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第32話 フリュオリーネの涙

 ここに監禁されてから何日がたったのだろうか。


 暗くて何も見えない地下牢の中で、カサカサという音があちらこちらから不気味に聞こえる。


 蒸れるような暑さと異臭の中で、私はこうしてジッとしているしかない。


 一日に2回訪れる護衛兵が、食料と水を持ってくる以外は誰もここには寄り付かない。


 どうして私はこんなところに閉じ込められてるんだろう。


 いつまでここにいれば外に出してもらえるのだろうか。




 サルファーに婚約を破棄されて、私は自分の考え方が間違っていたことに気が付いた。


 新しくなった私は、フォスファーの婚約者として騎士団に合流し、みんなとともに戦った。


 あのまま行けば間違いなく勝利し、フォスファーが爵位を継ぐことができたはず。


 なのになぜ私は今、地下牢に入れられているの?


 今度はどこで間違えてしまったのか。


 ずっと考えているけど、わからない。




 あの決闘の時、サルファーがセレーネを命がけでかばっていた。


 サルファーもフォスファーも、私のことを命がけで守ろうとはしないだろう。


 セレーネが私と同じ立場なら、私のように地下牢に閉じ込められることもないのだろう。


 セレーネのようにふるまえば、私は失敗しなかったのだろうか。


 私にはできそうもない。







 俺は護衛兵を倒しつつ、地下牢と思われる場所を見つけた。


「うわっ、ひどい匂いだ」


 蒸し暑くて、腐ったようなにおいが鼻をつく。本当に、あの氷の女王がこんなところに閉じ込められているのか?


 学園では取り巻きたちを従える悪役令嬢。


 俺と会うたびに貴族としてのあり方がなっていないと説教をするような、王国貴族の模範たらんとする上級貴族のトップ。そういえば、いきなり平手打ちされたこともあったっけ。


 俺は独房をひと部屋ずつランタンで照らして中を確認していく。


 つい先日までは敵軍の将として、俺たちの前に立ちふさがっていた。セレーネをも上回る恐るべき戦闘力を持った最強の敵として。


 だけど俺はそんな彼女を助けるために、今ここにいる。


 俺たちが生き残るための、これは作戦だ。


 どんどん奥の方に向かって部屋を調べていくと、中に人影のある部屋が見つかった。


「誰かいるのか」






 フリュオリーネは声がする方向を振り向いた。


 アゾート?


