第398話 時空の狭間で
タイムリーパーが作動した。
視界が大きく揺らぐと、身体がどこかへと引っ張られる感覚がする。
そして次の瞬間には過去に戻っている・・・はずなのだがどこかおかしい。一体ここはどこだ。
俺は薄暗い空間の中に、一人佇んでいた。
一緒に時間遡行したはずの仲間がどこにもいない。
まさか魔術具の誤動作で時間遡行に失敗したのか?
俺の背中に嫌な汗が流れる。
時空の狭間に飛ばされてしまった場合、どうやって元の時代に復帰するんだったっけ。
あの魔術具は地球が存在する時空を起点に、この世界のいくつかの時空特異点間を転移するものだから、時間を移動する以外は従来型の軍用転移陣と理論的には同じはず。
俺はこのタイムリーパーを作った前世の記憶を必死に呼び起こしていると、遠くの方で女性のすすり泣く声が聞こえた。
「俺以外にも、ここに迷い込んだ仲間がいるんだ」
セレーネとヒルデ大尉は絶対に泣くわけがないし、カトレアとカトリーヌもちょっと想像がつかない。
つまりあそこで泣いているのは、エミリーだ。
「エミリー待ってろ、今から助けに行くぞ!」
俺は薄暗いもやの中を急いで駆け付ける。すると地面にうずくまるように、ドレスを着た女性が顔を覆って泣いていた。
「あれ?」
俺の仲間は全員帝国軍の軍服を着ているし、セレーネは日本国防軍の軍服に着替えさせた。
だったら誰だ、このドレスの女性は。
俺は泣いている彼女に声をかける。
「あの~すみません。こんな時空の狭間に居ると危険なので、俺と一緒にこの空間から脱出しませんか」
なぜかナンパみたいなセリフになってしまったが、俺の声に一瞬ビクッと肩を震わせたその女性が、ゆっくりこちらを振り返った。
その女性は艶やかな長い黒髪で、泣いて腫れあがってはいるが大きな黒い瞳がとても印象的な、
ていうか!
「お前はマイトネラ! 死んだはずなのにどうしてこんなところに」
するとマイトネラも俺に気がついたようで、
「あなたは魔王メルクリウス・・・」
そしてすっと立ち上がったかと思うと、俺から距離をとるように小走りに去って行った。
「おい、どこに行くんだマイトネラ」
「わらわのことなど、放っておいてくださいませ」
「いやいや、こんな時空の狭間で放っておけるわけがないだろ。ていうか何でお前は生きているんだ」
俺はマイトネラに追い付くと、落ち着いて話ができるように彼女を地面に座らせた。
「マイトネラはどうしてここに?」
「・・・わかりません。わらわは部屋で自害したはずなのに、気がついたらここにいたのです。それで辺りを彷徨っているとあなたがここに現れて。ここは死後の世界なのでしょうか」
「まさか・・・」
胸に手を当てるとちゃんと心臓が動いている。
「大丈夫、ここは死後の世界ではない」
マイトネラは確かに死んだはずなのに、彼女はこうして俺の前にいる。そしてマイトネラ自身も自分が自殺した認識をちゃんと持っている。
つまり俺たちと同じ時間軸に生きていた彼女だ。
可能性としてはこれから過去に干渉することで未来の不確定性が増し、マイトネラが死ななかった時間軸に移行しようとしているのかも知れない。だから彼女はこの時空の狭間に復活して、ここを彷徨っていた。
逆に言えば、こうしてマイトネラが目の前に現れたことが過去の改変がうまく行く証拠であり、この作戦を確実に成功させれば望む未来が手に入る。
だがここからの脱出方法がすぐには浮かばないし、俺はマイトネラの隣に腰を下ろすと、しばらく彼女と話をしてみることにした。
「マイトネラ、キミが自殺をしてエクストラ・ワン・チェーンの魔術具も粉々になり、世界中の妖精族が今まさに消えようとしている。どうしてそんなことを」
「・・・わらわはシルバール様に拒絶されて、もう何もかもが嫌になったのです。それで思わず命を絶ってしまったのですが、今は後悔しております」
