第44話 お姫様の試食タイム
「あ、あなた……その山はどういうことなの!? 私は雲と言ったのよ!?」
そしてアリシア殿下が指さされているのはプチシューの入道雲だった。
どうやらインパクトは抜群だったようだ。
よし、成功……と思ったけれど、この反応だとたぶん雲に見えていないのか。
山って仰っているものね。
けれどそれは最初の印象だけで、説明すれば雲に見えるかもしれない。
ちょっと違うかもしれないけれど、だまし絵で有名なルビンの壺のように『説明を受ければそう見える!』のようなこともあるかもしれないし。
「こちらは山ではなく入道雲をイメージしました。より雲に見えるよう、粉砂糖多めに振りかけています。アリシア殿下がどのようなものなら雲と思ってくださるかわからなかったので、時間が許す限り様々なものを作らせていただきました」
「砂糖の話なんてきいてないわ、それよりおかしいでしょう、その物量は!!」
「驚いてくださったのですね。嬉しいです。頑張って作ってきましたから」
よし、いろいろと突っ込みをいただいてしまったものの、これでひとまず視線を釘付けにすることは成功だ。
「まぁ……それは入道雲に見えるかはさておき、一体どうやって積みあがっているの? 倒れそうなバランスに見えるけれど、よくここまで持ってこれたわね」
「ご安心を。水あめを接着剤にいたしておりますので、少々のことでは倒れません」
「これは……どういうお菓子なのかしら?」
雲には見えないと言いつつも、シュークリームに興味は抱いてもらえている。
私はこれ幸いにとシュータワーの下のほうにあるあえて転がしておいた、接着をしていないプチシューを一つ手に取った。アリシア殿下の反応を見れば、この世界にはどうもシュークリームにあたるものはなかったようだし、口で説明するよりも見てもらうほうがわかりやすいし早いだろう。
私は手に取ったプチシューを二つに割り、中身が見えるようアリシア殿下のほうに向けた。
「これは中の空洞部分にクリームを入れるお菓子なんです。雲ということだったので白いミルククリームでご用意しております。あ、一応なんですが、積み重なっているものについては空洞の状態ですが、いつでもクリームは詰められますよ」
「中をくりぬいてクリームをいれているの? いえ、そんな風にも見えないわね。そしてこれは確かに晴れた日の雲の色だわ」
「ありがとうございます」
クリームだけでも雲の言葉がアリシア殿下から発せられたのだから、こだわった甲斐があったというものだ。
「って、別に私はこれが雲のようだと思ったわけではないわ! それに中身なんて見えないところを雲にするなんて、あなたは何を考えているの!? 効率が悪いことをしているとしか思えないわ!」
「私としてはアリシア殿下に見ていただけたのですから、正解だったと思いますし満足です」
強いて言うなら、入道雲に見えなかったことが残念だとは思うのだけれど。
けれどアリシア殿下もそれで納得などされなかった。
「私が見たんじゃなくてあなたが見せたんでしょう!?」
「あえて私がお見せしなくても、たぶんアリシア殿下はご覧になりましたよ。食べるときに見えます。それに、効率なんて今は必要ありませんから。アリシア殿下に楽しんでいただけるように作っているんですから、制限時間は精いっぱい使わせていただくだけです」
それからアリシア殿下は改めて雲のようだと仰ったことを否定したけれど、最初に仰ったことが本心だと思う。
「本当にあなたは一体なにを考えているんだか……。もう好きに言ってなさい。それよりも、これはなに?」
「そちらはギモーヴですね。こちらもミルク味です」
弾力の良いギモーヴは、果たしてどういう判定を受けるだろうか。
アリシア殿下はひとつ指でつままれた。
「おもしろ……いえ、妙な手触りね」
「雲のようですか?」
「雲を触ったことがないからわからないけれど……これも触ったことがない感触だわ」
そう仰ったアリシア殿下はギモーヴを口に放り込まれた。
それはごくごく自然な動作であるものの、王女様らしからぬ行儀にも見えたが……。
「って、え!?」
「!? ちょっと、なに大きな声をだしてるのよ! 驚かさないでちょうだい!」
「だって、その、毒見っていらないんですか?」
ダリウス殿下にお弁当の毒見役を挟んでいるのかは知らないけれど、ギルバードさんが同じものを食べていた。だから簡易毒見という意味では一応終わっていたと思う。一方アリシア殿下は、まったくそういう人を介していない。
けれどアリシア殿下は私の質問を鼻で笑った。
「お兄様が連れて来た料理人が私を毒殺したら驚きね。お兄様に恨まれているのかしら?」
「それは……失礼いたしました」
たしかに言われてみればその通りだ。
ダリウス殿下への全面的な信頼があるのだなぁ、と、私は少しダリウス殿下が羨ましくなった。私にも妹と弟はいるけれど、二人とも私の言うことはまず確認しなければという風な状態で、こんな絶対の信頼はなかったと思う。お姉ちゃん、ちょっと悲しい。
一応日本からこちらに戻ってくる前に弟と妹に手紙を書き残したけれど、さて、召喚されやすい家系という話はいったいどこまで本気にしてもらえたことだろうか?
