第385話 マイトネラ女王の過去
「お久しぶりですシルフィード国王陛下。お元気そうで何よりです」
笑みを浮かべたマイトネラの黒い瞳が、国王を真っ直ぐ見据えている。国王の額に一筋の汗が流れるも、努めて冷静を装う。
「ウンディーネ女王陛下こそ相変わらずお美しい」
「まあ、国王陛下ったら。でももしそうだとしたら、それはわらわが恋をしているからかも知れません」
「恋・・・ですか」
「はい恋です。わらわはシルバール様との新婚生活を毎日のように夢に見ておりますのよ。そうだわ、これだけたくさんの貴族たちが集まっているのですから、本日皆様の前でわらわとシルバール様の結婚の日取りを発表いたしませんか」
「いや、ちょっと待ってください女王陛下。シルバールは私の後を継いでこの国の王となる身。申し訳ないが陛下との結婚は・・・」
即座に結婚の話を拒否する国王に、彼女の目が大きく見開いた。ブラックホールのようなその漆黒の瞳に国王の心が恐怖で凍りついていく。
「お黙りなさい! いにしえの盟約に従い、わらわとの結婚に関してシルフィード王国に拒否権などないのです。早く結婚の日取りを決めなさい!」
「盟約ならすでに2度果たした。それにシルバールは私の唯一の後継者で陛下との結婚は・・・」
「後継者がいないのはむしろ我がウンディーネ王国の方です! たった一人の直系王族となったわらわが子をなさなければウンディーネ王家が途絶えるのです。その点シルフィード王国には第1王女のシルビア様という立派な後継者がいるではないですか」
「シルビアはその・・・」
2度も息子に婚約破棄させた負い目のあるシルフィード国王は、女王を前に完全に口ごもってしまった。するとねっとりとした笑みを浮かべたマイトネラは、今度はシルバールに話しかける。
「お久しぶりですシルバール様。わらわはこの舞踏会の日が来るのを指折り数えてまいりましたの。さあ、奥の部屋に行ってわらわたちの結婚の日取りを決めてしまいましょう」
そして怯えた表情でシルバールの腕にしがみつく婚約者のシルフィーヌを突き飛ばすと、マイトネラはシルバールの手を取って大階段を上がろうとした。
だが、
「やめてください、マイトネラ女王陛下!」
シルバールはマイトネラの手を振りほどいて床に倒れたシルフィーヌを抱き起すと、マイトネラに向けてきっぱりと告げた。
「僕はあなたとは結婚できない。先ほど父上が話したとおり、僕は次の国王としてこの国を治めなければならないし、僕の愛する婚約者を突き飛ばすような失礼な方とは話もしたくない」
「いいえ、シルバール様はそこの女に騙されているだけで、本当はわらわのことを愛しているのです。早く自分の本当のお気持ちに気付いてくださいませ」
マイトネラの2つの大きな瞳が切なげにシルバールを見つめるが、
「僕が愛しているのはシルフィーヌだけだ。あなたを愛してなどいないし、その顔を2度と見たくない!」
そう言ってシルフィーヌを優しく抱き寄せるシルバール。そんな2人の姿を見て、マイトネラは悔しそうに爪を噛んだ。
「ギリッ!」
指先から真っ赤な血が滴り落ち、大ホールに集まった貴族たちが完全に静まり返る。
そこへ一人の女が玉座の方へゆっくり歩み出すと、マイトネラの隣に立った。
「姉上どうしてここに・・・」
この女性が先ほど話にあったシルビア王女らしい。国王が顔を青ざめているところをみると、彼女をこの舞踏会に呼んでいなかったようだ。
そんな彼女は怒りに満ちた表情でシルバールを叱責した。
「シルバール! それが隣国の女王陛下に対する態度なのですか! すぐに謝罪なさい!」
「ですが姉上、先にマイトネラが僕の愛する婚約者を突き飛ばして・・・」
「お黙りっ! たかが伯爵令嬢のシルフィーヌなど、我が王家に入れることは絶対に認められませんっ! あなたは盟約に従ってマイトネラ様に一生を捧げればよいのです!」
「それは違う! シルフィーヌは父上が認めた正式な婚約者で、将来この国の王妃になるんだ。姉上こそシルフィーヌに対して失礼ではないか!」
「何ですって! このわたくしに対してよくもっ!」
悔しそうに顔を歪めるシルビアに、シルフィード国王が窘める。
「もうやめないか2人とも。それにシルビア、お前は私の名代で王都を離れていたはずなのに、どうしてこの舞踏会に出ているのだ」
「この舞踏会のことはマイトネラ様から教えていただきました。お父様がわたくしを王家から排除しようとしていることもね」
「だからお前を排除しようなど誤解・・・と、とにかく貴族たちもみんな見ているし、何より今日はフェアリーランドから来賓の方々も来ておられるのだぞ」
慌てて話題を変えた国王の言葉に、にこやかな笑顔を取り繕ったマイトネラとシルビアがフリュの前に歩み出た。
