第172話 被験体がいる!
9月6日(光)晴れ
意識が回復して一夜明けた朝、俺は婚約者たちを伴ってアウレウス邸の食堂で朝食をとっていた。
食堂には人がたくさん座って食事をしている。俺が倒れている間、ほとんどの貴族たちは勝手に帰るわけにも行かず、そのままこの屋敷に残っていたのだ。
「人がたくさんいるな・・・」
「みんな私たちの回復を待っていてくれたのよね・・・」
俺はぼんやりと、みんなの食事の様子をながめていたら、突然とんでもない事実に気がついてしまった。
えーっ、なんなんだこれはっ!
セレーネも俺とほぼ同時に気づいたようで、軽く悲鳴をあげた。
「・・・あ、安里先輩、見てあそこの席! 被験体がいる!」
あれは、あの魔法の実証実験が失敗して俺たちと一緒にバートリー領の地下空洞に飛ばされてきた、無人の被験体だった。
それが勝手に起動して、俺の騎士団に混じって、アウレウス邸の食堂でのんびりと朝食をとっていた。
「観月さん、行くぞ!」
俺たちは慌てて席を立ち上がり、被験体に駆け寄った。
被験体は俺たちに気がつき、ホークをテーブルに置いた。そして、
「どうしたんだアゾート、そんな血相を変えて。まだ調子が悪いのか?」
被験体は事もなさげにそう言うと、再びホークをとって食事を食べ始めようとした。
「サー少佐・・・あなたは一体何者ですか?」
サー少佐は再びホークを置くと、俺たちの方を見てニッコリと笑った。
「キャーッ! ひ、ひ、被験体が笑ってる! 気持ち悪いっ!」
あの無表情の被験体が急に笑ったため、セレーネが顔を真っ青にして卒倒しそうになっていた。
そんなセレーネの反応にニヤニヤと笑みを浮かべながら、被験体は俺に話しかけた。
「その様子だと、やっと記憶を取り戻したようだな、安里」
「どうして俺の名前を知っている」
「どうしてかって・・・それは俺がお前の指導教官だからだよ」
「指導教官って・・・ちっち?」
「その名前で呼ぶなと言っただろ。呼ぶなら先生かファーストネームにしろ」
「先生のファーストネームって、そんなの覚えている学生いるわけないじゃないですか。あんな長い名前なんか・・・あーっ!」
「思い出したか?」
「ギルドで初めて会った時、確かに本名を名乗っていた」
「そうだ。俺の名前は、ワルトファールスターク・バルトーカ・モホロビチッチ。君の指導教官だよ」
「じゃあ、去年からずっと俺たちの事を見てたんですか」
「ああ、かわいい教え子の様子を確認するのも指導教官の勤めだからな」
サー少佐の正体は、まさかの俺の大学の研究室の教授だった。
「それより、先生はどこからダイブしてるんですか」
「今は国防軍に専用の施設があって、そこから定期的にダイブしてるんだよ。メインは当然ジオエルビム向けだが、この時代にも一体だけこいつがあるから、一応はダイブ可能なんだよ」
「ジオエルビム! まさかまだ戦争が続いてるんですか?」
「ああ、完全に長期戦の様相だな。というかお前が消息を経ってからまだ2年しか経ってないぞ」
「たった2年・・・どうして」
「どうしてかはわからんが、日本とこの世界は時間軸が平行ではなく、超空間上でねじれているらしい」
「そういえばタイムリーパーの開発をしている時に、同様の事実に俺も気が付きました。それはともかく、こちらの時間軸ではジオエルビムは廃墟になっていて、戦争などとっくに終わってます」
「*△✕○□βな!?▼・・・」
「え、なんだって?」
「今俺が何を言っているのか解らなかっただろ? これはこちら側の世界の事象復元力が働いて、因果律が崩壊するような情報伝達はできなくなっている。だからお互いに知らない未来の話は、さっきのように会話が成立しなくなる」
「わかりました。それでは日本のことを教えてもらうのは可能ですか」
「この世界の因果律に影響しないことなら可能だ」
「それでは・・・俺たちがここで生きていることは、両親には伝わっているのですか?」
「ああ、それは伝えてある。お前のご両親から伝言だ。そっちで頑張れだとさ」
「それだけ・・・」
「お前の活躍をいつも楽しそうに聞いているから、それでいいじゃないか。それから観月さん、君のご両親からも伝言だ」
「え、私にもあるんですか?」
「もちろんだ。交通事故で死んだと思っていた娘が元気にしていると聞いて喜んでいたよ。そっちの世界で彼と二人で幸せに暮らしてくれと。あと子供ができたらどんな子供か知らせてほしいって」
「お父さん・・・お母さん・・・」
「それから安里、観月さんのご両親から伝言だ。娘のお見舞いを許可せず申し訳なかった。今さら頼めた義理ではないが、そっちの世界で娘を幸せにしてやってくれ、だとさ」
「わかりました。せりなは必ず幸せにすると伝えておいてください。それと先生はいつまでここにダイブするんですか。研究室の仕事もあるんでしょ」
「私は大学をやめたよ。今は国防軍の研究所の客員研究員として異世界の研究をしているから、まだしばらくはこっちに居られるぞ。お前また戦争を始めるんだろ」
「先生・・・それだとまるで俺が戦争好きみたいじゃないですか」
「学園の長期休暇ごとに戦争をするやつが、今更何を言ってるんだ」
「春休みはしてませんでしたよ」
「・・・まあいい。俺も元米軍だし今は国防軍の客員だ。お前の指導役にはピッタリだろ」
「先生がいた米軍って米国国立研究所ですよね。少佐でもなんでもないじゃないですか」
「いや少佐は本当だし一通りの訓練も受けたぞ」
