第39話 上手に焼ければ次への挑戦
箱の中に入っていた二つのお肉の塊は討伐した竜なのだから、野生の生物だ。
けれど片方は綺麗なサシが多く入るお肉で、もう片方は赤身であるが柔らかそうだ。じっと見ているとまるで和牛を見ているような気がしてしまう。野生と言えばジビエを連想してしまうし、ジビエもジビエで美味しいと思うのだが……これが異世界の魔物が美味しいといわれるゆえんなのだろうか……?
「ギルバードさんがあそこまで言っているんだから、きっと有名ブランド牛に匹敵する味がするんだろうな」
想像できる限り最高のお肉を思い浮かべた私はさらに気合を入れてお肉に向き合った。
とても分厚いお肉は、串で刺して炭火焼きにすればとても美味しく仕上がるだろう。ただし私にはその技術がないし、実際にそうして焼くところを見たことがない。下手をすると中途半端な生焼け状態を作り出してしまうという残念な結果を招きかねないので、ここは慣れたフライパンで奮闘すると強く気合を入れる。
本当は高い技術を持つ料理人にお願いするのが一番美味しくいただく方法だとも思うけれど、生肉の状態でギルバードさんが持ってきたことを考えれば、ここは私が調理するのがいいのだろう。もしくは、これが調理できると信頼されているはずだ。
意を決した私はまず肉を1.5㎝程度の厚さにカットし、一旦残りを保冷庫にしまった。ここの包丁はイリナさんがものすごく丁寧に研いでくれているのでとても使いやすい。
「お肉はこれでよし、と。でも、できるだけきれいに焼くなら、ここのかまどの火力調整は大胆すぎるよね」
日本式のかまどに似ている調理設備は馴染みがあるし使い方を覚えれば大きな問題もなかったのだが、相手が繊細な肉となれば話は別だ。それならオーブンを使ってローストビーフという選択肢もあるが、オーダーはステーキだ。
「そもそもこれだけのお肉があるんだもの、ローストビーフはステーキを焼いてからでいい……というか、この場合はローストドラゴンになるのかな」
いずれにせよ、今作るべきはステーキだ。
私は部屋の中を見回して誰もいないことを確認し、走って入り口の扉を閉めた。
それからかまどに戻って目を瞑り、呼吸を整えてから小さな声で呟いた。
「ファイア」
私の声に呼応して、心持遠慮した火が現れた。
私はその火を慎重にフライパンの下へと移す。
この屋敷の中では火の魔術は控えていたけど、人が入ってこなければ大丈夫だ。そしてドアにカギをかけていれば、ガタガタと音がした瞬間に火を消せばいい。ただ、それでお肉の焼きに悪影響が出ることは避けたいので、イリナさんたちが来ないことを祈るばかりだ。
そんなことを考えながら私はまず弱火でフライパンを温め、肉に添えてあった脂を引き、薄くスライスしたニンニクを乗せる。ニンニクの香りは食欲を大いにそそるためこれでうっかり満足しそうになるのだが、本番はこれからなのだ。
色付いたニンニクを取り出したあとは火を強め、表面に塩を振った竜の肉を投入する。まずは塩を振った面が下になっているので、反対の面にも塩を振る。その後そのまま短時間焼いた後でひっくり返し、一旦火から下ろして約二分の休憩を挟む。この後は片面ずつ短時間焼いて、休ませて、再び焼くことを繰り返す。休ませる間に注意することはできるだけ暖かい場所から離さないことだ。こうすることによって肉の硬さを見ながら焼き具合を調整することができるため、おいしく肉が焼ける可能性が高まるはず……だと、信じている。
私にとっては未知の食材であるため、肉の弾力を見ながらややしっかりめに火は通すけれど、決してウェルダンになりすぎないように注意もする。焼過ぎたお肉は繊維が硬くてぼそぼそしてしまう。……もっとも、竜のお肉が同じだとも限らないのだけれど。
そしてしばらく時間をおいてお肉が仕上がったと判断した私は、休ませていたお肉を切り分けた。中はほんのりピンクで思わず試食をしたくなるが、味見は我慢だ。普段の私なら絶対に味見をするけれど、これはとても高いお肉なのだ。味見とつまみ食いは別物だと思っているけれど、それでも多少後ろめたさが感じられてしまう。
今回、このお肉を食べるにあたってソースは用意していない。
極上のお肉はまずシンプルに味わいたい、この肉の本当の味を知りたいという想いがあるので、今回添えるのは岩塩のみだ。
そして私は台所にあったバゲットもいくつか切って、ランディさんたちがいる客間に持って行く。
「お待たせしました。一応練習を兼ねて焼いてみたのですが、これでよければきちんとがっつり二人前焼いてきますよ。お肉はまだまだありますからね」
「お、できたのか。肉って結構焼くのに時間がかかるんだな」
「慎重に焼いてますからね。というか、ギルバードさんって調理場を見たことない感じですか?」
「そもそも入ったことがない。できたものは食堂に出されるからな」