「後悔・・・そうだな、死んでしまったら何もかもが終わりだからな」
「いいえ、シルバール様と結婚できないわらわに生きる希望などございませんが、家宝の魔術具を壊してしまったのを後悔しておりました」
「マイトネラ・・・」
「あの時はシルバール様がとても憎くて、世界の全てが憎かった。だから全員を道連れにすればいいと思って魔術具を壊してしまいましたが、ここに復活してみるとシルバール様への怒りもすっかり覚め、その代わりに後悔が押し寄せてまいりました。全ての妖精族を巻き込んでしまったのは、わらわのやりすぎでした」
「マイトネラは自分が死んでしまったことではなく、魔術具を壊したことを後悔していたのか」
「はい、とても後悔しておりますし、絶望もしています。わらわは世界の誰からも必要とされていませんでしたが、だからと言って妖精族を道連れにするなど、ウンディーネ王家のご先祖様に申し訳が立ちません。一人寂しく命を絶つべきでした」
「誰からも必要とされてないって・・・そんなことないよマイトネラ。アレクシスやメルヴィル侯爵はマイトネラのために裏で色々動いていたし、王城の高官たちもみんなマイトネラの死にショックを受けていた。それにフリュだってマイトネラには幸せになってほしいといつも言っていた」
「皆がわらわのことを・・・・でもシルバール様は、わらわを殺すとまで!」
「確かにシルバールや、他の王子達とは結ばれなかったかも知れないけど、マイトネラが世界から必要とされていないわけではないんだ。キミが命を絶つことで悲しむ人達が大勢いることを忘れないでくれ」
「そんなはずは・・・」
「俺だってそうさ。過去にタイムリープしてまであの不幸な簒奪劇を阻止し、シルフィーヌや内乱で命を失った兵士たち、そしてマイトネラ、キミを死なせないようにこうして頑張っているんだ」
「魔王様・・・」
そして俺はタイムリーパーという魔術具で200年以上過去に戻って、シルフィード族の隠れ里にいる長老に会いに行き、俺たちだけに分かる予言を追加する作戦を説明した。
「マイトネラ、俺と一緒に来い。今から過去に戻って予言の一部を改変し、シルビア王女の暴走を未然に食い止めるぞ!」
「でも、わらわみたいな者が魔王様について行ってもよろしいのでしょうか」
「いいに決まっているじゃないか。それにどんな敵が現れてもマイトネラのことは俺が絶対に守ってやる。だから俺について来い」
「あああ・・・あああああ・・・」
俺が手を差し伸べるとマイトネラは突然泣き出し、大粒の涙がぽろぽろと頬を零れ落ちた。
しばらく泣き続けた彼女だったが、やがて涙が止まると俺はハンカチで彼女の涙を拭いてあげた。
「どうやら落ち着いたようだな。自分で立てるか?」
「はい・・・」
ゆっくりと立ち上がったマイトネラの表情は、憑き物が落ちたようにとてもスッキリとしていた。
俺はもう一度彼女に手を差し伸べると、
「じゃあ行くか」
「はい。わらわは魔王様について行きます」
そして笑顔になったマイトネラが俺の手を握った瞬間、俺たちは時空の狭間から脱出した。
気が付くと俺の周りにはタイムリープに成功したみんなが立っていた。そして俺の後ろにマイトネラの姿を見つけると、
「アーネスト中尉! その人ってマイトネラ女王陛下じゃないの?」
「本当だっ! 死んだはずなのに、どうして私たちと一緒に居るの?」
みんなが不思議そうに驚く中、一人だけ違う反応をする者がいた。
セレーネだ。
「お前はルシウス人っ! よくもこの私の前に姿を現せたわね。死ねっ!」
臨戦態勢になったセレーネの瞳が真っ赤に燃えて、炎のオーラが空高く立ち昇ると、マナの衝撃波が空間を激しく振動させた。
「うわあっ! ちょっと待てちょっと待て! 彼女はルシウス人だけど、敵じゃないんだ!」
俺はマイトネラの前で両手を広げると、セレーネの紅蓮の魔力から彼女を守る。
「何バカなこと言ってるのよ安里先輩! ルシウス人は私たちの敵でしょ!」