 彼の顔を見た瞬間、一気に様々な種類の感情が私の心の中に沸き起こった。


 その中でも一番強い感情は、羞恥心だった。


「嫌!」






「こっちにこないで!」


 フリュオリーネの声だ。


「フリュオリーネ、そこに閉じ込められているのか。助けに来たぞ」


「私のことを見ないで!」


「アウレウス騎士団がお前のことを探しているぞ」


「嫌っ!」


「フォスファーは倒したから、もう大丈夫だ。安心しろ」


 俺は急いでカギを開けて独房の扉を開けた。



「うっ!」


 なんだこれは。


 ひどい悪臭が立ち込め、食器にはネズミや虫が集っている。そして壁際にもたれ掛かるように、フリュオリーネが座り込んで顔をうつ伏せていた。


「私を見ないで、お願い・・・」


 寝込みを拉致されたのか、ひどく汚れたネグリジェ姿のフリュオリーネの、顔や肌は浅黒く汚れ、普段は綺麗に整えられているその長い金髪も、今は乱れてツヤを失っていた。


 その瞬間、フォスファーに対する怒りが爆発した。



 なんてひどいことを。


 自分の婚約者じゃないか。


 一緒に戦った仲間だろ。


 決闘の時もお前を助けてくれてたじゃないか。


 こんな目にあわなければならない何を、彼女がお前にしたというのか。



 フォスファーが何を考えて彼女にこんなことをしたのかとても理解できないが、まともな人間のすることではない。


 とにかく今すぐに、この場から彼女を出さなければ。


 俺はフリュオリーネに駆け寄ると、ネグリジェを隠すため俺の制服の上着を彼女にかぶせた。


「ダメ!制服が汚れる」


「気にしなくていいよ」


 俺はフリュオリーネを抱えあげると、急ぎ独房を後にした。


「すぐ下ろして。あなたが汚れるから」


「大丈夫だ。ちょっと急ぐから落ちないようにしっかり俺につかまってくれ」


「・・・はい」


 俺の首もとに回したフリュオリーネの腕に力が入り、彼女の顔が俺の胸元に少し押し当てられた。





 階段をかけ上がっていく。まずはどこかの客間で彼女を保護したい。


 先ほどの応接間の横を通りかかる。中では騎士たちが何かの会話をしている。聞き覚えのある声だ。きっと制圧に成功したのだろう。


 たが彼女のこんな姿は、誰にも見せられない。


 俺はそのまま応接間を通りすぎると、上階の客間を目指した。


「・・・うううう」


 フリュオリーネが声を殺して静かに泣いていた。肩が小刻みに震えている。


 氷の女王と呼ばれた姿はもはやそこにはなく、ただ一人の少女が泣いているだけだった。


 いままで我慢してたんだな、かわいそうに。


「安心していいよ。誰にも見られないように、どこか部屋を探すから」





 この部屋が使えそうだな。比較的きれいな客間だ。


 フォスファー騎士団が使っていたのだろうか。今は中に誰もいない。


「アゾート!」


 後ろから声がした。ネオンだ。


「フリュオリーネを救出した。だれか大人の女性がいれば呼んできてほしい」


「わかった。アゾートのお母様が来てるよ」


「ちょうどいい。女性用の着替えをもってこの部屋に来るように伝えてくれ」





「ひどい!なにこれ」


 母上はフリュオリーネの姿を見て怒りの声をあげた。


「母上、フリュオリーネのことを頼む」


「この子は私がきれいにしておくから、あなたもその汚れた服を早く着替えてきなさい」


 これでひとまず安心だ。ほっとしたら急に力が抜けてきた。


 着替えは・・・マールの家か。


 今から取りに行くのは大変なので、その辺で軽く洗うことにした。




「フリュオリーネは眠っているのか」


「今までほとんど眠れてなかったんでしょうね。かわいそうに」


「彼女はこれからどうなるのかな」


「アウレウス騎士団に引き取られて、実家に戻るんじゃないかしら」


「婚約者のフォスファーが討たれたからな。・・・そうすると俺たちの勝ちということか」


「でも領都のボロンブラークは占領されているし、これから話し合いじゃない」


「そうなるのか」


 母上との話し声が聞こえたのか、フリュオリーネが目を覚ました。



「悪いな。うるさかったか」


「いえ。その、アゾートが助けてくれたのよね。ありがとう」


「構わない。それより疲れているんだろう。もう少しここで休めばいいよ。騎士団はまだ到着しないから」


 パタリと扉の閉まる音がした。母上がそっと部屋を出ていったようだ。



「こんなことを聞いていいのかわからないが、どうして監禁されていたんだ」


「私にもわからないわ。気がついたら捕らえられて、地下牢に連れていかれたの」



 それからフリュオリーネは、自分の身に起こった出来事を話し始めた。


 客観的に考察するように淡々と語る彼女。その紡ぎ出す言葉には何の感情も見いだせない。


 いつもこんな風に考えていたんだ、フリュオリーネは。


 普段は氷の女王とか悪役令嬢とか呼ばれていて学園に君臨していた彼女だが、他の貴族にみられるような欲望や嫉妬心などの感情が一切感じられない。まるでロボットのような人だった。


