第60話 『月下の妖女』(2)
そしてたどり着いた先は私のお店だった。
ちょうどここは人が来ないし、都合がいいのだろう。
お店に入ったあとは奥の部屋にまっすぐ向かい、ランディさんはソファに深く腰かけて頭を押さえた。
「……お水、飲まれますか」
「助かる」
先ほどまでは何でもない風に言っていたランディさんだけれど、私が想像していた以上に魔力を消耗しているみたいだ。息を整えるような呼吸の仕方は今まで見たことがない。倒れるような様子はないけれど、疲労が見える。
ランディさんはダリウス殿下には余力があると返事をしていたけれど、それがどれほどなのかは言っていなかった。緊急事態であることを鑑みた余力だと言っているのだとしたら、それほど大きな余裕はなかったのかもしれない。
水を一気に飲み干したランディさんは、先ほどの記録紙を私に見せた。
「この文字を知っていると言ったな」
「ええ。間違いがなければ……日本語です。私の母語です」
「何が書いてある」
そう問われて、私は悩んだ。
「大事な部分が欠けているのか?」
「いえ、そういうわけではないのですが……抽象的で、よくわからないんです。ひとまずかけてる部分は除いて、そのまま読み上げてみますけど」
ランディさんの心配はまったくないんですよと思いつつも、これが本当に魔物を呼んだものなのかは、私には疑問だった。
『声を聞け、我と志を供にするものたちよ
夜闇のもと、安息に―――願う者たちよ
集え、我らの願いはここに実を結ぶ
我、汝らの―――、その――は―――』
「……この後はまったく読めません」
「どれが文字だ」
「ええっと……」
漢字とひらがな交じりの文章を、私はランディさんに説明した。
表音文字を利用するアズトロクロア王国では、表意文字である漢字に驚いていた。
この世界でも表意文字を利用する国はあるものの少数派らしく、組み合わせとなると極々稀らしい。
「でも、これが書けるということは……この魔術陣を描いた方は私と同郷の方かな、なんて、思うんですが」
「だろうな」
「そうなると……召喚された人がほかにもいる可能性があるんですよね……?」
そこで感じたのは相手に同郷かもしれない者がいるという驚きよりも、懸念だった。
「もし、私の時と同じ術式で呼ばれたなら、その人にも紋がついているんじゃ……」
「可能性はある。召喚者と被召喚者の間に隷属関係が植え付けられていれば、今回の犯人は単なる駒に過ぎない」
眉が寄るランディさんは、転移陣の写しを指でなぞった。
「しかし、お前の世界では魔術は一般的ではなかったんだろう」
「はい」
「こちらの者が主導しているなら、わざわざ異国の言葉を組み込んだ魔術陣を描かせる理由もない。隷属させてるとはいえ、余計な知識を付けて反逆されることを召喚主は恐れるだろう。だから、あえて新しい魔術陣を作り出すようなことはさせない」
隷属の紋だって知識さえあれば外れる。
ランディさんはそう続け、その後長い溜息をついた。
「ひとまず人物像については考えすぎるな。先入観が過ぎると見落としが生じる」
「そうですね」
それは間違いないと思うけれど、気遣いもあると思う。
こんなところで同郷の人っていうのは予想していなかったことだ。だから動揺もある。
でも、ふと同郷と聞いた時にスイさんのことも思い浮かんだ。
スイさんは今は関係ないし、そういうことをする人じゃないっていうのに何でだろう。見かけと、お寿司の話をしたせいかな。
「どちらにしても、その陣がどこに繋がっているかわかれば手掛かりができますもんね」
「そういうことだ。平原の召喚陣の欠落がここと異なっていれば、完成もする。夜間は暗く、灯りがあっても定かではなかった。しかし、そろそろ写しが届くはずだ」
「でも、その陣がここのものと別だったら……」
「パズルの継続だ」
……ですよね。
頼もしくはあるのだけれど、あの瓦礫から組み合わせて行くことを思えば、現場の方々に心からの応援を申し上げたい。
「でも、あのパズルを解くなら私もあそこにいたほうがいいかもしれませんね。文字、私しかわからないと思いますし」
「いや、もうしばらくここで待つ。魔術陣だけなら行ってもいいが、魔力の残り香の探索も行っている。探索している側にあまり魔力が強い者がいては邪魔になる」
「混じっちゃうんですか?」
「ああ。昨夜と違い騎士も待機しているから、そう易々と襲撃されることもないだろうが、ここなら騒ぎが起こってもすぐに駆けつけられる。俺はここで、魔術陣の文様を読み解く。文字か文様かわかれば、まだ解読がしやすい」
ランディさんにとって漢字は文字に見えたのだと思うけど、ひらがなと雰囲気があまりに違ったので、なんとも判断し難かったのかもしれない。
「解読って、主に何を調べるんですか?」
「座標を探す。どこかに、魔物を呼ぶための座標が組み込まれていたはずだ。……普通は転移の魔術陣は座標を記すためのものなんだ。詩のようなものが書かれていた理由はわからん」
「……あの、ランディさん。一つ思ったんですけど……もし平原の魔術陣と組み合わせてこれが完成したら、逆にその陣を使って相手の懐に殴り込みにいくのってどうでしょう?」
「まず確実に一方通行の術式にしているはずだが」
「逆走もできるかもしれませんよ。……でも転移先がどんな状況か見えないとなると、やっぱり危険が高すぎますね」
一瞬いいアイデアかと思ったけれど、何が待ち受けていてもおかしくはない。
あえて罠として残されている危険もある。
今の私の魔力だと、危なくなってもお屋敷まで魔術陣なしで転移できると思うけれど、二人でタイミングが合わせられなかったら残ってしまう恐れもある。
「仮にどうにかなるとしても、むやみに相手を刺激するわけにもいかない。手段の一つとしては考えるが」
「やっぱり却下ですよね」
「打つ手がなくなればそうするが、魔力の都合もある」
悪手だとは思いつつも一考してくれたらしい。
現時点では却下ということに変わりないけれど……。
でも、今の言い方からしてランディさんはやっぱりかなり消耗しているんだな。
「ランディさんって、実際のところ今はどのくらいお疲れなんですか。魔力が切れそうだったりとか、倒れそうだったりとか……」
「そんな心配するようなものじゃない。昨夜も倒した魔物は三体程度だ。ただ再生能力が尋常ではなかったことと、腰を抜かした奴らのお守で疲れただけだ」
でも、その腰を抜かした人も訓練をしている人……だよね?
