第158話 異世界
俺はペレットと呼ばれるカプセル状のベッドに横たわっていた。
みんなによると、もうすぐ検査の時間だということで、どんな検査が始まるのか様子を見ることにしたのだ。
しばらくすると、部屋の中に例の白衣を着た研究者が入ってきて、ここの人達を3人1組で連れ出していった。
俺も他の2人とともに部屋から出され、ここから別の部屋へと移動させられた。
連れていかれた部屋の中には大きなベッドが3つあり、俺達はそれぞれそこに寝かされた。
ベッドでは拘束具を付けられ、研究員たちが俺の検査を始める。身体中を見たこともないような機器を使っていろいろ調べられたり、何かの注射を打たれたりした。
その後しばらくすると拘束具が解かれて、また先ほどのペレットに戻された。
・・・ここは間違いなく現実だ。
俺は最初、量子コンピューターテストベッド内の仮想空間で、症例タイプBの人達を巻き込んだ集団幻覚をみせるような、アプリケーションエラーを疑っていた。
だがこれはそんなものとは違う。
なんなんだ、この圧倒的な現実感は。そして先ほどの検査の不快感や注射の痛み。
仮想空間内で五感を再現する研究は進んでいて、このテストベッド上でも実証研究が行われていると聞いている。
だが先ほどの現実感はそんなレベルを遥かに越えていて、実に生々しいんだ。
じゃあ仮にここがテストベッド内ではなく現実だとした場合に、今度はここはどこかという問題が残る。
先ほど検査を受けた部屋にあった様々な機器を見る限り、少なくともここは日本ではない。というより欧米各国のどの国でもないだろう。
ここの文明が相当発達しているのは間違いないが、我々の西洋科学文明とは明らかに系統の異なる別の文明、異形のテクノロジーだ。見ただけでは用途不明な機器ばかりであり、動作原理すらよくわからない。
そもそも電気で動いている感じがしないのだ。
なんなんだ、ここは。
俺がペレットに戻された後も、交代交代に検査に連れ出される人たち。必ず3人ずつ連れていかれるのだが、
「あの人は1人で連れて行かれましたね」
俺が呟くと、隣の人が教えてくれた。
「あの人はもうこの部屋には帰ってこないかも知れない」
「え?」
「今までああやって1人だけで連れていかれた人で、この部屋に戻ってきた人は1人もいないんだ」
「1人も帰ってこない・・・」
連れていかれたのは、大学病院の患者の名簿にあった人だ。名前は、山本彰人さん。
その後も3人1組の検査は続き、検査が終了して全員がペレットに戻されても、山本さんだけは帰ってこなかった。
そろそろ俺のダイブが終わる時間だ。
「もうすぐ俺は元の大学病院に戻ります。またこちらに帰ってくると思いますが、それまで俺の事をあの研究員たちに悟られないようにお願いできますか」
するとみんなは黙って頷いていた。
・・・始まった。
再び視界が変化していく。ふわふわとした感覚に身を任せていると、やがて覚醒状態になる。
現実に戻った。
俺は周りにいる研究者に合図を送り、botから出してもらった。ベッドの脇にいた先生が早速、俺に報告を求める。
「それで、あの揺らぎの先はどうなっていた」
「先生、大変です!」
俺はさっき見聞きしたことを全て包み隠さず報告した。先生や研究室のみんなは、一様に驚きを持って俺の話を黙って聞いていた。
そして報告が終わると先生が、
「およそ信じられない話だが君の話を一旦信じよう。私たちもダイブしてその真偽はすぐに検証するが。しかしメカニズムは不明だが、あの脳の揺らぎの先が別の世界に繋がっているとは」
「今のところそれしか説明が思いつきません。それから、山本彰人さんという患者さんの容態を至急確認してください」
「山本彰人だな。待ってろすぐに確認する」
先生が端末から医療情報を検索したが、
「死亡。君のダイブ中に急死したようだ・・・」
「山本さんは1人だけ別の検査に連れ出されて、結局ペレットに帰ってこなかったんです。向こうの世界で何かをされて命を失ったのかもしれない」
「なるほど。症例タイプBは一定期間生存した後に突然死亡するものだ。その原因が向こうの世界の検査と関係があるのかも知れないな」
それからの俺はbotの1体を占有し頻繁にダイブをするようになった。botは予備も含めて全部で3体あり、先生や研究室の学生も代わる代わるこちらの世界に来ている。
こちらの世界に来ると、俺は決まって自分に割り当てられたペレットで目が覚める。こちらの世界に転移しても自分の身体は常に一つに決まっているらしい。
ところで俺が転移するこの身体のことを、こちらの世界の研究者たちは「被験体」と呼んでいるのだが、まわりのみんなに聞くと、俺が現実に帰っている間はこの被験体の身体は完全に停止していて、俺が戻ってくるとまた身体が動き出すらしい。
俺が向こうに戻っているタイミングがたまたま検査の時間帯ではなかったため、ここの研究員には今のところ気づかれてはいないようだ。
現実に戻るタイミングには気を付けよう。
検査にいくと、女性の被験体に会うこともあった。その度に観月さんを探してみるが、みんな同じ顔のため見た目では全くわからない。
だからすれ違う際に、観月さんの名前を呟くぐらいしか確認する方法はなかった。
ほとんどの人は俺の呟きに怪訝な反応を示すか無視をしていたが、ある時、怯えたような目で俺を見つめる被験体が現れた。
「あなた誰?」
・・・彼女だ!
