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第355話 イワーク親方

 俺たちが連れてこられたのは港の一角にある船の整備工場だった。中のドックでは、たくさんのドワーフたちが鉄の船を整備している。


「どうだ、これだけの職人を抱えている工房は、王国広しと言えどもそう多くはない」


「大したものですね・・・巨大ドックや整備士の人数もさることながら、機械や工具類もすごく充実していますね」


 重量のある鋼板を持ち上げるためのクレーンなどは人力ではなく動力を使って駆動させている。この工房の屋上に建っていたたくさんの風車を風魔法を使って回し、ドックの中に動力を引き入れているのだろう。


 さすが魔力が豊富な妖精族だ。


 それに整備士の使う工具の一つ一つがよく手入れされ、作業効率と安全性がしっかり管理されている。


「さすが兄ちゃん、そっちに目が行くとは現場をよくわかっているじゃないか。そうだ、面白いものがあるから、船の設計現場も見せてやろう」




 親方は上機嫌で、俺たちをドックを抜けた先にある事務室に案内する。そこではたくさんのドワーフたちが懸命に図面を引いていた。


「今やっているのは新型船の設計だ。これまでで最大の船を作る予定だが、おかげで膨大な設計図を引き直さないといけない」


 見るとドワーフたちが図面を引きながら、たくさんの歯車がついた大きな機械を一生懸命に回している。ガチャガチャ音を立てながら歯車が動くと、その結果を読み取って数字を書き写している。


「これは機械式計算機ですね。初めて見ました」


「どうだ面白いだろ。船の設計は細かい計算が多いから随分重宝しているんだが、大きくて場所を取るから何台も置けないのが難点だな」


 前世のどこかの博物館で似たような計算機のレプリカを見たことがあるが、この手の計算機はダイヤルをぐるぐる回して四則演算ができるようになっている。


 だが見たところかなり初期の計算機らしく、機械が大きな上にダイヤルが重そうだ。屈強なドワーフならこれでも問題なく計算できるかもしれないが、同じことを人族がやっても、とても扱えないだろう。


 俺もSubject因子のモデル計算をするために計算機は欲しいと思っていたが、こんな大きな計算機は必要ない。もう少しコンパクトに作れないものか・・・。


 ・・・いや違うな。


 機械式にこだわる必要はなく、あれがあれば高速に計算が可能じゃないか!


「イワーク親方」


「なんだい、兄ちゃん」


「親方ならいろんな工房に顔が利くと思いますが、こういう道具が作れる工房をご存じありませんか」


 そう言うと俺は紙を一枚もらって、さらっと図面を引いてみた。


「何だこれは。玉がたくさん並んでいるだけの道具に見えるが、一体何に使うんだ」


「これは「そろばん」っていう人族の計算機です。人族は非力なのでこういったお手頃な道具で計算するんですよ」


 そしてそろばんの使用方法を親方に教えると、


「・・・なるほど。慣れるまでに時間はかかりそうだが、手順がシンプルで誰でも使えそうな上に、道具がコンパクトで一人一台配備できる。おい誰か木工工房に至急連絡を取れ!」




 それからイワーク親方に船の設計を色々教わっているうちに、木工職人が到着した。


 俺はイワーク工房の中の一部屋を借りて、早速そろばんの試作品を作ってみた。半日ほどで完成したそのそろばんは、あまり滑りは良くないものの職人の技が光った中々の一品だった。


 俺はそれを持ってイワーク親方の事務室に戻り、デモンストレーションを兼ねて、さっきの機械式計算機の代わりに船の設計に必要な計算をそろばんではじき出していく。


「速いっ、とんでもない計算速度じゃないか!」


 俺は前世では小学校3年生までそろばん教室に通わされて2級まで行った。だからこの程度の計算は朝飯前なのだ。


 本当は掛け算や割り算は計算尺を使った方がはるかに楽なのだが、対数表が手元にないため作ることはできない。だが掛け算の九九さえ覚えていれば、そろばんでも十分な計算速度が得られる。


 俺の周りにどんどんドワーフが集まってきて、興味津々に俺の弾くそろばんの玉を見つめている。試しにドワーフの一人にそろばんの使い方を指導してみると、さすが船の設計技師だけあって計算に慣れており、そろばんの使い方の呑み込みも早かった。


