ある奔放な吸血鬼の観察記録
とある方より頂いた「ブラッドラスト・リザレクション――蘇りの吸血鬼王と宿命背負う聖女――」の二次創作作品となります。
本来ならば小説家になろう以外での別の企画にて公開する予定でしたが、諸事情によりお蔵入りとなってしまったため、新たにタイトルを付けた上で、こちらに短編作品として掲載することといたしました。
作者様より許可は頂いております。快く承諾してくださった作者様、本当にありがとうございます。
文章の大筋や文体は一切変えていませんが、Web上で読みやすいようレイアウトを一部変更してお送りします。何卒ご了承ください。
何故だ。何故なのだ。
そう、四使徒の一人……ゼヘル・エデルは頭を抱えた。
ゼヘルは今、ある一人の吸血鬼の監視を行なっている。
それは四使徒……つまり吸血鬼の真祖、ユークリッド・ドラクリヤ・クレプスクルムに血を与えられた直径の子孫であり、忠実なる真祖の配下としての任務。
全てを己の意のままに、己の意の添うままにする真祖の行動を阻めるものなど居ない。不要と判断すれば、その声一つで世の全ての吸血鬼を惨殺できる。そんな真祖が「つまらん」と放り出さずに手元に残しておいた者達なのだ。当然真祖への崇拝は元より、実力も優れている。
その自分が、どうしてこんな場所に居なければならないのか。頭痛がして、こめかみを押さえながらゼヘルは目の前の男を恨めしげに睨み付ける。
だが、とうの本人は全く気にしていない。それどころか、ゼヘルから差し向けられた殺気にも全く反応しない。取るに足らないと判断したからなのか、それとも現段階ではゼヘルがまだ自分に手を出せないことを察しているからなのか……とにかくその態度が癪に障る。
基本、吸血鬼というものは真祖を神の如く崇め奉るものだ。そして強者に従い着いて行く。だから四使徒に従い、四人の内いずれかの派閥に属する。
稀に四使徒のどの派閥にも属さない「はぐれ」も居るが、大抵真祖は勿論四使徒の足元にも及ばない。だから敵対されたとして痛くも痒くもないので基本的に放置するのだが……。
例外があった。
ダインスレイヴ=アルスノヴァ。彼は四使徒の一人に今日会うのだ、と分かっていただろうに全く見た目に頓着していなさそうな……例えば寝起きから手櫛もせずにおはようからおやすみまで通していそうな青髪に、清潔感をドブにでも放り捨ててきたらしい薄汚れた服装をしている与太郎だ。
簡潔に言おう。この男が嫌いである。
ダインスレイヴと会うのは今日が初めてで、しかもいつ彼と出会ったかというと僅か十分前である。
しかし、ゼヘルはもう既に苛立ちで胃が痛かった。すぐに縊り殺して帰路を飛び返りたい気分だったが、任務なのだ。そうもいかない。この十分間の間、ゼヘルは脳内で数百パターンに渡ってダインスレイヴを殺害し帰宅を完遂させている。
しかし、現実はそうもいかない。多少のストレス解消はできても妄想を終えた後の虚無感で消えたくなる。そして目の前の男の存在でまたストレスが降り積もる。
全く状況は改善されていない。それどころかゼヘルの胃の中はこの間見た、というか自分が燃やした屋敷にそっくりの劣悪な環境となっているであろう。
……何の拷問だこれは。とゼヘルは頭を抱えるが、その原因であるダインスレイヴはというとゼヘルの心象を全く慮ることなく伊達眼鏡の試着に勤しんでいる。
しかも元々陳列されていた場所に戻そうという努力すらしていない為、陳列棚はかなり混沌としていた。ちょっと戻す場所を間違えている、なんて可愛いものではない。寧ろそうであってくれれば良かった。
そう、ゼヘルは目の前に積み上げられたトランプタワー……ならぬ伊達眼鏡タワーを眺めて、遠い目をする。
すると店員が此方を見ているのが見えた。他の客の応対をしている店員が、非常に困った顔をしてチラチラと此方を見ているのが見えた。
それに気付いて、流石にもうやめさせようとゼヘルはダインスレイヴの後頭部を叩く。
「いでっ」とダインスレイヴが大袈裟に叫んだが、ゼヘルは無視して伊達眼鏡タワーを崩した。それを見てダインスレイヴが後ろで文句を言っているが、ゼヘルは今だけ難聴になることにした。