私自身信じていなかったのでできるだけ細かく書いたつもりだったが、胡散臭さが増した気もしなくはないので、信じてもらえたかどうか非常に自信がない。むしろ以前の私と同じ通り、信じないような気さえする。
私がそんなことを考えている間にもアリシア殿下は二つ目のギモーヴを手に取っていらっしゃる。
三つ目、四つ目。
どうやら、相当お気に召したらしい。
喜んでもらえてよかったと私がほっと和んでいると、アリシア殿下とばちりと目が合った。
「な、なによ」
「え? 喜んでいただいて嬉しいと思っておりましたが、それ以外は特に」
「喜んでなんか……!!」
「けれど、たくさんお召し上がりくださっていますから少なくとも不味いとはお思いではないのでしょう?」
嫌いな味だったならばそんなに手が進まなかったはずだ。
アリシア殿下は目を吊り上げて手を止めたけれど、それは試食を中断するためではなかった。
「……そちらのものも貰うわ」
「はい」
止めた手で指さされたのはアイシングしたクッキーだ。
だから私は皿ごと手に取り、アリシア殿下のほうへと差し出した。
「このクッキーはずいぶんサイズがばらばらなのね」
「はい。同じ雲なんて存在しませんからね。決して抜型が無くて同じものが作れなかったとか、そういうわけではありませんから」
「そう。それは黙っていたほうがいいと思うけれど……これは何を使って白くしているの」
「粉砂糖と牛乳を混ぜて、固めています。甘くておいしいですよ」
「絵本に出てきそうな、子供向けの雲ね」
そう仰ったアリシア殿下の言葉は興味が薄そうだけれど、目はしっかりと皿の上を見たままだ。
やがてその目は細められた。
「ところで、私の目にはそこに丸くて黄色いものがあるように見えるのだけれど。雲とはかけ離れているのではないかしら」
「あ、それは太陽です。雲の合間には太陽もあったほうが綺麗かと思いまして。月もありますよ。三日月です」
クッキーの生地の表面に卵黄を塗ってから焼くとつるつるとしていて私の好みだ。
美味しんだよね、表面に卵を塗ったクッキーって。
「本当は星型も作りたかったんですが、なかなか綺麗にかたどれなくて。いずれ金型を発注できたらと思いました」
少し小さめのものが入手できれば、人参などの硬い野菜をくりぬいて彩るのにも役立つはずだ。デコ弁というところまでこだわることが難しくても、こうして形が変われば食事も楽しくなるはずだ。ただしあまり可愛くし過ぎるとオジサマたちがお弁当のふたを開けづらくなるかもしれないので、ほどほどが大切だとも思っているけれど。本当なら何パターンか作れたらいいのだけれど、私には残念ながらその余裕まではない。
私がそんなことを考えながら見つめていた先で、そしてアリシア殿下はクッキーを口に入れた。そして咀嚼してから、一言。
「素朴な味。はじめて食べるわ」
「お口に合いませんでしたか?」
「慣れないけど、悪くはないわ。いつもならもっとバターが効いているけれど、このバランスも嫌いなわけではないわ」
すでにアリシア殿下の言い方にも慣れたので、これは美味しかったと言われているのだと考える前に頭が理解した。よかった、よかった。以前ギルバードさんからもらった王宮のお菓子が美味しかったのは私も知っているので、あれが基準のアリシア殿下に喜んでもらえていることにはほっとする。ギモーヴと違って、クッキーは慣れていらっしゃるでしょうから。
「あなた、よく一日でこれだけ思いついたわね」
「美味しいものを食べるのは好きですから」
「けれど、よくこれを入道雲と言い張ったわね。こっちのものも白いのはともかく……そのセンスに呆れたわ」
