第59話 『月下の妖女』(1)
そして慌ただしく朝食を終えた後、私たちはまず屋敷からスイさんが滞在している宿に向かった。
宿はちょうどお屋敷とお店の中間地点にある場所だ。
噴水にもそれなりに近いけれど人通りは普段通りで、昨日の影響はあまり感じられない。しかしそれでも、まるで夢でも見たようなことが起きたと住民の口から零れていた。
「噴水の広場で魔物が暴れまくったとかなんとか……」
「でも城からすぐに討伐隊が来てくれたんだろ? 頼もしいねぇ」
「まあ、店や家に被害がなかったなら問題ねぇな。俺なんか飲んでる途中に気ぃ失って、魔物の側にいたのに見れなかったんだぞ?」
「お前は普段から酔い潰れまくっているだろうが。酒の飲みすぎだぞ!」
それから続く、笑い声。
その様子には緊張感は見られなかった。
摩訶不思議な出来事が起こったけれど、どこか他人事のようでもある。
「……お前がさっさと倒した成果も大きい」
話す人たちを横目で見ていると、ぼそりとランディさんがそう言ってくれた。
でも、たぶん混乱が広まらなかった理由はそれだけじゃない。
確かに私も寄与できたのかもしれないけれど、その後、適切な処理がなされたからこそ混乱が生まれなかったのだと思う。
たぶん、応援に来てくれた人たちがあの後住民への説明にあたってくれたのだろう。
それがなければ暴れた形跡だけが残って、余計に不安を残したと思う。
皆、あまり気にした様子がなくて本当に良かった。
これなら、スイさんも不安に駆られていないよね。
スイさんの宿は魔物が対人的な影響を与えた範囲内にはなかったけれど、周囲が混乱していれば強い不安を抱くことになったと思う。
旅先でわけのわからない事態に巻き込まれたら、心細くなるよね。
私はそんなことを思いながら宿に向かったものの、その先にスイさんの姿はなかった。
「ああ、あの子かい? 今朝早くに出て行ったんだよ。昨日の夜も遅かった……というか、日付が変わってから戻ってきたんだけどね」
「え? そうなんですか?」
「荷物は置いて行ってるよ。すぐに帰ってはくるからと言っていたんだけど……まだ帰ってきてないね」
宿の女主人の言葉に、私は拍子抜けしてしまった。
たしかにスイさんと約束したのは昼間だったので、それまでは何か用事があったのかもしれない。
でも、朝からって……どこに行ったんだろう?
夜も、出歩くような体調じゃないと思うのに……夜景を見に行ったのかな……? 会ったら、ちゃんと聞いておこう。
「伝言なら伝えておくよ」
「あ……じゃあ『また来ます』、と『今日のお昼は延期で』とお伝えいただけますか?」
「わかったよ」
そう女主人にお願いした後、私たちは宿を出た。
うーん、空振り。せっかくランディさんにも寄ってもらったのに申し訳ない。
「あの、あとお店に伝言貼りに行きたいんですが……」
「構わない。寄ったところで距離に大差はない」
「ありがとうございます。ついでに、代筆もお願いできますか……?」
「……お前、まだ字、書けないんだったな」
そう言ったランディさんは、眉間に深く皺を刻んでいる。
「あの、もしよければ、今後のために文字の練習帳みたいなのが売ってたら欲しいと思うんですが……売ってます?」
さすがに文字まで教えてもらえる時間はないと思うけど、そういう本があればぜひ教えて欲しい。そうすれば、日替わりメニューを毎日書いてくださってるイリナさんの負担も減るわけだし!