「初めましてエルフのお姫様。わたくしウンディーネ女王のマイトネラと申します。そしてこちらがシルフィード王国の第1王女のシルビア様です」
二人が華麗にお辞儀をすると、フリュたちも一斉にスカートをつまんでお辞儀した。
「初めましてマイトネラ女王陛下、そしてシルビア王女殿下。わたくしはエルフ族の長老アイオニオンの孫で族長シグマリオンの姪にあたるフリュオリーネと申します。本日はこのような場に突然押しかけてしまい失礼いたしましたが、これがおよそ200年ぶりの邂逅ということもあり、今宵は是非親交を深めさせていただければと存じます」
「まあ! アイオニオン様と言えば、魔王メルクリウスの災厄から妖精族を救い、新大陸に新たなフェアリーランドを建国したという伝説上の人物。そのお孫様に会えるとはとても光栄ですわ」
マイトネラがフリュの両手を握って笑顔を見せると、フリュも満面の笑みを作って、
「わたくしも失われたウンディーネ族とシルフィード族にこうしてお会いできて大変うれしゅう存じます。もしよろしければ、この後に女性同士でゆっくりとお話を伺わせていただくことはできませんか」
するとマイトネラがニタリと笑い、
「もちろんですわ。ではわらわと懇意にして下さっているご令嬢方を紹介いたしますので、後でゆっくりとお話しましょうね」
そしてマイトネラとシルビアは満足そうな表情で、ようやく玉座の前から立ち去って行った。会場全体がホッとした空気に包まれ、他の貴族たちが順次国王に挨拶をしていく。
俺は結局、マイトネラをただ茫然と見ていただけだったが、フリュが俺の耳元で囁いた。
「わたくしはマイトネラ様の派閥に潜り込んで、彼女たちから情報を探ってまいります。舞踏会はジューン様にお任せしますので、あなたはシルフィード側の対応をお願いいたします」
「・・・そうだな、マイトネラの方はフリュに任せるよ。すまないな・・・」
そしてフリュがジューンとフィリアの2人を呼び寄せると、こっそり耳元で指示を与えた。
国王への挨拶の儀が終了すると、いよいよダンスが始まる。早速フリュがフィリアを連れてマイトネラに近付くと、シルビア王女やその取り巻き令嬢たちを伴って大ホールから離れて行った。
それを心配そうに見つめていると、いきなり視界に入ってきたジューンが俺に手を差し出した。
「神使徒アゾート様、あちらはフリュオリーネ様にお任せしておけば大丈夫です。わたくしたちはシルフィードの貴族たちとの社交に専念しましょう」
「そうだな、俺たちは俺たちの仕事をしよう」
俺はジューンの手をとってホール中央へエスコートすると、ルシウス人のことは一旦忘れて舞踏会に集中することにした。
そしてジューンの仕切りでシルフィード王国の令嬢たちとダンスを踊ると、当初の予定どおりマールたちもシルバールとのダンスを楽しんだ。
その後、休憩をするためバルコニーにたたずんでいると、シルバールとシルフィーヌがやって来た。
「舞踏会はいかがですか」
シルバールがさわやかな笑顔で俺に尋ねる。
「シルフィード王国の音楽はリズミカルなものが多く、ダンスがとても楽しいですね」
「ほう、するとフェアリーランドではもう少し大人しめのダンスを」
「ええ、少しスローテンポでゆったりとした感じで、それに比べるとこちらのはアップテンポでとても華やかな印象です」
「そうですか。・・・ところで先ほどは恥ずかしい所をお見せしてしまったが、もしよければ少し話を聞いていただけないだろうか」
「ええ、喜んで」
そう答えると、俺たちはベンチに腰を下ろした。
「僕には2人の兄がいて、マイトネラ女王の最初の婚約者は第1王子だった」
シルバールの話によると、ウンディーネ王国の王族は同族同士では子供が生まれにくく、シルフィード族の王子や王女を迎え入れるのが、両家の間に結ばれた古くからの盟約だったようだ。
そして前のウンディーネ国王夫妻の間に3人の姉妹が生まれ、その後継者である長女マイトネラの婚約者としてシルフィード王国の第1王子が選ばれた。
本当は第2王子を婚約者にすべきだったところを、マイトネラ女王との年の差が離れすぎるため、シルフィード国王が配慮したそうだ。
そうして幼いころから婚約者同士になった二人は、本当の姉と弟のように仲睦まじく過ごしたそうだが、やがて第1王子が思春期に入ると、マイトネラの過保護すぎる扱いに反発を抱くようになった。
だがマイトネラはそれを自分の愛が足りないからだと思い込み、4歳年下の第1王子に、より一層献身的に仕えるようになったが、それは第1王子の反発を強めるだけだった。
やがて王子が成人して結婚の日取りを決めようかという時に、マイトネラの妹の第2王女の妊娠が発覚した。だがその相手こそが第1王子に他ならなかった。第1王子は一つ年下で可憐な第2王女を好きになり、禁断の愛を育んでしまっていたのだ。
