第281話 共闘
俺はこの老紳士の予想外の提案に息を飲んだ。
「戦争を終結させるだと・・・それは俺たちも望むところだが、でもなぜそんなことを俺に話す」
すると老紳士がふっと笑って、
「伯爵と話をしていて一つ教わったことがある。キミは邪神教徒ではないし宗教そのものを否定している。シリウス教を信じないことは許しがたいのだが、この戦争を終結させるという一点においては、それが最も重要なことだと気づかされた」
「宗教を否定って・・・それだけのことで?」
「さっきキミが言っていたじゃないか、聖戦というものの本質を。この戦争を終わらせられるのは、正義とか悪とかの宗教的価値観にとらわれず、合理的に評価できる者だけだ」
「・・・確かにそうかもしれないが、あなたはシリウス教徒だし宗教的価値観から逃れられない」
「特殊作戦部隊に長くいると魔族に関する様々な情報に触れることができて色々な事が分かってくる。私も聖戦自体を否定するものではないが、これが意図的に仕組まれたものだとしたらその限りではない」
「仕組まれたもの・・・誰に?」
「ブロマイン帝国皇帝と元老院主戦派。それに軍事産業に携わる商人や職人のギルド、当然我がシリウス教会も一枚かんでいる」
「・・・軍産複合体か」
「彼らは利権集団であり、端的に表現すれば戦争で飯を食っている連中だ。そして聖戦を賛美すればするほど敬虔な信者として尊ばれて宗教的な徳も上がる。さらに聖戦を理由に周辺諸国に圧力をかけては裏で美味しい蜜を吸い、言うことを聞かない国は攻め滅ぼして領土を奪ったり属国化することができる。・・・実にやっかいな存在だと思わないか?」
「つまりアージェント王国を人類の敵、魔族とでっち上げておいて、共通の敵に立ち向かうという大義名分を振りかざしては自分の欲望を満たしていると。なるほどな・・・」
「いや、アージェント王国が魔界であることは疑いようのない真実なのだがな」
「ガクッ・・・」
この老紳士の言っていることはよく理解できる・・・魔界とか魔族の話を除いては。
全くこれだから宗教というものは・・・。
さらに老紳士が話を続ける。
「魔族から人類を解放するという聖戦がいかに正義だとしても、それによってあまりに多くの人々が犠牲になりすぎるのは本末転倒だとは思わないか」
「アージェント王国が魔界とか魔族とか言うのには全く同意できないが、それ以外については完全に同感ですね。戦争なんかない方がいいに決まっているし、軍産複合体なんていわば死の商人。戦争を引き起こして私腹を肥やす国家を蝕むただの寄生虫だ」
「やはり伯爵とは宗教観以外では意見が合うようだな。ではどうだろう、この戦争を終結もしくは一時停戦させるために、伯爵と我々特殊作戦部隊が同盟を結んで共闘するというのは」
「本当にそれができるのなら飛びつきたい話ですが、お互いに信用できる保証がどこにもない」
国家間の条約や商人同士の契約、そして今回のような諜報機関との密約などは結局、相手をどこまで信用できるかという一点につきるのだ。
「信用か・・・確かにいきなりこんな話を持ち掛けられても信じられないだろうな。だが帝国の全員が魔族との全面戦争を望んでいるわけではないことぐらい伯爵にもわかるだろ。よほどの狂信者なら殉教を希望するだろうが、ほとんどのシリウス教信者は普通に暮らすただの庶民であり、静かに神に祈りつつささやかな幸福に喜びながら慎ましやかな生活を営んでいるだけなのだ」
「それはそうでしょうが、それとあなたを信用することがどう繋がるのか」
「聖戦を賛美して庶民を戦場に駆り立てる主戦派は、常に安全な帝都にいて自ら戦場に出ることはない。そんな彼らのやり方に疑問を抱き、魔族とはなるべく戦わず話し合って、互いの領域に踏み込まないよう協定を結ぼうと考えるもう一つの派閥、融和派が存在する」
「・・・主戦派の対抗派閥か。ひょっとするとあなたはその融和派なので」
「表向きには主戦派を名乗っているが、私は融和派の一人だ。帝国の中枢だけでなくシリウス教会の中にも主戦派と融和派の2つの派閥があり、今の総大司教は主戦派だ。だからこれまでは帝国の主戦派と共同歩調をとってきたのだか、ここまで戦争が激化すると帝国臣民や周辺諸国の不満を抑え切れるものではないし、つまるところ魔界に住む人類を殺してしまうだけの結果に終わってしまう。そこで我々融和派が帝国の主導権を確立させてこの戦争を終わらせるためには、魔族との交渉が可能なことを見せつけなければならない」