そんな人が動けなくなるくらいだ、実際は言葉ほど簡単なものではなかったのだと思う。
しかもそれが三体って……。私、一体でも動けなくなったんだけど……。
「ランディさん、少しでも休めるときに休んでくださいね。倒れたら、余計に皆が困りますからね。私も困りますよ」
「無茶をするなと言いたいのだろうが、お互い様だ。ろくに戦った経験もなく飛び出した奴に、言って聞かせてやりたいものだな」
「う……じゃあ、お互い気を付けるよう言い合うことで手を打ちましょう」
「なんだ、それは」
「だって、じっとしていられないのはお互い様じゃないですか」
少々後ろめたいのは、ランディさんが私に対して窘めているのは勝手なことをしたからというわけではなく、危ないことをしたから心配してくれているからだと理解できるからだ。だから結果オーライとは強く言い返すことができていない。
けれど、だからといってほかに方法があるかと言われれば、いまでも別の手段があったとは思いにくい。
目を逸らした私にランディさんは溜息をついた。
「ただ、助かったのも事実だ。王都も魔物の撃破がもう少し遅れれば、もう二、三体追加で現れた可能性があるということだ」
「……それだと、大変でしたね」
「他人事みたいに言うな。当事者だろうが」
けれど、そういう認識がなかったのでそう言われても少し困る。
でも、知っていなくて正解かな。そんなことを知っていたらより緊張が高まって、大変なことになっていたとも思う。
「そろそろ冗談はやめて、陣の検証を始める」
「あ、はい。私は何をしましょうか?」
「やることがないなら休んでおけ。全快というわけではないんだろう」
「ダリウス殿下から魔力をいただきましたので、本当に不調ではないんですよ」
もちろん全快というわけではないけれど、日常に不都合がないくらい魔力は譲っていただいている。
でも、思い返せば昨夜の戦いももう少し力を制御できればもっといろいろなことができたと思う。
文字の練習と同時に魔力の扱いについても、やはり初歩から磨くべきかな。
……って、それは今は関係なくて。
「だいたいランディさんのほうが今はお疲れじゃないですか」
「俺は休んでいればすぐ取り込める」
「それを言ったら私もです。だいたい、そう言いながら休んでいないのは誰ですか」
半眼で睨んでみたものの、ランディさんはまったくこっちを見ていない。見ていたとしても、素直に頷いてくれるとは思わないけども。
しかしそんな中でランディさんがぽつりと呟いた。
「悪いな。返してやれなくて」
「え? なにをです」
「魔力。前にもらった」
その言葉に私は目を瞬かせた。
あの、返してもらうなんてことを考えたことなんてなかったんだけど……!
でも、ランディさんはそんなことを気にしていたのか。
というか、私もたしかに供給をしたことはあるけれど、手の甲に口付けたことを思い出すのは大変恥ずかしいし隠しているのがバレてほしくないので、本当に気にしなくていい。
散々顔にでやすいと言われているならなおさらだ。
でも、ここでランディさんに気にしないでって言っても聞いてくれそうにないかな。
だって、ランディさんだし。
なら、代わりのお願いをさせていただこうかな。
「じゃあ、いろいろ片付いたらランディさんの奢りで酒場に行きませんか?」
「酒場……?」
「ほら、楽しそうですけどひとりでデビューも寂しいですし」
「喧しそうだが」
なんでそれが代わりになるんだかわからないと言った具合のランディさんだけど、やがて溜息混じりに頷いた。
「酔い潰れないならな」
「ありがとうございます」
呆れられたような気はするけど、これでランディさんも納得してくれたならなによりだ。
「……じゃあ、私は私なりの休憩をさせていただきますね」
「休みと言っているのになぜエプロンを手にしているんだ」
「だって、じっとしているのも疲れるから気分転換にお料理をするんですよ」
「……」
「そんな呆れた顔をしないでください。ちょっとお茶を淹れるついでに、なにもしなくても出来上がるものを作るだけなんで」
そして私は調理場に移動し、お鍋にたっぷりと水を入れ、それなりの量の卵を投入した。
作るのはゆで卵だ。
マヨネーズと和えて使ってもそのままお弁当に入れても、どっちもおいしいよね。
もともと今日はオムライス弁当を作るつもりで用意した卵たちがたくさんあるし。あ、茹で卵といえばスコッチエッグも作れるな。ハンバーグの中に卵が入っているのもおいしいんだよねぇ。見かけも綺麗だから映えると思うし。
そんなことを考えながら茹で上がった卵を水に浸け直していると、部屋からランディさんが出て来た。
「……本当に料理をしていたのか」
「料理と言っても、待っていただけですけどね。何かありました?」
「ああ。一つ聞きたいことができ……」
そう、ランディさんが言った時だった。
入口の扉にドンッ、と何かが強くぶつかったような大きな音がした。




