第8話 新しい日常風景
早いものでランディさんの家に引っ越してから五日が経過しました。
結果から申し上げると、私はとても快適な生活を送っています。
お屋敷は広いし、立派なお風呂はあるし、ベッドは最高の寝心地で二度寝の誘惑を振り払うのが大変だ。
そんな立派なお屋敷には住み込みの使用人さんが二人いる。
一人は女性でイリナさん、もう一人は男性でマークさん、共に初老で優しい笑みを浮かべてらっしゃる。
でも、ランディさんはほとんど城に寝泊まりをされるだけで、帰宅するのは年に数回ということらしい。こんな立派なお屋敷なのに、もったいない。
「旦那様がお帰りにならないものだから、わたしゃ掃除と自分たちの賄いを作るだけで非常に楽な職場ですよ。お休みも取り放題ですしね」
そう堂々と言うイリナさんに、私は苦笑してしまった。
しかしそんなイリナさんをマークさんは短くたしなめた後、仕切りなおすような咳払いをしてから口を開いた。
「主が不在の屋敷ですが、お嬢さんも安心してください。このお屋敷の防御結界は城で実践するための実験……つまり、城より最新ということですよ」
「それ、ダリウス殿下からお聞きしました」
私の答えにマークさんは実に満足している感じだ。
帰らない主人でも、だいぶランディさんのことが好きみたい。もちろん、それはイリナさんも一緒なんだけど。
ランディさんはお二人に私のことを『ダリウス殿下の命令で行う作戦の民間人の協力者』でしばらく家にいると、ざっくりとした説明をしてくれた。詳細は告げていないものの、二人はそれで納得して、私にそれ以上尋ねることはない。だから二人とも私が異世界人だとは知らない。
ただ、ランディさんがそう説明したことで、お二人は少々がっかりはされていた。
お二人ははじめ、私のことをランディさんの嫁候補だと思ったらしい。あはは、残念ですが笑みの一つも向けられたことはございませんよ。
ただ、私が作った食事をランディさんが食べているということには非常に感激されてしまった。そしてそのお陰であっさり打ちとけることにも成功した。
おかげで、いまのお弁当作りのお手伝いもしていただいている。
だから前より少したくさん作れるようになっている。
「これで、今日のお弁当は完成っと! ありがとうございました!」
「売れ残ったら夕食にしたいってのに、全然売れ残らないですねぇ」
「これからも売り切れたら嬉しいですね」
ちなみに夕飯はイリナさんの作ってくれたのをいただいている。
イリナさんは色んなソースがたっぷりかかった料理やあつあつのチーズたっぷりみたいな料理が好きみたいで、よくそういうのを作ってくれる。とっても美味しい。ただ、ランディさんはイリナさんの作る食事を見たことがないらしい。イリナさん曰くランディさんはイリナさんが来てくれた最初の日にご飯はいらない、部屋の掃除だけしてくれてたら構わないって言い切ってしまったそうだ。イリナさんはランディさんの仕事中の様子を見たことはないものの、稀に屋敷に帰ってきたときもいらないというので、本当にご飯を食べているのか心配していたらしい。
でももっとご飯に興味を惹くことができれば、ランディさんもイリナさんの美味しいごはんも食べたいって思うようになると思う。よし、とりあえず今はお弁当だけでも食べてもらえるように頑張ろう。
しかしランディさんはなぜあんなにも食事を省いてまで仕事に集中し、防衛魔術に傾倒しているのか、私は気になった。ダリウス殿下がランディさんの仕事の采配をしているようだが、ダリウス殿下はランディさんに急ぎ完成させてほしい仕事があるわけでもなさそうだ。そもそも、ギルバードさんもランディさんの仕事は終わっていると言っていた。だとすると、一体なにが彼を駆りたてているのか。
しかしそんなことを聞いたところで、親交を深められていない今だとまだシャットアウトされそうな気はしている。だからまだ聞けない。ただ、仕事が好きというよりは執念のようなものも感じる気がするんだけど……。
そんなことを考えながら、私は屋敷から城へと転移した。
「お疲れ様です、準備してきました」
「ああ」
「あと、これランディさんのです」
「ああ」
ありがとう、という言葉はもらえないけど、今日も無事受け取ってもらえたことにはほっとした。ぽいっと捨てられることはないし、食べているところを見られるのは嫌っているようだけど、いつも平らげてくれてるのは残飯が残っていないから知っている。でも、しかめっ面だからやっぱりどきどきするし。
素直な性格じゃないから、これでも十分美味しいって思ってくれてるんだと私は自分に言い聞かせた。
でも常にランディさんが不機嫌そうなのは初日でわかっていたことだけど、それが自己中心的なものばかりではないことはすぐに気付けた。
たとえばこうやってお弁当販売に行くとき、ランディさんは実はこっそり風の魔術で私の荷物が軽くなるように手伝ってくれている。それをランディさんが私に言ったことはない。でも気が付いた時にお礼を言ったんだけど、何のことだと睨まれた。でも、わかるんだよ。イリナさんが手伝ってくれてお弁当の量が増えてるのに、重さが全然かわらないんだもん。よろめいた時もすぐにバランスが戻るんだけど、絶対私の体幹のおかげじゃないっていうことはわかるし。