今ゼヘルが居るのは、百貨店の中に入っているとある雑貨屋だ。スペースこそ広くないが、清潔で小洒落た雰囲気のする良い店である。
しかし、ゼヘルはこの店に来たことはなかった。そして来る予定もなかった。なのにも関わらず、ゼヘルがここに居る理由はダインスレイヴが「この店入ろう!」と言い出したからである。
どうしてゼヘルがダインスレイヴに付き合わねばならなかったのか、というのには理由がある。というか理由がなければ三秒で帰っている。
その理由は四使徒筆頭……つまり四使徒の内最も力を持つ吸血鬼、カイン・シュローセンがゼヘルにそう命じたからだ。ちなみにカインとゼヘルの名誉の為に言っておくがこの阿呆の子守をしろと言われた訳ではない。断じてない。
ダインスレイヴは「はぐれ」であり、四使徒の派閥に属していない。
だが小生意気なことに、四使徒と対等に戦える実力を確かに持っている。強かな同胞が増えるのは結構なことだが、もしも彼に殺されて、四使徒がが欠ければ真祖に不利益が生じる。戦力が著しく欠けるなど、まぁとにかく彼が真祖に背けば少なからず被害が出る。
真祖亡き今、彼の還るに相応しい玉座を整えておくのは四使徒の責務だ。だからこそ、ダインスレイヴが真祖の手駒として相応しいか、または敵対者と成る可能性が強いか。それを己の目で判断して来いと言われ、ゼヘルはこの与太郎と共に行動しているのだ。
ゼヘルの気持ちの上では既に不合格、来世は合格することをお祈りしますだが、歯痒いことにすぐに不合格と切り捨てられない。
何故ならカインに「少なくとも一日は一緒に居て、それから判断すること」と条件を付けられているからだ。その条件がなければ今この阿呆と一緒に居ない。
恐らくその条件は、ゼヘルが即断し、敵か味方か判断の付かぬ内に殺してしまわない様にとカインが立てた防止策だろう。まんまとそれに乗せられていることに気付き、またストレスが胃を食い荒らすのが分かった。
「あっははクソダサくて最高!!」
だがそんなゼヘル検定不合格者は、気の抜けたフォントで「ぱりぴ」とでかでかと書かれた帽子をゼヘルに被せて呑気に遊んでいる。
ゼヘルは溜息を吐き、それからダインスレイヴに聞いた。
「貴下は何を求めてこの雑貨屋に来たのだ。いつまでも遊んでいないで目的の物を探せ」
出ないと店にも自分にも迷惑がかかる、という意を込めて、ゼヘルは言った。
主に自分の心労が凄いので、早く店の外に出たい。そんな極めて真っ当な意見をぶつけられたダインスレイヴは、ぽかんとした顔をしている。それから「はげ」と書かれたつばのない肌色の帽子をそっと陳列棚に戻し、ダインスレイヴはバツの悪そうな顔をして、笑った。
「何も考えてなかった……」
本当に置き去りにして帰ってやろうかと思った。
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「はーいお待たせお待たせ〜!」
と、ゼヘルの中で「他人を買い物に付き合わせて長い間遊び呆けた挙句何も買うものを決めていなかった今まであった吸血鬼の中で最も好感度の低い……どれだけ低いのかというとこの間血祭りに上げたユークリッド様の衣装を踏んで行ったドブネズミの方がまだ好きだという驚異的低好感度を引き摺り出した青髪吸血鬼」と今話題の男が、会計を終えて駆け寄って来た。
「何を買った?」
「え〜そこ気になっちゃう〜? 僕の趣味気になっちゃう〜?」
正直言ってそこに一ミリたりとも興味はない。聞いたのは何か危害を加えられる様なものを買っていないか確かめる為である。思い上がるな潰れて死んでしまえ。
そう思ったが、言わないでおいた。任務のことをわざわざ言ってやる必要もないし、死ねと言っても死んでくれそうにない。潰しても飄々と蘇ってきそうだ。
そんなダインスレイヴの手元には、二つの紙袋があった。こんなに短い時間でよく買って来られたものだ、とゼヘルは感心した。
先程の店で「何も決めてない」とダインスレイヴが言ったので、買わないならと思ってゼヘルが襟首を引っ掴んで強制連行しようとした所、ダインスレイヴは「買う買う!! 買うから!! 買うからねぇ四十秒で支度するから!!」とばたばたと踠いたのだ。
仕方がないから四十秒計ることにしたが、三十二秒で商品を手に取ってレジまで行っていた。これまでの時間は何だったのだ。
