第153話 アウレウス伯爵への報告
8月22日(火)晴れ
朝食後、水着に着替えてビーチに行こうとすると、マールに呼び止められた。
「お父様が少し体調が良くなったので、アゾートがここにいるうちに挨拶をさせてほしいって。お父様の部屋まで来てもらってもいいかな?」
「ポアソンさんが? もちろん今から行こう」
俺はマールに連れられて、ポアソンさんの寝室に入った。ポアソンさんはベッドから起き上がっており、傍らにはマールの母上もいた。
ポアソンさんは少し前から意識は回復していて、ナルティン子爵家との戦いの顛末は、長男のパウエルさんたちから既に聞かされていたようだ。
「ポアソン家を救って頂いたばかりか、次期当主としてのマールの後ろ楯になっていただき、感謝の言葉もありません」
ポアソンさんの隣ではマールの母上もハンカチで目を押さえて喜んでおり、俺の隣でもマールが嬉しそうに俺の手を握っていた。
そんなマールの姿を見て俺は覚悟を決めた。
「マールからは、卒業までに答えが欲しいと言われてましたが、俺の答えは既に決まっています。マールを、お嬢さんを俺にください! 必ず幸せにして見せます」
「アゾート!」
俺の答えを聞いた瞬間、マールが俺の胸に飛び込んできた。しっかりと背中まで回されたマールの腕が少し震えている。鼻をすする音も聞こえてきた。
「・・・やっとアゾートから、返事がもらえた。私ずっと待ってたんだからね・・・バカ」
「マール、待たせてゴメン。でもようやく決心がついたんだ。マールのことは一生大切にする、そして、俺と一緒にこのポアソン領を豊かにしていこう」
「はい!」
俺はポアソンさんの方を見る。二人とも、とても嬉しそうに俺達2人の姿を見ていた。
「この前の春、王都の魔法協会で行われた表彰式でマールに指輪をしてあげたアゾート君を見て、いつかこういう日が来るのではと予感はしてたんだ。だがナルティン子爵から無理やりマールの婚約者を決められ、もうマールの幸せな顔は見られないのかと、悔しく思っていた」
「お父様・・・」
「だがそのナルティン子爵をマールが討ち取って、あの時の予感がまさかこんなに早く現実になろうとは、あの表彰式の時にはとても想像できなかったよ・・・マールを、娘のことをよろしく頼む。どうか、幸せにしてやってくれ」
「もちろんです。何があってもマールの事は絶対に幸せにしますので、安心して見ていてください」
「でもこれでポアソン家の将来は安泰だな。アゾート君とマールの子供ならきっと魔力も強いだろうし、そして我が家は多産の家系だ。強力な魔力保有者がたくさん生まれて、後継者問題もなくなるだろう」
「あらあなた。逆に後継者候補が増えすぎて、お家騒動の心配がでてきますよ、きっと」
「そっちの心配が必要になるのか。でもそんなことはずっと将来の話だ。私たちもがんばって子供たちの面倒を見るから、マールも安心して子供をどんどん作りなさい」
「二人とも、恥ずかしいから生々しい話はやめてっ! 騎士学園の卒業は、まだ1年半も先なのよっ!」
「ということが、さっきありました」
秘密のビーチの砂浜で、俺は平身低頭、セレーネにご説明申し上げていた。その隣ではマールも一緒に頭を下げてくれていたのだが、マールから溢れ出る俺へのラブラブオーラがお気に召さないセレーネは、余計にイライラを募らせた。
