第136話 ソルレート大包囲網とクロリーネの戦い
8月14日(闇)雨
ソルレート領民軍司令部では、昨日から突然始まった各領地の騎士団による一斉攻勢への対応に、混乱を極めていた。
領民軍司令官・ロックは、ボルグ中佐からアドバイスをもらおうと何度も伝令を送っていたが、ここ数日連絡がとれていなかった。
「ボルグ中佐との連絡はまだとれないのか!」
焦る司令官に、しかし副官は現状を伝えるしか方法がなかった。
「はっ! 執務室はもぬけの殻で、中佐やネスト大尉たち幹部はおろか、帝国軍特殊作戦部隊の隊員の誰一人、見つかりません」
「この一大事にどうしたというのだ。・・・まさか、我々は見捨てられたのではないのか」
「そうかもしれません。バンス議長もボルグ中佐を探しておいでのようでしたが、まだ見つけられていないご様子なので、我々はやはり・・・」
「くそっ、やはり我々だけで何とかするしかないのか。各方面軍の戦況が知りたい。参謀長を呼べ」
副官に呼ばれた領民軍参謀長は、部下を引き連れて司令官室に入室し、各方面軍の状況を報告する。
「まず一番戦況が厳しいのがトリステン方面です。この戦場は唯一我々より敵の数が多く、防衛線が次々に突破されています。特にメルクリウス騎士団とバートリー騎士団の戦闘力が圧倒的であり、バートリー騎士団に至っては彼らに傷一つ与えることができません。正直言って化け物です」
「そもそもなぜバートリーなどという聞いたこともないような騎士団が、我々に戦いを挑んでいるのか。メルクリウスだって西側の領地なのに、なぜトリステン方面から攻めてくるのだ」
「ゾイル大尉からは特に聞いておりませんが、デルト中尉とともに、メルクリウス軍のことはかなり警戒されていました」
「うーん・・・だがあの軍12000の大半はトリステン領民軍だろ。うちと違ってただの農民の集まり。バートリー騎士団なんか相手にせず、そちらを倒せばいいではないか」
「いやむしろ、トリステン領民軍の方を相手にしたくないと現場の兵は言っています。ソルレートに恨みを持っているようで、集団で我が軍の兵士を取り囲んでは容赦なく撲殺していくようです。騎士道精神が全くないため、バートリー騎士団に立ち向かった方がまだましだと」
「なんでトリステンの領民がソルレートを憎んでいるのだ。今までそんなことはなかったではないか。意味がわからん!」
「司令官、トリステン男爵の例の性癖ですよ。それでソルレートの奴隷商人がトリステン領に入り込んで、村の少女を誘拐し始めたらしいのです。長年の鬱屈した恨みが爆発してついにトリステン領で反乱を成功させたはいいが、勢いついでにソルレートへの憂さ晴らしをしているのではないかと」
「とんだとばっちりではないか! とにかくわかった。トリステン方面には、領都ソルレート守備隊から増援を回せ」
「はっ!」
「さて、シュトレイマン派連合軍だが、こいつらが曲者だな。一番脆弱だったはずなのに、完全に化けやがった」
「司令官のおっしゃるとおりです。バラバラだった騎士団を新たなリーダーが統制し、一つの軍隊として完全に機能し始めました」
「そうだな。そもそもこの領民軍司令部は、最初に侵攻してきたシュトレイマン派連合軍との戦いのために設置されたものだから、直接指揮をとっている私自身が一番実感しているところだ。それでなんと言ったかな、あの敵指揮官の名前は」
「はい、クロリーネ・ジルバリンク侯爵令嬢です。血の気の多い子爵家当主たちをしっかりグリップして、実に堅実な作戦行動をとり、ジワジワと我が軍を押し返しています」
「うむ。彼女を語るなら、堅実な上に狡猾を加えるべきだろう。我が軍の弱点を見抜く鋭い観察眼は恐らく天性のもの。あれは戦術論の教科書をいくら勉強したって、真似できんよ」
「確かに。彼女と対峙してまだ数週間ですが、我々との戦いの中で急速に力をつけています。我々はとんでもない強敵を眠りから目覚めさせたのかも知れませんね」
「あれでまだ騎士学園の1年生らしい。フリュオリーネ・メルクリウスと並んで末恐ろしい指揮官が現れたもんだよ」
「次にベルモール・ロレッチオ方面はどうか」
「こちらは敵よりも味方に問題があります」
「あの造反兵どもか。昨日鎮圧して処刑したのではないのか」
