第67話 千年前の聖女の祈り(5)
魔神は聞いていたとおり竜の形をしていた。
しかし、その姿はあまりに想定外のものだった。
もともと私は明確に姿を想像していたわけではない。
けれど、どこまでも深い闇色の存在だとはわずかにも想像していなかった。
竜の表面にはきっと凹凸もあるはずなのに、それすらまったくわからない。まるでこの空間に竜の形の穴が開いたようだった。
竜は動かない。
封印はまだ保たれているからだろう。
しかし――。
「苦しそう」
邪神を見ているうちに思わず零れた言葉に私自身が驚き、急ぎ謝罪を口にした。
「ごめんなさい」
魔神に対して同情するような縁もないし、スイさんの立場から考えれば仇といって差し障りない。今の私たちにとっても放置するわけにはいかない脅威でしかない。
でも、スイさんは緩く首を振った。
「私も、そう思います。真昼さんが感じたのも施された封印が苦しいという意味ではないでしょう?」
「……はい。なんだか、フェニが魔物になっていた時と同じで……魔神でいることが、苦しそうに見えます」
封じられた本当の気持ちなんてわからない。
でも、相手が動かない今だからこそ伝わってくる空気でなんとなくわかる。
「たぶん、この魔神は元は竜神だったのではないかと思うのです。瘴気で苦しんでいるなら、早く送ってあげたい。もし自我が残っていると、本当に苦しいんです……」
それはスイさん自身の経験からもあるのだろう。
そんな中、ランディさんが魔神を封じる氷に触れた。
「……封印を解かなければ討伐は不可能だ。この氷はこのままでは永続するものではないが、定期的に封印を重ねれば、半永久的に封印は続くだろう」
状況は最悪の想定よりは幾分かよいものであったらしい。
「だから、封印を解くことは許容できない。混乱を招く上、被害が想定できない」
「ならば……封印の上からの浄化を、一度真昼さんにお願いしてもかまいませんか? 私にも魔力さえ残っていたらできたんです。でも……これには多くの魔力が必要になりますし、なにより性質の問題で、おそらくランディさんにはお願いできません」
「……だからこそ、これを連れてきたかったのか」
「この子も、もう、きっと休みたいと願っているんです。もしも難しいようでしたら、千年前の封印の術式をランディさんにお教えします」
ランディさんは返事をせず、私を見た。
「どうする」
「やりますよ。でも、だめだったら一旦帰って作戦会議ですね」
そう即答しつつも、失敗を前提に行う訳じゃない。だって、これで浄化ができれば、すべて綺麗に片付くのだ。
スイさんも勝算があるから提案してくれているのだと思う。
「方法は……方法とも言えないものかもしれません。ただ、『祈りの力』を使うことです」
「『祈りの力』? ですか?」
なにやら新しい単語に首を傾げれば、スイさんも同じように首を傾げた。
「聖女が持つ力とされていますし……その、真昼さんは昨夜も今日も使われていましたよね」
「え? ……もしかして何だか白い力っぽいやつですか?」
何か温かい力ということで済ませていたけれど、あれはそんな名前だったのか。
あれは祈るというより対抗するとか、そんな意識な気がするけれど、頷くスイさんを見て間違いないのだと認識した。
「真昼さんは力を失う前の私より、とても魔力が高いようにお見受けします。どうかーー浄化で、魔神にも安らぎを」
「方法、お聞きしても大丈夫でしょうか」
「氷に両手をつき、あの力を発現させてください」
私は頷き、言われた通り氷に手を当てた。
「!?」
そして一瞬でついた手を離した。
ランディさんが触れていた際は普通の氷に見えていたのに、一気に力を吸われるような感覚かつ何かが流れ込んでくる感覚が身体に走った。
「どうした?」
「いいえ、思った手触りと違ったので驚いて」
尋ねるランディさんに答えると、ランディさんの眉間に皺が寄った。
さきほどランディさんが氷に触れたときには、おかしな様子はなにもなかった。
なので、おそらく私の魔力に何かが反応したのだろう。スイさんが言った性質の関係かもしれない。
でも、ここでやめるわけにはいかない。むしろ力を吸ってくれるのであれば、どうやって流し込めばいいか考えなくてもいいと前向きにも捉えられる。
私は両の手で自分の頬を叩き、気合を入れた。
「よし」
そして今度は自身に白い光を纏わせてから、私は再び氷に手をついた。先程と同じく強く力を吸われる感覚を覚えながら、私は目を瞑った。集中していないと、白い光が消えてしまいそうだ。
目を瞑っているので視界が暗いのは当たり前だが、力を吸われているせいか、目を開いても暗闇しかないのではないかと思わされる、そんな感覚があった。
そうしていると、やがて一点の光が現れた。
そしてそれは瞼の外側ではなく、内側に現れたものだと感じた。
しかし思っている間に光は急激に大きくなり、私の視界を全部白く塗りつぶした。
驚いた私が目を開いたとき、目に入った光景は緑が眩しい森の中だった。
