第50話 黒髪の旅の女性
翌日のお昼過ぎ、スイさんはお店に来てくれた。
ちょうど今日最後のお客さんの一団が帰ろうとしていたところだったので、お店のカウンターで少しだけ待っていただくことにした。
お弁当の数は昨日より少し増やしたんだけれど、今日も無事完売となると……明日の数はどうしようかな?
そんなことを思いながら私は昨日宣言したエビフライと、賄い用によけておいたコロッケを一緒に揚げた。
「お待たせしました! エビフライとコロッケの盛り合わせです」
「ありがとうございます。今日もおいしそうですね」
主食は白米だけれど、お茶碗のかわりになるような食器がここにはないので、おにぎりを握ってみた。ここにプリンでもあれば、お子様ランチみたいに見えるかもしれない。
……作っておけばよかったかな、プリン。
「とてもかわいいプレートですね」
「味にも自信がありますよ。冷めないうちにどうぞ」
そして私もスイさんの隣に座った。
「あの、もしよかったらと思って……これ、どうぞ」
「わ、可愛いマグカップ! ありがとうございます」
スイさんからいただいたのは小さな花が描かれた白いマグカップだった。
牛乳でも紅茶でも、何を淹れてもとても気持ちがほっこりするような、そんな素敵な印象を受ける。
「これ、早速使っても構いませんか?」
「もちろん」
私は急いでスイさんから頂いたカップを軽く洗い、水を注いだ。
ちょっと水だと映え切らない部分はあるけれど、早く使ってみたいという想いのほうが強かった。
「喜んでいただけて嬉しいです。そこのお店で買ったばかりだったので、少し緊張していました」
「こんな可愛いのを売っているお店があったんですね」
近所ということを聞き、私はお買い物ってお弁当の関係以外あまりしたことがなかったのだなと認識させられてしまった。今まで、まったく意識していなかった。
でもそれってせっかく王都に暮らしているのに、もったいないよね。
――って、あれ、お店っていえば……私、スイさんにここがどういうお店か説明していなかったかな。昨日、食事の関係ということは言ったと思うけれど……。
「あの、すごく今更なんですが……私、持ち帰り用の『お弁当』というご飯を売ってるんです。あんまり馴染みのない文化かもしれませんが」
すでに販売の様子は先ほど見ていたから知っているかもしれないけれど、一応説明はしてみた。
だって、珍しい文化だもん。
見た雰囲気でわかっても、聞かなければもやもやするかもしれないし。
スイさんは柔らかく笑った。
「雰囲気を見て、なんとなく察しがつきました。そして、皆さんとても笑顔が素敵で、どれほどマヒルさんのお弁当を楽しみにされているのかも」
「なんだか、照れますね」
お世辞も混じっているのはわかるけど、それでもスイさんの柔らかな表情で言われたら『冗談言わないでくださいよ~』なんてノリではなんとなく返せない。
だって、冗談を言っているようには見えなかった。
「あ、エビフライ用のソースもたっぷり用意してますから、存分に使ってくださいね」
ゆで卵とピクルスを刻んだタルタルソースはフィッシュバーガーのときにお客さんに好評だったけど、エビフライでも真価を発揮してくれるんだよ。
ただ、私はエビそのものの味もかなり好きなので、つけるかつけないか迷うところだ。タルタルはサラダにかけても美味しいしなぁ……。
「マヒルさんは、お料理をどなたに教わったんですか?」
「両親からです。お魚系は父が、お肉系は母が得意だったんですけど、両方とも『どっちも得意!!』ってすごく主張していました」
「そうなんですね。ご両親とは離れて暮らしてらっしゃるんですか?」
「はい。もう二人とも結婚してから長いはずなのに、今も新婚さんみたいなノリで……仲良くしてくれているのは嬉しいけれど、ちょっと恥ずかしいですね」
最後に会ってから一か月も経過していないので、たぶん元気なはず。
むしろ何かがあればこちらに何らかの連絡が来るはずだ。下手をするとお母さんのネックレスを通して強制的に呼び戻されるかもしれないし。
うん、安泰のはず。
「羨ましいご両親ですね」
「ありがとうございます」
しかしスイさんの表情は、羨ましがるようなものというより、どこか安心したようなものに見える。
親とは離れて暮らしているとは言ったけど、私の年齢でこの世界だと別に暮らしている人のほうが多い。
だからそんな表情だと思う理由もないはずなんだけれど……私の見間違いだろうか?
そんなことを思っている間に、スイさんはコロッケを口に運んだ。
エビが好きだとおっしゃっていたのに、スイさんは好きなものは最後に食べる派なのだろうか。エビも三匹用意しているんだけど。
「おいしいです」
「よかった」
「でもこのコロッケ、こっちとこっち、形が違うんですね。何か作るときに理由があるんですか?」
「あ、丸いほうには豆とエビを入れてるんですよ。平べったいほうは牛ミンチです」
さっきスイさんが食べたのは平べったいほうなので、牛ミンチのコロッケのはずだ。
スイさんは目を瞬かせた後、笑顔を見せてくれた。
「コロッケも種類が違うんですね。私、本当に素敵な料理人さんに出会ってしまいましたね」
そんなスイさんは元気そうで、私はほっとした。
昨日と違って、倒れそうな様子はない。
一晩ゆっくり休んだら、よくなった感じなのかな?