【セレーネ、頼むから機嫌なおしてくれよ。そうだ、セレーネが欲しがっていた特別な指輪。今度作ってあげるから、それで許して】
【え、本当に? ついに私にも指輪をくれるのね。じゃあマールにしてあげたみたいに、私の左手の薬指にアゾートがちゃんとつけてよね】
【わかったよ。だからもうマールに嫉妬するのは終わりにしてくれよ】
【ええ、これからは丸焼きはネオンだけにするね】
【・・・いや、ネオンもやめてやれよ】
そんな俺達の会話を目を輝かせて聞いていた人がいた。フリュだ。
「アゾート様! またセレーネさんと二人でルーンで会話をしてましたね。・・・すごい、わたくしにもできるようになるのかしら」
「フリュも日本語を勉強したいのか?」
「ええ! アゾート様さえよろしければ是非!」
「いいよ、暇なときに教えてあげる」
「まぁ! よろしくお願いいたします」
フリュがあんなに日本語に興味を示すとは思わなかったが、フリュの楽しそうな笑顔を見ているだけで、俺はとても幸せな気持ちになる。
フリュにはいつも助けてもらってばかりなので、フリュの涙は絶対に見たくない。傍でずっと笑顔でいて欲しいのだ。
「それよりもフリュ、その水着とても似合ってるよ」
俺がそういうと、フリュの顔が真っ赤になった。
「アゾート様・・・恥ずかしいので、私の水着姿をそんなに見ないで下さいませ」
昨日二人で選んだ水着は、黒のセパレートタイプにフリルがたくさんついた、露出はややおさえ気味のデザイン。そうゴスロリ水着だ。
クラシカルな貴族然としたフリュと現代風の服飾デザインを結ぶもの、それは奇跡のデザイン・ゴスロリしかない。
「フリュさんって、本当にゴスロリが似合うわね」
「もともと卒業パーティーのコスプレで、セレーネがフリュに勧めたものだけどな」
「ふっふーん。どう、私すごいでしょ」
さてせっかく海に来たことだし、またお稲荷姉妹でもからかってやろうと俺が渚の方に向かっていると、途中で俺を呼び止める声がした。
「アゾート君・・・」
「ナタリーさん?」
俺は後ろを振り返り、思わずブリーズした。
昨日の競泳水着とは異なり、大胆な黒のビキニを着用したナタリーさんが、恥ずかしそうにモジモジとこちらを見ている。
引き締まったスレンダーな身体ながら、胸も大きくメリハリのある絶妙なプロポーション。
女性としてもっとも美しいであろう20代前半のこの肢体に、10代前半の可憐さもを感じさせる、この恥じらい。
ギャップ萌え。
騎士団長として全軍を率いる頼もしいリーダーシップを、欠片も感じさせないこの恥ずかしがり方。
昨日見せた、女教師あるいは美人インストラクターとも異なる、新たなる一面。
うつむきながらも、上目使いでチラチラと俺の様子を気にするその姿は、俺の庇護欲求を絶妙にくすぐる。
ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ
静まれ、俺の心臓。
さっきマールにプロポーズしたばかりなのに、俺の心臓はなんで今日に限って勤労意欲に燃えている。
大きく息をすって、吐いて、深呼吸だ。
そして、冷静になったところで、ナタリーさんに自然に挨拶をする。せーのっ
「「あのっ!」」
かぶった!
