第106話 ブロマイン帝国特殊作戦部隊
修学旅行の4日目の馬車の中はサウナのような暑さだった。そんな暑さの中で俺は、将来のことを真剣に考えている。
フリュとは一生をともにしていくことを決めた。フリュとの婚約は、周りの大人達から外堀を埋められた感はあったが、それとは関係なく俺の気持ちとしてフリュのことは大切にしていきたいし、それをこの修学旅行で本人に伝えることもできて、本当によかったと思っている。
ネオンこそダリウスに押し付けられた感が強いが、コイツは俺の分身であり、時間遡行の際にネオンと離ればなれになった時の辛さは身をもって体験した。おそらくネオンも俺と同じ気持ちなのだろうし、俺と彼女は最初から離れられない関係だったのだろう。
一方、マールの事はどうなのだろうか。
マールからは卒業まで付き合ってほしいと言われたが、そもそもこの貴族社会で「付き合う」とはどういう概念なのか。政略結婚に結び付かない学園での関係にどのような意味があるのか。
頭では疑問符がつくマールとの関係だが、俺の心はそうは言っていない。マールをこのまま放っておくことなど、できるはずがないのだ。
俺はマールを一体どうしたいんだ。
最後にセレーネとのことだ。
セレーネの事は異性として好きだ。それは、ダリウスが何と言おうとも、サルファーがちょっかいをかけてこようとも最初から変わらない俺の気持ちだ。俺はセレーネのために、伯爵位を目指す覚悟まで決めたほどだ。
だがセレーネに関しては、二つほどツッコミどころがある。
俺は自分の人生を物語に例えると、セレーネはメインヒロインだと思っている。そのセレーネとは、マール同様に付き合うことになった。そのこと自体はいいのだ。
だけど、告白シーンがいただけない。もうちょっと感動的なシーンがあってもよかったと思う。燃やすわよって脅しながらの告白って、メインヒロインとしてどうなのよ。
もう一つのツッコミどころは、そんなポンコツヒロインを俺がどうしようもなく好きになってしまったことだ。好きになった方が負けなのが恋愛。
だが、俺がセレーネを好きになったきっかけが実はよくわからない。何か一つぐらいあっても良さそうなのに、俺には何も思い出せないのだ。
10年も婚約者として暮らしてきたからこんなものなのかもしれないが、ひょっとして、昔セレーネとの間に何か決定的な出来事があったのだろうか・・・。
そこまで考えて、俺の思考はストップした。この馬車はとにかく暑すぎる。
もっと厳密に言えば、馬車の中でも特に俺の座っているこの場所が暑い。これでは、考えが何もまとまらない。
というのも、俺の左腕にはフリュが、右腕にはセレーネが、背中にはマールが密着し、ネオンが俺の膝の上に座っているのだ。
一般の女子生徒からは人気のない俺だが、この4人からは絶大な人気があった。リーズの言うマニア層とは彼女たちのことだったのだ。彼女たちからは確かに物凄いパワーを感じる。
しかしネオンは男装してるから今は男子生徒。俺の膝の上に座るのは絵面的におかしいと思うのだが、どうだろうか・・・。
さて、この状態をリーズがニマニマ喜んで見ているのはまだいい。
問題は、シュトレイマン派の人達の反応だった。まずニコラが、
「アゾート様、あんまりです! よりによってマールにまで手を出すなんて。夢も希望もあったものじゃないですよ!」
「すまんなニコラ。悪気はなかったんだが、結果的にこうなってしまったんだ。許してくれ。なあ、マールからもニコラに説明してやってくれ」
「うん・・・アゾート、大好き」
「がふっ!」
今の一言でとどめを刺されて膝から崩れ落ちたニコラの背中をさすりながら、アントニオがニコラをなだめる。
「ニコラさん大丈夫ですよ。また新しい原石を発掘すればいいだけのことですから。どうですか、そこのお稲荷姉妹あたりは。二人とも小さくてかわいいですよ」
