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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

夜には夜のごあいさつ 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 おっと、そろそろ休憩時間も終わりか。仕事に戻らないとな。

 時間に関する約束。こいつは公の場では守ることが当然とされ、表立って評価されないこともしばしばだ。個人間でもおおっぴらにしない人はしないだろうが、守った時と守らない時の信頼度の振れ幅は、非常に大きい。

 俺の意見なんだが、この時間のきっちり具合こそ、今のぶち切れしやすい人格形成に一役買っているんじゃないかと思う。

 正確な時間が分かることで、俺たちは直近に迫った用件以降も、パズルのように予定をはめ込んで動くことが可能だ。テレビ番組から面接、会議の時間さえも。

 いっときの遅れは、100の時間の遅れを招き、信頼を失墜させる。それが相手の落ち度となれば、怒るのも無理はない。

 恫喝する。攻撃的になる。「てめえなぞに、俺の積み上げたものを壊されてたまるか」ってな。

 もしも遅れに対して、全員が寛容でいられる環境だったのならば、キレることとそれがもたらす被害は、少なかったかもしれない。

 だが、これらの区切りは、想像以上にきっちりしていて、それにまつわる事件もあった。そのうちのひとつを、聞いてみないか?


 江戸時代半ばの、陽が再び伸び始めた春のこと。夕暮れ前に、とある街道の半ばで変死体が発見したという通報が成された。首の骨が折られており、手足もありえない方向へ曲がっていて、暴行を受けたのは間違いない。

 確認された身元は、近くの宿場町の長屋に住まう、今年30になった男。その界隈を活動場所としている問屋の人足だった。

 その日も仕事場で預かった荷物を持ち、お得意様へ届けにいくのを、送り出したところだったらしい。

 勤務態度は至って真面目。明け六つに仕事を始め、暮れの七つ半には退勤する。仕事終わりに屋台で食べるそばが、何より楽しみだったとか。

 独身で身よりはいない。仕事場以外での人間関係はほとんどなく、部屋も調べられたが、借金などの生活を圧迫する要素もなかった。物取りか、とも思われたが遺体のふところに財布が入っている。


 通り魔の類か、とその時は男の不幸を他人事としてみていた民たちだったが、それからほぼ毎日、似たような被害に遭う者が現れた。

 被害に遭う時間帯は、いずれも仕事終わりが近づく、七つ半の少し前だった。休憩、仕事の最中を問わず、人が襲われた。遊んでいる子供の中にも、同じような被害に遭った者が出る。そして、犯人の目撃証言は得られなかった。

 犯人の姿は、文字通り「見えない」。

 ごく最近、被害に遭った子供たちの証言はこうだ。

 夕方ごろに町はずれのやや坂道となっている野原で鬼ごっこをして遊んでいたところ、これまで皆を追って走り回っていた鬼役の男児が、はたと足を止めた。

 疲れた風を装って、逃げる連中のスキを作る策かと思い、一定の距離を保ったまま他の子どもたちは鬼の様子をうかがっている。

 鬼はというと、キョロキョロ辺りを見回して、「こんばんは〜、こんばんは〜」と声をかけ続けている。

 まだ空は明るく、「こんばんは」には早い。そもそも孤立した状態になっている鬼は、誰を相手に挨拶しているのか。

 先ほどから誰も捕まえられず、延々と鬼を担当していた彼。とうとう嫌気がさして、挙動不審になったかと、いぶかしむ一同の前で。


 彼は「ボキリ」と首を鳴らして、かっくりと「会釈」した。

 うつむいた顔は、左右にぶらぶらと揺れて、いっこうに上を向こうとしない。そうしているうちに今度は、両腕が力なく持ち上がった。胴体から直角に持ち上げられたそれらが、木材に潜り込んでいくねじのように回転していき、止まらない。

 当然、身体が持ちこたえられるものじゃない。肉の筋がブチブチと、腕の骨がゴリゴリと音を立てながら、一回転。二週目に入る時には、ひじ付近の皮膚が裂けて、血が滴り始めていた。

 なのに、彼は相変わらずうつむいたままで動かず、悲鳴ひとつもあげやしない。ついに二回転した腕は、いよいよ肉のらせんをその全体に浮き上がらせて、今にも引きちぎれそうな、筋のうめきをあげている。

 子供たちは逃げた。その場にとどまっていたら、次は自分たちの番が来るのは明白。ならば「にえ」に気を取られている間に、立ち去ってしまうべき。

 各々の家に散った子供たちは、その晩、一睡もすることができなかった。事情を尋ねた親たちによって、鬼の子を襲った悲劇が知れ渡ることになる。

 鬼役の子供が、最期に発した言葉は「こんばんは、こんばんは」だったこと。ほどなく日暮れを迎える時間帯だったことから、かの現象は、便宜上「こんばんは鬼」と呼ぶようになったとか。


 得体の知れない、「こんばんは鬼」の存在は、住民たちを震え上がらせることになる。

 子供たちは昼間のうちに家に帰ることが薦められたが、働き手たちには溜まったものではない。特に出来高で金をもらっているものは、早めに仕事を切り上げられたら、もうけが減ってしまう。

 金と命とどちらが大事か、と騒がれ始める中で、奉行所は表立って大きな動きを見せなかったが、非公認の協力者である岡っ引き、下っ引きと呼ばれる者たちは事態の捜査に着手。解決策を探っていた。