お礼も素直に受け取ってくれないランディさんだから、素直にお礼も言ってくれないのもなんとなく理解できる。それでも聞いてみたいとは思うけど、言わざるを得ないくらいランディさんを満足させることができたなら、それも叶うかもしれないので今はお預けされているだけだと思っている。それに、やっぱりいろいろと面倒をかけている以上強要することではないし、むしろ献上させていただくという気持ちだ。
私の召喚術に対してランディさんは色々調べてくれているみたいで、いくつか日本の様子についても尋ねられた。日本で魔術師に出会ったことはないと言ったこと自体は驚かれなかったが(おそらくこっちでも希少だからだと思う)、魔術がなくても電話があれば遠隔地の人ともいつでも通話できるといったことや、スイッチひとつで電気がつくということに驚かれた。ただ、そのスイッチとか電気という概念を伝えるのにも苦労したんだけど……。音を届けるということに興味を持たれたみたいだったので、ほかにはCDやボイスレコーダーのこともお話しした。
ただ、色々刺激になったみたいではあるんだけど、私の話自体には結局召喚の手掛かりになるようなものはひとつもなかったし、そもそも私の魔力の秘密というものもまったくわからなかった。
あ、でも異世界に呼ばれやすい一族だって親から言われていたことは伝え忘れていたから、そのことを話せば何かわかるかもしれない。帰ってから話そう。
そんなことを思いながら、私は街へと向かった。
ランディさんは護衛だけど少し距離を開けて、気配を消しながらついてきている。珍しい魔術師であるランディさんが私の側にいたら色々目立つだろうし、イクスさんやスピアさんも驚くだろうし、黒幕も警戒して近づいてこないかもしれないから……かもしれない。
でもダリウス殿下の提案にもかかわらずランディさんは今の状況に相変わらず反対しているみたいだった。最初はそれも私を怪しんでかと思ったけど、こうやって売りに行くのを面倒臭いという顔でもない。言葉上は突き離しているのに、風の魔術の件といい、表情や言葉とは裏腹に何かと面倒見のよいランディさんらしく心配してくれてのことなのかもしれない。
とはいえこれは本人から聞かなくてはわからないので仮定ばかりだし、聞いたところで答えてもらえるとは思わないから真意は不明だけど……。
でも、殿下から餌とは言われたものの、五日間なにごとも起きてはいない。
イクスさんたちみたいな常連さんやたまに来てくれるご新規さんにお弁当を売って、それから食材を買いながら街の噂を聞いて、帰る。こちらに来てから毎日行っていたことと、それ自体は何も変わっていなかった。色々考えられていた黒幕が、すべて懸念だったのかもしれないと思ってしまう。
けれどお城に戻ってから、それをぽつりとランディさんに言えば、ランディさんは目を吊り上げていた。
「……油断をし過ぎるな」
「それはわかってるんです。殿下の仰ってた最悪のパターンだと、私もとんでもない目に遭うかもしれないし……。でも、ランディさん以上の魔術師ってあまりいないんですよね? 召喚できそうな魔術師の一覧表とかないんですか?」
あるなら、その人たちにカマをかけてみるのもありかもしれない。
でも、そんな私の考えは一蹴された。
「魔術師の力は、軍に所属している者であればたいていわかる。ある程度の実力者については、すでに調べた」
「……さすがですね」
私が思いついたことは先にしてくださっていた。
……まあ、そうか。
「でも、私にとっても帰る手掛かりにつながるかもしれないのに、お弁当を作るしかできないって、なんだか申し訳ない気分にもなりますよね」
最初は生活基盤を整えるために始めたお弁当屋さんは、なかなか天職かなとも思っている。喜んでもらえて嬉しいし、料理をするのも楽しい。何を入れようかと頭を悩ませるのもあるけど、きれいに箱詰めできたときはその苦労もあっという間に吹き飛んでしまっていた。
でも今は暫定的だとはいえ、生活基盤はできてしまっている。お弁当はやっぱり喜んでもらえるので作るのは楽しいし、この状況もいつ変わるかわからないのでお金を貯めるためにも続けれるなら続けたいんだけど、この環境を与えてくれているランディさんに『餌』以外にも協力できることがないのかということも気にかかっている。
でも、ランディさんはくだらないとばかりに言い放った。
「そんなことを気にする暇があるなら、魔術の一つでも使いこなせるようになればどうだ。火なら使えるんだろう」
「あ、そういえばランディさんはダリウス殿下から私の魔力について調べるように言われてらっしゃいましたよね」
「本人が使えないものなど調べようがないだろう。明らかに魔力は高いが、火の玉が出たくらいじゃ、どうこう調べるすべもない」
「そういうものなのですか」
まったく基礎知識がないのでそれで納得していいものなのかわからないが、それなら自分の魔術を――単に単語を口にしただけのものだが、試してみるべきだろう。
それに、ちょっとだけわくわくしている。
不謹慎かもしれないが、魔術など、絶対に日本にいたときにはできないことだった。加えて、もしも不届き者が現れたとしても魔術を使いこなせることができれば、助けを求めるだけではなく自身でも多少は対抗できるかもしれないとも思ってしまう。
「ちょっと使ってこようと思います! お庭、お借りしますね」
「ああ。庭は壊すな」
「もちろんです」
そして私は慌てて両手に食材を抱え、転移陣をくぐりお屋敷に戻った。