第104話 マーキュリー城の夜
2日目。俺たち修学旅行生一行は、田園を抜けて山岳地帯に足を踏み入れていった。
馬車に乗っているのも退屈だった俺は、銃装騎兵隊に預けていた自分の馬に乗って山道を進んでいた。
同じことを考えていたのか、クラスメイトのダーシュも自分の馬に乗って馬車と並走していたので、俺はダーシュに近付き話しかけた。
「ダーシュ。今回の修学旅行に協力してくれてありがとう」
突然話しかけられたからか、ダーシュは俺を見て少し驚いた顔を見せたが、
「大したことじゃないよ。俺も自分の領地をゆっくり散策することはなかったので、実は楽しみにしてたんだ」
「確かにマーキュリー伯爵支配エリア全体は広いし、伯爵の直轄領以外にも臣下の領地がたくさんあるから、来たことのない場所も多いよな。ところで、その馬はどうしたんだ?」
「この馬か。昨日ここの領主にもらった。うちの城につくまででいいから、こいつの面倒もお前の騎士団で一緒に見てくれないか」
「それぐらい任せとけ。俺の馬と一緒に預けとくよ。ところで、このあたりの見処は何だ?」
「特にないな・・・今日はずっと山岳地帯を通ることになる。観光地は何もないが、林業と鉱業が盛んな地域なんだよ」
「ふーん」
ちょうどこの山地は、ヴェニアルから北へと延びる山地がそのまま続いてる場所なのだろうな。
「話は変わるが、お前とアレンは幼馴染なんだろ? 昨日、二コラとアントニオの話を聞いて、彼らが幼馴染なのは領地が隣同士だからわかるんだけど、アレンのバーナム領は王国の北の方でここから随分遠いだろ。お前らってどこで知り合ったんだ」
「あれ? 言ってなかったっけ。俺たちは小さいころは王都で暮らしてたんだよ。それに派閥が同じだから、親の社交界の場に連れていかれて会うことが多かった」
「上位貴族の社交か。俺は騎士爵の分家だったから、そのあたりのことはピンとこないんだよ。そういえばユーリとも昔からの知り合いだったよな」
「ああそうだ。彼女もたまに王都で暮らすことがあって、俺たちほど頻繁ではないけどサーシャと一緒に社交界で見かけることがあったな。それにユーリはアレンの婚約者だしな」
「え! ユーリがアレンの婚約者? 知らなかった。本当かそれ」
「あれ? 言ってなかったっけ。あの二人はそうなんだよ」
「そうか、だからこの前の舞踏会でアレンがユーリをエスコートしていたのか。そう言われてみれば、教室であの二人が話していることも多かった気がする。でも、普通の友人同士みたいで、婚約者の距離間じゃなかったよな。やはり俺は鈍感なのか・・・いや違う! パーラとダンの二人のイチャつき具合に見慣れてしまったから、俺の感覚がおかしくなってしまったんだ」
「・・・いやお前。パーラとダンを出す前に、お前自身をどうにかした方がいいと、俺は思うぞ」
「どういうことだ? やはり俺が鈍感だと言いたいのか!」
「そうじゃない。最初からずっと気になってたんだが、フリュオリーネ様がずっとお前の胸に抱きついて幸せそうにしてる、今のその状態の事を言っているのだ。いきなり女連れで馬に乗ってきやがって、イチャつき度合いがパーラとダンの比ではないんだよ、お前らは」
「あ、いやこれは! 昨夜色々あって・・・すまない」
「まったく。政略結婚の婚約者同士なんか、普通あんなもんだ。お前らみたいに四六時中イチャイチャするわけがないだろう」
「そう言われればその通りだな」
「しかもお前ら、教室以上にイチャつきやがって。今回の修学旅行で一番浮かれているのはお前だな、アゾート」
「返す言葉もございません」
フリュの話ついでに俺は、前から気になっていることをダーシュに聞くことにした。
「ところでなんでお前とアレンはフリュに様をつけて呼ぶんだ」
「派閥のトップのアウレウス公爵家の令嬢だからだよ。王位継承権もある姫様だったからな」
「王位継承権! 姫様! そういえばそんな話も耳にした気がしたが、完全に忘れていたな」
「お前な・・・。まあそれぐらい鈍感じゃないと、フリュオリーネ様とイチャつこうなどとは、恐れ多くて考えないからな」
「鈍感・・・」