 およそ10日間に渡る聞き込みの後、寺の住職と何名かの老爺、老婆から過去に同じようなことが地元であったという話を知ることができたんだ。


「こんばんは鬼」の正体。それは陽が長くなることに対応しきれなかった、冬場の霊魂たちなのだという。

 昼間が人間たちの闊歩する時間であるように、夜間は彼らが闊歩する時間である。そして昼間、我々が人と会ったら挨拶するように、夜間、彼らも仲間とあったら挨拶をすると。

 彼らは、時間に対して非常に正確。一年を通して同じ時間に活動を始めるのだが、霊魂になりたての者たちの場合、陽があるうちは、人とお仲間の区別がつかない。

 今まで、被害に遭った者たちが、首を初めとする身体のあらゆる箇所の骨を折られてしまったのは、霊魂流の挨拶をしなかった者たちへの、折檻なのだという。彼らは「こんばんは」の後に続く、霊魂の挨拶ができず、肉体を壊すほど厳しくしつけられた結果、彼らの仲間にされてしまったのだと。

 このままでは、意図せずに挨拶ができなかったために、向こうの仲間が増えてしまう。それを防ぐための方策として、老人たちが打ち出したものがある。

 それは昼間のうちに森の中へ入り、クワガタムシの成虫を捕えることだった。

 

 まだ夏も遠いせいもあって、多くの人はクワガタがさほど多くないと思っていたそうだ。

 しかし老人たちは、適度な涼しさを残す、木々の影の合間を探るようにと告げた。結果として、例年にないほどのクワガタムシが捕らえられることになる。

 老人たちは金を出し合ってそのクワガタムシを買い取った。それらを香り袋に入れて、町中の店に置くことと、夕方以降まで外に出る必要がある者たちへ購入することを奨める。


「もしも夕方、誰もいないところで『こんばんは、こんばんは』と声を掛けられることがあれば、袋の口を開いて、クワガタムシを解き放つのだ。さすればなりたての霊魂たちも、相手が自分たちと違うことに、気づくであろう」


 老人たちはそのように、皆に告知したという。


 そのお世話になった第一号が、各店への手配を行った、岡っ引きのひとりだった。

 各店に事情を説明し、クワガタムシを置かせてもらった時には、すでに昼七つの鐘が鳴らされていた。

 空はまだ明るいが、事件が発生したと思しき時間帯。ここから自分の家まで帰るとなると、もう四半刻ほど歩く必要がある。

 彼はクワガタ入りの袋をひとつ買って、懐に入れた。人が少なくなってきた往来の端を、足早に自宅へ向かって歩いていく。

 いよいよ見慣れ、歩き慣れた長屋の並ぶ通りに差し掛かり、気分も落ち着いてきた時。

「こんばんは」と後ろから声を掛けられる。密かに気に入っている、飲みどころの女中に似ている声だった。


「おう、こんばんは」

 答えて振り返ったが、そこには誰もいない。すると、また背中の方から「こんばんは」と声がする。

 すわ、現れたかと懐に手を突っ込む岡っ引き、それを取り出しかけたところで、頭をがっと掴まれた。わしづかみにされたというより、こめかみ同士を万力で押さえられたかのようだ。

 ギリギリ、と脳に向かって、音と痛みが走り出す。声を出そうとすると、動いた顔の筋肉のせいか、なお痛みがひどくなるという有様。「なるほど、これではあっという間に頭を破壊されるのも、合点がいく」と思うほどだったとか。

 こらえながら、袋を取り出して、口を開く岡っ引き。

 中から這い出てきたのは、クワガタムシだったが、袋に入れた時には茶色かった胴体が、今は墨汁のような黒に染まっている。ほどなく身体全体をのぞかせたクワガタは飛び去ってしまうが、その飛び去った軌跡から黒い粉が舞って、じょじょに降り落ちてくる。

 どう見たって黒いのに、その粉は視界を完全に塗りつぶさずに、塀や建物の輪郭をしっかり残しながら、黒く世界を染めていく。それはまさしく「とばり」だったとか。

 

 岡っ引きの周りを、瞬時に包み込んだ夜。ほどなく、頭から痛みがすっと引いた。

 振り返る。そこには人魂と呼ぶには、少し大きい、上半身ほどの大きさの白く輝く球が浮かんでいた。上下に頼りなくふよふよと揺れながら、光球は岡っ引きから遠のき、やがて消えてしまったそうです。

 ややあって。訪れた時とは対照的に「ストン」と夜は地面へ落ちてしまった。そこにはしみのひとつもなく、周囲はまだ黄色い陽の光が残る、黄昏時だったとか。

 

 その日から「こんばんは鬼」の被害はなくなってしまい、話題はあっという間に風化。

 老人たちは、念のためにクワガタの販売を続けることを提案したが、梅雨時にはすっかり店からも姿を消してしまう。

 岡っ引きは、あのクワガタたちは、薄暗い森の中で「夜の暗さ」を溜め込み、それによって霊魂の視野を照らしたのだろう、と語っていったそうな。




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気に入っていただけたら、他の短編もたくさんございますので、こちらからどうぞ!                                                                                                  近野物語 第三巻
― 新着の感想 ―
[良い点] ヒェッ! おっとろしや〜……。 挨拶は大事ですが、向うの勘違いでそんな目に遭うなんて……。「こんばんは鬼」による折檻の様子が何とも恐ろしかったです。 おお、このクワガタムシの神秘的な力。別…
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