第63話 千年前の聖女の祈り(1)
「えっと……千年前ですか?」
「はい」
「ちょっと待ってください。私も日本から来ましたが、スイさんの生きていたときからそれほど時期は離れていないと思うんです」
日本で千年前といえば平安時代だ。
現代と食生活は大きく異なり、スイさんが私のご飯を懐かしんでくれたことと話が合わなくなる。だから同じ出身だとするなら、もっと近い時代のはずだ。百年どころか、五十年も離れていないと思う。
「……異世界と道を繋げる際には時空を歪める。ズレが生じることもあるだろう」
戸惑う私に横からランディさんからの解説が入った。
でもそうなると、ランディさんによって日本に送られた私も下手をすれば相当ずれた時代に帰る可能性もあったということだ。
帰ったときにお母さんがランディさんの送還が上手いと褒めていた意味がようやくわかった気がした。
確かにランディさんも自信満々だったと記憶しているんだけれど――やっぱり魔術の行使に関しては本当に凄いんだな。私は教わった『縁』を頼りにこちらに戻って来たけれど、送り帰した当人はそんなことを誰に教わったわけでもない。
ランディさんの言葉に、スイさんも頷いた。
「仰る通りです。私も呼ばれた折に、元の世界に帰りたいと願ったとしても私の時代に帰れる保証はないと言われました。そもそも方法がわからないとも言われましたが」
「いずれにせよ、話は長くなるな。奥に行くぞ」
「そうですね。スイさん、立てますか?」
「はい」
状況についていけていないけれど、この場所ではゆっくり話すことができないのはわかる。
私はまだ少しよろめくスイさんを支え、奥の部屋に向かった。
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私たちが奥の部屋に入ると、そこで居眠りをしていた不死鳥が驚くほど俊敏な動きで目覚めたことを知らせてくれた。先ほどから大きな音が店のほうからしていたはずなのに、この子はまだ寝ていたのだろうか。音に鈍感な子なのか、はたまた疲れていたのだろうか?
しかし、私が呆れるよりも先に不死鳥はスイさんに向かって一直線に飛んできた。
「ピィ、ピィ……!!」
「フェニ……? あなた、フェニよね? 生きていたの……?」
「え、スイさん……この子と知り合いですか?」
驚くスイさんに、私たちも驚いた。そして不死鳥も驚いていた。
しかし不死鳥はスイさんを認識すると胸に飛び込み、ひたすら甘えた声を出した。そしてこの子の名前、フェニだったのか。
「この子は大事な友達です。この子のことも、一緒にお話しできればと思います」
そう言ったスイさんに、私はソファを勧めた。
ランディさんと私は店内のカウンターから椅子を持ってきて腰を掛ける。
スイさんは膝の上でくつろぐフェニを撫でながら口を開いた。
「千年前、この世界には魔神と呼ばれる邪竜が現れました。その瘴気は尋常ではなく、魔物が激増し、人々の生活を圧迫していました。その邪竜を倒す手段を持つ者として、私は異世界の……マヒルさんと同じ日本から召喚されました」
「千年前といえば旧王国時代か」
「はい。当時この地はラズガルベール王国の領地でした。いまはアズトロクロア王国ですよね」
スイさんは小さく苦笑したものの、すぐに視線を落として話を続けた。
それは話しにくいことを話すというより、整理をして話すことに集中しようとしているようだった。
「それまで普通に日本で暮らしていた私は戸惑いましたが、浄化の力を持つと判断され、勇者たちと共に邪神討伐に赴くことになりました。フェニは、道中で得た仲間です。本当は怖かったのですが、元の世界に帰れる保証がないと言われたため、選択肢はありませんでした。そして、なんとか封印することには成功したのです」
「封印……?」
討伐という言葉から相手を滅ぼしたものかと思ったのだが、異なる単語が出てきたことに私は思わず聞き返してしまった。
スイさんはすぐさま頷いた。
「はい。残念ながら魔神を葬るだけの力が私たちには足りず、封じるに留まったのです。それでも世界に広がる瘴気は薄まり、人々の生活に支障はなくなりました」
そこで、スイさんが握っていた手に力を込めた。
「ですが、国王は私たちを呼び出し言いました。魔神の封印を強固にするのであれば人柱を立てるのが早い、と。それには浄化の力を持つ私がふさわしい、と」