「・・・マジだったんですか。でもたしかに先生の腕は確かだから、これからもよろしくお願いします」
今日の午後早速アウレウス公爵への挨拶の予定が組まれており、アウレウス伯爵とフリュと3人で王城に向かった。
ちなみにアウレウス公爵はこの王国の宰相で、国王を除き王国の権力のトップの地位にあり、No.2である財相がシュトレイマン公爵とは、5年ごとに2つのポストを入れ替えるようになっているらしい。
他にも重要ポストは両派閥で占められていて、アウレウス伯爵は治安局長と監察局長の2つのポストを兼ねている。前者は日本で言う警察、後者は行政監察のトップであり、平民も貴族も悪い奴はとにかく取り締まる恐い人である。
王城の前に立った俺は、前世の記憶の中の王城と今の王城を重ねて見ていた。あの頃はまだできたばかりの新しい城で、俺はここで20年ほど働いていた。とても見慣れた懐かしい場所だった。
だが目の前にあるこの王城は、建築から470年経っており、この王都の中では最も古い歴史的建築物になっている。当然あちらこちらに改装の跡はあるが、根本的な部分はラルフやセシルたちと働いていたあの頃と何も変わっていなかった。
俺が王城を懐かしそうに眺めていると、隣にいたフリュがこっそりと耳元でささやいた。
「そんな昔を懐かしむ老人みたいな態度ではいけません。騎士学園の2年生らしくもっと初々しさを出さないと不自然ですよ・・・あなた」
「す、すまん。まだ前世の記憶と現実が混乱していて・・・しばらくは気を抜くとうっかり態度に出てしまいそうだな。気を付けよう」
各行政機関は王城の外に建物があるのだが、王城の中には各行政機関の大臣クラスの執務室が用意されている。それら大臣を束ねる宰相の執務室も当然王城の中にある。
宰相室は大臣たちの執務室が並ぶエリアの一番奥にある大きな扉の部屋だ。俺は伯爵に連れられて宰相室へと入っていった。
「よく来たな、メルクリウス次期伯爵」
「初めてご挨拶いたします。アゾート・メルクリウスです」
「よろしく、ではそこにかけたまえ」
俺は一礼して、執務室の真ん中にある立派なソファーに腰かけた。
「まずは、体調が回復して何よりだった。ソルレート攻略での連戦の疲れが残っていたのかな」
「どうやらそのようです。ご心配をおかけしましたが、この通り体はもう大丈夫です」
「うむ。それではまず最初に報告だ。メルクリウス伯爵家創設及び伯爵支配エリアの確定並びに配下となる子爵家・男爵家に関する事項はすべて陛下から承認された。正式には秋の叙勲式で発効するが、実質的にはもう伯爵として活動してもらって構わない」
「ありがとうございます」
「それで、メルクリウス伯爵支配エリアはどのような運営方針で行くのか聞かせてもらおう」
「それはですね・・・」
俺は自分が考えている構想を詳細に説明していった。
公爵は時折質問を挟みながらも、自分なりに消化しつつ、最後まで俺の説明を聞いた。
「なるほど、よく所々理解できない部分はあったが、方向性はよくわかった。伯爵にはぜひ領地の発展のために頑張ってもらいたい」
「分かりました」
「ところで弟から話は聞いていると思うが、ブロマイン帝国への対策について相談がしたい。伯爵のおかげで膠着状態だった帝国との戦いが当方有利に変化した。それもあって、伯爵はまだ学生ではあるのだが引き続き帝国との戦いに関与してほしいと考えている。ダゴン平原での戦いか、ボルグ中佐との戦い、伯爵にはどちらかの対応をお願いできないか」
「それについては昨日アウレウス伯爵とも相談をし、ボルグ中佐との戦いを選ぼうという話になりました」
「なるほど。伯爵はまだ学生だから、私もそちらの方がいいと思っていたのだ。それではさっそくアージェント騎士学園への編入手続をやっておくことにしよう。伯爵は至急身の回りの準備を始めてほしい」
「分かりました。俺はそこで学生同士のネットワークを構築して、情報を引き出して組織を壊滅させるということでいいですね」
「それでいい。だが組織を特定できた際には一度相談をしてほしい。相手によっては王国の政治にどんな影響がでるかわからないため、こちらにも相応の対応が必要なのだよ」
「分かりました。お二人には都度、報告を入れることとします」
「よろしい。さて、フリュオリーネよ」
「はい、伯父様」
「お前も知っている通り、アージェント騎士学園は王位継承者や宮廷貴族家の令嬢・令息など高慢なガキどもの巣窟だ。他の2校のどちらとも雰囲気が違う」
「ええ、そのことは承知しております」
「メルクリウス伯爵が上手く学園生活を送れるよう、しっかりサポートしてやるのだぞ」
「・・・全力を持って事に当たります」
「それからフリュオリーネが学園内で自由に動けるよう、身分を正式に貴族に戻しておいたほうがいい」
公爵がそう言うと、アウレウス伯爵も同意し、
「どうだろう婿殿。実際に結婚するのは学園の卒業後になるが、先に籍だけ入れて置いてもらえないか」
「というと、フリュと形式上結婚しておくと」
「そうだ。フリュオリーネを正式な伯爵夫人して転校させる。こうすれば婿殿が後見という形をとらなくても正規の上級貴族として学園に通うことができる」
「わかりました。そのように致します」
「ありがとうございます・・・あなた」
「おおっ、もう「あなた」呼びか。フリュオリーネは随分と気が早いな」
「あっ、いえ、違うのですお父様! これは、あの、その・・・」
「よいよい。それでは婿殿とフリュオリーネよ。新学期からの活躍を期待しているぞ」
次回エピローグです