ゼヘルがそう思っているとダインスレイヴは、「ふっふっふ……」と意味ありげな笑みを浮かべて言った。
「マスクと、黒いキャップと、サングラス!!」
「……何故マスクなのだ。風邪でも引いたか?」
だとすれば馬鹿は風邪を引かないという話は迷信ということになるな、と思いながらゼヘルは言う。するとダインスレイヴは違うよ、とにかっと笑った。
「薄暗い場所と組み合わせて三種の神器、名付けて『今日から君も不審者デビュー! 急接近して相手をドキッとさせちゃおう☆変装セット』」
「通報待ったなしでは」
呆れた顔をするゼヘル。
するとダインスレイヴは「で」と前置きをして、紙袋の片方をゼヘルに差し出した。
「これ」
「……何だ?」
まさか荷物持ちなどと言い出さないだろうな、と眉を潜めるゼヘルにダインスレイヴは言った。
「付き合わせちゃったし、楽しかったからさ。お礼だよ。あげる」
今までの言動から全く予期できなかった言葉に、思わず硬直してしまう。そんなゼヘルの手に、半ば押し付ける様にしてダインスレイヴは紙袋を持たせた。
まさか、あのネズミ以下にそんな所に気を回せる様な脳味噌が残っているとは。と衝撃を受けるゼヘルに、「ほら早く〜」と言ってダインスレイヴは歩き出してしまう。
……第一印象が最低の底を突き抜けてしまっていた為、今までは偏見を含んだ目で彼を見てしまっていたのかも知れない。こうしてみれば、態度こそ不躾だとしてもそこそこ気を遣えることが分かった。
今の自分は、あの男を見定めるためにここに居る。その自分が偏見を持って、公正な判断を下せない様では敬愛する主君に不利益が生じるかも知れない。それだけは絶対に避けなければならない。
今度こそ正しい目線で判断する。もう少しダインスレイヴの自由にさせて、その上で見極めよう。そう、ゼヘルは自戒と決意を固める。
多少ダインスレイヴのことも見直した。必要なのは、忍耐だ。相手の行動を阻むのは、見極める材料を減らす愚行。耐え抜けばこそ、見えてくるものがある。そう自分に言い聞かせ、ゼヘルは前を向く。
そしてそんなゼヘルに、ダインスレイヴは。
「あ、あそこの眼鏡屋行きた」
全力で阻んだ。
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「ねぇねぇ四使徒様」
ゼヘルは気にせず歩き続けた。
「ねぇねぇ四使徒様」
ゼヘルは気にせず早足で歩き続けた。
「ねぇねぇ四使徒様」
ゼヘルは気にせず……。
「ね」
「煩わしい!! 一体何を要求せんとしている!!」
我慢の限界だったゼヘルは思わず叫んだ。
するとようやく此方を見た、とダインスレイヴは元々明るい顔色をもう幾分か明るくして言った。
「四使徒に会ってみたい!」
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「……で、このアタクシに一体何の用がありますの?」
ロココ調のドレスを身に纏い、ピンクブロンドの巻き髪をした吸血鬼……ラリッサ・バルザミーネは、傲慢な態度でダインスレイヴに言った。
腕組みをする彼女が若干不機嫌なのは、部屋に入った際「ユークリッド様……」と呟いていたので恐らく愛しい主君に思いを馳せる時間を邪魔されたからだろうと思われる。
だがダインスレイヴはそんなことには構わず。
「うっはー!! マジで派手派手だ!! マジで赤ピンク!!」
ゼヘルとラリッサが、同時に顔を痙攣らせた。
ラリッサが「とっととこの無礼な青いのを叩き出しなさい」という命令と共に「どうしてこんなのをアタクシのところにまで案内したんですの」と視線で責めてくる。ゼヘルは申し訳ない、と俯いた。
幾ら言ってもダインスレイヴがのらりくらりとして、ゼヘルの「四使徒に会うのは諦めろ」という言葉に頷かなかったので、もういっそ会わせてしまえば早いと思ってしまったのだ。
そしてダインスレイヴに「流石に四使徒が二人居る場では自分の立場を弁えるだろう」という良識を期待した自分が馬鹿だった。伊達眼鏡タワーを作って散々怒られた後眼鏡屋に行くのを許されると思う馬鹿に良識を期待した自分が馬鹿だった。
「ラリッサ様の能力って何すか?」