「なに、それ」
「共に戦った仲間は封印が安定していると主張し、ほかの手段を探すべきだと反論してくれましたが、結局私は封印の要として縛り付けられることになりました。そして以来約千年、眠りにつきました」
異世界に召喚され、帰る道がないと言われ、魔神と戦った末の結末が人柱。
私はどう言葉をかけてよいのかわからなかった。
スイさんは私たちの反応を待つことなく言葉を続けた。
「ですが五年前、私を封じていた氷柱が解けました。私は一瞬、邪神の浄化を終えたために解放されたのかと思いました。ですが、むしろ逆でした。私の身体は魔神の瘴気に侵され、魔力と浄化の力を失い、封印から剥がれ落ちたのです」
「……封印が、解けたのか?」
「いえ、封印自体はまだ存続しています。ですが……おそらく、あと百年も持たないと思います」
スイさんの言葉に、ランディさんの目が細められる。
「すでに聖女としての力を失った私では再度の封印を施すこともできない。そのため、封印できる力を持つ方を探しはじめました。ですが当時からはや千年、邪神も怪談の類としか受け止められませんし、そもそも力を持つ方に出会えない。そして焦る日々の中で、私は私の中にため込まれた瘴気が生み出した人格に意識を乗っ取られるようになりました」
「それは……さきほどの、スイさんじゃない、スイさんみたいな人に、ですか」
「はい。ランディさんが『月下の妖女』と仰った人格です。もっとも、私の意思で制御できないとはいえ身体は共有していますから、彼女は私で間違いありません」
悲しそうで、申し訳なさそうな表情でスイさんは告げた。
瘴気は動物を魔物にする。人間の例は知らないとランディさんは言っていたけれど、魔神となるなら例外だろう。
でも、そうなるとスイさんは魔物を自分で抑えている状況ということなの……?
次々と疑問を浮かべる私の隣で、ランディさんは続けて尋ねた。
「『月下の妖女』が反王室派であるナーノン家の娘、スージーだということは知っているが、お前が五年前に目覚めたというのなら入れ替わったのか?」
「はい。『彼女』はナーノン家に取り入って娘に成り代わり、一派の参謀を担っています。『彼女』も私と同じく魔術の知識がありますし、伝手を使ってメアリー氏やドイル氏と交流を深めたため、反王室派の一派の中では非常に強い発言力を持っています。ですが、彼女は自分ができない聖女の召喚を他者に行わせるためにその立場にいるにすぎません。聖女としての力を失った身体では知識を存分に発揮できませんから……反乱はあくまで『彼女』に言わせれば暇つぶし程度の娯楽、です」
「……そういうことか」
口にしながらも、スイさんにも思うところはあるようだった。スイさんと、『彼女』が相容れない存在であることがその表情だけでも窺える。
しかしドイルさんに嘘をついて魔力を使わせて私を喚んだメアリーも、『月下の妖女』に都合よく利用されていたのか。なんのメリットもなくメアリーに術を教えたとは思っていなかったけれど、召喚された聖女を自分のために使うつもりだった――って、あれ?
「ただ、どのような状況であれ月下の妖女が聖女を呼ばせたのであれば、私はなんとしてでも聖女に魔神を再封印していただきたいと思いました。ただ聖女の手掛かりは私にはなく……『彼女』と意識を奪い合いながらこの地にたどり着いたところです」
「あの……どうして『月下の妖女』は聖女を必要としたのですか?」
反乱のため、なんらかの道具として利用される……ということなら、まだわかる。だって彼女は昨日も王都を襲っていた。だからそういうことをしてもおかしくない。でも、反乱分子に混ざることが娯楽であり手段であるなら、目的ではない。
だったら、どうして聖女が必要なの……?
「……彼女の目的は邪神の封印を解き放つことです。彼女は封印が解けるまでの百年を待たず、今すぐにでも邪神を解き放ちたいと考えています。そのために、聖女を必要としています」
「え?」
「正確に言うと聖女を必要としているのではなく、聖女の血と躯が必要なのです。聖女の生命力で作った封印を破るには、反対の象徴となる聖女の死を捧げるのが早い、ということです」
私をまっすぐ見てスイさんは説明してくれるけれど、理解が追い付かない。