2人に裏切られて酷く傷ついたマイトネラを哀れに思ったウンディーネ国王は、第2王女を王籍から除名してしまい、同じく王籍を除名されシルフィード王国から追放された第1王子と結婚させ、子爵に封じた。
その後両国王が話し合った結果、シルフィード王国の第2王子を新たな婚約者としてマイトネラの元に婿入りさせ、それと同時に第3王子のシルバールが王位継承者となり、ウンディーネ王国の第3王女を嫁がせることになった。
第2王子は兄の失態を償うため8歳年上のマイトネラと添い遂げることを決意し、自ら志願して単身ウンディーネ王国に旅立った。そしてウンディーネ王国で王族としての教育を受けることになる。
一方、傷心のマイトネラも新たな婚約者の第2王子を受け入れると、第1王子以上にその愛を注いだ。
すでに20代も後半に差し掛かっていたマイトネラは、早く子供を産まなければならないため、第2王子との結婚を失敗できなかった。
だがその焦りと重すぎる愛が災いした。
最初はマイトネラを愛そうとしていた第2王子も、その深すぎる愛に息苦しさを感じてしまい、あろうことか第3王女と恋仲になり、駆け落ちしてしまった。
再び婚約者に逃げられたマイトネラは完全に心が壊れてしまい、そんな娘に心を痛めたウンディーネ国王も病に倒れると、あっという間に息を引き取った。
その後女王に即位したマイトネラは、シルフィード国王に猛然と抗議するが、シルフィード王国側もシルバールの婚約者であるはずの第3王女の不貞を追及。両国は互いに相手を批判するばかりで平行線が続く。
そしてマイトネラはシルバールを新たな婚約者として勝手に発表してしまい、それに納得のいかないシルフィード王は、レイモンド伯爵家のシルフィーヌ嬢をシルバールの新たな婚約者として発表し、今に至ったというわけだ。
シルバールにそっと寄り添ったシルフィーヌが幸せそうに微笑む。
「わたくしたちは物心ついた頃からの幼馴染で、わたくしの方が一つ年上だったこともあり、彼のことは弟のように思ってたの。でも彼が第3王女と婚約した時はとてもショックで、わたくしはやはりシルバール様のことを愛していたんだと自覚したのです」
「シルフィーヌは僕の初恋の相手で、いつも彼女のことばかり考えていた。そして僕は王位を継承する予定もなかったため、大人になれば彼女と結婚しようと心に決めていた。だから第3王女との婚約が決まった時はショックだったし、その後父上がシルフィーヌを僕の婚約者にしてくれた時は本当にうれしかった」
そして互いに手を取り合って見つめ合う二人。
この二人はとてもお似合いのカップルであり、末永く幸せになってほしいと俺は思った。
少なくとも、あの執念深そうな笑みを浮かべるオバサンとは似合わない。
俺はまたあの黒い髪と漆黒の瞳を持つマイトネラの顔を思い出して背筋をゾッとさせるが、そんな俺にシルフィーヌがすがるような表情で、
「アゾート様、お願いです。どうにかしてマイトネラ女王に諦めてもらう方法はありませんか」
「僕からもお願いしたい。できればフェアリーランドの王族を紹介していただけると助かるのだが」
「え? マイトネラの相手って別の妖精族でもいいのですか」
「魔王メルクリウスの災厄を恐れてこの地に逃げてくる前は、サキュバス族やサラマンダー族などの王族を迎えていたと記録がある。そうだ、君もサラマンダー族の王族だから十分に資格はある。マイトネラは年を食っているが相当な美人だし、もしよければ・・・」
「お、俺がか? 無理、無理、無理! 俺はフリュと結婚していてウンディーネ王国へ婿入りできないし、他に7人も婚約者がいる」
「君はそんなたくさんの女性を娶るつもりなのか! だったらマイトネラの一人ぐらいなんとか・・・」
「8人でもう手一杯だし、あんな恐ろしい顔の女には近付きたくもない!」
「顔が恐ろしいだって? そうか、サラマンダー族にはそう見えるのか・・・。ならドワーフ族でもエルフ族でも何でもいいので、適当な相手を知らないか」
「うーん・・・エルフの族長とドワーフ王の二人には一応聞いてみるけど、性格がキツくて執念深く、結婚に焦っている32歳の怖い顔の女性と結婚したい王族なんているかなあ。いたとしてもドワーフ船団の関係で早くても半年から1年後にならないとここに連れて来れないが、それでもいいのか」
「来年か・・・実は僕が成人を迎えてしまったため、もうそれほど時間が残されていない。やはりこの島国で代役を探すしかないのか」
ガックリと肩を落とした二人は俺に挨拶をすると、再びホールの中に戻って行った。
次回、ウンディーネの核心へ迫るアゾート
お楽しみに