 そして自分にも使い方を教えろと殺到するドワーフたち。俺がみんなまとめて教えてやると、やがて一つのそろばんの取り合いになり、ドワーフたちがケンカを始めた。


 それを見ていた親方がニンマリと笑って、


「こいつらがこんなに興味を示すとは、そのそろばんって道具は俺たち職人に向いている道具のようだな。よし兄ちゃん、さっきの部屋を貸してやるからそこでそろばんを量産しろ!」


 イワーク親方がいい笑顔で俺に提案する。


「面白そうですね。このドワーフ王国ではかなりの需要が見込めそうですし、いっちょやってやるか!」


 そして俺はさっきの木工職人と専属契約をすると、さらに数人の木工職人を紹介してもらって「アーネスト工房」を立ち上げることになった。






 次の日、俺たちは早速アーネスト工房の立ち上げを始めた。


 昨日貸してもらった部屋に木工職人用の作業台や工具類を運び込んで工房としての態勢を整えると、イワーク工房の職人用の宿舎を3部屋用意してもらい、俺たち3人は宿屋を引き払ってここに住むことにした。


 そして生活の立ち上げはヒルデ大尉とジューンに任せて、俺は親方に教わりながらそろばんの特許書類を作成する。


 驚くべきことに、このドワーフ王国では特許制度が整備されている。さすが職人の国ドワーフ王国、工業関係の法制度の発展が突出しているが、特許が認められないと工房なんか安心して経営できないのだろう。


 そして親方に連れられて特許事務所に行き、特許書類とその審査請求を出した。親方が言うには、そろばんなんて見たことがないし特許は認められるだろうとのこと。


 さてそろばんの生産体制は整ったが問題は使い方の指導だ。当面の顧客はイワーク工房の設計技師なので俺が直接教えればいいが、顧客が他の工房に広がると俺がいちいち出向いて指導することはできない。


 そこで親方と相談し、そろばんの指導員を養成するため、計算が得意なドワーフをたくさん集めてもらい、イワーク工房の設計技師と一緒にそろばんの指導をすることにした。


 そして工房を立ち上げて1週間後には30個のそろばんが完成し、イワーク工房の大会議室を借りて10人の設計技師と20人の指導員候補生に対してそろばん教室を開催する。


「今日からそろばん教室を開催します。毎朝3時間ミッチリしごきますので、気合を入れて練習してください」


「「「はーい!」」」


 30人のドワーフがズラリと並ぶが、俺にはみんな同じような顔に見えて区別ができない。それこそ男女の区別や大人か子供かぐらいしかわからん。


 設計技師は全員口髭の生えたオッサンばかりだが、親方が連れて来た20名のドワーフはみんな若く、人族で言えば15歳ぐらいの年齢。どうやら、これからどの工房に修行に行くか考えている就職活動中の若者たちのようで、もしここが気に入ればそのまま俺の工房に入ってくれることになるらしい。


 なお、ヒルデ大尉とジューンは計算が苦手ということで、そろばん教室には入らなかった。






 そんな感じでドワーフ王国での生活を始めて2週間が経ったある日、俺たち3人はイワーク親方の家で夕食をごちそうになることになった。


 親方の家は港の区画ではなく、城下町の郊外にある大きな一軒家だった。周りも大きな家が建ち並び、どうやらこの辺りは高級住宅街のようだ。


 そんな豪邸に上げてもらうと、食堂には既に夕食の用意ができており、奥さんと3人の子供たちが俺たちを迎え入れてくれた。3人とも親方や奥さんと見分けがつかないほどよく似ているところをみると、みんな既に成人しているようだ。