アントニオがニコラを必死になだめているが、原石呼ばわりされたお稲荷姉妹も、俺に完全に憤っている。
「こら、アゾート! クロリーネ様もそこに加えろ」
「お稲荷・妹か。見ての通りこれ以上は無理だ、暑いし勘弁してくれ」
そう、今は夏。
ただでさえ暑いこの馬車の中で、無駄に高い人口密度。
これ以上の密着は、最密充填構造問題の解を見つけに行くような話だ。
そこに、人体からの熱放射を境界条件として方程式を解かなければ、俺は熱中症で確実に死ぬ。
つまりこれは「恋愛問題」ではなく、「熱中症対策の問題」なのだ。
だというのに結局クロリーネは、ネオンと並んで俺の足に片方ずつ座ってるし、お稲荷姉妹もクロリーネの前に密着して、さらなる人口密度アップに貢献している。
完全に女子に囲まれた状態なのだが、これは俺のイメージしていた異世界ハーレムとは明らかに異なる。どちらかと言えば、罰ゲームに近い。
「さすがはお兄様。私のいったとおりマニア層には絶大な人気があったでしょ」
「マニア層はわかったが、このままだと俺だけじゃなくここにいる全員が熱中症で倒れる。馬車を止めて外に出してくれ、頼む」
「まったく、しょうがないお兄様ですね」
結局俺たち馬車のメンバーはみんなバラバラに分散されることになり、俺はダンたちクラスの男子たちと同じ馬車に移った。
修学旅行なんだし、最初からクラスメイトと同じ馬車にすれば良かったよ。いまさらだけど。
「それで聞いた話によると、お前マールとも婚約したのかよ」
「ダン、それは少し違うんだ。俺からは詳しくは話せないんだけど・・・事情があって俺はマールの婚約者にはなれないが、マールの気持ちは受け入れることにした」
「なんだよそれ。随分と都合のいい話だな・・・マールは俺にとっても大切な友人なんだ。彼女を悲しませることがあれば、俺はお前を許さないからな」
「お前に言われなくても、俺はマールを悲しませることなど絶対にしない。それだけは誓えるよ」
「そうか・・・なら、お前たち二人の関係をとやかくは言わない。必ずマールを幸せにしてやってくれ。頼んだそアゾート」
「わかったよ・・・ってあれ?」
決して鈍感ではない俺だから気づいたが、ダンはマールを妾か何かにするのと勘違いしている。
ダンにはここで誤解を解いておきたいが、すべての事情を最後まで説明ができないのだから、必ずどこかで話が詰む。しばらくはそういうことにせざるを得ないか。
女たらしのクズ人間みたいになってきたな、俺は。
ダンはそれで納得したようだが、他のクラスメートとはそうはいかない。
「アゾートてめえ、ついにマールにまで手をだしやがったな」
AAA団だ。
「待て! みんな落ち着いてくれ。マールの気持ちを優先した結果がこれなんだよ。マール派ならマールの気持ちを優先しろ」
「うるさい、かかれ!」
俺はAAA団に簀巻きにされ、馬車の椅子にくくりつけられた。向かいの席でネオンがニマニマ笑っている。
くそっ、覚えてろよ。
4日目の今日はちょうど、新入生歓迎ダンジョンで行ったノール高原を通過する。
ノール高原も豊かな酪農地帯で、途中農村を見学したり、バーベキューを楽しんだり、今日も盛りだくさんの内容だ。
だが俺は、その間も馬車の中にくくりつけられて、ネオンの監視のもと待機だ。
「なあネオン。そろそろロープをほどいてくれよ。俺もバーベキューに参加したいよ。肉が食いたいんだ」
「ダメだよ。アゾートは今や学園中の男子の嫌われものだから、外に出ると危ないよ。私が守ってあげる。ほら、肉をもらってきたから、口を開けて。あ~ん」
俺は手足が縛られたままなので、ネオンに肉を食べさせてもらった。
「もう修学旅行中は、アゾートは何もせずにここで大人しくしててよ。その代わり、私が全部面倒を見てあげるから」