「まあいい。お前は気にしてないようだけど一応教えておく。王家のアージェント家は、アウレウス家とシュトレイマン家の二つの公爵家の血が濃く複雑に混じっていて、そこにジルバリンク侯爵家なども縁戚として入っているような家系だ。クリプトン家から王権を奪取した際に、今後の争乱の火種をなくすために、一部の侯爵家以上の家門の子弟には家格に応じて王位継承権が定められるようになった。次期の王位をとるためにそれぞれチャンスが認められているため、国を割った戦乱によらず派閥争いだけで政権を奪い合うシステムになっているんだ」
「じゃあ、クロリーネにも王位継承権があるのか」
「そうだな。実際に婚姻するまでは王位継承権は残る。フリュオリーネ様は平民になったために今は継承権を失ったが、もとはクロリーネよりも高位の姫だったんだよ。だから「様」をつけていたし、意識してやめようとしたこともあったが、なんとなくその呼び方のクセがぬけないんだよ」
「そうか。フリュは王位継承権を失ってしまったのか・・・」
「俺は小さい頃のフリュオリーネ様も知っているが、姫様だった頃の彼女よりも、今の方がどっからどうみても幸せそうなので、そこは全く気にしなくていいよ」
「そ、そうか・・・ところでダーシュには婚約者がいないのか」
「昔いたが解消された。今は募集中だけど、次期当主が決定してしまったので、父上が慎重に相手を探しているらしい。だから俺はそれを待っているだけだな」
「上級貴族は大変なんだな」
二日目はそのまま山岳地帯を抜けることなく、全員野営で過ごした。山賊どももさすがに俺たちに近付くことはなく、特に何もないまま三日目の朝を迎えた。
三日目は峠を越えて、緩やかな下り坂を下りて行く。山地の森を抜けると急に視界が広がり、豊かな酪農地帯に入って行った。
酪農地帯では初日同様、村落に立ち寄っては地場の料理を楽しんだり、牧草地帯でのんびり過ごしながら、馬車は次の目的地となる城下町マーキュリーまで進んでいった。
巨大な城門をくぐり街の中へと入って行った俺たちは、街の大きさにびっくりする。
「ここがダーシュの実家の城下町マーキュリーか。ボロンブラークよりも大きい気がするな」
するとダーシュが少し誇らしげに、
「ここは王国の中でも有数の交通の要衝になっていて、東側のフィッシャー領やシャルタガール領、南側のお前んちの領地やボロンブラーク、そして北側には王都が近いから、人の出入りが多く街が発展してきたのさ」
「立地的に恵まれてるんだな、ここは」
「だからここに領都があるのさ。さあ今日は騎士団も含めて全員、どこかの宿屋に宿泊できるし、生徒会役員やアウレウス派の上位貴族のみんなは、俺の城の客間に泊って行ってくれ」
「そうだったな。今夜一晩世話になるよ」
学園の生徒全員を宿屋に送り届けた俺たち生徒会役員は、ダーシュに連れられてマーキュリー城に招待された。
街の大きさに比例して城も大きく、俺のプロメテウス城よりもたくさんの客室があった。一人一部屋ずつ用意されており、ネオンとは別室になった。
あいつ初日の夜のことを根に持っていて、昨日の野営地では俺と一緒のテントで眠った。今日も粘るのではないかと思ったが、さすがに最低限のマナーは心得ているようで、同室にしろとは言わなかった。
あいつは俺のことを警戒しすぎだと思う。ネオンが心配するようなこと、そう何度も起きるわけないじゃないか。
マーキュリー城の晩餐会は出席者が多いことから、立食パーティーとなった。
俺はセレーネとフリュを連れて、マーキュリー伯爵に今回の修学旅行への助力にお礼を言ったあと、例のソルレート領包囲作戦への協力を正式にお願いした。
ダーシュにも事前に伝えていたこともあり、協力は惜しまない旨の快諾を頂いた。これでソルレート領北部の心配もなくなった。トリステン男爵領以外は、包囲網が完成したのだ。
今回の修学旅行の目的の一つを果たした俺は、のんびりと好きな料理を食べていた。そこへリーズがクラスの令嬢を引き連れて俺のところへやってきた。
「お兄様。いつもバタバタしていて、ちゃんと紹介する機会がありませんでしたが、今日はアウレウス派しかいませんので、やっと私のお友達を紹介できます」