「違う、敵じゃない! 日本はとっくの昔にルシウス国と和平協定を結んでいるし、彼女はそんな昔の事情なんか全く知らないんだ。そもそも彼女こそが今回のミッションで命を助ける予定の、ウンディーネ王国の女王マイトネラだよ!」
「えーっ?! このルシウス人がウンディーネ王国の女王なの? ということは彼女が生き返ったからもう作戦は終了ってこと? 私そんなの嫌よ」
「いや、これから俺たちが行うはずの過去改変の影響で未来が不確定になって、マイトネラ女王が俺たちと一緒に過去の時間軸上に復活したんだと思う。だから俺たちの作戦をこれから成功させる必要がある」
「ふーん、よくわからないけど、冒険が終わりじゃないのならいいわ。ルシウス人を助けるというのが私にはピンとこないけど作戦なら仕方ないわね」
そしてセレーネのオーラが消えると、あまりに凶悪な魔力に顔を青ざめていたみんなが一息ついた。俺は後ろで怯えているマイトネラに向き直ると、
「驚かせてすまなかったな。彼女は俺の婚約者のセレーネ・メルクリウス。もう一人の魔王メルクリウスで今はメルクリウス=シリウス教王国という国で女王をしている」
するとマイトネラはセレーネに歩みより、
「初めまして。わらわはウンディーネ王国女王、マイトネラ・ネプチューンです」
「ネプチューンって、ふーんあなたってルシウス人のくせにType-ネプチューンだったのね。昔の面影は全くないけど、私たちの仲間なら歓迎してあげるわ」
そういってセレーネはマイトネラと握手をすると、彼女を仲間として受け入れてくれた。
さて、ここからシルフィード族の隠れ家まではまだ少し距離がある。まずはここミジェロ大樹海を抜けて山脈沿いに東に向かう。
途中には魔獣も多く出没するし、鬼人族や獣人族の野盗も出るから警戒して進まなければならない。
だが過去の世界での戦闘には大きな制約があり、未来に影響を与えないため敵を殺してはいけないのだ。これはかなり難しいことで、こちらを殺そうとしてくる敵より圧倒的強者でなければこれをなしえない。
そこで万全の態勢を敷くため、魔力は強いが魔法が全く使えないマイトネラをパーティーの中心におき、そのすぐ前を俺が警戒する。
セレーネは一番最後列でパーティー全体を守り、右側面にはヒルデ大尉が、左側面にはカトレアが周囲を警戒。エミリーとカトリーヌはマイトネラのすぐ後ろに付いて、支援魔法での即応体勢をとる。
この態勢が功を奏して、俺たちの匂いを嗅ぎつけた魔獣の群れが襲ってきても、マイトネラに傷一つつけることなく、そのこと如くを逃走させていった。
「どうだマイトネラ、俺たちのパーティーは凄く強いだろう」
「はい、魔王メルクリウス様!」
またオークの野盗に囲まれた時も、
「いい女だらけじゃないか、うへへへへ」
「男は殺して、女は俺たちでおいしくいただこうぜ」
そう言いながら発情したオスのオークの集団が一斉に俺に襲い掛かって来るが、
「この程度なら俺一人でも十分そうだな。他のみんなはマイトネラを守っていてくれ」
俺はそう言うと、超高速知覚解放でクロックアップして、オークを一人のこらず叩きのめした。
全員が戦闘不能になったのを確認すると、
「雑魚オークなんか、何人いても全然大したことないな。ゴウキやピグマンたちの方が何十倍も強いぞ」
するとヒルデ大尉が腰に両手を当てながら笑顔で、
「私もそう思うけど、今の中尉はアポステルクロイツの指輪と超高速知覚解放の2種類のブースト効果で、7属性勇者よりも断然強くなってるのよ。あの程度の敵には勝って当然ね」
だがセレーネは頬を膨らませて不機嫌そうに、
「安里先輩、次は私にやらせてよ。ずっとお城に閉じこもって女王なんかやらされてたから、身体がなまって仕方がないのよ」
「そうか? じゃあ次の敵は観月さん一人に任せるけど、その次はヒルデ大尉も一人で戦ってみます?」
