「忘れられる権利」と商業作品
あの事件からもうすぐ一年が経過するにもかかわらず、ネットの片隅(特に小説投稿サイト界隈)では、なおまだそのテーマがエッセイジャンルの上位に浮かび上がってきているのが現状です。
あの事件で、「過去の発言を殊更掘り起こして問題にする必要はなかったはずだ」「あの発言をした当時は『ヘイトスピーチ規制法』施行前だから、それを以て〝ヘイトスピーチだ〟というのは法の遡及適用ではないだろうか?」という意見も少なくありませんでした。けれど、筆者はその言葉の意味が、まるで理解出来ませんでした。「何故、この件で〝法の遡及適用〟なんていう話になる?」と。
ところが先日、やはりあの事件をテーマにしたエッセイを読み、その内容について気付いた点に関して感想欄に書き込み、何度かその作者さんとやり合った結果。ようやく筆者も理解に至ったのです。
「法の遡及適用」。そう言った主張をする人は、人には「忘れられる権利」があるはずだから、過去(それも五年も前の)発言を今になって取り沙汰すべきではない、と言っていたのだ、と。
成程。話が通じない訳です。彼らは「忘れられる権利」(或いは「デジタルタトゥー問題」)のことを、全く理解せずに振りかざしているのですから。
「忘れられる権利」、或いは「デジタルタトゥー問題」。まずこれについて、時制の面から説明をするべきですね。これは、以下の通りのタイムテーブルになります。
《大過去》犯罪をし、摘発される。【事件の発生】
↓
《過去》罪を裁かれ、罰を受け、更生する。
↓
《現在》既に償った過去の罪が現在に於いてもネット上で検索出来、彼の現在の罪なき生活に支障を来す。
ネット上では、四半世紀前の情報と現在の情報が並列して存在します。だから、この例の場合、彼はその罪を償い、更生しているにもかかわらず、ただ過去に「罪を犯した」という事実のみが取り沙汰されてしまう。〝消えない烙印〟すなわち、〝Digital Tattoo〟です。
罪を償い、更生しているのであれば、過去の犯罪歴を検索出来ないようにしてほしい。それが、「忘れられる権利」です。
ただ一方で、本当に更生しているのかは、結果からしか判断出来ないのもまた事実。そして更生出来ていないのであれば、次の被害者(予備軍)にとっては、「そのリスクを逓減させる為に、前科を検索出来るようにしてほしい」と考えるでしょう。
さて、それでは話を戻して、『二度目の』事件と「忘れられる権利」。これに、如何なる関連性があるでしょうか?
今度もまた、時制の面から説明しましょう。
《大過去》ヘイトスピーチに類する発言をTwitter上で行う。
↓
《過去》その発言を削除乃至は撤回することもなく、作品が書籍化されまたアニメ化される。
↓
《現在》過去発言を掘り起こされ、ヘイト作家とレッテルを張られ、アニメ化撤回並びに作品の出版停止となる。【事件の発生】
お判りでしょうか。デジタルタトゥー問題に於ける【事件の発生】は、時制上の《大過去》です。が、『二度目の』事件に於ける【事件の発生】は、《現在》です。これが最大の相違点です。
また、『二度目の』事件の前、時制上の《過去》。この時、《大過去》の発言内容を削除するなり撤回するなりすることが、出来たはずなのです。
「ネット上に一度拡散した情報は、完全な削除は不可能」。この問題を「忘れられる権利」と掛けてエッセイを執筆なさった作者さんが、そう言いました。けれど、果たしてそうでしょうか?
