第43話 私にとっての『雲』のお菓子
アリシア殿下のもとからランディさんの執務室に戻ると、ランディさんは人の顔を見るなり溜息をついていた。
「……なんですか、その溜息」
「別になんでもない」
「さすがにランディさんでも何もないときに溜息なんてつかないでしょう」
呆れられることをしたつもりなどないので抗議すると、ランディさんはさらに溜息を深くした。
「休めと言っていたのに、どこぞの誰かが働く気満々で帰ってきたことに呆れてはいる。安静にしろとは言わないが、まだあまり動き回る時期じゃない」
「それは……お気遣いいただき、申し訳ないです。ただ、普通に過ごす分には体調には本当に何も問題はないんですよ」
魔力の付与を教わったときも、お肉を焼いた時も魔術を使っても何も言われなかったけれど、あれは許容範囲内だから許されたのかな。もしかすると使い過ぎだと判断されたら止められていたのかもしれない。
でも、本当に今はごくごく普通の体調だと思う。だからこそ、お弁当屋さんも再開したいってお話しようとしたわけだし。
しかしそれで納得するランディさんであれば、もともとそんなことを気にかけたりはしなかった。
「たとえば今、元の世界に帰ることはできるのか?」
「ええっと……それは無理な気がします。なんとなくですけど、世界を渡るには魔力が足りていない気がします」
理由は説明できないけれど、なんとなくそんな気がしている。
自分が比較的前向きな考えを持つことを理解しているため、根拠もなくできないと感じるのは少しひっかかる気もするんだけど……。
「魔術を使うときに感じる直感は一種の技能だ。魔力が高ければ当たる確率は上がる」
「そうなんですね」
「そのうえで言う。仮にこの場で別の世界に呼ばれた場合、お前はどうやって戻るつもりだ」
そう問われて、私は目を瞬かせた。
別の世界に呼ばれる……?
「お前は以前、『異世界に呼ばれやすい家系』や『両親は別の異世界に行った』と言っていただろう。魔力が足りない状態で呼ばれたらどうする」
「戻れませんね」
私は迷わず即答した。たとえ世界を行き来する術を得ていても日本にも、ここにも、まずすぐに戻ることはできない気がする。
「でも呼ばれやすいって言っても、私は生まれてから二十数年呼ばれたことなんてありませんでしたし。それに魔力って勝手に集まってきて回復するじゃないですか。だから殿下からの依頼が終わったらお弁当屋さんもそろそろ再開したいなとか……」
「……」
「その信じていない目を向けるの、やめてください。私、このまま穀潰しになるのはいやなんですよ」
「お前に俺の給金が食い尽くせると思ってるのか」
「知りませんよ、だってランディさんのお給料とか知りませんし!」
なんだかすごいセリフが飛び出したと思うも、そもそもお給料の額の問題ではない。
「……お前の魔力の回復具合は確かに一般的な魔術師よりかなり早いが」
「ほら、だから大丈夫ですって! でも、心配してくれてありがとうございます」
「していない」
「……そうですか」
そんなわけないでしょうと言いたかったけれど、ここは言葉を飲み込んだ。
私がわかっていれば充分なのだから、わざわざ確認する必要はない。
でも、魔力を使う頻度はちょっとだけ抑えめにしたほうがよさそうかな。心配をかけると、申し訳ないことになってしまうし。
「私、お屋敷に帰りますね。ランディさんはお夕飯はこちらで食べますか? 戻ってこられますか?」
「もう少ししたら外に出る。帰りは日付が変わるかもしれない」
「そうなんですね。じゃあ、お夜食になるものを作り置きしておきますね……って、あ」
「どうした」
「魔石で、保温が続く容器があればいいのになと思いまして。日本だと食事の保温に優れた鉄製の容器みたいなものもありまして……。もしかして、そんな容器すでに存在しています?」
日本で販売されていた製品の理屈は知らないが、魔石を使えば長時間の保温も叶うのではないか。もしもあったとするなら、値段にもよるもののランディさんの分は欲しいと思う。
「……そんな魔術の使い方をする魔術師などいないだろうから、あるとは思えない」
「残念。なら、作るしかないんですね」
魔石もたくさんあるし、ホットプレートが完成したら今度は挑戦してみようかな。
うまくいけばいいけれど、どうなるかな?