 それはこれまで自分が抱いていた、学園で会うたびに感情をあらわにして俺を罵倒してきたフリュオリーネとも違う印象だ。


 どれが本当の彼女なんだろう。



「決闘の時にサルファーがセレーネをかばったの覚えてる?」


「そうだな。俺の婚約者を自分のもののようにかばってたな、あいつ」


「ふふ」


 彼女が笑うところを初めて見た。


「そうやって笑えるんだな」


「そうね。私も自分で驚いてる。笑ったのは生まれて初めてかも」


 笑ったことがないって・・・。


「なあ、そんなにつらい人生にどうして耐えられるんだ。俺なら我慢できないよ」


「そう育てられたからだと思う。だけどこれで終わり。たぶん私はもう誰の婚約者にもならないと思う。2回も失敗したから」


「それがお前のせいでなくてもか」


「そう。結果がすべて。汚点は女である私に付くの」


「理不尽だな」


「もしあの決闘で私があなたの婚約者だったら、セレーネみたいに助けてくれた?」


「婚約者でなくても助けたさ」


「そう」


 フリュオリーネはそれから黙って、俺の服のシミを見つめた。


「それは私の汚れた・・・」


「適当に洗っただけだから今はシミが残ってるけど、後でちゃんとしておくから大丈夫だ」


 彼女は服についたシミをそっと手でなでて、そこに顔をうずめて、そして泣いた。


「・・・あああああああああ!」


 大きな声を上げて、肩を震わせながらずっと泣き続けるフリュオリーネ。


 俺はその背中にそっと手をやり、彼女が泣き止むまでただ抱き寄せていた。


「もう我慢なんかしなくていいんだよ。フリュオリーネ」





「眠ったのか」


「ああ。よほどつらかったんだろうね。泣きつかれて今は眠っている」


 俺たちは今後の方針を決めるために、先ほどフォスファーと戦った応接間に集合していた。


 サルファーを筆頭に各貴族の当主や、フェルーム家では当主夫妻、俺の両親、セレーネ、ネオン、俺だ。


「我々のカードは3つ。フリュオリーネ、フォスファー、スキューの身柄だ」


「これで領都の解放と、フォスファーの処分、アウレウス伯爵との和議を求める」


「あとは賠償額や領地の割譲など交渉次第。爵位の整理など決めることはいろいろある」


「交渉事だから最後まで気を緩めずにやるぞ」


「どこで交渉するんだ」


「アウレウス伯爵との交渉だから王都だ」


「そうか頑張ってくれ。俺はそろそろ自由にしてもいいか。夏休みで友達に誘われているんだ」


「ダメに決まっているだろう。カード3枚ともお前の手柄だろうが、その本人が交渉に行かずにどうするんだバカ」


「・・・・・」


 どうやら戦争の事後処理までやらないと解放されないらしい。





 8月20日(光)晴れ


 プロメテウス城にアウレウス騎士団が到着した。


 フォスファー軍の貴族たちの身柄の拘束と騎士団の解散のため時間がかかったようだ。ここに今いるのは、アウレウス騎士団2500のみである。


 フリュオリーネはすっかり体力を回復し、サッパー男爵に引き渡されアウレウス騎士団に戻って行った。


 そしてともに王都に向けて出発することになった。プロメテウスから王都まで7日の行程である。


 我々からはサルファーと各当主たち、それに今回の殊勲者である俺とネオンがサルファー騎士団100騎とともに同行した。





 8月27日(光)晴れ


 王都までの7日間は特に何事もなく過ぎていった。


 俺とネオンは今回の戦いで魔力不足を痛感していた。単独ではフォスファーに攻撃が通らなかったのを反省してのことである。


 道中時間がたくさんあったので、フリュオリーネが持っていた魔術具を借りて、学園で教わった魔術の訓練を行った。


 アウレウス騎士団には彼女専用の馬車が用意されており、俺たちはその馬車に同乗して呪文も教えてもらった。さすが4属性持ちである。


 フリュオリーネも性格がすっかり丸くなり、氷の女王だの言われていた面影は既になく、憑き物が落ちたように朗らかな表情を見せていた。


 仲良くなった俺たちは、今回の戦いでフォスファー軍全体の指揮を、フリュオリーネが一人でとっていたことを聞かされて驚愕した。


 俺たちは、当初フォスファー軍をうまく誘い出して罠にはめたつもりだったのに、それを看破されて逆転を許し、その後は常に先手を取られて、あっという間に包囲殲滅の寸前まで追い込まれたからだ。そのまま彼女が指揮を執り続けていたら、今頃はフォスファー軍の勝利で、俺たちの生首がボロンブラーク城にさらされていたのかもしれない。


 愚かなフォスファーの失策に助けられた、本当に危機一髪ギリギリの勝利だった。


 貴族社会は実に危険だ。






 ようやく王都に到着した。


 アージェント王国の都にして最大の都市。巨大な城壁に囲まれて何十万人という人間がこの中で暮らしている。中心には王城があり、その周りを貴族たちの館が取り囲み、王都の各種機関や国教であるシリウス教の大聖堂などが建ち並ぶ。観光するだけでも1週間はかかりそうだ。


 ギルドも大きいんだろうな。


 俺たちサルファー騎士団は、アウレウス騎士団とともに王都の城門をくぐって、大通りを北に進んでいく。城壁の周りは庶民が暮らすエリアで、みすぼらしい建物が並んでいたが、馬車が進むほどに建物が立派になっていき、貴族街に入るとゆったりとした豪邸が並んでいた。


 アウレウス伯爵家はその中でもひときわ大きく立派な豪邸で、門を通過し美しい庭園を通り抜けて屋敷の玄関に到着した。


 玄関前にずらりと立ち並ぶ使用人たちが一斉にお辞儀をする。


「おかえりなさいませ、姫様」


 エスコートされて馬車を降りるフリュオリーネが軽く会釈をして屋敷に入っていく。俺たちも彼女に続いて屋敷に入っていった。




 応接室に通された俺たちは、そこで初めてアウレウス伯爵と会った。


 やせ型の体形に、鋭利な顔つき。酷薄そうな目が俺たちを鋭く見据える。


 アウレウス家は、兄のアウレウス公爵が表の顔とすれば、弟のアウレウス伯爵が裏の顔である。つまりアウレウス派閥において、謀略を含む裏工作を駆使し、貴族間の利害調整や権力闘争に関する水面下での戦いを取り仕切る男が、目の前にいるこのアウレウス伯爵だ。


 怖っ! 


 よくこんな人物を敵に回したな、サルファー。


 うちの当主が慌てて対応していた理由が、今ならよくわかる。


 そしてそんな恐ろしい人と、俺たちの命運をかけて、これから交渉がこれから始まるのか。



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