「検討しておくが……」
「が?」
「見つけたら教える。だから自分で買ってくれ」
そのランディさんの言葉はひどく真剣だった。
これは……もしかしなくても、買うのが恥ずかしいということなのだろうか。いや、別にランディさんが購入したからってランディさんが文字の練習帳を使うだなんてお店の人も思わないけれど……意外なことを気にするんだ。
「それはもちろん!」
「……何を笑っている」
「いえ、ちょっとした想像をしてしまっただけです」
そんなことを言うと、ランディさんは歩調を速くしてしまった。
「すみませんって!」
「何がだ」
「ランディさんが思ってることについてです!」
そして私たちはお店に向かって休業の張り紙をし、今度こそ昨日の現場となった噴水広場へと向かった。
広場には魔術師と思わしき人々以外にも、騎士の姿がちらほら見受けられる。
立ち入り規制がされているため、線のぎりぎり外側から物珍しそうに様子を見ている人たちもいるけれど、内側に一般人はいない。
もっとも外野の人々も多いわけではなく、ぽつぽつと言った具合だった。
その現場の中心部であり、昨日不死鳥の魔物が降り立った場所まで進む間、私は作業中の方々からかなり注目を浴びてしまった。
それはランディさんについてきているのに明らかに一般人の服装だからというのがまず一点。
二つ目の理由は肩に不死鳥を乗せていることだ。
ただしそれは不死鳥だから注目されているわけではなく、『なんか鳥を乗せた人がいる』という、珍妙な人間がいると認識されているせいであるのが漏れ聞こえてくる。私がインコみたいだと思ったように、ここの方々も幻獣だとはほとんど思っていない。一人だけ『もしかして……』と言いかけていたけれど、隣にいた人から『そんなわけあるか。ただの鳥だ』と言われていた。ですよね。
「小さいからそんなに目立たないかと思っていましたけど……この子、目立ってますね」
「鳥を乗せて歩く人間なんて、普通いないからな」
「ですよね」
小声でランディさんに尋ねてみれば、当たり前のように返された。
もっとも、そんな注目をされているかどうかなんて、ランディさんは気にしていなかったけれど。
「陣の修復はどうだ」
ランディさんは壊れた噴水の側で地にひざをついて作業をしていたローブの人に声をかけた。
たぶん、この人は魔術師かな。
ローブの人はランディさんの声で立ち上がり、ランディさんの後ろにいた私に驚いたようだった。
「そちらの鳥の方は……?」
「魔術が使える協力者だ。ダリウス殿下の推薦がある」
「失礼いたしました」
ダリウス殿下のお名前が出ると、それ以上尋ねられることはなかった。
さすが王子様!
そして、私は鳥の人……。なんとも言い難い呼び名である。
けれどダリウス殿下というお墨付きが伝えられたおかげか、もうローブの方は私のことを気にしなかった。
「こちらの魔術陣ですが、どこまでが陣なのか非常に見えにくく……。魔力を流し陣を確認しながら修復を行っておりますが、これ以上陣を破損することがないよう慎重に作業しておりますので、時間がかかっております」
「そうか」
そして指で示された魔術陣をランディさんは見た……のだと思う。
そう、たぶんそこに魔術陣があるのだと思う。
けれどそれはあまりに薄く、目を細めてもよく見えない。
石畳だということも関係しているのかもしれないけれど、わずかな傷の跡があるような気がするという程度の認識しかできなかった。おまけに戦いの最中で地面が破損している場所もあるため、砕けた石の中から破損部位を探すパズルも行っているようだ。
これを修復するって、すごいな……。
その状況を見たランディさんは短く言った。
「……俺が線を辿る。浮かぶ分だけでもいい。書き取れ」
そう告げるとランディさんは返事を待たず跪き、魔術陣らしきものの端に手を触れさせ、静かに何かを唱えた。
すると次の瞬間、地面に文様が浮かびあがった。
「維持はそれなりに魔力を消耗する。早く書き写せ」
「は、はい」
そして慌てて魔術師さんは書こうとしているけれど、円陣はともかく見慣れない文字に戸惑っている様子だった。でも、それも無理はないと思う。
だって、この文字って……日本語に見えるんだもの。
「すみません、記録係を譲ってもらえますか?」
「え、ちょっと」
「この文字を私は知っています」
そして戸惑う魔術師から私は記録用紙とペンを奪った。
かなり横暴だったかもしれないけれど、ここはきっちりと早く仕上げるので許してほしい。
実際魔術師の人も最初は取り戻そうとしていたけれど、書き始めた私の速度を見て考えを改めたようだった。
「終わりました」
「そうか」
私の言葉と同時に、ランディさんは灯していた光を消した。
ランディさんは私が持っていた記録紙を手に取ると、魔術師の人にそれを見せた。
「お前から見て、これは正確か?」
「おおよそ間違いはないと、思います」
「そうか。ならば、これを参考に引き続き陣の修復を頼む。ただ、もう一枚写しをとらせてくれ」
そう言ってランディさんは私に記録紙とペンを再び渡してくれた。
私が急ぎ書き写すと、ランディさんは「急遽確認することができた」と言いその場をあとにした。
私もそれに急ぎ続いた。