「ダメ……でしたか?」
「ダメではないけれど、見たこともない料理方法に驚かされたわ」
「だって、アリシア殿下のもとに来る料理人は私が初めてではないでしょう? それならできるだけ珍しいものを作らなければ、前に見たものと同じだと思われてしまいますから。できる時間内でできるものを一生懸命考えました」
「なんだか、ほかにもまだできるものがあると言っているようね」
「まだ召し上がっておられないメレンゲもこちらにありますが、お時間をいただければ、奮闘させていただきます」
今回もできる限りのことはしたつもりだが、いかんせん時間に余裕がなかったことは本当だ。
もしもまだ時間があったのなら、幼いころに私が『雲の一種』だと信じ込んでいた食べ物も用意できた。
「実は、今回作れなかった雲もあるんです。わたあめという食べ物なのですが、文字通り砂糖で作った綿のようなお菓子なのです」
「そんな食べ物は聞いたことがないけれど、時間が足りなったからできなかったというの?」
「作り方はしっています。簡単に作れるのですが、今回は機械を作る時間がありませんでしたので。もしもアリシア殿下に今回気に入っていただけないようでしたら、次にもってこようと思っていました」
わたあめを作るには溶かした砂糖を高速で絡めとる何らかの装置がなければ難しい。
装置を作るというのは難しいけれど、火と風の魔術をうまく組み合わせればできないこともないのでは、と思う。ランディさんにお菓子を作りたいと訴えれば、協力してくれると思う。
「そう……って、あなた、何か装置を作る気だったの? それにダメだったら次って、あなた、二度目も来る気だったの?」
「え? 一度限りとはお聞きしていませんよね?」
確かに明日とは言われたが、私としてはランディさんの時に非常に時間をかけているので、今回限りだとは思っていなかった。だから首をかしげてみれば、アリシア殿下は呆れたようにため息をついた。
「王族からの一つの依頼を一度で終わらせる気がないなんて、聞いたことがないわ」
王族には一度きりとでもいうしきたりでもあるのだろうか?
けれど言われてみれば、二回目を求めるということは一度目を失敗だと認めているようなものだし、認めなくてもそう判断されたとするしかない。
あまり深く考えていなかったし、ダメと言われてもダリウス殿下に協力を仰いで抜け道を探す気満々だけれど……。
「でも、どうしてもっていうなら二度目の機会はあげるわ」
「ありがとうございます」
「でも、わざわざ面倒なことを引き受ける理由はいったいなんなの? 別に、私には無理でしたといえば何も問題ないでしょう。あなたは褒美に権力がほしいとか、そんなことは考えていなさそうだもの」
「魔石はいただきましたが」
「あのね、そんなもの別にお兄様の依頼以外の仕事を請け負ったって買えるでしょう。むしろ拾えるんじゃない? もっと王家だからこそ強請れる褒美があるとは思わないの?」
「特には思い浮かびませんね。あ、でも鉄板を作るための鍛冶職人を手配してくださるとダリウス殿下は仰ってくださいましたが」
「……鉄板は、王家に願わなくても大丈夫なものでしょうに……」
けれど王家だからこそという以前に、それ以外に今欲しいものは思い浮かばなかったのだ。しょうがない。
「あなた、無欲ね。面倒ごとを任されるなら、もう少し強欲になってもいいものを」
「欲はあるので、そう思われると少々居心地は悪いです。それにとっても面倒事と言えば、世の中にいることを知っていますから、いまはまだそんなに何も思って……」
あ、ここは『アリシア殿下のお題ならまったく面倒でない』というべきだっただろうか?