 そして夕食が始まり、イワーク親方が自慢げに子供たちの紹介を始める。


「こいつは長男で将来ワシの工房を継がせることになるが、今はよその工房に修業に出している」


「よその工房に・・・なるほど、いろんな工房を経験することで、いい所はイワーク工房に取り入れることができますからね」


「そう言うことだ」


 長女と次男もやはりそれぞれ別の工房に修行に出ているようで、工房同士の横のつながりが深いらしい。


「ところで兄ちゃんたちは何をしにこのドワーフ王国にやって来たんだ」




 ・・・やっとこの質問を聞いてもらえた。




 俺はこれまでウンディーネとシルフィードの話題には一切触れてこなかった。


 気難しいドワーフから信頼を勝ち取ることを優先し、自分の工房で毎日汗水流して真面目に働く姿を親方に見せて来た。


 そしてようやく家に招待されて夕食を共にするほどの信頼を勝ち得たのだ。


 俺は満を持して親方に話を切り出した。




「実はエルフの族長のシグマリオンから聞いた話なのですが・・・」


「ほうエルフの族長か・・・どんな話だ」


「昔フェアリーランドにはネプチューン帝国があり、魔王ネプチューンが支配していたと聞きました」


「魔王ネプチューンだと・・・その名前を知っているということは、兄ちゃんはよほどエルフの族長の信頼を勝ち得ているということだな」


 シグマリオンはこの話を、妖精族全体のタブーだと言っていた。


 そんな秘密を俺にしてくれたのは、ヒルデ大尉やその祖父母、そしてネルソン総大司教やボルグ准将たちが長年に渡って築き上げて来た信頼があるからなのだろう。そうでなければとても聞ける話ではない。


「俺がこのフェアリーランドにやって来た目的は、人族の世界からこちらに渡って来たある血族の足取りをたどるためでした。そこで族長からその話を聞き、俺が探していた血族が魔王ネプチューンだったことを確信し、どうやらその血筋はウンディーネとシルフィードへと受け継がれたと知りました。ですがこの2種族は既にこのフェアリーランドにはおらず、彼らの消息を知っているのはこのドワーフ王国だけだと聞いたのです」


 するとさっきまで穏やかだった親方が急に難しいものになった。口髭をさすりながら真剣な顔で何かを考えた後に、


「ウンディーネとシルフィードか・・・。彼らと接触するのは難しいだろうな」


「接触するのは難しい・・・ということは、2種族はまだどこかに生きているのですか? まさか親方は、彼らの居場所をご存じなのでは」


「ああ知っているとも。ここから遥か西の大洋に浮かぶ島国にウンディーネとシルフィードは今も暮らしている。だがそこに行くにはいくつも難所があり、普通の船では航行ができないんだ」


 よし、ウンディーネとシルフィードはまだ絶滅せずに生き残っている!


「普通の船では航行できないと言われましたが、なぜ彼らが今も生きてるのが分かるのですか。やはり彼らと定期的に連絡を取り合っているか、あるいは交易をしているのでは」


「ふむ・・・兄ちゃんだから教えるが、ワシ達が作っている鉄の船があればその海域も乗り越えられる。それで彼らとの交易を続けているんだよ」


「鉄の船か・・・」


 今の話から想像するに、メルクリウス艦隊のような大型の軍艦でもおそらくその海域は通過できないだろう。だからドワーフ王国は巨大な鉄の船を建造して西の大洋を航海している。


「では、その交易船に俺たちが乗船することは可能でしょうか」


「船の持ち主はドワーフ王だから許しがあれば乗れるとは思うが・・・あいつは人族嫌いで有名だからまず断られるだろうな」


 あのドワーフ王か・・・。


「実は最初にドワーフ王に相談にいったのですが、衛兵に城からつまみ出されてしまいました」


「だろうな。だったらウンディーネに会いに行くのは諦めるこった」


「・・・じゃあ、このドワーフ王国にウンディーネかシルフィードがいたりしますか」


「さあ・・・少なくともワシは見たことがないなぁ」


 ここに居るなら彼らのSubject因子を測定できたのだがそれも無理となると・・・。




「もし俺が親方に鉄の船を作ってもらうとすれば、どれぐらいのお金が必要ですか」


「兄ちゃんが鉄の船を作るのか!? ・・・それはさすがに無理だと思うが」


「た、例えば今建造している最新式の鋼鉄船はどれぐらいの金額で作っているのですか」


「あれは金貨100万枚だな」


「金貨100万枚って1億帝国Gじゃないですか!」




 とてもじゃないが手持ちの資金では全く足りない。今からそろばんで1億Gを稼ぐか、ドワーフ王を説得するか・・・どっちも無理ゲーだよっ!

次回も夕食会は続きます


お楽しみに

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