第129話 スラム街の人々
8月5日(雷)晴れ
ソルレートに到着して5日目。俺たちの活動は順調に進んでいる。俺とセレーネはレジスタンスに潜り込み、ネオンは極右政党とのパイプを広げている。
そして今日は領民たちと直接コミュニケーションをとるため、俺たちは貧民街へと足を運んだ。
貧民街自体は城下町内にたくさんあるのだが、俺たちが選んだのは北の城壁周辺にある貧民街で、領都ソルレート中最大規模を誇る。
完全にスラム化していて、俺とセレーネの二人だけだと恐らく勝手がわからなくて困るだろうと、レジスタンスのメンバーが数人ついて来てくれていた。
スラム街にはボロボロの小屋が立ち並び、その中に貧民たちがひしめき合って暮らしていた。夏の暑さも手伝って、スラム街全体に異臭が充満している。
そんなスラム街にたどり着いたとき、ちょうど奴隷商人たちが若い男女の貧民を捕まえて、次々と檻の中に入れていく場面に遭遇した。
レジスタンスに聞くと、奴隷法に基づく貧民の捕獲作業らしい。奴隷商人が一定の金額を国に納めると、特定の貧民街に住む領民を、一日の捕獲人数の範囲内で、自由に捕獲できるという制度らしい。
ただ貧しいというだけの理由で領民を奴隷にし、その利益を政府と奴隷商人で分かち合う、人を人とも思わない外道な制度である。
「娘を連れていかないでください!」
母親らしき女性が、奴隷商人に連れていかれようとする娘を必死に取り返そうとしている。
「お母さん!」
必死に母親に手を伸ばす娘。しかし、奴隷商人が無情にもこの親子を引き離す。
「捕獲作業の邪魔だよ、このクソババア!」
奴隷商人が母親の顔面を拳で何度も殴りつける。泣き叫ぶ娘と、苦しそうに呻き声を上げながらも娘に必死に手を伸ばす母親。
しかしやがて力尽き、地面に倒れて動かなくなった母親。そんな彼女を踏みつけて、奴隷商人は娘を檻に放り込んだ。
「よし、てめえら。今日の狩りはここまでだ。トリステン男爵に高く売れそうな娘も捕獲できたし、俺たち用の若い女も手に入った。引き上げるぞ」
そういって奴隷商人は満足そうに帰り支度をする。
「ニトロ、私もう黙って見てられないわ」
「俺もだよセレン、さすがに我慢の限界だ。いい機会だから奴隷商人を始末する。行くぞ!」
「ええ! こんな悪党、片っ端から灰にして上げる」
そして俺たちは、奴隷商人たちのど真ん中に突撃をかけた。
「なんだ、こいつら!」
全部で10数人程度。奴隷商人の手下どもが俺たちに気がついて慌てて剣を抜くが、
【火属性初級魔法・ファイアー】
俺は剣をかわして手下の懐に入り込み、ゼロ距離からプラズマ弾を食らわせた。
「ぎゃっ!」
一瞬の断末魔とともに炎上を始める手下を置き去りにすると、次の手下にも同じようにプラズマ弾を撃ち込んでいく。
セレーネも相当頭に来ているようで、ファイアーの火力がとんでもないことになっていた。頼むからスラム街を燃やさないよう、火力を抑えて戦って欲しい。
あっという間に手下たち全員を血祭りに上げた俺たちは、最後に残った奴隷商人の頭目の顔面を殴り付けて地面に転がした。
「ま、待ってくれ、俺を殺さないでくれ。今日捕まえた奴隷たちはお前たち二人に全部やる。売ればかなりの金額になるはずだ。だから頼む、俺を助けてくれ」
頭目が地面に頭を擦り付けて懇願する。だが、
「ダメだな。この程度の奴隷では大した金額にはならない。それでこの俺が満足するはずがないだろう、このバカが。命を助けてほしければ、お前が持っている奴隷を全て俺によこせ。また捕まえれば奴隷なんかいくらでも手に入るじゃないか。命が助かると思えば安いものだろ」
「わ、わかりました。だから俺を殺さないで下さい」
そうして俺たちは奴隷商人の頭目に案内されて、奴隷として捕獲された領民たちを閉じ込めている倉庫にたどり着いた。
倉庫の前には奴隷商人の手下たちがこちらを見てニヤニヤ笑っている。こいつらはみんな盗賊上がりなのか、悪人が染み付いたような連中だ。
俺は奴隷商人に連れられ倉庫の中に入り、奴隷の檻を確認した。確かに先ほどよりも人数は多いのだが、若い女の奴隷が一人もいない。
「おい、奴隷商人! ここにいるのが全てじゃないだろ。若い女の奴隷が一人もいないじゃないか。お前の持っている奴隷を全部俺に寄越しやがらねえと、ただじゃおかないからな!」
俺が怒鳴り付けると、奴隷商人がニヤリと笑って、物陰に隠れていた手下どもが俺とセレーネに一斉に襲いかかってきた。
「誰がお前なんかに奴隷を渡すか。この狭い倉庫の中でファイアーなんか撃ったら、倉庫が燃えて奴隷が全員死ぬぞ。野郎ども、この男を殺してネーチャンを捕獲しろ!」
奴隷商人が勝ち誇ったような表情で俺を見てくるが、俺たちは素早く魔法を詠唱する。
【無属性魔法・超高速知覚解放】
俺は鉄の剣をバリアーで強化して、魔力を物理攻撃力に変換。帝国軍相手に見せた無双状態を、今ここで解放する。
「この俺に勝てると思っているのか、バカめ」
俺がそう吐き捨てて、悪党どもを片っ端からバッサバッサと切り捨てていくと、セレーネも魔法の杖の丸いところをこん棒のように使って、悪党どもを片っ端から殴打していった。