まったく……というと嘘くさく感じてしまうかもしれないけれど、実際にそうだから仕方がない。久々のお仕事は面倒というよりも楽いし、シュータワーなんて理由もなく作れるものでもない。
しかし少し焦った私とは対照的にアリシア殿下がひっかかった部分はそこではなかった。
「誰よ、その面倒な人間って」
「ランディ……ランディ・カーライルという人物ですが」
確か、カーライルだったはず。
一度だけ聞いたことがある家名を口にすると、アリシア殿下は目を見開いた。
「確かにアレの真似をして空気から魔力を取り込んだのは否定しないけれど、いくらなんでもあれはないわ! 遠目でしか見たことはないけれど、あそこまで性格と口は悪くなんてないわ!」
どうやら、すでにランディさんのことはご存知らしい。
そして物凄い言われようである。
「いえ、ランディさんも結構優しいところがあるんですけど」
「あなたひょっとして人に優しくされたことがないの!? 大丈夫!?」
なにやら心配されているけれど、幼女に心配される成人女性の図と言うのはなかなか珍妙ではないかとも思う。しかしそれ以上に王女様が堂々と心配してくれているのがなんだか面白い。ただ、それはありがたいという気持ちも含めてだけれど。
「大丈夫ですよ、いい人たちに囲まれて幸せです。ですが、だからこそアリシア殿下のことも心配です」
「私はあなたの思考回路のほうが心配だけれど……。どうしてそう思ったというの?」
「アリシア殿下がお食事を摂られなくなった理由はわかりませんが、何か思うことがあってこそのお食事中断なのでしょう? アリシア殿下は本当はお食事がお好きだと思いますし」
「どうしてそう思うの?」
「本当は即却下するつもりだったのに、できていらっしゃらないからです。そう思えば、公正な方だとも思います」
アリシア殿下はかぐや姫のように無茶な願いを伝えて却下することも全く難しくないはずだ。それをできるだけの立場だ。けれど、全部見えないからやり直し、とは言えていない。
代わりに私に伝えられたのは短い言葉だった。
「……やりにくい」
「え?」
やりにくい?
それは何のことを指しているのかと思うと、アリシア殿下はクッキーを行儀悪く食べ始めた。
「……雲の件は、合格にしてあげる。まったく、やりにくいったらありゃしない」
「あ、その、ありがとうございます」
「礼は不要よ、私がそう思ったと伝えただけなのだから。私が食事が好きっていうのは、間違ってはいないわ。でも、悩みごとがあったわけじゃない」
堂々となさっているアリシア殿下は確かに子供であるはずなのだけれど、まるで子供には見えなかった。言葉遣いなどは変わらないけれど、何か殻をかぶっていたものが溶けたような、そんな感じがした。
「ただ、単に誰も彼もが私に近付くときに下心を持って接するものだから、面倒になっただけよ」
それはおおよそ子供が口にするには似合わない言葉であった。
「最初は侍女だったかしら。お兄様に自分を勧めて欲しいなんて職務とは見当違いのことを思う人がそばにいたわ。ほかにもお兄様と縁をつないで欲しいという者は男女問わずたくさんいる。政治にかかわる立場の人間も、有能なお兄様ではなく幼い妹姫であればいいように使えるのではないかと近づいてくる」
呆れた調子で言うアリシア殿下は、そのまま肩をすくめた。
「お兄様が連れてきたご令嬢が侍女になってくれたときも、最初はきちんと仕事をしてくれていたわ。でも、途中で心変わりしたことが過去三回。――もっとも、職務を怠った時点で私が申し出る前にお兄様が解雇してくださっているけれど」
その言葉で、初めにアリシア殿下が私に向けた敵意の意味が分かった気がした。
つまり私は新しい侍女候補だと思われていた、ということか。そしてゆくゆくは過去の侍女と同じように、アリシア殿下をないがしろにするようになると思われた……ということかな?
「だからいい加減同じことを繰り返したくなくて、私も考えたの。難しいお姫様の噂が定着すれば、相手も私という伝手をさっさと諦める。今日、あなたのもとに迎えにいった女官たちも実家に言われて私に気に入られるよう奮闘しているものの私に気に入られず、早く辞めたいからと適当に仕事をしている人たちよ」
「ええっと……その、見分けがつくのですか?」
洞察力が優れていると、そういうこともできるのかもしれない。
でも、今まで豹変した侍女たちと私はどう違うのだろう? 初めからそういう雰囲気でなかったというのであれば、私も今後変わるとアリシア殿下が思っていらっしゃっても不思議ではない。
けれど、アリシア殿下は当たり前のように言い放った。
「ずっと前からついているわ。だって、私は相手の心が読めるもの」
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よろしくお願いいたします ( *・ω・)*_ _))ペコリ!!