「観月さん。俺です、安里です」
「安里先輩っ!? 助け・・・い、嫌っ・・見ないで。私の姿を見ないでください・・・」
観月さんは無表情ながらも、少し表情を歪めたような顔をして、検査室へと連れられていった。
この被験体の身体は、男女それぞれ量産型のような肉体であり、あの美しかった観月さんも今はただの被験体の一人。量産型の顔をしていた。
そしてこの身体には感情を表現する機能がなく、どんなに絶望的な気持ちになっていても、何も表情に現れないのだ。
はずなのに観月さんの表情がとても悲痛に見えた。
それから何度か観月さんとすれ違うことがあった。
俺は微妙な仕草の違いから、女性の被験体の中から観月さんを見分けることができたのだ。
だが俺が何度話しかけても観月さんはいつも目をそらし、俺を避けるように検査室へと向かっていった。
その反応に少し寂しい気はしたが、それでも彼女と生きて会えていることが、何よりも嬉しかった。
現実世界ではお見舞いに行くことも許されず、彼女自身も脳を含めて全身の損傷が激しい危篤状態が続き、しかも脳の再生医療では症例タイプBまで発症している。
現実世界では、これ以上ないほどの絶望的な状態。
それがこの世界では、お互いに被験体の身体同士でただ廊下ですれ違うだけだが、こうして彼女とコミュニケーションがとれているのだ。
だが喜んでばかりもいられない。
いずれ観月さんも、山本さんみたいに別の検査に連れ出され、命を失ってしまうだろう。その前になんとか助け出さなければならない。
今俺たちの研究室では、追加のbotを作成するために先生たち教授陣が対応に追われている。どうやら、ここにいる患者たちを保護するために、救援隊を組織して一斉にダイブしてくる作戦のようだ。
俺にも一旦ダイブを中断してbot作成チームに加わるよう指示されたが、俺はそれを断りこちらの世界で被験体として様子を観察する事を選んだ。
先生から強く反対されたが、俺は粘ってなんとか認めてもらった。例の特別な検査を受けることになったら、強制的に現実に戻れるよう手段を講じたからだ。
それからは救援隊を待ちつつ俺は1人ダイブを続け、検査を受ける日々を過ごしていたが、ある日検査室へと続く廊下の突き当たりで、1人の被験体が大きな扉の部屋へ入れられようとしているところに出くわした。
1人だけの検査。
それはあの山本さんと同じ、特別な検査だ。
それがあの大きな扉の部屋で行われているのか。
ドクンッ!
突然俺の心臓が心拍数を上昇させた。
あの被験体は観月さんだ!
