二、糸村ルート(前)
「じゃあな、糸村」
「おぅ。また明日な」
名札を外した糸村は、派手な色のインナーを着た男子生徒と、先程まで遊んでいたカラオケ店の前で解散した。
時刻は、まもなく六時になるが、夏の太陽は、まだまだ沈む気配を見せていない。
「バイトは七時からだし、どうすっかなぁ」
スマホで時間を確認した糸村は、家に向かうでもなく、アルバイト先のコンビニに向かうでもなく、気が向くまま適当に歩いて時間を潰すことにしたようだ。
そのあと、カラオケ店から五分ほどの歩いたところで、糸村は一筋の路地の手前で立ち止まった。
「あれ? こんなところに通りなんてあったっけ?」
両サイドに室外機やらダクトやらが剥き出しになっている壁が続く薄暗い路地は、青年の探検心をくすぐるのにもってこいだったらしい。
糸村は、スクールバッグの持ち手を両腕に通し、リュックのように背負って両手をフリーにすると、そのまま路地の奥へと突き進んでいく。
「ゲームなら、こういうところにレアアイテムが転がってるもんだが、……あっ!」
壊れた椅子や古いオーディオ機器が置かれた隙間をすり抜けると、そこには、四次元ポケットから出て来そうなドアがあった。
ただし、色はピンクではなく木目で、ドア枠の上部には、立体的な虎のレリーフがあしらわれている。
「開けて蝶が出て来たら、噂はマジだと堂島の奴に教えてやろう」
小声で呟くと、糸村はドアを開けた。すると、ドアの向こうから一羽のモンシロチョウがヒラヒラと現れた。
「うわっ! あっちに行け! こっちに来るな!」
まさか、本当にトラウマの根源が現れると思わなかった糸村は、自分に向かってくるモンシロチョウを追い払うように手を振りながら逃げ回る。
しかし、モンシロチョウは、まるで意志があるかのように糸村の周りをヒラヒラと飛び回り、開けっ放しになっているドアへと糸村を誘導する。
「えぇい、鬱陶しいな。こうなりゃ、ヤケだ」
糸村は、ドアの向こう側へ立ち、蝶が入って来ないうちにドアを閉めた。
すると、虎のドアは、まるで砂のようにサーッと形を失って地面に消えてしまった。
「ヘヘン。これで、蝶から逃げられたぞ。――なぬっ!」
ドヤ顔で振り返った糸村の視界には、赤、青、緑の光沢を放つ三羽のアゲハ蝶の姿が映った。