そういえばギルバードさんはなかなか位が高そうな家の生まれだったな、と、うっかり忘れそうになることを私は思い出した。普通にお弁当を食べるギルバードさんだから調理場に出入りするくらいしていそうだと思ったけれど、案外そうでもないらしい。
「でも、それならこれ、ギルバードさんの分はギルバードさんのお家で焼いてもらったほうが美味しく焼けましたよ」
「こんなモン持って帰って弟たちに食べられてたら俺の当たり分が減るどころかなくなる可能性が高いだろう」
「……うわぁ、心の狭いお兄ちゃん発言」
「なんとでも言え。お前らだって、俺が持ってこなきゃ食えてないだろ。取りに来ないんだから」
堂々と言っているギルバードさんの声を聴きながらランディさんのほうを見ると、ランディさんはギルバードさんの話など聞かず、お肉にフォークを突き刺していた。
そしてそのまま口へと運ぶ。
「おい、お前先に勝手に食うなよ!」
「食事の挨拶は済ませた」
「食事の挨拶……? って、言ってるそばから続けて食うなよ!」
ランディさんが食べ続けるせいもあってか、ギルバードさんもフォークを手に取り肉に突き刺した。それを見て、私もこのままだとすべて平らげられかねないと思ってフォークを手に取る。
そしてまずは岩塩も何もつけず、一口。
その結果は、声が出ないほど、けれど笑いがこみあげてくるというような状態だった。
「私、追加で焼いてきますね。急ぎたいところですけど、あいにくこの焼き方を再現するには時間が少しかかりますから、ゆっくりくつろいでいてください」
そう言って客間を出ようとしたらランディさんもまだお肉が残る皿をもって立ち上がった。
「ランディさん?」
「俺も行く」
「え?」
「ギルバードがいるここで食うより落ち着いて食えるだろう」
「おいランディ、それだと俺が図々しいみたいに聞こえないか? むしろひとりじめか? お前も俺がいなかったら食えてないんだぞ」
ギルバードさんの抗議をランディさんはまるっと無視していたけれど、ギルバードさんも宣言がないままキッチンへ向かう私の後ろをついて来た。
ギルバードさんは私がよくわからない力と火の魔術を使うことを知っているので、さっきと同じ要領で焼いても問題はないだろう。
台所に入ったことがないと言っていたギルバードさんは調理の様子を興味深げに見てくるので緊張はするが、そこまで凝視しているのも先ほどのお肉が上手く焼けていたからだと思う。それならむしろ、安心だ。
「まだまだお肉があるんでローストビーフ風の調理やビフカツ……じゃない、竜カツもしてみたいですけど、焼肉パーティーもしたいですよね。むしろバーベキューでしょうか」
お弁当にするにはちょっと原価が高くなりすぎるので挑戦を諦めていたいくつかのメニューに想いを馳せていると、ランディさんは怪訝そうな表情を浮かべ、ギルバードさんは目を瞬かせていた。
「ばーべきゅー?」
「それはなんなんだ?」
よくよく考えればギルバードさんなんて肉を焼く所を見るのが初めてなのだから、バーベキューなんてしたことはないだろう。ランディさんはおばあさんと体験している可能性もあったけれど、この様子だと知らなさそうだ。
「バーベキューは青空の下で炭火を起こし、その上に置いた網や鉄板にお肉や野菜や海鮮を並べて焼いてその場で食べるんですよ」
ざっくりとした説明をすると、ギルバードさんは唸ってから頷いた。
「じゃあ、それをやってみるか」
「え?」
「皆でそれをしながら食べるなら、俺でも料理ができるということだろ? やってみたい」
初めてのお使いのようなノリなのだろうか、楽しそうにしているだけに断りにくそうな雰囲気ではあるけれど、私は一応ランディさんの様子も窺った。
「……ランディさんも、興味はありますか?」
どちらかといえばランディさんならバーベキューより焼肉定食のように出来上がったもののほうが好きそうだ。ライスバンズで焼肉バーガーでも作ったほうがいいだろうかと思っていたら、ランディさんは大きくため息をついた。
「修復できる程度なら、庭は好きに使ってかまわない」
「え? ありがとうございます、その、それで……」
「おい、もうちょっと素直に参加するって言えないのか」
呆れたようなギルバードさんの声で、やっぱりこの場所の提供は参加表明だったのかと苦笑した。失礼ながらここで素直に参加表明をされても驚くのだけれど、もう一押し声が欲しいとも思ってしまう。
ただ、これでも当初からは考えられないほどの進歩である。
将来的にはランディさん自身にもお料理をしてもらいたいのでこれで満足というわけではないけれど、何事も経験からだ。まずは上手にお肉を焼く技術への挑戦も大事なことだ。
「では、楽しいバーベキュー大会を決行しましょうね!」
ここはもっと楽しんでもらって、再び参加希望がしたくなるような場を設けなければと私も準備へ気合を入れた。




