを片付けていた。
コンコン
ノックの音がしたので入室を許可したら、入ってきたのは長男の嫁のミリーだった。
「少しお話したいことがあるのですが、お時間よろしいでしょうか」
「ええどうぞお入りください」
ミリーは椅子に腰かけると、少し冷たい目線で私を突き放すような雰囲気を放っている。
この殺気、明らかな敵意を感じる。ならば目には目を、悪役夫人にはあの女を。
【アンチ悪役夫人シールド、フリュオリーネ召還!】
「我が辺境伯家の格式についてですが、他の伯爵家とは異なり特別の地位を王から授かっている家柄だということはご存じでしょうか」
「はい、存じておりますが」
「そこへ嫁に入るには、やはり相応の格式のある家でなければなりません。あなたのご家門はそれに相応しい格式はおありでしょうか」
「それはつまり、私がフィッシャー家の嫁に相応しくない、とおっしゃっているのでしょうか」
「まあ、そのような直接的な物言いをなさるなんて、さぞかし良い貴族教育をお受けになったのでしょうね。もしよろしければ、正しい貴族の振る舞い方を教えて仕上げましょうか」
「良い教育なんて、お褒めいただき大変恐縮です。まぁ、せっかくお申し出ですので、その振る舞い方というものを伺ってもよろしくてよ」
「褒めている訳ではございませんが、いいでしょう。では辺境伯にこのように申し伝えるのです。この城に来てようやく自分の身の程に気がつき、恥ずかしい思いでいっぱいです。今回の話は無かったことにさせてくださいと」
「あら、わざわざ私のセリフまで考えて頂き、お手数をおかけしました。ミリー様も余程お暇なようですわね。でも折角いただいたアドバイスですが、応じられませんわ。私にはやるべき使命がございますので、カイン様との婚約を破棄するわけには参りません。話がそれだけでしたら、わたくし明日の準備がございますので、そろそろお引き取りください」
「(ギリッ) まっ失礼な娘ね!・・・それに使命ですって。あなた何か目的があってここに来たというの?」
「はい。ミリー様に申し上げる予定はございませんが、私にしか出来ない使命を果たしたいと思い、カイン様の婚約者となりました。だから格式や家柄などというそちらのご都合だけで、あっさりと身を引くわけにはいかないのです。その点をご容赦くださいませ」
「あなた覚えていらっしゃい。後悔しても知りませんよ」
私がきちんとお断りすると、ミリーは捨てぜりふを残して、そそくさと部屋から退散してしまった。
勝った。
しかし、フリュオリーネはなかなか便利なヤツだな。昨日から大活躍じゃないか。
私の持ち芸に加えてやるか。
ミリーは慌ててエメラダの部屋へ舞い戻ってきた。
「お義母様大変です」
「どうしたのですか、騒々しい」
「先ほどネオンに婚約を辞退するように伝えたのですが、断られました。ほんと憎たらしい小娘です。でも彼女は何か明確な目的があって、自らの意思でフィッシャー辺境伯家に入ろうとしています」
「明確な意思・・・やはり、バートリー家の復興か、まさか辺境伯家の簒奪? ミリーはあの女を注意深く監視しておくように」
「かしこまりました。お義母様」




