第12話 セレーネ
午後の魔法実技の授業でシュミット先生から報告があった。
「1年生騎士クラスの魔法棟使用禁止を学園が認めてしまった件は、みんなにも不便をかけている。だが正式に認めたものを撤回させるには、王都への説明を含め手続きに少し時間がかかりそうなんだ」
生徒たちが不安そうに聞いている。
「受理者のシャウプ先生が自ら撤回してくれれば話が早いのだが、説得にはなかなか応じてもらえない。なんとか引き出した条件が、一応あるにはあるのだが」
「その条件ってなんですか?」
「1年上級クラスと騎士クラスBの魔法対抗戦を行い、上級クラスに勝てれば撤回してもいいそうだ」
生徒たちからはどよめきと落胆の声が聞こえた。
「参加できるのは何人ですか」
「希望者全員が参加できるクラス対抗総力戦だ」
「総力戦!」
「上級クラスは20名、騎士クラスBは26名で人数では有利だが、魔力では向こうの方が上。おそらく勝つのは難しいだろう」
騎士クラスは下級貴族の集まりなので、魔力保有者がそもそも少ない。一方の上級クラスは上級貴族や中級貴族の子弟であり魔力保有者が多い上、俺やネオンのように複数属性を持つ生徒もいる。
生徒会副会長のフリュオリーネなどは4属性も持っており、1年生上級クラスにもそういう生徒が一人や二人いてもおかしくはない。
「勝てればいいが、負けるとその結果も考慮されるため、禁止措置の撤回に余分に時間がかかる」
合理的に考えれば対抗戦は受けずに、正式ルートで撤回の手続きを進める方が無難だ。
しかし、魔法訓練棟の前で締め出され悔しい思いをしている同級生の姿を目にする度に、どうしようもない口惜しさと怒りの炎で心が埋め尽くされてしまうのだ。
いくら貴族社会であっても、ここは学園である。
こんな理不尽な状況がいつまでも許されていいはずがない。
俺はネオンの方をチラッと見た。ネオンは待ってましたとばかりに、何も聞かずに即答した。
「考えるまでもない。やろう」
わかった。
「シュミット先生。手続きでお手間をおかけしているところ申し訳ありませんが、この勝負受けたいと思います」
生徒たちにどよめきとが起こった。
俺はそんなクラスメイトたちに向かって言った。
「今回の件はハワードやハーディンとの揉め事がきっかけで始まったことで、みんなには迷惑をかけてしまったと思っている。だから俺は絶対に勝つつもりでこの勝負に臨みたい。またこの戦いは自分たちのためだけではなく、今後入学してくる後輩たちのためでもあり、このような理不尽なルールは早急に学園に撤回させたいと考えている。みんな協力してほしい」
そういって俺はみんなに頭を下げた。
「自分たちのためではなく、後輩のためか」
「そうだな。ダメもとでもやってみるか」
「上級クラスの横暴にいつまでも黙っていられるか」
「同じ1年生だし、まだそんなに魔力の差が出てるわけじゃないし」
「総力戦なら魔法だけではなく剣術もありなので、むしろこちらが有利なのでは」
みんなにやる気が出てきた。
「よしこれから本気で鍛えるぞ!」
「「おー!」」
「それで先生。クラス対抗戦はいつ行うのですか」
「やるとすれば、中間テストの1年生の剣術テストの後にグラウンドで実施することになる。とにかくみんなの気持ちは分かった。シャウプ先生には、対抗戦を受けると回答しておく」
こうして、魔法訓練棟の使用禁止撤回をかけたクラス対抗戦が開催されることになった。
この日の魔法実技を受ける生徒たちの目の色は、普段と比べ物にならないほど真剣なものに変わっていた。
さて午後は相変わらず、多くのクラスメイトが集まっての勉強会が開かれていた。
ネオンの周りをクラスの女子が取り囲み、マールの周りを俺やダン、カインを含む残りの男子が取り囲むという配置がすっかり定着していた。
「同じ兄弟なのに、ネオンとアゾートでこうもモテ度合いが違うとはな」
あの後、俺とマールとの関係に関する誤解もとけ、俺はダンやカインとともにモテない同盟のメンバーとして受け入れられてしまっていた。
「アゾートも見た目は悪くないとは思うのだが、ネオンと比べるとさすがに厳しいよな。あの整いすぎた顔に貴公子然とした立ち居振舞い。正直に言って反則だよな」
「まあ俺たちにはマールがいるから心配するな」
モテない同盟のみんながこぞって俺を慰めてくれるのはいいのだが、
「いつマールがお前たちのものになったんだ。マールからも言ってやれ」
コイツらも俺たちの勉強会の中に入ってきて、ちょっと図々しくないか。
