1st:始まり
「準ー! おーい! おっきてー!」
朝八時。陽光がカーテンの隙間から部屋に差し込むこの部屋に、いつもの声が準を現実世界へと誘った。
「んっ、今何時……?」
少女は自分の左手に光る腕時計を見ながら時間を答えた。新品特有のきらびやかさを見せるその時計は、進学祝いに両親から買ってもらった物だ。
「よかった。入学早々遅刻してたらしょうがないしな」
「だったら自分で起きればいいじゃない。第一私に起こしてもらおうなんて甘えた考えが−−」
「−−あぁー、はいはいはい。ごめんなさいねー」
準は話半分で茶を濁すと、よっ。とベッドから起き上がった。
「ほらさっさと行くぞ、香織」
「はいはい……、起こして貰っておいてお礼の一言もないんですからね……」
と、ぶっきらぼうに告げ部屋を出て行った準の方を見ながら、香織はため息混じりに呟いた。
準と香織。この二人は生まれた歳も同じで、準が越して来た小学生の時からの幼なじみである。本人達だけでなく両親同士の気がとても合った事もあって、二人は何かと一緒の時を過ごす事が多かった。
とても仲の良い二人だが、実はこの二人。好みも思考も全く正反対なのだ。
準はカレー、梅干し、海。に対し、香織はハヤシライス、おかか、山。準は射手座、香織はさそり座。準が西向きゃ香織は東。
しかし、もちろん先に言ったとおり決して二人の仲が悪いという事では無い。むしろ二人は小学生の時からしょっちゅう一緒に居たくらいに仲が良い。理由の一つとして雨が何回も降った為、地がガッチガチに固まったというのもあるにはある。
良くも悪くも二人の間に遠慮なんて言葉は存在しないということだ。
話は戻り二人の好みや思考の話になるが、事ある毎に二つに割れ、どんな小さいことでも気の合わない二人にも唯一共通の趣味がある。
それは“野球”。
二人はとにもかくにも無類の野球好き。勿論見るだけで無く、小さい頃から野球をプレイしていた。準は野球、香織は野球とは違うもののソフトボールのクラブに所属し、中学時代には二人それぞれ全国優勝を成し遂げている。
とは言ってもやはりその野球でも気の合わない部分があり、二人はそれが原因でしょっちゅう喧嘩もしている。
二人に言わせれば“ジャイアンツかタイガース”この二択は野球ファンにとって避けては通れない道らしい。
その日は雲一つ無い晴天だったがいかんせん、あまりにも風が強かった為心地良い日とは言えなかった。
こういう日には巻き上げられた砂によって風の流れが見えるようになり、グラウンド等の砂地では小さな竜巻が見えたりする。
二人はそんな中、いつものように横に並んで喋りながら歩いていた。
「なぁ、ほんとにソフトボール部に入んないのか?」
「うん、やらないつもり」
「何でだよ、勿体ないだろ。世界でもお前のようなピッチャーはそうそう居ないって言われてたじゃん」
香織がソフトボールを始めたのは小学三年生の時からだった。彼女それまでにも毎日のように準とキャッチボールをしていたので、投げ方やボールの感触は一応知っていた。とは言え、初登板した試合にノーヒットノーランを達成してしまっては、驚かざるを得ない。
そして香織はそれをきっかけにソフトボールを始め、気付いたら中学校のソフトボール部を全国優勝に導いていた。
当然彼女には様々な名門校からのオファーがきた。がしかし、香織は何を思ったかそれらを全て蹴り、近くの公立高校を受験する道を選んだのだ。この選択には香織に関わる人全てが驚き説得を試みたが、自分の選んだ道ならば……、と頑なに拒否する彼女の頑固さに周りの人達はやむなく説得を諦めた。
「いーの。ソフトボールはもう……ねっ」
「ふーん。……まっ、所詮ただの遊びでやってたって事か」
その一言で香織の眉間がピクッ。と動いた。
「何よ、その言い方は」
「ん、だってそうだろ。 そんな簡単に辞められる程度の物だったんだろ?」
よく飽きないなぁ。と周りから言われ続けて早10年。二人はこのような喧嘩を毎日の様に繰り返していた。
二人の言い争いが一通り終わったのは準と香織が今後学校生活を送る教室、一年三組の教室の前だった。
「それじゃあ部活はどうするつもりなんだ?」
「うん……、それなんだけどね……」
二人は鞄を机の上に置いて、前後に座った。準は机に右肘を立てながら、急に歯切れの悪くなった香織を面倒臭そうに見る。
「私、野球部に入ろうと思うの」
準は、はぁ? とまるで理解できないという面で香織を見る。
「なんで今更野球を始めんの?」
「違うわよ。選手としてじゃなくて、マネージャーとしてよ」
呆れ果てる準を横目でチラチラ見ながら、香織はモジモジと人差し指をクルクル回す。