俺は思わず彼女の名前を呼んだ。
すると彼女は後ろを振り返り、俺の方を見て一言つぶやいた。
「さようなら、安里先輩」
彼女の頬を一筋の涙がつたって、そしてまた前を向いた彼女は、そのまま大きな扉へと入って行った。
ペレットに戻されると俺はすぐに緊急帰還機能を使って現実世界に戻り、患者の医療情報にアクセスした。
観月さんのステータスは・・・死亡。
間に合わなかった。
彼女は・・・観月さんは、完全にこの世からいなくなってしまった。
それからの俺は、再び彼女を失った喪失感からまた研究への熱意を失っていた。
ただ現実の世界にも居たくなかった俺は、こちらの世界にダイブしたまま、漠然と検査を受け続けていた。
この不快な検査を受けることで逆に気分が紛れる。
もう、俺はどうなってもいい。いっそ彼女と同じ方法で殺してもらった方が・・・。
そんなある日。
俺は1人だけ部屋を連れ出され、廊下の突き当たりにある大きな扉の部屋に入れられた。
中は真っ白な部屋で中央には大きな手術台があり、俺は服を全て脱がされてその上に寝かされた。
そして手足をベッドに拘束され麻酔を打たれた。
頭がぼんやりとしてくるが、俺は意識を保ったままだった。
おそらくbotを介してダイブしていることで、多少の麻酔を打たれても意識が保ててしまっているのか。
だとすると俺は麻酔なしで、これから訳の分からない人体実験を受けることになる。
突然、俺の中にとてつもない恐怖心とともに、冷静な判断が蘇ってきた。
まずい! 緊急帰還だ。
俺は、botを介して大学病院に設置してある緊急アラートに信号を送った。だが、いつまでたっても現実に戻る感覚がやってこない。
どうしてだ。何かトラブルでも発生したのか。
とにかくここは、少しでも時間を稼がなければ。
「頼む! 俺を助けてくれ」
俺は周りにいた研究員に懇願する。しかし、
『なんだこいつ、また意識を取り戻したぞ。麻酔の量が足りないんじゃないのか』
『いや、麻酔の量は十分だ。これ以上投与すると死んでしまう恐れがある』
『じゃあ麻酔なしでやるのか』
まずい。時間稼ぎのために何か会話を続けなければ。
「おい、お前たちは何者だ。俺に何をするつもりか教えてくれ。・・・頼むから殺さないでくれ」
『おい、被験体が必死に命乞いを始めたぞ。笑えるな』
『かわいそうだから麻酔を打ってやれよ。どうせ死んでも被験体はまだ他にもあるんだから』
『ひでぇやつだな、お前』
『真面目にやれ、お前たち。これは大事な実験だ』
『了解。じゃあ麻酔を投入する』
「やめろーーー!」
追加の麻酔を投入された俺は、薄れていく意識の中で研究員たちの会話を最後に聞いた。
「麻酔が効いてきたようだな、大人しくなった・・・それでは術式を開始する・・・被験体Cに★✕◎を投与・・・・・がイエローゾーンに・・・・✕✕▲◻️に・・・・・・・・をメルク・・スの・・・・」
俺は深い眠りから目覚め、ゆっくりと瞼を開いた。
意識がある。
俺は殺されたのではなかったのか・・・。しかしここはどこだ。
俺が目を覚ました場所は、先ほどまでいた白い手術室ではなく、普通の部屋だ。
部屋にはシンプルなデザインの家具がおかれ、真ん中にベッドが一つ。そしてそこに俺が横たわっている。
ベッドから体を起こしてしばらくぼんやりと部屋の様子を眺めていると、ノックの音がして部屋の扉が開けられた。
中に入って来たのは、白銀の髪で赤い目をした見たことのない少女だった。
「よかった、気が付いたのですね」
その少女はにっこりとほほ笑むと、ベッドの脇にある椅子に静かに座った。
「新しい被験体の方が運ばれたと聞いて様子を見に来たのですが、生きていて本当によかった」
「俺は無事だったのか・・・ということは他の被験体たちは?」
「・・・大半は実験が失敗して死んでしまいます。でも実験が成功して無事に生き延びる人もいるようで、私ももとは被験体でした」
「あなたが被験体?」
被験体は表情の乏しい量産型の人体だ。だが隣にいる彼女は被験体とは似ても似つかない、表情豊かな少女である。
いったい何が起こっているのか。
だが次の瞬間、俺は彼女の何気ないしぐさに衝撃を受けた。
「観月さん?」
俺がそうつぶやくと、その少女は目を大きく開いて驚いた。
「・・・安里先輩なの?」
「そうか・・・観月さん、無事だったんだな。本当によかった」
「安里先輩・・・私、怖かった」
観月さんは俺の身体にしがみついて俺の胸に顔を埋めると、それからずっと泣いていた。