「それが逆効果だったようです。農民兵を中心にもともとあった不満の芽があれで爆発し、一気に造反が加速しました。反乱者の数が多すぎてもはやコントロール不能です。今は、これ以上造反者が出ないように軍全体を沈静化させつつ、両騎士団となんとか拮抗を保っている状況です」
「うむ。とにかく造反の芽を押さえろ。さもないと我が軍は内部から崩壊する」
「わかりましたが、トリステン方面軍にも既に造反の芽が飛び火しています」
「それはまずいな・・・」
「最後に、新たに参戦してきたマーキュリー騎士団の状況はどうだ」
「完全にノーマークだった山脈越えを果たした騎士団1000騎が猛然と南下してきています。進軍速度が早く、明日にはこの戦域に到着する予想です」
「敵指揮官は誰だ」
「未確認情報ですが、マーキュリー伯爵家の次期当主のダーシュ・マーキュリーです。指揮官としての力量は未知数ですが、騎士学園ではあのメルクリウス男爵夫妻と同級生とのこと」
「なるほど、要警戒だな」
その時、司令部に伝令が飛び込んできた。
「報告します。湖からベルモール・ロレッチオ両騎士団の連合艦隊が出現。現在、湖東岸の我が領地に向けて進軍中であり、このペースでいくと明日には領地への侵入を許します」
「艦隊だと・・・事前に察知できなかったのか」
「はい。恐らく哨戒船が全て撃沈されたのか、一切の情報が入って来ませんでした」
「哨戒船が全滅するなんて、そんなバカなことがあるか。艦艇の速度が違うし矢の届く距離に侵入さえ許さなければ、通常は逃げ切れるはず」
「方法はわかりませんが、現に我が軍の哨戒船が1隻も戻って来ておらず、全滅させられたとしか考えられません」
「そんな・・・とにかく、その連合艦隊はどの程度の艦数だ」
「両軍合わせて大型艦6、巡視艇40です。それに対して我が艦隊は、大型艦10巡視艇50が出撃可能です」
「そうか。艦船を増産しておいて良かったな。よし、敵連合艦隊を迎え撃って、そのままベルモール騎士団の後背を突くのはどうだ。港湾都市バーレートの守備隊との挟撃を成功させれば、敵にかなりのダメージを与えることができるはずだ。とにかく兵士たちの反乱を押さえるためには、分かりやすい勝利が必要だ。正念場だと思ってしっかりやってくれ」
シュトレイマン派連合軍では、クロリーネが騎乗から各騎士団に指示を送っていた。
この軍の特徴は、補給部隊を除き歩兵はおらず全員が騎兵であり機動力に優れている。その特徴を活かし、敵軍の僅かな綻びを見つけてはその一点に集中し、一気に防御陣を突破していくのだ。
「アントニオ、全軍に通達。バリアーを左翼に展開して敵正面で右90度に回頭。そのまま敵を引き付けるように敵左側を迂回するように伝えて」
「わかりました。しかしなぜそのような動きを」
「敵の陣形は密集隊形をとっていて、右側に防御が厚くなっているの。だからこちらは集団で左側から斜めに切り崩すのが本当はいいのだけれど、こちらは歩兵ではなく騎兵だから、スピードを活かして一気に左側面を突きたいの」
「なるほど。それで各騎士団の役割は」
「わたくしたちパッカール騎士団を先頭に、ウッドブリッジ騎士団が左翼、先の戦闘で疲弊が激しいゴードン騎士団に右翼で休んでもらって、後方をフェラルド騎士団に任せます」
「了解」
「それから、ニコラ。パッカール騎士団の先頭にいるパーラさんたちに伝えて。敵陣を突破したら、そのまま我が軍の後方のフェラルド騎士団に合流し、最後尾の防衛をお願いして。アネットさんとの二重バリアとダンさんの打撃力をフルに使わせて頂きますわ」
「わかりました」
「では、各軍に通達後に全軍突撃。お稲荷姉妹はわたくしと共に補給部隊に移動しましょう」
「姫様承知しましたが、お稲荷姉妹と呼ぶのはやめてください」
「はわわわ、エリサ。姫様にそのような口をきくことは許しません。私たちはもう、お稲荷姉妹でいいではないですか」
「リナ、そんな呼ばれ方わたくしは嫌です」
「この呼び方はアゾート先輩につけていただいた、大切なお名前ですよ。むしろうらやましいのに・・・。そんな事をいうならエリサ、今日はあなたがわたくしと一緒にフレイヤーで偵察飛行をする番ね」
「嫌です! 絶対に空なんか飛びたくありません! それならもう、お稲荷姉妹とお呼びください!」