「あの、アゾート君。昨日は突然いなくなってしまって、ごめんなさい。あれからよく思い返してみたら、アゾート君は私を好きと言ったのではなく、あくまで私のようなタイプが好きといっただけなのよね。勘違いしてしまって、恥ずかしい限りです・・・」
「そ、そ、そうなんですよ。俺も紛らわしい言い方をしてしまって、申し訳ありませんでした」
「そ、そ、そうよね。私なんて戦いしか能のない女騎士団長だし、私のことを女性として見る人なんかいるわけないよね。ましてや4人の奥さんを同時に持つほどの真実の愛に生きる男・アゾート君が、私なんかを女性として好きになるはずないのにね」
そう言ったナタリーさんは、ションボリと少し肩を落としたように見えた。
「そんなことない! ナタリーさんはとても魅力的な女性だよ! 今日の水着もとてもよく似合っていて、さっきも思わず見とれていたところだったんだ」
「え、私の水着を?」
「そう! その黒のビキニがナタリーさんの大人の身体によく似合ってるなあと」
「私の身体・・・まさかアゾート君は私の身体が目的で、トリステン男爵のような汚れた目で私を見ていたのではないでしょうね」
ゴゴゴゴゴ
しまった。この人は大の男不信の、いろいろと面倒くさい人だった。
「違うんだ、聞いてくれ! そういうつもりで言ったのではなく、その鍛え抜かれた武人としての身体が、黒のビキニを身に付けることで、より引き締まって見えると言いたかったんだ」
「そ、そ、そうよね。我が主君たるアゾート君が、他の男どもと同じように欲望にまみれた目で、この私の身体を見るわけがないものね。また勘違いしてしまうところでした」
「ほっ、それはよかった」
「アゾニトロさ~ん」
なんとかナタリーさんを静めることができたと思ったら、リンちゃんが秘密のビーチに走ってやってきた。もう、嫌な予感しかしない。
「どう、この水着かわいいでしょ」
ピンクのワンピース型の水着を着たリンちゃんが、その場でくるりと一周する。
「今マールさんに聞いたんだけど、マールさんのご両親に正式にご挨拶をしたんですね。お嬢さんを俺に下さい、絶対に幸せにしますって」
「そうなんだよリンちゃん。俺もマールの人生に責任を持つ覚悟をついに決めたよ」
「そうだったのか・・・アゾート君、マールは私の妹のようなものだから、大切にしてやってくれ」
「ええ、ナタリーにも心配はかけません。マールのことは生涯をかけて俺が守り抜いてみせます」
「なるほど、これが真実の愛に生きる男の姿か」
ナタリーさんの顔が上気して、俺の方をうっとりと見つめていた。・・・まずい、何か変なスイッチが入ったみたいだ。
「ねえ、アゾニトロさん。この綺麗なお姉さんがアゾニトロさんのことをうっとりと見つめてるけど、ひょっとして新しい嫁ですか? さすがはソルレートの若き支配者。私もお姉さんに負けないように、頑張って早く成長しなきゃ」
すると、顔を真っ赤にしたナタリーさんが、
「私がよ、よ、よ、嫁・・・アゾート君の、真実の愛の男の嫁に・・・あわわ、ど、どうしたらいいの?」
そして目を渦巻き模様にさせながら慌ててどこかへ走り去ってしまった。
「リンちゃん・・・ナタリーさんをからかっちゃダメじゃないか。あの人はリンちゃんと逆で、身体は大人だけど心は可憐な少女なんだから。ちなみに下ネタは絶対に禁止だからね!」
「は~い」
8月23日(水)晴れ
俺達はポアソン領を後にする。目的地は王都アージェント。アウレウス伯爵に許可を得て、アウレウス伯爵邸とポアソン邸の転移陣をつなげ、次々と転移していく。
アウレウス邸への転移が完了すると、クロリーネたちシュトレイマン派貴族たちは、そのままジルバリンク侯爵やシュトレイマン公爵の館へと向かっていった。
残った俺達メルクリウス軍と、ベルモール子爵たち新たにアウレウス派に加わる貴族は、そのまま広間へと通された。
これから順番に伯爵への挨拶や報告を行い、その後は晩餐会に参加する。今晩はアウレウス派の主要な貴族も集まるらしい。
早速執事に呼ばれたため、俺はフリュを伴ってアウレウス伯爵への報告に向かった。
「婿殿、ソルレート領の奪還ご苦労だった。私の予想以上の成果を上げたようで、実に感心したよ」
「ただ、帝国軍のボルグ中佐の目論見通りであれば、この王国の上級貴族家の中に帝国と通じている支援者がいるはず。そこを潰さない限り、ボルグの作戦は続くと思います」