「モテる女はつらいね」
「調子に乗るな」
いつのまにかモテない同盟の姫としてチヤホヤされ、どや顔をするマールがちょっとウザい。
でもまあ、モテない同盟も根は気のいい連中だし、こんな感じの学園生活も悪くないなと感じていた。
その時、教室のドアが少し開かれて、そこから一人の女子生徒が顔を覗かせていた。
「アゾート」
俺の姿を見つけると、その女子生徒が教室に入って俺の方に歩いてきた。
ガヤガヤとにぎやかだった教室が突然シンとなり、全員がその女子生徒に注目する。
サラッとした白銀の長い髪に整った顔、柔らかな笑みを浮かべて教室の奥の方へとまっすぐ歩いていく。
1年生の間でも知らない者はいないであろう有名人、モテない同盟の女神、学園屈指の美少女のセレーネである。
「セレーネ様だ」
「このクラスになぜ」
再びざわめきだす教室。
そしてセレーネはアゾートの前までやってきた。
「アゾート。勉強中のところ申し訳ないのだけれど、少し相談したいことがあるの」
「相談?」
わざわざ1年の教室まで来てお願いすることだ。大事なことなんだと思うが一体何だろう。
「ちょっと一緒に来てほしいの」
「わかった」
今日の勉強会は不参加ということで、ダンたちに断りを入れる。
「悪い。今日はちょっとセレーネの相談を聞いてくる」
「気にするな。はよ行け」
ダンは「しっしっ」と手をふって早く行くよう促すが、その横でモテない同盟は呆然と言葉を失っている。
俺がセレーネに連れられて教室を出ていこうとすると、ネオンが突然立ち上がった。
「セレン姉様」
「何?ネオン」
「僕もご一緒させていただきたいのですが」
「今日は少し遠慮してほしいかな」
どうやらセレーネは、ネオンには付いて来て欲しくないらしい。
「今日はアゾートに相談があるの。あなたはいつも側にいるんだから、たまにはアゾートを貸して」
有無を言わせぬセレーネの目線に、ネオンはそれ以上何も言えず、不満そうに俺の方を見る。
姉妹のもめ事に下手に介入したくはない。どっちに味方しても、ろくな結果にならないことを俺は既に経験している。それにセレーネの相談事が気になる。
俺は首を横にふり、セレーネと二人で教室を後にした。
一人残されたネオンが複雑な表情をして佇んでいた。
そんなネオンを心配した女子生徒たちは気を使って、なんとか話しかけようとする。
「セレーネ様ってネオン様の親族の方でしたね。きれいな方ね」
「ネオン様はご兄弟のアゾート様よりも、ご親族のセレーネ様の方に似ていらっしゃるのではないかしら」
ネオンファンクラブの女子生徒たちは、何とか雰囲気を変えようと一生懸命ネオンに話しかけていた。
一方、モテない同盟では、
「セレーネ様がアゾートを連れて行った、だと?」
「なんでアゾートを?」
「そういえばたしか、親族か何かだったはず」
自分たちと同じモテない同盟の同志だと勝手に思い込んでいたアゾートが、よりにもよって自分たちが女神とも仰いでいた学園屈指の美少女に、声をかけられて連れ出されていった事実に、何とか心の折り合いをつけようとしていた。
そんなモテない同盟の傷つきやすいガラスのハートを、無惨にも一撃でぶち壊す一言がダンから告げられた。
「セレーネはアゾートの婚約者だ」
「「「えーーーーー!?」」」
クラス中に衝撃が走った。
「う、うそだ」
「俺たちモテない同盟の大切な同志だったのに」
「あいつ嘘をついていたんだな」
一族内に婚約者がいることは、魔力保有者の確保が重要視されているこの貴族社会ではよくあることなのに、セレーネにはその常識が忘れ去られていた。
セレーネはそれだけ特別視されているのか。
いずれにせよ、勝手に同志にされたり、勝手に嘘つき扱いされて、余計な濡れ衣を着せられるアゾートだった。そもそも政略結婚にモテ要素は関係ないのだ。
一方、女子たちの方は、
「そうよね。セレーネ様に婚約者がいても当然だし、むしろネオン様じゃなくてよかった」
「でも、ネオン様とセレーネ様との白銀の美男美女カップルも見てみたかったかも」
「ダメだよ。マールとならまだしも、セレーネ様とじゃ私たち全く勝負にならなかったわ」
などと勝手なことを言われていた。
しかしネオンの心の内は、
(セレン姉様は急にどうしたのかしら。私のいないところでアゾートに相談なんて、すごく気になる。ひょっとしてお父様からあの話のことを聞かされたのかな)