「嫌だよ。俺も修学旅行を楽しみたいんだ。だっていろんなイベントがあるのって、ここからじゃん」
「アゾートはもう修学旅行を十分楽しんだでしょ。その結果が今朝のようなヒロインズによる灼熱地獄とこの簀巻きなの。ここからは、命を守る行動をとった方がいいのよ」
「・・・わかったよ。ひょっとして食事は毎回ネオンが食べさせてくれるのか」
「そうよ。うれしいでしょ」
「風呂は?」
「セレン姉様の軍用魔術具を借りてきたから大丈夫よ」
「ひょっとして着替えもか?」
「セレン姉様の軍用魔術具を借りてきたから大丈夫よ」
「まさかトイレも?」
「セレン姉様の軍用魔術具を借りてきたから大丈夫よ」
「がくっ・・・。俺は人として堕ちるとこまで堕ちた」
「大丈夫よ。セレン姉様はまだその下を行ってるから」
「ガクガクブルブル」
ここソルレート城の執務室では、ブロマイン帝国・アージェント方面軍特殊作戦部隊連隊長ボルグ中佐が、部下からの定期報告を受けていた。
もともとソルレート伯爵用に作られた机と椅子は、ゆったりと大きめに作られており、中肉中背のボルグ中佐には少し大きすぎる。
そんな椅子に深く腰掛けた40代前半ぐらいの中佐の前に立つのは、三人の部下だった。
一人目は30歳前後のやはり中肉中背の男、第一大隊長のネスト大尉が、ソルレート領西部戦線について報告した。
「ベルモール、ロレッチオ両軍とは依然、膠着状態が続いています。現在はソルレート領民軍を2隊に分けそれぞれ約5000を当てていますが、敵魔導騎士とバリケードに阻まれて進軍が思うようにいきません」
「うむ。敵の兵力の規模に変わりなしか」
「はっ。ベルモール軍1500、ロレッチオ軍2000に変わりはないのですが、新たにヴェニアルからメルクリウス軍200が参戦しました。現在はベルモール軍側について、こちらの総兵力が1700となっています」
「たった200か、たいした増援ではないな。アージェント王国という国は昔ながらの騎士道を尊ぶ。どうせベルモール子爵との義理で付き合っているだけだろう。引き続き、圧倒的兵力をもって、両軍に対し圧力をかけ続けておけ」
「はっ」
「次、第二大隊長ゾイル大尉。東部戦線の報告を」
30代前半らしき長身の男が敬礼をして報告を始めた。
「はっ。シュトレイマン派連合軍が逃げ込んだパッカール領にソルレート領民軍の兵数10000で進軍中。敵3000に対し、戦況は我が方が優勢です」
「わかった。パッカールはそれでいいとして、トリステン男爵の方は懐柔が進んでいるのか」
「そちらも大丈夫です。ナルティン子爵の仲介もあって、男爵はこちらの陣営にすでに入っております。戦後処理で、パッカール子爵の領地を男爵に渡すことと引き換えですが」
「ふん。まあいい。そんなものくれてやれ。最後にデルト中尉、補給部隊の状況はどうだ」
答えたのはと20代後半ぐらいの女性将校だ。
「まず補給物資についてですが、帝国本土からは滞りなく運ばれて来ています。陸路はナルティン子爵が偽装した隊商ルートを使い、それ以外にも実際の商人たちを使った輸送や買い付けなど、通常の商取引に見せかけています。ルートは確立し、シュトレイマン派連合軍にも気づかれていません。また、海路も王国南岸の港が使用できるようになったため、こちらも今のところ問題ありません」
「わかった。それで例の奴隷の本国への輸送を邪魔したやつらの目星はついているのか」
「はっ。いえそれが、現在調査中ですが、輸送を海賊に任せてしまったため原因調査がまだできておりません」
「デルト中尉。貴様の部隊も同船していたはずだが、連絡はとれていないのか」
「はっ。それがガレー船ごと行方不明でして」
「なぜあんな大きな船が見つからないんだ。次の奴隷輸送ができないから、早く調査を進めろ」
「はっ!」