「上級貴族か・・・婿殿はどこが怪しいと睨んでる」
「実はボルグ中佐が逃げる際に気になることを言ってました。自分のもう一つの名はアッシュ・クリプトン、アージェント王家の末裔だと」
「クリプトン・・・」
「ええ、王国にもクリプトン侯爵家があります。ここと関係があるのではないかと思っています」
「クリプトン侯爵家か・・・。婿殿、この家門は少し複雑な事情があってな、関与がないとは言いきれないが、主犯ではないと思う」
「そうなのですか?」
「ああ。話すと長くなるので別の機会に説明するが、今は他の上級貴族家を捜索した方がいいだろう。だがやつらはなかなか尻尾を出さん。さて、どうやって対応するかだが」
「伯爵の諜報網を使ってもダメなのですか」
「私のは諜報網というよりは捜査機関だから、敵の懐に潜入するタイプの活動は得意ではないのだ。そういったことは、婿殿が持っている諜報網の方が得意なのではないのかな?」
「俺の諜報網・・・伯爵はどこまで把握しているのですか?」
「いや、何も把握しておらんよ。何せ婿殿の諜報部員は優秀で尻尾を掴ませてくれないからな。だが、一つだけわかっていることは、彼らもメルクリウス一族だということだけだ」
「さすが伯爵。すでに彼らと接触していたんですね。これから言うことは、その組織の性質上極秘にしていただきたい」
「無論だ。その程度の常識をわざわざ私に確認する必要はない」
「失礼しました。俺の持っている諜報網は、ガルドルージュ。シリウス教国枢機卿直属の秘密部隊。そのアージェント王国内での指揮権を、ネオンが全権委任されています」
「なっ! シリウス教国だと・・・まさか」
「王国歴248年の政変でメルクリウス公爵家が滅亡した時、メルクリウス一族の生き残りが2グループあったのです」
「・・・2グループ」
「一つは、次期公爵に決まっていたセシリア・メルクリウス夫妻、そしてもう一つはメルクリウス一族分家の子供たち。彼らは領都バートリーを密かに脱出し、10日間の逃避行の末シリウス教国に亡命。そこに根付いてガルドルージュという秘密部隊の中核を担うこととなった」
「婿殿は今、セシリア・メルクリウスと言ったのか」
「ええ、セシリア・メルクリウス。彼女こそが、俺達フェルーム騎士爵家の初代当主サリーナ・フェルームです」
「セシリアという名前は、アージェント王国の正史からは完全に抹消されていて、彼女の名前を知るものはこの国には数えるほどしか存在しない。その名前を疑うことなく言いきる所をみると、婿殿は王国のタブーであるメルクリウス公爵家の秘密をかなりの確度で把握しているということだな」
「248年政変とメルクリウス家の顛末は偶然知ったものですが、この一点に関してはどの歴史書にもない正確な事実を掴んでいます。これが王国のタブーにあたるというのは、この間伯爵に相談した時に初めて知りましたが」
「なるほど。ということはガルドルージュの話も真実ということか・・・」
「はい。それで今回伯爵にお願いしたいのは、王国が意図的に隠している本当の歴史と、・・・その、王都の男子の間で読まれている、メルクリウスが主役になっている絵本について、教えてもらいたいのです」
すると、アウレウス伯爵の目が鋭く光った。
「我が王国の歴史は婿殿の推察通り、欺瞞情報が紛れ込んでいる。同時にあの絵本を見せて欲しいと要求するということは、婿殿はアージェント王国建国記に疑いを持った。そうだな?」
アージェント王国建国記だと?
俺は248年以降の歴史、つまりクリプトン王朝の時代の真実について気にしていた。ボルグ中佐と現在のクリプトン侯爵家の関係性のヒントになると思ったからだ。
そして絵本については歴史とは無関係に、俺にそっくりのその主人公の記載を詳細に知りたかっただけ。
だが、伯爵は絵本と建国を関連付けて考えている。
・・・考えてもみなかったが、この際そこまで踏み込んでみるのも悪くないだろう。
話を合わせてみるか。
「あの王国建国記には違和感を感じてました。248年政変時にメルクリウス公爵家が筆頭公爵家ならば、建国記にメルクリウスの名前が登場しないのは不自然。例えば、建国の勇者パーティーにクリプトンだけでなくメルクリウスがいてもおかしくない」
「左様、メルクリウスは確かにいた。もし婿殿が真実を知りたいなら教えてやる。今日の夜、もう一度私の執務室に来るがよい」