教室を抜け出した俺とセレーネは、その足でギルドでクエストを受注し、転移陣を使いスカイアープ渓谷に来ていた。渓谷に巣くうドラゴンビーを討伐するのだ。
しかしセレーネからの相談はどうなったのだろうか。
なぜ中間テストの前にこんなクエストを受注する必要があるのか。
様々な疑問が俺の頭をよぎったが、セレーネに聞いても何も答えてくれず、やがて渓谷の入り口に到着した。
「さあアゾート。渓谷を上るわよ」
セレーネと2人で出かけるのは久しぶりだ。
1つ年上のセレーネは先に学園に入学していたため、この1年は帰省時以外ほとんど会っていなかった。
それ以前もネオンも一緒に3人で行動することが多かったので、2人で出かけることはめったになかった。たしか3年前にネオンが病気の時、2人で山に登った時以来か。もちろん護衛の騎士たちはついてきていたが。
スカイアープ渓谷は切り立った崖地であり、前世のグランドキャニオンを小さくしたような感じの渓谷である。
登山ルートはわりと長い登り坂であり、ドラゴンビーが巣を作ったのはそのルート中腹付近で、オアシスになっている場所だ。
俺たちはそこへ向かう。
なおドラゴンビーは、巨大な蜂の魔物で火属性を弱点としている。成体を倒すだけでは不十分で、巣を見つけて全て焼き払う必要があるため、火属性の魔導士が重用されるクエストだ。
なおこのクエストはランクCであり俺から見れば一つレベルが上である。
しばらく無言で歩く二人。
渓谷入り口や近辺の街に注意勧告がなされているからか、旅人は迂回ルートを使用しており、俺たちの他には周りに誰もいない。
やがて俺たちは渓谷の中腹近くまでたどり着いた。
「そろそろ目的地付近ね。ドラゴンビーは数が多くて、大きくても素早いから気を付けてね」
セレーネも俺と同じ火属性であり、例えランクCクエストでも2人なら大丈夫だと思う。
でも、もしものことがあるので油断はできない。
俺は臨戦態勢を整えた
すぐに視覚の端にドラゴンビーを捉えた。
「見つけた」
渓谷中腹のオアシスになっている広場の崖上、直接視認はできないがおそらく巣ができているその周りを、複数のドラゴンビーが警戒している。
「あのあたりに巣があると思う。大挙して襲ってくると思うから、手あたり次第に魔法を打ちまくるわよ。マジックポーションは早め早めに飲むこと。準備はいい?」
むん、と気合を入れてセレーネは火属性魔法を1発放った。
【焼き尽くせ 無限の炎を 万物を悉く爆砕せよ】エクスプロージョン
渓谷の上空に出現した巨大な魔方陣から小さな白い光点が巣の真上に落下し、次の瞬間眩い光があふれ、ワンテンポ遅れて轟音が衝撃波を伴って俺たちに殺到した。
【魔法防御シールド全開】
セレーネが放った火属性上級魔法エクスプロージョン。その威力を目の当たりにして、セレーネがまた一つ成長したことを俺は感心していた。
セレーネは異質な才能を持っていた。
属性こそ火属性のみの1属性だが、昔から同年代の子供に比べて魔力が桁違いに強かった。
騎士学園の入学時には、騎士クラスでブッチギリトップの魔力200超え(1属性保有者の平均が50で今年のトップが80)、上級クラストップのフリュオリーネの魔力250(ただしこちらは4属性)に迫る勢いだった。
潜在能力や成長力を加味すれば、入学から1年以上経った今、フリュオリーネとの差がどこまで縮まったのか、場合によっては逆転している可能性もある。
モテない同盟でなくても、セレーネの実力がどれほどのものなのか、みんな興味があるのだ。
爆発で吹き飛ばされた渓谷の一部は崖崩れを起こし、所々で炎上しているのは、根こそぎ折られた木や草、ドラゴンビーの巣に引火したものだろう。
そして最初の爆発から生き延びたドラゴンビーの群れがこちらに襲ってきた。
「巣は複数ある。ドラゴンビーを掃討しつつ残りの巣を見つけてすべて焼却するわよ」
「了解」
【焼き尽くせ】ファイアー
セレーネのファイアーは、もはや炎ではなくプラズマ化した光球が、うなりをあげてドラゴンビーめがけて飛んでいく。
そして着弾と同時に大きな火炎が立ち上り、ドラゴンビーを焼き尽くす。
次の瞬間には、セレーネの杖の先から生じた新たな光球が次々にドラゴンビーの群に襲い掛かる。
数十匹いた巨大蜂は炎上しながら、次々に落下していった。
まるで弾幕だ。
それでもすり抜けてきた個体は、俺が始末する。3匹か。
セレーネに接近していた1匹をファイアーで薙ぎ払う。セレーネ同様、高速プラズマ球がドラゴンビーを吹き飛ばす。
