第140話 司令官の怒り
救命ボートで間一髪脱出したバンスたち政府幹部は、ソルレート艦隊の幕僚たちと共に、領都ソルレートからさらに東方、パッカール方面軍内に設置された領民軍司令部までたどり着いた。
だが、ここまで逃げることができたのは艦隊最後尾にいた全体の一部であり、多くの兵たちはベルモール・ロレッチオ連合艦隊に救命ボートごと捕獲されて捕虜となっていた。
なお、湖の入り口にあるソルレート領民軍の軍港は、マミーたちに占領されて騎士団が大挙して上陸。ここに橋頭保を築かれることとなる。
さて領民軍司令官室では、ソルレート艦隊の幕僚たちから敗戦報告を受けた司令官のロックが、そばに佇んでいたバンスたち政府幹部をジロリと睨んだ。
「それで議長閣下は勇敢にも我が艦隊に突撃命令を発し、敵艦隊に見事撃沈させられたわけだ。大した武勇ですな。ワハハハハ」
司令官の嫌味に何一つ反論することができないバンスは、ただ床を見つめて屈辱に耐えていた。だが司令官は話を続ける。
「まあ、この程度の損害など議長どのにとっては微々たるものでしょうがね。なぜなら、現在領民軍で起きている兵士の反乱は、たかが艦隊の全滅とはケタが違う、全軍崩壊規模の大問題だからな」
「兵士の反乱だと・・・なんのことだ」
「おや、ご存知ないのですか。現在領民軍では、徴税免除を条件に従軍していた農民兵たちが反乱を起こしているのだよ。もちろん議長どのが無茶な追加徴税を行ったのが原因だが、この戦時下の大事なときに農民兵の反感を買う政策を行うなんて、一体何を考えている。議長はこの国を滅ぼしたいのか」
「農民兵・・・追加徴税・・・反乱、まさか」
「・・・「まさか」か。議長のクセにこの徴税がどのような結果をもたらすのか、想像すらできていなかったのか。自分は優秀者だと日頃から口にされていますが、どのあたりが優秀なのか、この私にも分かるようにご教示いただきたいものですね」
「くっ・・・しかしこの徴税はボルグ中佐からのアドバイスで」
「ボルグ中佐か・・・所詮彼らは帝国軍。われらソルレート領の統治に責任を持っているわけではない。お互いに利益でつながっていただけの関係だから。そこを見誤るとこのような結果をもたらすということだ。勉強になったじゃないか、若造」
「貴様・・・この俺をバカにするのもいい加減にしておけよ」
「・・・これをバカにしたと受け取るのは、いかにあなたが狭量であるかを証明するようなもの」
「調子に乗るなよ司令官。この戦争が終わったら貴様を司令官から解任してやる」
「なんなら今すぐ解任してもらっても構わないが。そしてあなたが直接領民軍を指揮して、ここから逆転を目指せばいい」
「・・・逆転だと? 我が軍は敵を圧倒しているのではなかったのか」
「議長、戦況は我が方が極めて不利な状況だよ」
「そんなバカなことがあるか。我が軍は領都守備隊を含めて30000の大軍勢だぞ。それを高々数千程度の騎士団でどうにかできるものではないはずだ」
「まさか、何も報告を受けていないのか。・・・だったら仕方がない。司令官である私が、議長に直接報告をしてやろう」
「・・・ふん、偉そうに」
「8月13日の朝7時、我がソルレート領と境界を接する5領の騎士団が、一斉にわが領地に向けて進軍を開始」
「ちょっと待て。我々が戦っていたのは3領だったはず。なんだ5領って」
「北のマーキュリー伯爵領とトリステン男爵領。この2つの領地との間で新たに交戦状態となった」
「そんな話は聞いていないぞ。マーキュリー伯爵領とは山岳地帯を挟んでいて、直接の敵対関係にはなかったはず。それが突然どうして」
