当たり前の呪い
その日、私は会社を辞めた。
新入社員として入社し、2年ちょうどになる4月だった。
学生時代の私は世間一般がよく言う「仕事なんて辛くて当たり前だ。続けることが大切だ」という呪いのような言葉に縛られていた。
当時のアルバイト先はいわゆるブラック企業の飲食店で、出勤しても来客が少なければタイムカードを切らせてもらえなかった。
その間、「待機」と言う名のDM作成や店舗清掃など無賃労働をしていた。
2,3時間待機をし、そのまま給料ゼロで帰ることは珍しくなかったが、それでもこのアルバイトを5年続けた。
正確には辞められなかったのだ。
続けなければいけないという思いが辞めたい本心を押さえつけていた。
やっと辞めることができたのは四大を卒業するタイミング。
春からは死に物狂いで内定を手に入れた企業に就職する。「四大を卒業したのだから立派な企業に就職しなければいけない」と何十社にも及ぶ面接の果て、やっと手にした希望の切符だ。
この時はまだ何も疑問に思っていなかった。
――
春。
この日のために購入したスーツはシワ一つなく、私と同じくらい初々しかった。
新しいスーツを買う頃にはもしかしたらもう先輩かも、と早とちり過ぎる想像をして顔がほころぶ。
背筋良く歩く足取りは軽快ではあったが少しだけぎこちなかった。
最初にモヤモヤした気持ちに気付いたのは入社して半年頃のことだった。
すでに配属先が決まり営業事務になった私は、まだ完全に一人で業務ができない中、必死にできる業務を行なっていた。
この頃から退社時間は20時を超えることが当たり前となっていた。
20時に退社し帰宅するのは22時前くらいだった。
入浴や食事を済ませて床に着くだけで1時を回る。
帰宅してからリラクゼーションの時間などなく、会社の往復と食事、睡眠のローテーションだ。
同じことの繰り返しが退屈だと漠然と感じていたが、社会人なので当たり前だと言い聞かせて眠りに落ちるのであった。
――
2回目のモヤモヤに気付いたのは入社してギリギリ1年経たない頃のこと。
当時の部長は60代一歩手前で、威圧感があり正直少し苦手だった。
この頃から営業事務には日々数字目標が与えられ、達成しないと原則帰宅禁止だった。
この数字目標はなかなかに厳しいもので、達成できない社員がほとんどだった。
どんなに遅くても22時前には帰宅許可が出たものの、帰宅するのは12時近かった。
ますます睡眠時間が減り、あと何日耐えれば休みだ、踏ん張れと自分を鼓舞し眠りにつく日々を過ごした。
そんなある日。
遂にこの日がやってくる。そう、それは「気付く日」。
入社1年半になると新卒の後輩が入社し、晴れて先輩となったが、お世話になっていた同部署の先輩は1人を残し全員退社していた。
人手不足による業務過多。それに加え後輩の指導もするとなると遅い日は終電で帰る時もあった。
この頃の私は自分では気付かなかったが、ひどくやつれたとよく言われた。
鏡を見てもなんや変わりない自分の姿がそこにはあるのだが、気分は憂鬱。仕事以外の連絡は返す気が起きないのでSNSアプリでは未読メッセージの数字だけが増えていった。
日中から鳴り止まない電話。
後輩からの質問の声。
他部署からの業務依頼の声。
色々な音が入り混じる。
うるさかった。うるさいうるさいうるさい。毎日うるさくて苛立っていた。
なんとかうるさい波が収まったのは就業時間を過ぎる18時過ぎ。ホッと一息つこうと思ったその時、胃痛に襲われた。
度々襲われることはあったが、今回のはいつもより大物だ。普通に座っているのは難しく、身体を丸め机に突っ伏す。
呼吸をするのも痛い。冷や汗が出てきて痛み以外何も考えられなかった。横になりたい気持ちを気合いで押さえ、腕に爪を立て痛みを堪える中、先輩が声をかけてくれた。
「帰宅した方が良い!」
数字目標は達成していなかったが、就業時間は過ぎていたため、後はこちらで何とかするとのこと。
ありがたい!正直この具合では業務続行は不可能であった。むしろ帰宅も困難だったので、仕方なくタクシーと考えていたその時。
「数字達成してないよ」
それは2ヶ月ほど前に新たに部長に就任した社員からの一言であった。
80%痛みに侵食された脳で考える。考えても同じ答えが出る。
絶望的だった。この状態から生み出せるパフォーマンスなど無い。しかしそれは通用しない。簡単なことだ。「数字達成していない」のだから。
それからすぐ、他部署の先輩も含め帰宅を促してくれたお陰でなんとか帰宅することができたが、これまでにない程の胃痛と同時に、心を侵食するモヤモヤの存在を感じた。このモヤモヤと初めて対峙したのである。
結局胃痛の原因は慢性胃炎で、結構ひどい炎症を起こしているため、今日だけでも仕事は欠勤したほうが良いと言われた。
そしてこの日初めて仕事を休んだ。
平日のお昼過ぎ。
いつもは見られないテレビ番組。
解放される数字からの呪い。
好きな時間に食べられる好物の甘いもの。
幸福感に満たされた。
久しぶりに「幸せー!」と声に出して言った気がする。
そして気付く。
「当たり前とは何だろう」
一度始めた仕事は続けることが当たり前。
四大卒業したら良い企業に就職するのが当たり前。
毎日同じ日々の繰り返しなんて当たり前。
社会ではこのくらい当たり前。
この「当たり前」は社会が勝手に創り上げたものだ。
気付いた時にはすでにこの「当たり前」が刷り込まれ、何の疑問も感じず日々消費していく。
自分の意思を当たり前かのように侵食していく。
「継続は力なり」
とはその通りではあるのだが、自分自身の身体と心を犠牲にして継続することは果たして私の本当の気持ちだろうか。
私が本当に望んでいることは何か。
そう考えた時、一歩踏み出そうと決心することができた。これまで縛りつけられていた無意識の呪いから解放された。
周りから何と思われようと、自分が決めた道を歩もう。例えそれが「当たり前」から逸脱しても、私らしく生きていこう。
人手不足もありすぐに退職はできなかったものの、半年後には二度と会社への通勤路を歩くことはなかった。
残ったのはくたびれたスーツと未来への新たな希望。
穏やかな風が花の匂いをふわりと運んだ。
初めまして。
当エッサイを閲覧頂き誠にありがとうございます。
新しいことにチャレンジしたく、初めて投稿させて頂きました。
拙い文章ではあったかと思いますがご容赦ください。
今後もマイペースに投稿していきますので宜しくお願い致します。