「ありがとう、アゾート」
俺に向かってきた2匹は剣で一閃する。
巨大な昆虫であるため硬い外殻で守られている。剣が通りにくいため、頭部を胸部からうまく切断する必要がある。
【超高速知覚解放】
視界が徐々にスローモーションのようになり、ドラゴンビーの羽の動きまで認識できるようになる。
見える。
2匹からの同時攻撃をギリギリかわしながら、1匹の首筋に剣をタイミングよく当てて切り落とす。
硬いがこれなら効率よく倒せる。
間髪おかず魔法詠唱を開始しながら、もう1匹の針の攻撃を剣でいなしてやり過ごす。
【焼き尽くせ】ファイアー
剣と魔法の二刀流。
高速の火球が個体に命中、2匹目が炎上して落下したのを確認し、すぐさまセレーネの方を確認。
彼女はすでに次の群れに向けて弾幕攻撃を開始している。
俺は再び、セレーネが打ち漏らしたドラゴンビーに向けて火球をぶつける。
俺はセレーネの強さに感心していた。
前世でよく読んでいたラノベでは、転生者特典で主人公がチート能力を発揮するものだ。
果たして俺はどうなのだ。
魔法の詠唱が日本語という意味では、転生者の俺には確かに特典があると言えなくはない。
しかし、発音さえしっかりマスターしてしまえば転生者でなくても高速詠唱ができてしまえるのがこの特典。
そしてセレーネは日本語の詠唱をマスターしており、魔法発動の時間はほぼ無視できる。
そしてこの規格外の魔力だから、通常の敵に対してはまず無敵。
このレベルの魔獣にはエクスプロージョンで爆砕するか、ファイアーの弾幕攻撃で終わりだ。
セレーネを守るという子供の頃の騎士の誓い。
そのセレーネは、転生者の俺より強いチート持ち。
15歳の俺は、この人を守れている気が全然しない。
もう学園でもギルドでも何でもいいので、とにかく自分を鍛えて強くなるしかない。
セレーネの弾幕攻撃と俺の支援攻撃がうまく連携し、ドラゴンビーの群れは巣とともに全て焼き尽くすことができた。
クエスト完了だ。
一仕事終えたセレーネは満足そうな表情で、岩に腰かけて休憩している。
一方俺は、強力すぎる火力により延焼した木に、土魔法ウォールで生成した土をかぶせて消火活動にあたっている。
このメンバーで消火活動ができるのは俺だけだ。
セレーネの後始末は俺の仕事なのだ。
そして、そんな俺を見つめながら、セレーネがいい笑顔で俺にこう言った。
「久しぶりに何も考えずに暴れられて、スッとしちゃった」
お、おう。それはよかったですね。
後始末が終わってポーションを飲んで、しばらく回復待ちする俺たち二人。
夕方になりそろそろあたりが暗くなってきた。
「セレーネ、帰ろうか」
「ううん、もう少しここにいたい」
夕日がセレーネの白銀の髪を赤く照らし、風にたなびく髪がキラキラと輝いている。
渓谷中腹の崖の上、2人並んでそこから見下ろす景色は、眼下に広がる草原が夕焼けに赤く染まって静かに揺れていて、3年前にセレーネと二人で薬草を取りに近くの山に登って見た景色とどこか重なって見えた。
「この景色をアゾートにも見せてあげたくて、今日ここに連れてきたの。あの時の景色と似ているでしょう」
セレーネも同じ景色を思い出していたんだな。
それからしばらく、二人並んで景色を見ていた。
あたりもすっかり暗くなってきたころ、
「ねえアゾート。あの時私に言ってくれたこと、まだ覚えてる?」
「覚えてるよ」
ネオンが熱を出したので、山に薬草を取りに行った帰り道、護衛を下に待たせて二人でぼんやりと夕焼けを眺めていた。
ネオンの体調を心配して、早く良くなったらいいねとかそういう話をしていたら、セレーネが俺に聞いてきたんだ。
『私が病気になっても薬草を取りに来てくれる?』
『もちろんだよ。どうしてそんなこと聞くの?』
『アゾートはいつもネオンばかり大事にしてるから』
『そんなことないよ。でもネオンはいつかは家を出て行って守ってあげられなくなるから』
『私もいなくなるかもしれないよ?』
『セレーネがどこへ行っても、セレーネのことはずっと守っていくと俺は誓ったから』
おそらくセレーネもあの時の会話を思い出しているのだろう。
しかし、先ほどまでとはうって変わって、どこか不安そうな目で俺を見つめるセレーネ。
何かを言おうとして、言葉に出せず口をつぐむ。
そうやってしばらく無言の時間が過ぎ、やがてすがるような弱々しい声で、セレーネがポツリと俺に言った。
「アゾート。学園を辞めて私と駆け落ちして」