実は筆者は、約二十年前に。今で謂う「バイトテロ」のようなことをしてしまい、ある企業さんに多大な迷惑をおかけしてしまったことがあります。ネット上の筆者のHPに、その企業さんの誹謗中傷を書きなぐり、それが取引先さんの目に留まってしまったのです。
けれど今。どれだけ検索しても、その情報を発見することは出来ないでしょう。
今でさえ筆者は場末の物書き未満ですが、当時は何処にでもいるフリーターに過ぎませんでしたから。
当時はTwitterのような、拡散力のあるツールは存在しませんでしたが、それでもGoogleをはじめとするサーチエンジンはありましたから、検索することは出来たはずです。
が、それでも、それを発見することは不可能です。
何故なら、その事件の後、私は当該記述を削除しただけではなく、ホームページ全体に、あるメタタグを打ち込みました。それは、<noarchive> <nofollow> <noindex>の三つです。順に、「(検索エンジンに拠る)データ保存の禁止」「(検索エンジンに拠る)リンク先の確認の禁止」「(検索エンジンへの)表示の禁止」。こうして当時筆者がHP上に記述した内容を、検索エンジンから辿ることが出来ないようにした訳です。
そもそも何処にでもいるフリーター。社会的な発言力などゼロに近く、本当に偶然、その企業さん(それも――失礼ながら――名もなき中小企業)の取引先が企業さんの名前を検索した時に、運悪く筆者のHPが引っ掛かった為に問題になっただけであり、また直接関係者さんから指摘されたことで、大事になる前に火消しが出来ました。
そして。そのHPを置いていた『ホームページ作成サイト』は、――平成31年3月31日を以て――消滅しました。当時の友人たちの何人かは、筆者のHPを個人的にアーカイブしていたかもしれませんが、その人たちが悪意を以て拡散しようとしない限り、その情報が再び世に出ることはないでしょう。
さて、話を戻しましょう。
書籍化される。その作品がマンガ化され、アニメ化される。そうなれば、それ以前とは比較にならないほどその人は注目を集めます。その結果、「それ以前のネット上の発言」が、掘り起こされることもあるでしょう。それは、素人でも想像が出来ることです。
では、何故「掘り起こされ、騒動になる」前に手を打っておかなかったのでしょうか? 確かに、「拡散した情報を削除することは不可能」かも知れませんが、「拡散する前にその情報を削除することは可能」なのです。
Twitterには、筆者の事例のようなメタタグを打ち込むことは出来ないのかもしれません(筆者はTwitterをやっていないので、その辺りはよくわかりません)。けれど、騒動が起きる前にそのツィートを削除する、或いは既にアーカイブされている場合に備えて「過去にこんなツィートをしてしまった。思えば自分は若かった。●国の皆さん、本当に申し訳ありませんでした。今はそんなことありませんからね」みたいな記事を載せておくだけでも、フォローになるでしょう。このフォローは、事件が起きた後では逆効果でしょうけれど。
五年前のツィート、といっても、一日平均三回呟いたとしても、記事数は5,500件弱。一ツィートあたりの文字数を100文字としても、55万文字に満たないのです。文庫本にして、5冊くらい? 実際はもっと少ないでしょう。その程度の内容を校閲するのは、二日もあれば充分でしょう。
つまり、【事件の発生】以前に対処する方法はあったのです。なら、言い換えれば「対処しなかった」ことこそが事件の元凶と言えるでしょう。
著名人であれば、「リアルタイムの発言内容」がその場で取り沙汰されます。
が、ある日著名な立場に立った人は、「過去の発言内容」が順次掘り起こされます。
なら、事前に問題になる可能性のある発言等は、事前に対処すべきだったのではないでしょうか。
ちなみに、この『過去の発言が原因で今問題になる』ことは、別にネット上だけの話ではありません。ある政治家の、過去に書いた論文の内容が現在の政治方針と矛盾していると、国会でその過去論文を朗読させられた人もいるのですから。
そして、この問題に関し、著作権法第八十四条第3項では、以下の通り定めています。
《 複製権等保有者である著作者は、その著作物の内容が自己の確信に適合しなくなつたときは、その著作物の出版行為等を廃絶するために、出版権者に通知してその出版権を消滅させることができる。ただし、当該廃絶により出版権者に通常生ずべき損害をあらかじめ賠償しない場合は、この限りでない。 》
つまり、出版物に於いては。過去出版した内容が現在の「自己の確信に適合しなくなつたとき」、既に流通している出版物を回収・裁断することを出版権者に申し出る権利が著作権者にある、という事です。勿論、その費用(それに係る出版社側の損害も含む)は著作権者が負担することが前提ですけれど。
けれど、ネット上の書き込みに関しては、書き込んだ人間が著作権者であり、また出版権者になります。だからその場合の「過去発言の削除等」を行うのは、本来書き込んだ人が行う事であり、それが出来ない(<noarchive>タグを打ち込めないTwitterで呟いた)のであれば、書き込む時点でそのリスクを許容しなければならないのです。その当時は無名の一市民でも、将来著名人にならないとも限らないのですから。
「過去の発言が今になって問題視された」。それが自業自得と謂われるのは、《大過去》から《現在》までの間に何らの対処をも行わなかったからなのです。
なお、「忘れられる権利」という問題を考えるなら。
《大過去》過去発言を掘り起こされ、ヘイト作家とレッテルを張られ、アニメ化撤回並びに出版停止となる。【事件の発生】
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《過去》次作(新作)出版の可能性が限りなく低くなり、ネット上での当該作品の更新も行われない。
↓
《現在》今なおあの事件を掘り起こしてエッセイが書かれている。
という現状。「忘れられる権利」とは、これに対する批判の際に使われるものではないのでしょうか?
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