「マネージャー? なに、準先輩お疲れ様です〜、キャピッ。とか言いながらタオルを渡してくれたりすんの?」
「キャピなんて言わないわよ。あと私達タメ(同年輩)でしょ」
準のからかいに少し苛々しながらも、香織は普通に言葉を返した。
「何でまた。香織だったらこの高校でもソフトボール日本一目指せるじゃねーか。じゃあスポーツ推薦以前にそもそもソフトボールをやる気すら無かったのかよ」
「そうよ。だからスポーツ推薦を蹴ったの。それにスポーツ推薦を蹴ったのは準だって同じでしょ。あんたこそ何言ってんのよ」
香織は準の問いにあえて答えようとはせず、逆に問い返した。
「俺は何度も言っただろ。近い高校じゃないと行きたく無いって」
「あぁ〜あぁ〜。確かにそうでしたね〜。そんな強豪校にわざわざ行かなくても俺が居ればどんな弱小でも甲子園優勝できるとか言ってね〜」
香織はさっき自分がやられた様に、嫌味たっぷりの口調で言った。
「あったり前だろうが。例えあいつらが立ちはだかっても俺は絶対に負けねーよ」
「まったく、そんな自信どこから出て来るのかしらね」
入学したての彼らはまだお互い知らない人ばかり。それが居たとしても数人で、やはり教室の中にはぎこちなさがあった。
しかしその中にあって、お互いに遠慮無くとても仲良さそうに話す二人。クラスの中にはその二人を見て恋人と勘違いする人も居たのだった。
ガラガラー……バァン!!!
「おーしお前ら、席につけー」
物凄い勢いで教室の扉がバッシィンと開き、その音にクラスメイト達は何事かとざわつき始める。
そしてその大声と扉の爆音を発信した男は、通りすがりに名簿をポーンと教壇の上に放り投げ、そして窓際一番前の席に座る香織とその後ろに座る準がに向かって一直線に歩いてきた。
その男は短髪で顎に髭を生やし、上下共に筋肉で固められ、がっちりとした肉体を持っていた。
「成る程。お前らか」
「……何が?」
「いいんだ。気にすんな」
顎に髭を生やす若々しいその男は、ガッハッハと笑いながら教壇戻って行く。何だこの人は、とクラス中の全員が心の中で呟いたが、女子生徒の中にはカッコイイと呟いた人も居た。
どちらにしろ、その男は一瞬にしてその生徒たちの気を引き付けたのだった。
バァン!!!
お次にその男は両手で思いきり机を叩く。教室が跳ね上がるかのような感覚に全員がピクンッと体を反応させる。
男は一通り教室を見回した後、成る程、さすがは日本一のピッチャーだ。と男は小さく呟く。そしてさっと後を向いて黒板に何かを書き始めた。
五十嵐……。どうやら名前を書いている様子である。
「俺はこのクラスの担任、五十嵐球児だ」
「えっ? 五十嵐球児?」
その名前を聞いた瞬間香織が何かを思い出したかのようにハッと反応した。
「何だ? 知ってんのか?」
「当たり前じゃない! ていうかあんた知らないの!?」
香織は目を真ん丸に見開き、本当に信じられないといった面で担任の五十嵐を見る。
「カイアンツで先発やってたあの五十嵐投手じゃない!!!」
「あ? 誰それ?」
「ほら、あの一昨年のプレーオフ決勝でチーターズをノーヒットノーランに抑えた!」
クラスメイト達はその香織の言葉を聞いてざわつき始めた。カイアンツの五十嵐と言ったら、甲子園優勝ピッチャーでドラフト一位入団。プロ一年目で新人賞を受賞した選手なのだ。
注目の選手として度々テレビで取り上げられていた為、知名度は抜群。野球を知らなくても五十嵐ならば知っているという人も沢山居るだろう。
野球を知っているどころか自身がプレイヤーである準は勿論思い出したには思い出した。が、そんな事よりも準の頭にはその時の忌ま忌ましい記憶が鮮明に蘇ったのだった。
「テンメー! お前のせいでどれだけの阪神ファンが涙をのんだと思ってんだコンチク−−」
「−−ごめんなさい。この人、ちょっと変なんです」
日本一を返せー。と駄々をこねる準の口を押さえながら香織は謝る。
準に分かりやすい説明をする為に、チーターズとの大一番の話をしたのが大間違いだった。
「ハハハハ。ライバルチームに目の敵にされるなんて、選手冥利に尽きるな」
と、五十嵐は準の言葉をさらりと交わした。そしてこれから自分が担当するクラス全体を見渡した。
「うむ、皆いい目してるな。よっしゃ、それじゃあ早速自己紹介からいくぞー」
五十嵐はクラス全員の目を見ていないのにも関わらず、適当な事を言った。
「それじゃあ名前順でいくか。んじゃ、最初は一之瀬準からだな。よろしく」
準は五十嵐をギラギラと睨みつけながら立ち上がった。
雑だったので文章修正しました。(1/4)