第131話 戦いはもう終わっていた
8月8日(火)曇り
「「おはようアゾート」」
俺は今日の朝もセレーネとネオンに起こしてもらった。目を開けると2人の顔が近すぎる。
「おはようセレーネ、ネオン」
二人は既に着替えが済んでいて、セレーネはいつもの町娘の服装、ネオンは町の不良少年風の服装だ。
ネオンが言うにはこの格好の方が、俺の全身皮装備の剣士より領都ソルレートでは目立たないらしい。
ネオンが言うとなぜか説得力がある。
俺はベッドから起きあがると、お風呂に入らなくてもいい軍用魔術具を使って、さっと男の身だしなみを整える。するとネオンが俺に近づいてきて、
「私が背中を擦ってあげようか。一人じゃ届きにくいでしょ」
「ネオンすまんな、助かる」
俺はブルーの軍用魔術具をネオンに渡して、背中を擦ってもらう。微妙な振動と肌の汚れを吸い取る吸引力で、実にくすぐったい軍用魔術具だ。
ところがである。
「ネオンだけズルい。私もアゾートに軍用魔術具を使ってあげたい。だって私がプレゼントしてあげたんだから」
そういってセレーネは、ピンクのトイレに行かなくていい軍用魔術具を手に、俺の方にジリジリと近付いてきた。
「待ってくれセレーネ、その軍用魔術具はダメだ」
「だって朝に使う軍用魔術具って、この二種類しかないじゃない。だから私が使うのはこのトイレに行かなくていい軍用魔術具しか残ってないのよ」
「だからって、その軍用魔術具だけはやめてくれ」
「ネオン! アゾートを押さえてて」
「仕方ないなセレン姉様は・・・アゾートごめん」
「うわっネオンやめろ。離してくれ」
「ありがとうねネオン。じゃあアゾート、いくわよ」
「セレーネ、や、やめろ・・・うっ・・・うわああああああ」
朝から介護された感満載の絶望的な気分に浸りながら、俺は食堂に降りていった。カウンターではいつものようにリンちゃんがお客さんに笑顔で応対していたが、俺の顔を見るなり少し不機嫌そうな顔をした。
「アゾニトロさん・・・朝から気持ちの悪い声を出すのはやめてください。営業妨害になるので、やるならいつもみたいに静かにシてください」
さっきの俺の叫び声が下まで聞こえていたようだ。
「はあ・・・誠に申し訳ございません。それからセレンとは何もシてませんから」
朝の挨拶はまず下ネタから入る10歳の元気な少女である。・・・平民は結婚年齢も早いし、他の少女たちもみんな下ネタばかり話すのかな。よく知らんけど。
さて、あのスラム街の一件以来、マールもこのロンの宿に一緒に泊まっており、昼間は俺とセレーネとマールの三人で活動することになった。
それについては、ネオンがかなり文句を言っていたが、ネオンにはレジスタンスや極右政党などとの連携という水面下の重要任務を任せており、引き続きミラージュさんと共に別行動をお願いした。
そんなわけで、毎朝共に朝食のテーブルにつくのは俺、セレーネ、ネオン、マール、ミラージュさんの5名である。
今日の朝食だが、並べられた食事がいつもより少ない気がする。俺が物足りなそうに朝食を食べていると、リンちゃんが駆け寄ってきた。
「申し訳ございません。実は革命政府からの配給が減らされたのです。このロンの宿は、優良店として配給を多めに受け取っていたのですが、領地全体の物資不足が深刻らしく、店舗向けや領民向けのすべての配給率が一律カットされてしまったのです」
リンちゃんはしょんぼりと俺たちに説明してくれたが、リンちゃんには申し訳ないが、早くも包囲網の効果が表れて来たようだ。ただそんなことを言えるでもなく、そ知らぬ顔でリンちゃんにたずねた。
「リンちゃんの家の食事も大変なんじゃないか」
「そうなんです。実はお客様に出す分が足りない日は、家に配給された食材を出すこともあったぐらいで、これ以上配給を減らされたら、もうそれもできなくなります。これからどうしたらいいんでしょうね」
リンちゃんがそう言ってため息をついていると、厨房の中からガタイの大きな男が出てきて、リンちゃんをひょいっと肩に乗せた。