「……『荊姫の檻』でしてよ」
礼を欠いているどころではなく舐め腐った様な口調でラリッサと話始めるダインスレイヴ。
ラリッサも苛立ってはいるだろうが、ダインスレイヴは彼女にとって全くの格下ではない。寧ろ深傷を負わされてしまう可能性すらある。一介の吸血鬼が彼と同じ様な口を利いたなら秒速で絞め殺していただろうが、この場でダインスレイヴと戦うのは得策ではない。というか大した理由もなく敵対する様な相手ではない。
ラリッサはそう判断し、対応だけはしてやって早急に帰らせるという方向にシフトチェンジしたらしい。
ダインスレイヴは話を聞いて貰えることを良いことに「ほら僕、困った時にはいつでも何処でも駆け付けるフリーランス吸血鬼じゃねーですか。良かったらご利用どうすかー?」と言った風なセールストークまで始めている。
ラリッサが非難する様な目で此方を見たが、ゼヘルはそっと目を逸らした。
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「やー、楽しかった」
「貴下は遠慮というものを知らぬのか」
「えー遠慮知ってる超知ってる敬語使ってる」
「世間一般であれを敬語とは呼ばぬ」
そんなやり取りをしながら、ゼヘルとダインスレイヴはある廃墟の中を歩いていた。
ユークリッドがクルースニクに敗れた際、本拠地であった城は制圧されてしまっている。だがそれでもユークリッドが再びこの世界に顕現した時、彼を迎え入れる城が必要だ。主君を青空の下、野で迎える訳には行かない上四使徒としての矜持が許さない。
しかし流石に現状の人間達が席巻している世界で大規模な城を建てることは不可能な為、仮の根城として廃墟を利用しているのだ。
四使徒は大抵その廃墟に居る。特にユークリッドへの忠誠心が強いカインなどは常にその廃墟……特にユークリッドの為の玉座などに気を払い、清潔さを保つ様にしているのだ。フォルトゥナもそこに居る可能性がある。
だが……。
「ラリッサ様は行けたし、じゃあ次はフォル」
「カイン殿……カイン・シュローセンの所だ」
「いやフォルトゥ」
「カイン殿の所だ」
「フォ」
「カイン殿の所だ」
フォルトゥナ様に会いに行こう、と言おうとするダインスレイヴの言葉に被せて、ゼヘルは繰り返した。
フォルトゥナをご存知の方はもう理由をお察しだろう。絶対にダインスレイヴとフォルトゥナを同じ空間に居させたくない。
フォルトゥナはまだ一人ならば手に負える。しかしそこに、一人でも若干手に負えていないダインスレイヴが加わると考えると……考えたくもない。そろそろゼヘルの胃に風穴が開く。
その為ゼヘルは胃がまだ健在な内にカインに会い、ダインスレイヴに対しての評価を伝えることにした。というよりカインに直接会わせてダインスレイヴの軽薄さや礼を欠いた振る舞いを実際に体感してもらう方が早いと思ったのだ。
ちなみに今の所、ゼヘルのダインスレイヴへの評価については「ユークリッド様に相応しい配下と成り得る気配はない。散るがいい」と、相変わらず不合格である。
さてカイン殿は何処にいるものか、とゼヘルが辺りを見回した所で、廊下の向こうから聞き覚えのある声が聞こえた。
「ねぇ誰も居ないの〜? 誰かフォルの遊び相手になってよ〜!!」
ゼヘルは、頬に冷や汗が伝うのを感じた。
まずい、非常にまずい。この声や口調、一人称から察するに相手は間違いなく四使徒、フォルトゥナ・リートだ。今一番会いたくなかった人物がそこに居る。
しかも「遊び相手」を所望だ。常ならば強者との手合わせ、その絶好の機会だと喜び勇んで名乗りを上げる。だが今はそうできない。そうするには横に立っている青髪の吸血鬼が限りなく邪魔だ。ひとまず退こう。出会ってしまえばお終いだ。
取り敢えず適当な理由を付けて一回別の所へ行こうとゼヘルがダインスレイヴを見ると。
「はー」
「やめんか阿呆!!」
はーい、と挙手をして元気に返事をしようとしたダインスレイヴの口をゼヘルは慌てて塞ぐ。
それからそのまま、ダインスレイヴを担いだゼヘルはその場から走り去った。
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「うわはー!! すげぇ遊園地みたいコレ」