「そういえば、この前の舞踏会はそれどころじゃなかったからな。しかし、やっとお前にも友達ができたんだな。もうボッチに戻らないように、友達を大切にするんだぞ」
「今後、私のことを二度とボッチって言わないでくださいませ。コホン、それでは右から順番に、メリア様、ヒルダ様、ターニャ様です」
3人がスカートを少しつまんで、お辞儀をした。
「そしてこのヒルダ様は、お兄様のファンなんですよ」
「え、俺のファンだと! まさかそんな貴重な令嬢が存在したとは」
しかしリーズが余計な情報を暴露をしたために、ヒルダが真っ赤になって怒り出した。
「まあ、リーズ様! そういうことをご本人の前で直接言うのはおやめください。わたくしが恥ずかしいじゃないですか」
「確かにカインやネオンのファンならわかるが、俺だからな。マニアック過ぎて恥ずかしい気持ちもうなずける」
自分で言ってて、なんか悲しくなってきた。
「い、いいえアゾート様。決してそういう意味ではございませんからご安心ください。わたくしはリーズ様に怒っているのです。秘密を暴露されたわたくしの身にもなってくださいませ」
それは怒るよな。
「リーズはずっと友達がいないボッチだったから、調子にのって余計なことを言ってしまうことがあるんだよ。かわいそうな子だし、許してやってほしい」
「そうですわね。アゾート様もこうおっしゃっておられるので、わたくしもリーズ様のことは温かい目で見ることにいたします」
「くっ・・・またお兄様にボッチ呼ばわりされて、く、屈辱ですが、友達を辞めないでいてくださって、ありがとうございますヒルダ様」
「それで残りの二人は、やはりカインやネオンのファンなのか」
「いいえお兄様。でも私の口からは言えません。友達が一人もいなくなってしまいますから」
「お、おうそうだな。悪かったよリーズ。それに妹の友達の恋愛事情を、兄が根掘り葉掘り聞くものではないからな」
「そうですよお兄様。でもそんなお兄様に朗報です。実はごく一部の女子から人気があることがわかりました」
「本当か!?」
「ごく一部のマニア層だけですが、絶大な人気があるのは本当です」
「・・・マニア層」
「その一部マニア層は、人数は少ない分けれど、一人一人のパワーが強烈です」
「パワーが強烈なマニア層・・・そういうのより普通の子がいいな」
俺が嫌な顔をすると、リーズが俺の耳元でそっとささやいた。
「実はそのうちの一人が、今日の夜、城の東塔の上でお兄様のことを待っているそうです。会ってあげてくださいませ」
「もしかして、そこのヒルダさん?」
「違います。別の女の子です」
思わせ振りな笑みを見せながらリーズはそれだけ言うと、令嬢たちを引き連れて俺のもとから離れていった。
なんだよ、アイツ。
俺はリーズから言われた通りマーキュリー城の東塔に登ったが、その女の子はまだ来ていなかった。
パワー系マニア女子というのが少し気になるが、ファン一人ひとりを大切にするのが、この俺だ。
大切にする気持ちが強すぎて、待ち合わせ場所に来るのが早すぎたようだ。まだ30分以上時間がある。
でも、話って何だろう。
サインが欲しいとかだったらまずいな。俺は字が汚いし、サインの練習もしていない。今のうちにサインを考えておくか。
いや待てよ。いきなり告白だったらどうしよう。俺にはもう決まった子がいるし、困ったな。
・・・と考えてしまうこと自体が、痛すぎるんだよな。普段モテない証拠だ。
これだから、リーズにキモイと言われてしまうんだよな、きっと。
うーん。
余計なことを考えるのはやめて、まずは心を落ち着けて景色を楽しもう。どれどれ。
塔からは、城下町の夜景が綺麗に見えた。
街の中心地では酒場の明かりが灯り、まだ賑わいを見せている。街の外縁部は貧民が多いからか、その一帯は真っ暗闇だ。
エリアによって、夜の街の様相が全く違うものだと感心していたら、その女の子が塔に登って来たようだ。気が付くといつの間にか、待ち合わせ時間になっていた。
俺は緊張を押さえて、平常心を保とうとしていると、その女の子が俺の名前を呼んだ。
「アゾート」
その声は。
振り返ると、そこにいたのはマールだった。