「お前、本当に魔術師らしからぬものを作るな」
「私も最初から本当の魔術師だったら作っていないかもしれませんけどね」
私の発想は日本で生まれたからこそというところが大きい。
だからこのアズトロクロア王国が存在する世界で生まれて魔術師になっていたと仮定するなら、答えは変わってくる。私自身創造性が高いかと問われれば、決してそんなことはないと返答する自信がある。
「いや、お前なら作ってる」
「どうしてですか?」
「どんな状況でも食事が好きなら、作っているだろ」
ランディさんの言葉は決して論理的なものではなかった。
「それ、私がとても食い意地が張っているように聞こえるんですけど」
これが食事に関して絶対的な信頼感を得ているということなら嬉しいけれど、尋ねたところで『そこまで言ってない』と言われそうだ。ただし少なくともある程度の職への信頼感があるゆえの言葉ではあると思うので、少なくとも前向きな意味で捉えて問題なさそうだ。
「じゃあ、私は戻ります」
転移陣を使わずとも転移する方法は日本で覚えて来たけれど、魔力の節約のためにはやはりこの転移陣はありがたい。
「そうだ、ランディさん。私の魔力が完全回復したら、私にも魔術を教えてくれませんか? その、実技ではなくて魔術書の読み方でも嬉しいのですが……」
「なにが目的だ」
「いえ、大したことじゃないんですけど……こう、ほら、せっかく使えるものを使わずにいるのってもったいないじゃないですか。宝の持ち腐れというやつかと。あと、純粋な知識欲です」
それにこうして深夜までランディさんが仕事をしているのを見たら、手伝えることは手伝いたいとも思うし。もちろん機密事項に触れるような事柄は無理だろうけど、前のメアリーの時みたいに、私にもできることがあるかもしれないし。
まだ大きな力を持つことに不安は残る。
でも、よくよく考えると自分でも把握できない力を体内に宿しているのもやはりよくない気がする。あとは前に思った通り、私が驕ったり間違ったことをしそうになっても、ランディさんなら力尽くで止めてくださりそうだし。
「……気が向いたらな」
「ぜひ、向けてくださいね」
しかしそうは言ったものの、なかなかハードルは高そうだ。ランディさんが人に教えたくなるよう気が変わるのは、なかなか難しそうだ。お菓子を頑張って作れば頷いてくれるかな……? それとも、まだ出したことないご飯を考えてみるかな……?
正直、忙しいランディさんに無理をお願いするのは気が引けるところでもある。
それでも、私は先の理由以外にも叶うなら調べたいことがあるので、どうにか教える気持ちになってほしいと思う。
私は、どうして私の家系が召喚されやすい家系だといわれているのかということについても調べたい。
日本に戻って両親に聞けば教えてもらえる可能性はあるけれど、何となく教えてもらえなさそうだという思いもある。それは実際に私が日本に戻った際も両親はそこのことについて触れようとしなかったことからも想像できる。もしも教えてくれるなら、あの時教えてくれていたと思う。実際に軽く『どうして呼ばれやすいの?』と一度聞いたけれど明確な答えは返されず、むしろ『使命を果たしに行きたいと願うなら、使命を果たせばきっとわかるわ』という謎のアドバイスを受けただけだった。
果たして『使命』というものが私にあるのかどうかもわからないけれど、もしもそれが私に与えられた責務であるというのなら、いつかわかるときがくるのかもしれない。
でも、どこか『特に理由はないんだけど、そんな家系だった』という答えしか見つからない可能性も浮かんでくるので、本当にそんなものがあるのかはまだわからないんだけれど。
これも魔術の直感みたいに何となくわかればいいのに、私の直感はわかるともわからないとも返事をしてくれなかった。
ただ、毎日を楽しく暮らすためなら、その使命がこようとも乗り越えていきたいとだけは、今の私もはっきりと思っている。
しかし、今大事なことはその使命よりも、目の前の依頼だ。
「雲みたいな食べ物、かぁ」
台所で私は依頼について再度思い浮かべていた。
行く前にはまったく想像しなかったお題でもある。
雲と言われてまず私が思い浮かべたのはメレンゲだ。色合いもさることながら、形に自由が利くメレンゲを焼けば雲に見立てることも叶うだろう。実はメレンゲはこの国では一般的な調理法ではないらしく、ケーキを作るときにも特に使われていない技術だ。アズトロクロア王国にもガトーショコラやベイクドチーズケーキといったケーキ類自体はあるけれど、切り分けるお菓子といえばパイのほうが発展している。ふわふわよりもどっしり濃厚というイメージだ。
こんなことを思っていると、ミートパイやアップルパイが食べたくなってくるけれど、それはまた今度にしなくてはいけない。今は雲。雲を作らなければ意味がない。
でも、だからこそ、アリシア殿下にはまだメレンゲを知らない可能性がある。
「でも雲って一概に形が決まってないし……例えばアリシア殿下がお好きな雲が入道雲だった場合はメレンゲじゃ表現しきれないよね」
形自体は表現できるかもしれないけれど、スケールが少し足りなくて、入道雲に見えないかもしれない。
じゃあ、プチシュークリームでタワーを作るのはどうだろう?