担がれて何故か楽しそうにしているダインスレイヴを憎悪の視線で見ながら、ゼヘルは苦い顔をした。
一応逃げ切ったが、フォルトゥナが遊び相手を探してまたやってくる可能性もある。安心はできない。と用心深く辺りを見回し、それから取り敢えず一時的に危機は去ったと判断してダインスレイヴを雑に放り捨てる。
そして、今度こそカインは何処だと考えかけた瞬間、ダインスレイヴが「ねぇねぇ」と声を掛けてきた。
「見て見て四使徒様」
部屋の中にある階段を上がって、ひらりと一回転するダインスレイヴ。
普通にしていればダインスレイヴはゼヘルよりも背が低いが、今は段差の上。彼の視線はゼヘルより高い。動き回るには邪魔になる、室内に設置された階段。それを見て、ゼヘルは嫌な予感を覚える。
ダインスレイヴの横に置かれた、廃墟に見合わぬ豪奢な椅子。走る勢いのままこの部屋に入ってしまったが、部屋には美しいシャンデリアなどの装飾。そして床に敷き詰められた赤い絨毯。廃墟の一室としては異質すぎるこの部屋に、特別な役割があることは考えなくとも分かった。
「おい待て、今すぐそこから」
「うぉすげーぴっかぴかだ〜」
今までのことを思えば当然だが、ダインスレイヴは聞く耳を持たずにべたべたと椅子の装飾に触り放題。
……恐らく、ダインスレイヴはその椅子が誰の為にあるのかということを理解していない。しかし知らないからといって許される愚行ではない……とゼヘルが憤りを爆発させる、その直前。
「……君は、何をしているのかな?」
と、四使徒筆頭、カイン・シュローセンが、ダインスレイヴの腕を絡め取っていた。
その物腰こそ優しいが、その顔には凶々しさを秘めた笑みが浮かんでいる。そして絡め取……否、絡め取ると言うには些か力が入り過ぎていて、ダインスレイヴの腕がミシミシと音を立てている……正確に言えば捥ぎ取らんとしていた、という表現の方が近いだろうか。
気配を全く悟らせず、いつの間にかダインスレイヴの背後に立っていたカインは、穏やかながらも明らかな殺気の籠もった声で繰り返す。
「君は、何をしているのかな?」
「……何もしてねーです」
常なれば、奔放で人のことは御構い無しに行動するダインスレイヴ。しかし流石にカインの殺気を浴びて自分が何かしてはいけないことをしでかしたらしいとは気付いた様だ。悪事を働いた小学生男児を彷彿とさせる様な嘘である。
取り敢えずその場を凌ごうとしているのだろうが、カインにそれが通用する筈もない。
「自分がしたことが理解できないみたいなら教えてあげよう。君は吸血鬼の真祖、ユークリッド様の玉座にべたべたべたべたと……四使徒にも許されないことだ。それが四使徒でも何でもない外部の吸血鬼の君に許される訳がないよね」
ダインスレイヴの顔がさっと青褪めた。這い寄る様な静かな怒りが、側から見ているだけのゼヘルにもひしひしと伝わってくる。
己の姿を変貌させるカインの能力によって、蛇へと変形しているカインの腕には今にもダインスレイヴの腕を引き千切りそうな程力が込められていた。
吸血鬼なので腕が無くなろうとも再生はするが、ここまでやれば流石にもうダインスレイヴも反省はしただろう。というかこれで反省をしないようなら人間性もとい吸血鬼性を疑う。
「……後は自分が」
ゼヘルがカインにそう声を掛けると、ダインスレイヴが「助かった……!」というようにパッと顔色を明るくしてゼヘルの方を向いた。
「……後は自分が折檻しておくのでお任せを」
そうゼヘルが言うと、ダインスレイヴは苦い顔をした。
「本当かい?じゃあ頼もうかな」
カインはゼヘルに微笑んでそう言うと、立ち去る際に指先の蛇ごとダインスレイヴの腕を引き寄せて行った。
結局捥ぎ取るのか、と思いつつゼヘルはカインを見送る。ダインスレイヴは「いッたい腕ェ!!」と悲鳴を上げていたが、完全に自業自得なので無視することにした。
カインは規律を重んじ、何より真祖に忠実な配下だ。ダインスレイヴとは真逆である。
思えば腕を引き千切られるだけで済んだのは幸運だ。寧ろ殺されなかったことに感謝すべきであろう。ゼヘルの中の憤りが完全に消えた訳ではないが、カインの豪快な腕の持って行き方を見て多少怒りは鎮まった。