思わずあたりを見渡してもやはり森でしかなく、周囲にランディさんやスイさんの姿はない。ただし移転したような風でもなく、むしろ身体の感覚もいつもより随分軽いような気がした。あえて言うならば、夢の中にいるような雰囲気だろうか。
周囲の木々の中には、ひときわ一本の大きな木がそびえ立っていた。
その木の根元には、一頭の竜が体を横たえていた。とても大きな竜で、小鳥がその背で囀っていても気にしていない。とても幻想的な光景だった。
その中に、一羽の黒い靄を纏った鳥が現れた。
竜の背にいた小鳥は全て飛び立った。その靄を纏った小鳥が瘴気に侵された魔物であることは、私も本能的に理解した。しかし竜は慌てることなくゆっくりと起き上がり、小鳥に向かって一度息を吹きかけた。すると驚くことに、鳥から黒い靄が消え、鮮やかな色羽が姿を現した。
それを見た私は、竜が瘴気を浄化したのだと理解した。
鳥が去った後には人間の親子が現れ、まるで神に祈りを捧げるかの如く、竜に祈りと花を捧げている。
しかしその穏やかな風景は急に暗転した。
先程までの情景とはうって変わった嵐の中で、竜は大勢の魔術師によって攻撃を受けていた。我が国の味方をすればいい、それだけだ、と人々は叫んでいる。
竜は魔術師たちの攻撃などものともしないが、やがて『龍神様に何をするのか』と竜をかばう人々が現れた。しかしそれらの人々は村人のようで、戦の装備などろくに整えていない。彼らは一度の魔術師の攻撃にさえ、耐えることができなかった。
その光景を見た竜は猛り、咆哮した。
そして、その姿はどんどん黒くなる。
それから、場面は再び暗転した。
何もない黒い世界。その中で、低い声が聞こえた。
初めは、守りたいだけだった。
それなのに、なぜ失うことになったのか。
この痛みに、報いるものなど、なにがあるというのだ。
そなたも同じだろう?
暗闇からそう問われて、私は息を飲んだ。
しかし、この私が状況を考える前に、後ろから声が聞こえた。
『そうかもしれません』
聞き覚えのある声に私は思わず振り返った。
そこにいたのは、俯いたスイさんだった。
いや、違う。俯いたように見えるが、違う。それは氷漬けにされ、封じられているスイさんの姿だった。
スイさんの口は動いていない。けれど、確かにその声は耳に届く。
『異世界から呼ばれ、我の封印を命じられ、人柱にされた哀れな娘。この世界の安寧を支える意味がそなたにあるのか。共に世界を滅すれば、この苦しみから解放されると思わぬか』
魔神と思わしき声は、同情だとすら感じられる声でスイさんに語りかける。
『そなたは、この世界から捨てられた。我を祀っていたことで、力を持つ者たちとして恐れられた村人たちのように。我を封じ世界を救ったことこそが、権力者の脅威となり、殺される。憎いだろう?』
それは、スイさんから聞いたスイさんの経緯とは少し異なる。
けれど、結果は同じことだ。
『あなたが……なんと言おうと、ローランは……ローランの、世界は壊させない』
『ならばなぜその者はそなたを助けに来ぬ。見殺しの仲間ではないか』
『ちがう』
『誰かのためにと言えば綺麗に片付く。捨てられたと認めぬにはよい理由となろう』
『ちがう』
しかし、その言葉を否定するスイさんの身体には黒い靄が少し纏わりついた。
それを見た竜は再び言葉を続ける。
スイさんが封じられていた期間は約千年。
仮に本当に納得していたとしても、千年もの間、このような問答を繰り返されたとき、どのような精神状態になるか……私は想像したくはなかった。
負の感情を溜込むことが瘴気を生み出すということであれば、スイさんにいるもう一人のスイさんが生まれた理由はここにあったのだろう。
呪いのような刻に染められ、生まれたのが彼女だ。
しかしスイさんは今もそんな自分と戦い、押しとどめようとしている。千年が経ち瘴気に侵された今でも、この世界を壊したくないと願う気持ちに偽りはない。
そして、今のスイさんはその気持ちが勝っているからこそ、私たちに魔神のことを託したんだ。
それなら、私は友人の願いを果たす協力をするだけだ。
だから、この竜も浄化しなければならない。
「あなたに、スイさんを苦しめる権利はない」
この竜も苦しかったと思う。
でも、だからといってスイさんを苦しみの道へ連れ立ってよいものではない。
わかりあえることではないかもしれない、そしてそうなれば純粋な力比べになるかもしれない。
けれどほかにできることは思い浮かばず、私は竜に向かって駆け出した。
そして竜に白い光をぶつけた瞬間、驚くほど眩しい光に風景一体がかき消された。
次に目を開けた瞬間飛び込んできた光景は、元いた地下大聖堂の中だった。
手のひらをつけていた氷柱は消え失せていた。
かわりに、私が伸ばしていた両手の手首を掴んで支える手が見えた。これは、ランディさんの手だ。
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電子書籍版も同時発売ですので、よろしくお願いいたします。
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