定期報告が終わり、三人の部下が部屋から退出してそれぞれの持ち場へと帰っていった。
俺は椅子を回転させて、窓の外を眺めながら振り返る。
この作戦を開始してから、そろそろ3年になるか・・・。
俺たちブロマイン帝国軍・特殊作戦部隊は、形式上はアージェント方面軍に位置づけられてはいるが、各方面軍とは独立に組織された部隊であり、敵国内部に密かに侵入してシリウス教・新教の布教を手段として使い、相手国に新教徒による革命政権を樹立させたり、そこまで行かなくても帝国の親派を育てて内部から侵略する。
あわせて、相手国の国民を奴隷として獲得することで帝国内の労働力の確保を行うのだ。
中央集権体制を持つ我が帝国は、国民皆兵制度と皇帝を頂点とした軍制により、アージェント王国のように各貴族が固有の武力を持つのではなく、統一された帝国軍として軍事行動をとる。
そのため圧倒的な兵力の動員が可能となり、他国への同時侵攻により大陸の制覇を進めているが、その代償として国内労働力は慢性的な人手不足に陥っている。
その労働力の穴を埋めるために、新教に教化した戦争相手国の国民を使う。つまり奴隷として我が帝国に取り込むことで、安価で従順な労働力を手に入れると共に、帝国国内で貴族に対して不満を持つ平民に対して、更に身分が下の奴隷階級をもうけることで不満の捌け口にしてやる。侵略により国土を拡大してきた多民族国家である我が帝国国民の統合も担っているのだ。
俺が工作員としてこのアージェント王国に潜入したのは3年前。王国の南岸にある領地の中で最も貧富の差が大きく、革命が成功する可能性が高そうだったのが、ここソルレート伯爵領だった。
俺は連隊員を少しずつ上陸させ、密かにこの領地への浸透を謀ってきた。帝国軍特殊作戦部隊のマニュアルに従い、ここの領民を新教徒に改宗させていき、その一部を地下組織化し革命政府を担える指導者として育成した。
平行して、地場の貸金業者や奴隷商とも結託し、奴隷の密売ルートを構築していった。
そしてようやく半年ほど前、ここの領主ソルレート伯爵が突然領地運営に失敗してデフォルト騒ぎをおこした。さらにそれを挽回しようと、バカな伯爵がプロメテウス領に戦争を吹っ掛けた。その隙に、俺たちはまんまと革命を成功させた。
ここの革命をモデルケースに、この王国内で次々と革命を起こさせて国土を削り取る手はずだが、それはこの王国内に別に組織化された上位貴族たちによる地下組織の仕事であり、俺たちの役目はこのソルレート領を俺たちが育てた革命政府に完全に譲り渡すまで。
作戦の成功は目前。俺たちは帝国に帰国後、多大な栄誉と称賛を受けることとなるだろう。
我たちが任務を終了するためには、このソルレート領を安定させておく必要がある。つまり、隣接する領地からの脅威を長期にわたって排除することだ。
ところで俺たち帝国軍の優れた点は、兵数の多さと指揮命令系統の一元化による効率的な軍隊の運用にある。それは、シュトレイマン派閥の連合軍と半年に渡り戦闘を維持し、ついにこのソルレート領から奴らを撤退させたことで証明されている。
また西側のベルモール、ロレッチオ両軍は規模が小さく、数で押していけばいずれは滅び、領地を吸収するのも時間の問題だと考えている。
アージェント王国の弱点は統一軍を持たないことだ。つまり軍事的には各領地がそれぞれ独立した小国であり、派閥間での連携はなく、仮に連合軍を組んでも指揮命令系統が独立しており、領地間での共同作戦がとりにくい。各個撃破の対象にもなりやすいのだ。もしソルレート領民軍がただの飢えた農奴の集団でなければ、とっくの昔に周りの領地も全て併呑できていたはずだ。
だが焦ることはない。沿岸部の他の領地、トリステン、ナルティンはすでにこちら側に寝返って、海路による帝国との物資補給ルートも完成しつつある。
作戦は最終段階に入ったのだ。