「いつもうちの娘と仲良くしてくれてありがとうな。普段はあまり接客をしないので自己紹介がまだだったが、ワシがこの宿の経営者のロンだ」
「あなたがこの宿の名前にもなっているロンさんか」
「ああ。ここから先はワシから説明しよう。おそらく今日の夕食からはこれまでのような食事は出せない。最低限のものは用意するが、それ以上は別の店で食事をするなり自分で何とかしてほしい。だがどこも配給を減らされているため、食料品の価格も吊り上がっていて、とても支払える金額ではないかもしれんがな」
「仕方がないですよ。しかしソルレート領も大変なことになってきましたね」
「ああ、あまり大きな声では言えないが、革命政府が統治を始めてから生活がどんどんひどくなっていくよ。ソルレート伯爵なんて昔はろくでもないやつだと思っていたが、その頃の方が今よりもずっと住みやすくていい領地だったな」
「そんなに酷くなったんですか」
「見ての通りだよ。街には浮浪者があふれていて、庶民には働き口もなく、わずかな配給を求めて朝から列を作って並んでいる。それでも全員が食べ物にありつけるわけでもない。腹をすかせた子供なんか、もはや泣く元気すらなくジッと道端で眠っているだけだ。こんな領地に未来なんかないよ」
「でもシティーホールにいる議員たちは、かなり裕福そうでしたが」
「あいつらか・・・。密告者に聞かれて配給を減らされたくないしあまり大きな声では言えないが、俺の愚痴だと思って聞いてくれ。あいつらは俺たち領民を奴隷にして他領に売って、その金で贅沢をしているひどい奴らだよ。領地に巣くうダニだ」
「でも彼らを議員にしたのは、領民であるあなたたちなのでは」
「選挙の時は、ソルレート伯爵の圧政から逃れられたばかりで、革命を起こしてくれた彼らには感謝したものさ。だが半年もせずに奴らの化けの皮がはがれて、中から出てきた姿が伯爵以上のくずと来た。後悔先に立たずとはよく言ったもので、次の選挙まであと何年あるか知らないけど、その前にこの領地の領民はみんな奴隷にされて、選挙民が一人もいなくなってるんじゃないのか。笑い話にもなりゃしないが」
「ところで、どうしてこの店はこれまで配給の優遇を受けていたのですか」
「政府の徴兵に積極的に応じたからだよ。ワシには息子がたくさんいたが、配給のために次々に徴兵に応じていったのさ。今は生きているのか死んでいるのか分からないが、6人いた息子は全員この家を出ていった。残っているのはギルドの受付嬢をしているランと、このリンだけだよ。・・・愚痴を聞いてくれてありがとうな。まあそういうことだから、今日からの食事は少しがまんしてくれよ」
それだけいうとロンは、リンを肩から下ろして厨房の方へと戻って行った。その後ろ姿が少し寂しそうだった。
帝国アージェント方面軍特殊作戦部隊・ボルグ中佐の執務室では、緊急の作戦会議が行われていた。
「西部戦線は依然膠着状態が続き、領民軍はベルモール・ロレッチオ両軍が敷設した長大なバリケードを突破しきれずにいます。兵だけでなく商人や物資の流入も完全に遮断され、逆に彼らは城塞都市ヴェニアルからの潤沢な補給を受けて、持久戦の構えを敷いています」
「東部戦線も状況は全く同じで、パッカール領に進駐しているシュトレイマン派連合軍の奴らが、それまでの攻勢一辺倒の戦い方をやめて、西部戦線と同様の長大なバリケードによる封鎖作戦を開始しました。時を同じくして、トリステン領に展開中のメルクリウス軍も同様の作戦で、両軍は旧ナルティン領からの潤沢な補給を受けて、持久戦を行う構えをとっております」
「なるほど、つまりお前たち二人の報告を合わせるとこうだ。すべての領地が連携して封鎖作戦をとっていて、物資の補給はメルクリウス領が受け持っている。すべての領地がメルクリウス男爵のもと一致団結して戦っているということだ。完全にしてやられたな。こんな戦い方はこれまでの王国では考えられなかった。メルクリウス男爵の特異性に気づいたまでは良かったが時すでに遅く、戦略的優位を築かれた後だったというわけか」