話が本当なら、これはまたとないチャンスだ。後はこの老紳士を信用できる何かが欲しいのだが。
「あなたの考え方には大いに賛同しますし、帝国にも派閥抗争があって政権交代があり得ることも話としては理解しました。だがあなたがうまいことを言ってウソを並べている可能性も否定できない。俺はあなたをどうやって信用すればいいのですか」
「では私を信じようと思える確信があればいいわけだな。そう言えばまだちゃんと自己紹介をしていなかったが、私は帝国軍特殊作戦本部本部長ネルソン大将。シリウス教会の枢機卿の一人でもあり、クリプトン家の遠縁にあたる」
「クリプトン家って・・・まさか!」
「かつてアージェント王国に王朝を築き、そして神聖シリウス帝国に亡命したクリプトン家の末裔であり、ごくわずかだがこの私にもクリプトン家、つまり魔族の血が流れている」
「魔族かどうかはともかく、クリプトン王家の末裔とは驚いたな。ならボルグ中佐・・・アッシュ・クリプトンとは親族ということか」
「遠い親戚だな。彼はクリプトン家の本家であり元老院議員ブロック・クリプトンの息子だ」
「なるほど、ボルグ中佐はやはりクリプトン家の本家の人間で、だからあんなことを・・・。だがネルソン大将もクリプトン家の人間なら、アージェント王国に恨みを持っていて、俺を騙そうとしている可能性もありうるが」
「それならわざわざクリプトン家の遠縁だと自分から名乗り出たりはせんよ。同じ魔族の血が流れる者として、伯爵に親近感を感じてもらおうと思ったのだが」
「いや、俺もネルソン大将も魔族ではなく普通の人間だし、そこに親近感を持つことを期待されても困る。それにクリプトン家の遠縁だと、帝国から監視されたりするリスクがあるんじゃないのか」
「クリプトン議員など本家の者はアージェント王国に恨みを持っていて筋金入りの主戦派だ。だから私が疑われることはない。それとアッシュだけは、本家でも主戦派ではなく融和派なんだ」
「あのボルグ中佐が融和派・・・王国で好き放題暴れまわっているあの人が融和派とはとても思えん」
「軍人なのだから敵国で破壊活動を行えばそうなるだろう。伯爵も戦争はない方がいいといいながら、帝国内ではかなり暴れまわったじゃないか」
「それは・・・」
「実は私もアッシュも、もともとこの特殊作戦部隊に入った時は「魔族との聖戦に勝ちたい。そのために諜報活動を頑張りたい」なんて殊勝なことを、微塵も思ってなかった」
「え? 特殊作戦部隊は対魔族の諜報機関なのに、そんな人が入隊する意味があるのか?」
「ある。対魔族の諜報という意味では、逃げた4種族を追って南の未開領域を探索するのもこの部隊の仕事なのだ。そしてアッシュは入隊当初から私の部下で、共に南の未開領域の探索にあたってきた」
「南方の未開領域といえば、確かエルフやドワーフといった亜人種が住んでいるとの噂がある・・・」
「ほう、伯爵はそんなことをよく知っているな。実は私とアッシュは長年、エルフとの交流を進める任務についていた。もちろん組織には「エルフから4種族の情報を引き出す」と報告していたが、我々はそんなことよりもエルフ自体に興味があったのだ」
「エルフとの交流だと! 俺も聖戦とかシリウス教なんか正直どうでもよくて、エルフの方に興味が・・・う、うらやましすぎる。そ、それでエルフとは交流はどこまで進んだ」
「それなりに進んでいる。なにしろ私もアッシュも、エルフの族長の娘を嫁にもらったぐらいだから」
「ま、ま、まさか・・・エルフの族長の娘を嫁にっ! エルフ嫁・・・なんて甘美で魅力的な言葉なんだ」
俺が憧れと羨望の眼差しでネルソン大将を見ていると、セレーネに思いっきり頬をつねられた。
「いててててっ!」
「安里先輩! 私という者がありながら、またハーレム要員を増やすつもりなの? いい加減にしてっ!」
セレーネを見ると、太陽が今にも抱擁を始めそうな真っ赤なオーラが爆発していた。怖っ!
「フィリア、俺を助けてくれ!」
命の危険を感じた俺は思わずフィリアに助けを求めたが、フィリアは瞳孔が開いた目で俺を見ると、
「そのエルフとかいう女よりも先に、このフィリアめをちゃんと孕ませてくださいませ、ご主人様・・・」
世界の終わりのような恨めしい表情のフィリアの、深淵の深い闇に引きずり込もうとする深緑の瞳に、俺は心の底から震え上がった。
ヒーーーッ!