「私は結構よ! あなたたち魔王と一緒にしないで」
そんな俺たち3人のやり取りを、マイトネラはとても楽しそうに見つめていた。
そして大樹海を抜けたところでちょうど夜になり、最初の野営を行うことになった。
大きな天幕を一つ張って、二人一組で見張りに立つことにしたのだが、なんとマイトネラが見張りを志願したのだ。
「マイトネラは魔法が使えないし危険だから、天幕の中に隠れていろよ」
「いいえ。わらわは戦えない分、他のことで皆さまのお役に立ちたいのです。見張りならわらわの視力で敵を見つけることができます」
「そう言えばルシウス人は暗視能力に優れていると聞いたことがある。じゃあ見張りをお願いしようかな」
「はい! わらわは絶対にお役に立って見せます」
そして深夜、俺はマイトネラと共に見張り台に座った。月は新月で夜の平原は暗闇に包まれている。
星明りしかない中、隣に座るマイトネラの大きな瞳はわずかな動きをも見逃すまいと、その黒い目をさらに大きく見開いている。
網膜に到達する光子の数を増やすために、瞳孔が全開になっているだけなのだが、ヤンデレみたいでなんか怖い。
そんなマイトネラが突然俺の方に顔を向けた。
「ち、ちょっとマイトネラ! 顔が怖いから急に俺の方を向かないでくれよ」
「魔王様、敵です」
「敵だって? 俺には全く見えないんだけど」
「ここから約2キロ先の茂みに野盗が隠れています。全部で30名程度ですが、あきらかにこちらを狙っています」
「マジか・・・よしちょっと待ってろ」
俺は懐に持っていた通信の魔術具を作動してヒルデ大尉に連絡をとる。
「大尉、敵を発見しました。これから先制攻撃をかけますので、代わりの見張りをお願いできますか」
「・・・了解よ。気を付けてね」
「よしマイトネラ、敵の場所まで案内してくれ」
「かしこまりました、こちらです」
マイトネラの案内で野盗が隠れていると思われる現場に到着する。だがこの暗闇では、俺の目に敵の姿が見えない。
仕方がない・・・。
「マイトネラ、敵をまとめて粉砕するから、俺の背中に乗ってくれ」
「ええっ?! ま、魔王様の背中にですか・・・」
「そうだ、早くしろ」
「はっ、はい!」
そして俺はマイトネラを背中に背負うと、エクスプロージョンを発動させると同時に、爆発からあえて敵を守るようにエレクトロンバーストを発動させた。
こうしておけば爆発によって生じたプラズマ塊がエレクトロンバーストによってからめとられて荷電粒子や熱線が地上に降り注がなくなり、爆風のみが衝撃波として彼らを襲う。
その結果、瞬間的に何10気圧もの高圧が発生し、普通の人間なら死なないまでも意識を保てる者はいないはずだ。
俺は超高速知覚解放で加速して安全圏まで駆け抜けると、マイトネラを下ろして地面に伏せさせ、その上から覆いかぶさりバリアーを展開した。
こうすることで、エクスプロージョンの衝撃波からマイトネラを守るのだ。
そしてエクスプロージョンの白い光点が起爆すると、激しい衝撃波がエレクトロンバーストの電子雲を吹き飛ばし、俺たち以外の全てをなぎ倒していく。
「このぐらいの威力があればまず大丈夫だろう。敵を殺さず無力化するのは手間がかかって本当に難しい」
「・・・・・」
「もう大丈夫だから安心してくれ。マイトネラ? 敵は無力化したから怖がらなくてもいいんだぞ」
「・・・・・」
「あっ、すまんマイトネラ。戦いのことばかり考えていて、お前の上に乗っかってるのに気づかなかった。お前も独身の令嬢だし悪いことをしたな」
「・・・・・」
そして野盗が全員気絶しているのを確認すると、
「こいつらは当分目覚めないだろう。天幕に戻ろうかマイトネラ」
「・・・はい」
だが野営地に戻る道すがら、戦いにすっかり怯えてしまったのか、マイトネラは俺の背中にしがみついてずっと離れなかった。
次回、シルフィード族長老との邂逅
お楽しみに