「あらそう? 残念ね。せっかく空を飛ぶ楽しさを教えてさし上げたのに。仕方がないから、今日もリナに後部座席をお願いするわね」
「はわっ! はわわわ、ガクガクブルブル・・・」
その夜のシュトレイマン派連合軍の野営地は、昼間の敵防衛線の突破に沸いていた。
「姫様が我が軍の指揮官になられてからは我々も見違えるように強くなり、昨日の進撃からここまで連戦連勝。この調子で行けば一気にソルレート城を攻め滅ぼせるのでは」
「我々の半年間の努力がようやく姫様の手で花を開くというもの」
子爵やその次期当主たちがクロリーネを囲んで、酒を片手に盛り上がっていたが、当の本人のクロリーネは過剰な評価に困り果てていた。
「あの・・・わたくしが指揮官になったから勝てているのではなく、フリュオリーネ様の指揮のもと各方面軍が連携しているからなのですが・・・敵兵力も半分はトリステン方面に移動したことですし」
「いやいやご謙遜を。今日の作戦指示も見事でございました。敵の急所を的確に見抜き容赦なく攻めたて、一気に戦線を崩壊させる手腕はお見事。お陰でこの敵陣を乗っ取り、雨風を防げて今夜はゆっくり休む事ができます」
「わたくしの場合、空から敵陣を偵察することができるので、ズルをしているようなものですけど・・・」
「普通の人間は空を飛べないので、それも含めて姫様の実力ですよ。もうアウレウス派の姫よりも実力が上なのではないですか」
「と、と、とんでもない! フリュオリーネ様とわたくしを比べないでくださいませ!」
「いや、姫様は彼女にも全然負けてないと思います。指揮官としての才能もそうですが、美貌でも十分に対抗できるかと。その・・・胸以外は」
「胸・・・」
場が一瞬で気まずい雰囲気になったため、それに耐えられなくなったパッカール子爵が、話を別の方向に向けた。
「ひ、姫様以外にも活躍されている令嬢がいますよ。ほら、ウエストランド子爵令嬢が」
「彼女か! しかしここにきて、とんでもないライバルが現れたな」
「ああ、今回のソルレート領への遠征にウエストランド子爵家が参加しなかったので、伯爵位争奪戦も本命不在などと言われていたが、まさかこのタイミングであんな後継者を送り込んでくるとは」
「いや、あのパーラ嬢は次期当主ではありませんよ。もともと戦いとは無縁のご令嬢で、政略結婚相手を探していたはずだと」
「あの魔力と戦闘力でか?! なんともったいない」
「単騎の戦闘力で見れば、我が連合軍の中でもトップクラス。年齢的に見てもまだまだ伸び代があるし、次期当主としては十分すぎるほどの資質があるぞ!」
「それでいえば、いつも一緒にいる中立派マーロー子爵家のアネット嬢も相当なものだぞ」
「そうだな。できればどちらか一人、うちの息子の嫁に欲しいものだが」
「お前のところのボンクラ息子より、うちのせがれの方がパーラ嬢にふさわしい」
「何だとこの野郎! ちょっと表に出ろ!」
「ではうちは、アネット嬢のマーロー家に政略結婚を申し込むか」
「抜け駆けは許さん。ではこの戦争で一番手柄をあげたものが優先して、政略結婚の申し込みことができるというのでどうだろう」
「それはいい考えだ」
話がおかしな方向に向かっていることを察知したクロリーネがすぐに釘を刺す。
「みなさま、いい加減にしなさい!」
「ひ、姫様・・・」
「そういう考えだから、これまで連合軍がバラバラになって負け続けていたのではないですか。わたくしが指揮官でいる限り、そんな勝手な行動は許しません」
「はっ! 大変申し訳ありませんでした」
「わかればよろしい。それではわたくしは、これから偵察飛行に出掛けてきますので、みなさまは明日に備えてごゆっくりとお休みくださいませ」
「え、今から偵察飛行ですか。外は雨ですし、しかも夜ですが・・・」
「この雨は間もなく止みます。すぐに雲が切れて、明日は快晴になると思いますよ。それに今日は満月、地上の様子がよく見えます」
「なぜ天気の事がわかるのですか」
「先ほどフレイヤーで上空から雲や風の動きを観測いたしましたので。天気の変化も戦いには重要な情報になるのですよ」
「さすがは姫様」
「では、わたくしはフレイヤーに向かいます。リナ、一緒にいらっしゃい」
「はわっ! はわわわっ! ガクッ・・・orz」