「フィリア、その目はやめてくれ! 怖すぎるっ!」
大いに怒れる二人に挟まれて逃げ場を失った俺に、ネルソン大将はニヤリと笑って、
「伯爵にはその二人や地下のフリュオリーネみたいな可愛い嫁が三人もいるんだから、エルフ嫁など必要ないだろう。だがもし停戦がうまく行けば、この私自らがエルフの里を案内してやろう。さあどうする伯爵」
フィリアは嫁じゃねえよと思いながらも、怖すぎてそんなこと口にすることもできなかったが、
「お話はよくわかりました。俺はネルソン大将の言葉を全面的に信用し、停戦に向けて死に物狂いで努力することを約束しましょう」
新たなる冒険の予感を胸にネルソン大将と固く握手をすると、両側の二人に思いっきり足を踏まれた。
さてネルソン大将との同盟も成立し、ブロマイン帝国の歴史の知識も深まったが、フリュたちを解放する手がかりはやはりなかった。
「魔法や魔術具ことを調べるのはやはりソーサルーラに限るな。アカデミーに戻って図書館にでも行くか」
俺がそう言うとネルソン大将は、
「ここからソーサルーラはかなり遠いぞ。どうやって戻るのだ」
「実はソーサルーラに自分の家があってそこに転移陣を設置してるんです。この帝都からなら、俺たちの魔力でもなんとか転移可能です」
「ん? ここは帝都ノイエグラーデスではないぞ」
「え? でもここは帝国軍本部なのですよね」
「特殊作戦部隊の本部は帝都ではなく、エメラルド王国から脱出した祖先が最初に作った国の首都、かつてのシリウス教会の本部もあったアルトグラーデスだ。ブロマイン帝国の西部エリアにあるのでソーサルーラよりもダゴン平原にいく方が断然近い」
「アルトグラーデス・・・俺たちは帝都まで戻された訳ではなかったのか。だとすればここからだとソーサルーラには到底ジャンプできないし、どうするかな」
俺が悩んでいるとセレーネが、
「だったらシリウス教国に行ってみる? シリウス教会とはなんの関係もないのかもしれないけれど、あのバカが大聖女をやるような変な国だし、ひょっとしたらヒントがあるかも」
「・・・そうだな、ダメもとで行ってみるか」
話も終わったし、早速この場を立ち去ろうとして、俺はふとある引っ掛かりを覚えた。
「そう言えば気になったので最後に教えてください。たぶん宗教的な理由だとは思いますが、どうして帝国ではアージェント王国のことを魔界と呼ぶのですか。エメラルド王国にはそんな言葉を使わなかったのに」
「そう言えば説明してなかったな。また歴史の話に戻るが、長年に渡って死闘を繰り広げたシリウス教会とエメラルド王国との間の戦争は、今から500年ほど前にエメラルド王国が突然滅ぶことで終結してしまったのだよ」
「・・・それって確か」
「そうだ。本物の魔王が降臨したのだよ。エメラルド王家のような自称ではなく、人類最古のルシウス経典にも記されている、失われた堕天使スィギーンの受肉体である男女の魔王がな。そして圧倒的な魔力でエメラルド王国の都を焼き滅ぼすと、周辺の魔族どもを統一してアージェント王国を建国した。さらに魔王は、臣下の魔族たちに次々と新魔法を与えて、魔力もどんどん強化していく。その結果アージェント王国に攻め込もうとしたシリウス教会は魔族に全く歯が立たなくなり、ダゴン平原の西側は以前のエメラルド王国とは全く次元の異なる魔族の世界、魔界と化したのだ」
「ゲッ!」
「伯爵はこの「魔王メルクリウス」にちなんで、メルクリウス伯爵を名乗っているのだろ?」
「そ、そ、そうなんですよ! ていうか俺は、ついこの前までフェルーム騎士爵家の分家だったんですが、アウレウス伯爵が「なんかかっこいい」からって、俺にメルクリウスという名前をつけてくれたんですよ」
「アウレウス伯爵か。アウレウス公爵の実弟で神殿の地下に囚われたフリュオリーネの父親、つまり伯爵の義父にあたる方だな。停戦交渉の際には王国側の交渉相手になりそうだから、よろしくとりなしてくれ」
「ま、任せてください。では、俺たちはこれで失礼しますので、フリュたちのことはくれぐれもよろしくお願いします」
そう言うと俺はセレーネが余計なことを言う前に、さっさと基地を後にすることにした。
次回、舞台はダゴン平原へ
お楽しみに