「……後さ、フォルトゥナ様だけどさ」
腕の再生を終えたダインスレイヴが、そう切り出した。そういえば四使徒にも会いたい、と言い出した為にこの男をここに連れてきたのだった。
さて、フォルトゥナ殿に会わせない為にどんな言い訳を……。とゼヘルが考えていると、ダインスレイヴは思い切り苦い顔をして言った。
「……フォルトゥナ様は、もうなんかいいや会ったことあるし……」
カインの件が相当効いたらしい。
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「……で、ゼヘル。君の目から見て彼はどうだったのかな?」
君自身の素直な意見が聞きたいな、そう言ってカインは微笑んだ。
ゼヘルはカインの指した「彼」のことを思い浮かべる。ダインスレイヴは日が暮れ、監視も終わった所で「じゃあね〜!」と突風の様に去って行った。
そんな彼と今日一日過ごした、率直な感想としては……。
「軽薄で、あまりにも不敬。我らが主に相応しい配下となり得る気配はない」
「だろうね、僕もそう思うよ」
カインは椅子に消毒液を吹き掛けながら、ゼヘルに賛同する。しかしゼヘルは「だが」と先程の言葉に付け足した。
「その実力は確かなものだ。相応しくはなくとも、それで敵対する訳ではない」
「ではこのまま野放しで良いと?」
「奴の生業を考えれば、敵対者の依頼を受ければ敵となる。だがわざわざ己の意思でこちらを敵に回そうと思う程愚かな男ではないようにも思える」
そうゼヘルが言うと、「分かった、ゼヘルの判断を信じるよ」とカインは微笑んだ。玉座の消毒は終了したらしく、カインはすくっと立ち上がり、それから歩き出した。
まだ何かを話したげな様子なのでゼヘルもその隣に並んで歩くと、カインは少し困ったように眉を下げる。
何か不都合があったか、とカインの方へ身を乗り出すゼヘルに、カインは何事かを伝えようと口を開いた。
「あのね、あの後彼にも一度話を聞いたんだけど……おや」
だがその言葉は廃墟の廊下に落ちた紙袋を見て、カインの喉元で止まる。
見覚えがない紙袋を警戒した様子のカイン。だがゼヘルにはその紙袋の正体が分かった。よくよく見てみれば、それは昼間ダインスレイヴがゼヘルに渡して来た雑貨屋の紙袋だ。恐らくフォルトゥナから逃げた際に放り出して来てしまったのだろう。そう思い、ゼヘルは紙袋を拾い上げた。
「大丈夫な様だね」とカインが言い、それにゼヘルが頷くとカインは話を戻す。
「……『大親友のゼッちゃん』と彼が口にしたんだ」
大……親、友? 誰がだ? カイン殿とあれか? まさかあれと繋がりが? あの阿呆と?
しかしカイン・シュローセンという名にはどこにも「ゼッちゃん」と呼ばれる様な要素が見当たらない。どこだ?どこなのだ?
今まで全く聞いたことのなかった「大親友」という単語の出現に混乱し、ゼヘルは的外れな思索をしてしまう。その混乱っぷりは手にしていた紙袋を思わず取り落としてしまう程だ。
冷静に考えれば「ゼッちゃん」が「ゼヘル・エデル」を指す愛称であることは、幼児ですら分かる。それ程までに戸惑っているゼヘルに、カインが困ったような心配するような顔で言った。
「あの、これは当人同士の関係性もあるし……僕が口出しすべきではないことも重々承知しているけどもね……」
そう前置きをして、カインはゼヘルの落としたダインスレイヴからの贈り物を拾い上げる。
落とした衝撃で、紙袋からは中身が飛び出てしまっていた。そしてカインの手にしている物を見て、ゼヘルは口元を思い切り引き攣らせる。
カインの手には、黒い帽子。そしてパッケージに「甘いフローラルのかほり」と書かれた、ほのかなピンク色のマスク……そして黒く厳ついサングラス。そしてメモ用紙には「似合うと思って!」という汚い文字。
……例の『今日から君も不審者デビュー!急接近して相手をドキッとさせちゃおう☆変装セット』を持ったカインは苦笑いをして、ゼヘルに言った。
「……彼と親友……やめた方が良いと思うよ……」
自分が一番知っている。
双方の意向により、作者様のお名前は伏せさせていただきます。
改めて、掲載許可をくださった作者様には、心より謝辞を申し上げます。
本当にありがとうございました。