「トリステン領を占領したメルクリウス男爵と同じアウレウス派閥だから加勢をしているのだろう」
「メルクリウス男爵だと! あいつは領都ソルレートの中にいるはず。それがどうしてトリステン領を占領できるんだ!」
「ほう、議長はメルクリウス男爵と面識があるようだな・・・。そのメルクリウス軍が総勢12000の大軍を率いて領都ソルレートに進軍中。我が方は領都守備隊を含め15000で対抗したものの、兵士のサボタージュにより防衛線が次々に突破され、現在はソルレート領手前で最終防衛ラインを構えている」
「12000だと・・・そんな大軍が」
「大半はトリステン領民軍だが、奴隷売買の件でソルレート革命政府に対する怒りがすごいことになっている。この戦争に負けると、議長はただではすまないな」
「奴隷売買・・・」
「それからベルモール、ロレッチオ両軍も我が軍前線の防御陣を次々と突破。こちらも兵士のサボタージュがひどすぎて、なんとか防衛ラインを維持するのがやっとだったが、先ほど艦長から報告のあったソルレート艦隊の敗北でそれももう終わりだ」
「・・・なぜだ」
「敵艦隊から上陸した騎士団に前後から挟撃されて、防衛ラインは一日ともたないだろう。さすがだな、味方殺しの議長閣下」
「くっ・・・」
「そしてここパッカール方面軍だけが、兵士のサボタージュも比較的少なく、唯一まともに戦えている部隊だ。だがこちらは敵の指揮官が優秀で、我々の数の優位がうまく活かせていない」
「優秀な指揮官?」
「ああ。シュトレイマン派重鎮貴族ジルバリンク家の令嬢、クロリーネ・ジルバリンク15歳だ」
「侯爵令嬢でまだ15歳だと・・・」
「あの烏合の衆であったシュトレイマン派連合軍を一つにまとめ、一糸乱れぬ集団行動と我々の弱点を的確につく戦術眼は見事。あれは天性の才能だな。短い期間だが実際に戦ってみてよくわかった」
「ウソだ! そんな貴族令嬢なんかいるはずがない。あいつらは平民に重税をかけて、自分たちはお茶会やら舞踏会ばかりしている穀潰しどもだ。そんなのが養成所主席の俺より優秀な訳がない!」
「いや優秀だ。議長なんかとは比べ物にはならないほどにな。議長どのは貴族令嬢に対して偏見をお持ちのようだが、他にも優秀な令嬢はいますよ」
「誰だそれは」
「メルクリウス軍参謀長のフリュオリーネ・メルクリウス17歳。クロリーネ・ジルバリンクが戦術面で異才を放っているとすれば、彼女はまさに戦略面の英才だ。この5領の同時総攻撃はまさに彼女の指揮のもと進められている。我々はとんでもない敵を相手に戦ってしまったのだ」
「・・・それでは、我々は負けるのか」
「事ここに至ればもう時間の問題だな・・・」
司令官からの報告を受け、顔を青ざめたバンスたち政府幹部。そこへ司令官の口から不穏な言葉が出てきた。
「敗戦には責任者が必要だ。そしてちょうどここに議長と政府幹部が揃っている」
「何を言っている司令官。まさか俺たちを敵に売ろうという訳じゃないだろうな」
「売るなんて人聞きの悪い。国家の統制の話をしているだけですよ。それに私にはどうも腑に落ちないのだが、なぜあなたは今この司令部にいる。戦況を全く知らないあなたが、このタイミングでノコノコと来るような場所ではないはず」
「そ、それは」
「領都で何かがあって、ここに逃げ込んできた・・」
「ち、ち、違う! そんなわけないだろう」
「衛兵! 議長と政府幹部を全員拘束せよ! 今回の戦争の最高責任者だ。逃げられては困るので、地下牢にでも放り込んでおけ」
「はっ!」
「や、やめろ! 俺に近付くな、離してくれ」
バンス議長と政府幹部たちは抵抗むなしく、衛兵によって司令官室から地下牢へと連行されて行った。