そして勢いがついた俺たちは、ついでに隣の奴隷商人の倉庫にも突入し、暴れに暴れて倉庫の中をメチャクチャにしていった。
奴隷商人の頭目を見つけては、ついてきてくれたレジスタンスの人に渡して縛ってもらい、モブは俺たち二人で全て血祭りに上げていった。
気がつくと、俺たちはこのエリアにあった6つの奴隷商を全て潰し、奴隷を300人以上救出していた。そして6人の頭目は全員丸裸にして、先ほどのスラム街に放り込んでやることに決めた。
そうすればあとは、スラム街の住民がこいつらを残虐に始末してくれることだろう。
俺たちはこの300人以上の奴隷をかくまうため、全員をつれて先ほどのスラム街に戻った。中にはこのスラム街から拉致された者もいたようで、あちらこちらで多くの家族が無事の再会に喜びあっていた。
俺は先ほど殴り付けられていた母親の事が気になって、レジスタンスに母親の所へ連れていってもらった。スラム街の片隅で横たわっていたその母親は、辛うじて息はあるものの瀕死の状態をさまよっていた。
周りには同様に傷つけられた貧民達が治療を受けていたが、医薬品が何もなく汚れた布と水で傷口の血や膿を拭き取る事しかできない。
これだと逆に傷口から化膿してしまい、余計に悪化してしまう。
「セレン、軍用魔術具を貸してくれ。簡易転移陣でメルクリウス軍にジャンプする」
「わかったわ。すぐ設置するからニトロも手伝って」
俺はメルクリウス軍に戻り、持てるだけの医薬品を抱え、マールを連れてスラム街に戻った。
「マール、ここにいる人たちにキュアをかけてくれ。セレンと俺は、この医薬品を使って片っ端から治療をしていく」
「うん、わかった。全力でいくね!」
【キュア キュア キュアリン メディ メディ メディシン プリティーパワーで ナイチンゲールになあれ♥️】キュア
この野戦病院のようなスラム街の片隅で、マールの完全詠唱が紡がれる。ナイチンゲールという言葉がこれほど相応しく感じられる場所も他にないと思う。
詠唱が終わったマールの身体からは、強力な光属性魔法が一気に解放され、キュアの癒しのオーラが辺り一帯を優しく包み込む。
身体の傷のダメージを回復し自然治癒力を加速させる生体感応系魔法・キュア。
マールの魔法により、先ほどまで生死の境をさまよっていた母親が、少し生気を取り戻し呼吸も落ち着いてきた。周りの怪我人たちも次々と癒されていき、意識も取り戻す者も少なくなかった。
「聖女様だ! 我々のもとに聖女様が現れたぞ」
「なんて優しい奇跡の光。まるで神が我々を包み込むような・・・あなた様はまさに神の使い、神使徒テルル様の再来じゃ!」
マールの光魔法の癒しの力にひれ伏す貧民たちの声に混じって、母親のそばにずっと寄り添っていた娘が声を上げる。
「お母さん!」
先ほどまでずっと泣き続けていた娘が、母親の手を握りしめ必死に呼び掛けた。すると、母親の目が少し開き、娘の姿を認識できたのか優しく微笑んで、娘の手を握り返した。
俺は喜ぶ娘の姿を見て、この人たちを助けられて本当に良かったと思った。
「これだけの重傷だ。魔法を使ってもすぐには回復しない。だから傷が癒えるまでは、清潔な水で患部を綺麗に拭き取り、包帯をマメに取り替えて置くといい。そのための医薬品をここに持ってきた。使ってくれ」
俺は持ってきた医薬品をスラム街の住人に渡し、代わりに水を溜め込むための樽を出来るだけたくさん、ここに持ってくるよう伝えた。
しばらくして、俺達の目の前にはスラム街にある全ての樽が並べられた。樽の蓋を開けてセレーネに水魔法・ウォーターで、この樽全てを水で満たすようにお願いした。
「私に任せて! 使えるようになったばかりの魔法だけど、まだまだ魔力が有り余ってるから、全力でいくわね。火力だけの女はこれで卒業よ」
水属性初級魔法・ウォーターは、大気中の水分を手元に集めて放出する魔法だ。この魔法の凄いところは、水の蒸発という物理現象を全く逆にたどるもので、純粋な物理現象として見るとエントロピーが逆に小さくなっているという破格の魔法なのだが、今は関係のない話だろう。
セレーネの膨大な魔力によって産み出された純水が、スラム街の全ての樽を満たしていく。これ以上ないほどの清潔な水が、このスラム街の住人の命を繋いでいくこととなるだろう。
時間も遅くなったため、スラム街の人達に別れを告げ、俺達はロンの宿に戻ることにした。スラム街の住人は、俺たちとの別れを惜しんでくれているようで、帰り際には多くの人達から感謝の言葉が伝えられ、握手を求められたりもした。
後ろを振り返ると、みんながずっと俺たちに手を振り続けている。みんなに喜んでもらえてよかったと思う反面、彼らが直面している状況を改めて認識した。
ガルドルージュからの報告以上にひどい現実。実際に潜入して初めて実感として理解できた。
「奴隷法か・・・こんな狂った法律を作った革命政府はすぐにでも打倒しなければ。セレン、マール、ソルレート侵攻作戦を加速するぞ」
俺は怒りの炎を心に灯した。