食欲も旺盛そうだし、よくなってくれたというなら安心だ。
「こうしてお米を丸めるのも、このあたりだと珍しいですよね」
「おにぎりっていうんです。見た通り手でお米を丸めたもので、私の住んでいたところだと手掴みで食べるケースも多かったですね」
「では、私もそれで」
そう仰ったスイさんは躊躇いなくおにぎりを手で掴んでいた。
お上品な外見なのに、案外大胆だ。
「こうしてご飯を掴んで食べるのって、いいですね」
「今日は白米ですけど、他にも肉巻きおにぎりやお魚のほぐし身を混ぜたおにぎりなんかも作るんですよ」
「美味しそう。ほかには豆なんかも合いそうですよね」
「豆ごはんのおにぎり……それ、いいですね」
自分で作るときには考えていなかったけれど、私もそれは食べたことがある。ごろごろとした彩りも綺麗だし、少ししょっぱくて美味しいんだよね。
ただ、ランディさんに豆ごはんのおにぎりは出せないから、お野菜を混ぜる系でいえばコーンのおにぎりかな……?
「あ、そういえば、スイさんって王都には観光でってお聞きしましたけど、特にここは見ておきたいという場所はあるんですか?」
「はい、いくつかは……ほとんど、無計画でぶらぶらといった感じですけど」
「実は私もまだ王都生活は長くなくて、あまり観光もしたことがなくて。そのいくつかって、例えばどの辺りなんですか?」
お店と同じく、観光地巡りもしたことがない。
あわよくば一緒に回れないかな……って、思うんだけど……どうだろう?
スイさんは目を瞬かせていた。
「意外です。みなさんとすごく馴染んでらっしゃったのに」
「皆さん親切なんで、馴染むのは早かったです」
「そうなんですね。えっと……見たい場所についてですが、夜の街並みが美しいと聞いているので、是非見たいと思っています。『こんなに明るいなんて』と思うそうですよ。もちろん街自体を初めて見た時も驚いてしまいましたが」
「夜の街ですか」
「はい。到着してすぐに高台から街を見たのですが、あの場所から見下ろせばより幻想的に見えるのではと思いました」
夜の街は劇場に行った折に少し見たことがあるけれど、高台からだとまた違う光景になるんだろうな。写真でしか見たことがない光景に近いかもしれない。
「そういえば、高台からお花畑のようなものも見えましたね」
「え?」
「場所は少し曖昧なのですが……」
「お花畑……素敵ですね……! そんな場所におにぎりを持って行って食べたらなおさら美味しくなりますよね」
どんな場所かにもよるけどピクニックをしても楽しそう。
「それ、もしよければ一緒に見てみませんか? どのあたりなのか、場所はちゃんと調べておきますので!」
「おにぎりを持って、でしょうか? それなら、私もおにぎりを作らせてください」
「もちろん!」
これ、とっても楽しみだな。
おにぎりの具もどういうものを用意しようかな。豆はもちろんだけど、変わり種なら……ベーコンチーズなんて、どうだろう?
「ところでスイさんは旅をよくされてるんですか?」
「そうですね。でも、そろそろ旅も終わりかもしれません。人を、探していたのですがなかなか見つからなくて」
「人……?」
「いるかどうかわからない人だったので、見つからなくても……」
スイさんがそう言った時、少し頭が横に振れた気がした。めまい、かな……?
「大丈夫ですか?」
私の問いかけにスイさんは軽く笑った。
「ちょっと、昨日はしゃぎすぎちゃっただけで、本当に大丈夫です。昔から、少しふらつきやすかったので」
「でも、昨日は『少し』ではなかったから倒れられたんですよね……? あまり楽観視せず、一度お医者様に診てもらいませんか?」
「ありがとうございます。でも、いつものことですから」
「いつもなら、なおさらだめです。ご飯を食べたら私も一緒に行きますよ」
たまたまどころか、いつもってどういうことですか……!
確かに今は問題ないかもしれないけど、決して楽観視していいものではないと思う。
旅をしているなら、なおさらだ。元気になったのかと思ったけれど、これはまだまだ安心できない。
「マヒルさんって、案外強引ですね」
「嫌ですか?」
「お医者さんにはあまり行きたくありませんが、仕方ありませんね。ご心配をおかけするのも、私も本意ではありませんから」
苦笑しているスイさんを見ると、私も自然と苦笑いを返してしまった。
今更だけど……確かに、強引が過ぎたかな……。
「スイさんがお医者さんに診てもらってくださったら、明日もリクエストにお応えしちゃいますよ」
なんとか強引さを打ち消そうと言葉を発してみたけれど、どうにもこうにも強引さはより増してしまった気がする。
その証拠に、スイさんはくすくすと笑い始めてしまった。恥ずかしい。
「なんだか私が得ばかりする気もしますが……それじゃあ、お願いしてしまいましょうか。マヒルさんのご飯って、少し懐かしい気持ちがするんですよね」
そう言ってくれたことに、少し救われた。
そして同時に明日のお昼も一緒に食べられることになったことに、嬉しくなった。