「我々は決して諜報活動を怠っていたわけではありません。認めたくありませんが、彼らの方が一枚上手だったとしか。しかしどうやって各領地と連携をとったのか。全く動きがつかめませんでした」
「ヤツに関しては情報が少なすぎる。我々が掴んでいない連絡手段があるのか、優れた諜報網があるのだろうが、今は考えても無駄だ。次デルト中尉。ヘルツ中将への支援要請はどうなっている」
「はっ! まさに本面軍司令部との連絡員から報告を受けたばかりですが、先方からは信じられない要請がきました」
「中将から要請だと? こちらが要請しているのだぞ。それで、向こうはなんと言ってきた」
「前線補給基地に魔王級の魔導騎士が現れた。至急ボロンブラーク騎士学園に関する情報を提供するように、です」
「全く意味がわからん、続けろ」
「はっ! それがボロンブラーク騎士学園の制服を着た魔導騎士が突如、ダゴン平原の戦場に多数現れ、瞬く間に前線の奥深くへの侵入を許し、エクスプロージョンにより前線補給基地を完全に破壊された。現場の破壊跡から推計した魔力の強さから、その学生の中に魔王級の魔族がいる可能性があるため、本国に勇者部隊の要請を行った。ボルグ中佐には、ボロンブラーク騎士学園の学生の関する情報の提供を求める、とのことです」
「ボロンブラークの学生が多数出現して補給基地を破壊! メルクリウス男爵の仕業だ・・・やられた」
ボルグ中佐の言葉に戦慄が走った。
本国の前線補給基地がやられた今、補給が命綱の本作戦をここから挽回するのは至難の業。
大勢はすでに決していたのだ。
自分たちは、今それを知ったに過ぎなかった。
「念のために確認しておく。中将はこちらからの支援要請に関する回答はなんと言っている」
「物資は本国からの輸送になるため、しばらく時間がかかる。戦艦の派遣は了解したが、こちらも準備に時間がかかるそうです。早くて1か月程度先かと」
「それでは遅すぎる・・・ならば、王国内で物資を調達できないか」
「それも検討しましたが現状極めて困難です。最寄りの市場であったナルティン領が押さえられた上、王国中北部の領地へアクセスしようとしても、そこへのルートがマーキュリー騎士団によって完全に封鎖されています。仮に突破できたとしても、メルクリウス領の商人たちが必要な物資を買い占めてしまっていて、彼らとの買い付け競争になるとの諜報員からの報告もあります」
「全て手を打たれた後だったというのか。しかもこの徹底した念の入れよう。いったいどういう性格をしてるんだ、アイツ・・・ふっ、ふはははは!」
「中佐?」
「ネスト、脱出の準備をしておけ。まさか、ここまで用意周到に準備をしていたとは、気持ちのいいぐらいの完敗だったな」
「それでは革命政府と領民軍は?」
「革命政府は領民によって選ばれたこの領地の君主だよ。我々が責任を持つものではない。彼らは自らの責任と判断で行動すべきだし、その失政は彼らを選んだ領民に帰する」
「ですが、我々が彼らを育成した責任があるのでは。それに政治に関する彼らの相談に乗ってきた経緯もあります」
「我々の目的は、ソルレートを支配することではなく、王国を内部から瓦解させることだ。最善策がこの領地の革命の成功をもって王国内部に拡散させることだったが、それは最早望めない。ネスト大尉、我々は実戦部隊ではなく、あくまで工作部隊なのだ。我々はソルレートでの作戦を放棄し、次の作戦に移る。総員撤退準備をせよ」
「はっ!」
「ところで、ヘルツ中将への回答はいかがいたしましょうか」
「デルト中尉、それならネスト大尉が洗いなおしたメルクリウス男爵の情報を送っておけばいい。学園での評判もちゃんと含まれているので、ちょうどいいではないか。何が魔王級だ、バカバカしい」
「・・・え、あれを送るのですか?」
「だがあれが事実だろ?・・・いや待てよ、いいことを思いついた。せっかくヤツがすぐ近くにいることだし、直接情報を取ってみよう。このままやられっぱなしで逃げるのも面白くないからな。嫌がらせの一つでもしてやるか!」