シュークリームもまだこちらでは見たことないんだよね。
焼き色が付くので色合いは少し異なるけれど、たっぷりの粉砂糖でお化粧した上でカスタードではなくミルククリームを使えば、それらしく見えるかもしれない
アリシア殿下はアリシア殿下がそう思えば雲だと仰っていた。ならば、何通りでも試してみればいいではないか。
「それに物量攻めにしたいっていうのもあるし、ちょうどいいかも」
物量攻めにしたいという理由は、アリシア殿下の態度にある。
たぶん、ひとつやふたつ雲っぽい食べ物を置いたところで、今のアリシア殿下の態度を見る限り『これはダメね』と一瞥されて終わりだという気がしている。
だから少しずるいような気もするけれど、少しでも見た目のインパクトで驚かせてこちらのペースに巻き込まれてほしい。あとは数を打てば当たるということに願いを込めているというのも否定する気はない。
ほかにもクッキーにアイシングを施して雲にすることも思い浮かぶけれど、そのアイシングクッキーを加えたところで解消されない懸念がある。
「次の問題は食感ね」
焼きメレンゲは脆いけれど見た目よりは固いし、プチシュータワーも色が違うし柔らかさのことを考えれば却下の可能性もある。両方作るつもりだけれど、雲形のクッキーにアイシングをしても、固さの面では不安が残る。
ならばここは秘薬と知識に頼ってみよう。
そして私が取り出したのはゼラチンだ。
「この上なく不思議な食感かつ雲っぽい見かけと言ったら、ギモーヴも参戦しなきゃでしょう」
この世界にもゼラチンはあるけれど、食用としては流通していないので、たぶん食べることを前提に生産されたものではない。だから生マシュマロともいわれるギモーヴをアリシア殿下も見たことはないはずだ。
本当は『ランディさんもゼリーを食べたら驚くかもしれない』と思ってこちらに持ち込んだゼラチンだけれど、こんな時に役に立つとは。
まずは卵白を泡立てる。そして角が立ったら砂糖を加えて艶が出るまでさらに泡立てる。
次はそこにふやかしたゼラチンを加えて混ぜ、その後牛乳を加える。
これを冷蔵箱で冷やして、コーンスターチをまぶして引っ付かないようにしたら、これで完成。
小さく切ったフルーツやゼリーを入れてもおいしいと思うけれど、より雲のように見せるなら白一色のほうがきれいだと思う。
「よし、しゅわしゅわもちもちのお菓子は出来上がり! 時間は多くはないんだから、てきぱき行動していかないと。次はプチシューの準備ね」
たくさんのシュー皮をきっちりと膨らませていかないと。
うまく仕上がったら、アリシア殿下はどのような反応をくださるだろうか?
そんな想いで私は次々と菓子作りに取り組んだ。
そして翌日。
私はお菓子をたっぷりのせたカートとともにアリシア殿下のもとに向かった。
お菓子は無事綺麗に仕上がったけれど、いざ御前となると緊張はする。
今日は女官さんも一緒にアリシア殿下のもとに向かったけれど、それは部屋の前までだった。
「では、わたくし共はここで下がらせていただきます」
「え? あの、中には……」
「アリシア殿下がお一人でいらっしゃいます。私どもは入らぬよう、ご指示を賜っております」
予想外の一騎打ち。
ただし人が多いよりは少ないほうが緊張はしないので、これはこれで問題ない。
だから驚いたわりに安心もしたのだけれど、私がドアの中に入る前に女官さんは一礼してその場を去ってしまった。
普通は送り届けたなら中に入るまで見届るものじゃないのかな……?
しかしその去り際の表情がほっとしたものであったのを見ると、アリシア殿下は面倒だと思われているのだなと感じてしまった。
いや、実際に面倒なことを言っているのだけれど。
それでも短時間しかお話しなくてもアリシア殿下にも愛嬌は感じられたし、どちらかといえば頑張って傲慢なお姫様を演じようとしている気もしたんだけど……。
だって、そもそもアリシア殿下はダリウス殿下の妹姫様ですよ。
もしも単にわがままな姫君と言うだけであれば、ダリウス殿下もそれほど気に掛けることはしないような気がする。合理的なことを仰る方なので、身内に甘いという想像があまりできない。そもそもお願いではなく命令を出せば終わることでもあると思う。
ただ、もし妹に甘い一面があったとしても『殿下もかわいいところがあるんだなぁ』くらいにしか思わないけれど。
そんなことを考えながらドアをノックし、許可を得てから私は部屋に入った。
そこで私が見たのは口元をわななかせているアリシア殿下だった。
『お弁当売りは聖女様! ~異世界娘のあったかレシピ~ 』
1巻、2019年5月10日発売いたします。
書影等、活動報告でご紹介させていただいております。
よろしくお願い申し上げます ( *・ω・)*_ _))ペコリ




