第31話 その時は突然に
「技術的には城と俺の部屋をつないでいる術が近い。ただし同じ世界線ならともかく、異界の境界を超えるにはなんらかの術で界狭の壁を壊さなければいけない上に、無理やり引っ張る荒業だろう」
「……端的に言うと、ちょっと難しくしたお前の移転技術か?」
「ああ。馬鹿みたいに簡単に言うとそうなる」
つまりはちょっと難しくしたわけではなく、とんでもなく難しくしたというわけだろうか。
「でも同じということは、自由に行き来できる可能性もあるってことですか?」
それなら今まで考えていたことも解決できるのではないか!
私はそう思ったけれど、ランディさんは大げさなほどのため息をついた。
「そんな単純なものでもない。世界と世界の間には巨大な魔力の壁がある。壁といっても激流の川のように流れているようだが……そこをこちらから無理やり投げ飛ばして渡らせることができれば、戻せるはずだ。逆に召喚は流れ自体を一部だけでも堰き止めて相手の世界から対象者を掴む必要があるために、生贄を使っていたようだ」
「……なんだかよく分からないんですが」
ただ還す手段は見つかったけど、こちらには戻ってこれなくなるということだろうか?
「もっとも、まだ理屈を見ただけで本当に戻れるかわからない。変な世界に飛ばすわけにはいかないから、慎重にことを運ばなければいけないがな」
「ああ、そうか。異世界って別にマヒルがきたところだけってわけじゃないのか」
機嫌が悪そうなランディさんに対してギルバードさんは納得したように言っていたけど、そんなに何個も異世界があるっていうのは私からするとあっさり納得していいものなのかと突っ込みたくはなる。ただし実際に召喚されることを経験した以上、私としてはあり得るとも思うのだが。
「幸い送還に生贄の人間は必要なさそうだ。莫大な魔力は必要になるだろうが、俺の魔力があればなんとかなるだろう」
ランディさんはそう言い終えるとあくびを噛み殺した。ずっと調べてくれていたのだろう。
「……ランディさん、一度眠られたほうがいいと思いますよ。昨夜から忙しかったですし」
私はまだやたら脳が覚めるような感覚だから眠れないし、普段からゆっくりと過ごしていることもあり、眠気というものはあまりない。でも、いつも忙しいランディさんは無理をすると倒れかねないと思う。
「寝る。起きるまで部屋は開けるな」
そう言ってランディさんは珍しく素直に、しかし不機嫌そうなまま部屋を出た。
……でも。
「寝なさそうな気がしますよね」
「ああ、まだ調べる気だな」
「倒れるほど、調べていただくのはちょっと……なんですけど……」
困ると言っては失礼だと思うし、心配だと表現するのは他人行儀な気がしてしまう。
そんな微妙な感情を抱いていると、ギルバードさんが長いため息をついた。
「あいつ昔から気になることがあったら寝ずに調べものをするのが趣味だから、あんまり気にするな」
「いや、でも……」
「無理やり寝ろとでも言えば不機嫌になる困った奴だから、とりあえず放っておくのが一番だ。どうしても気になるなら、起きたらすぐに食べられるものでも作ってやっていたらどうだ?」
「起きたらすぐに、ですか」
それだと温めただけで食べられるものがいいかな。
小鍋にとりわけて温めればすぐに食べれるという意味ではシチューがいいかもしれない。ここの世界のシチューはビーフシチューがメインのようなんだけど、昨日の今日で徹夜の中でビーフシチューってけっこう重たいような気がする。
そう思えば選択肢はクリームシチューだ。鶏肉と野菜をたっぷり入れてつくってみよう。
「何か思いついたみたいだな」
「ええ」
「まったく、ランディもそんなに急がなくてもいいのにな。俺はどちらかというとマヒルの能力を詳しく知りたいし、さっきも言った通り、できればマヒルには長くここにとどまって欲しいと思っている。なにせ魔術を打ち消す魔術なんてそうそう持つ人間がいないからな」
その言葉には何と答えてよいかわからず、私はあいまいに笑ってごまかした。
「別に残りたいと言ってもいいんだぞ」
「でも……」
「まあ、異世界となればなかなか覚悟もいるんだろうけどな。けど、まだ時間もあるみたいだし勧誘は続けさせてもらうからな」
冗談にもとれる調子の言葉だったが、ギルバードさんは本気なんだろう。
「でも、ランディの様子なんだかおかしくなかったか? メアリーの件だってひとまず落ち着いたってのに、なんだか焦っているようにも見えたけど」
「それ、私も少しだけ気になっていました。気のせいだといいんですけど……」
「メアリーが単独犯でない可能性も調べているが、仮にほかに繋がりを持っていたとしても昨日の今日でマヒルがメアリーが望んでいた聖女であることは他人が知る手段などない。ドイルのように莫大な魔力を持ったうえで扱いやすいコマもいなければ、これ以上召喚もできず犠牲者も増えないはずだが……」
もちろんランディさんのような例外はあり得るものの、魔力の保有量という問題がある時点で心配は薄いのだろう。
「まあ、それは俺も前から調べていたし、そういう専門のやつもいるし。何かあった時のためにランディにはもうちょい休んでほしいんだけどな」
それは、何かがあれば遠慮なく使うつもりでいるからなのだと私は思った。
ランディさんなら「言われなくとも」といってどんどん仕事を背負わされそうだけど……。
「私も、何かできることがあれば仰ってくださいね」
「じゃあ、また餌にでもなってもらおうか」
「それは事前説明有りでお願いします」
冗談っぽく言われたので、私も冗談っぽく肩をすくめて返してみた。
でも、私が持つ力が本当に役に立つのなら……私の事情を抜きにしても協力していきたいと思うんだけどな。だってここでお世話になったのだから、恩返しはしておきたい。
もっとも、まだほかに協力者がいるかどうかなんて定かでない中、これがまだ決断を先延ばしにするだけの言い訳にしていることも否めないのだが――それだけでもないのも、本当だ。
**
夕食が出来上がったころ、一度ランディさんは部屋から出てきた。
「水」
「え? はい」
すごく端的な言葉だったけど、先程よりもクマが濃くなっている気がする。
短時間で本当にクマが濃くなるかは知らないけど、そういう空気を背負っているだけかもしれないけど、水を要求されるのは初めてなので驚いた。
一応飲みものも一緒に食事ではだすけど、長い間の仙人のような暮らしが染みついてなのか、基本的にランディさんに飲みものを要求されることはほとんどない。……うん、これからちょっと気を付けよう。
「食事、どうされますか? 一応できているんですけど」
「あとにする。それより、一度お前がもとの世界から持ってきた荷物をまとめて見せろ」
「え?」
「異界とつなぐ媒介だ。これと同じ波長を含む世界が見つかるか、調べる」
一瞬もう帰還を言い渡されるのかと思ったが、そうでないことに安心した。
「カバンひとつできたようなものだから、すぐ準備できますよ」
「わかった。じゃあ、俺の部屋に持ってきてくれ」
そう言い残したランディさんは水を一気に飲むと、そのまま自室に戻っていった。
どちらかというと媒介になるものの確認より先に一度休んで欲しいと思うけど、そのためにも急ぎ荷物を持っていかないと行けないだろう。
私も自分の部屋に戻ってカバンを手に取り、ランディさんの部屋に向かった。
「入りますよー」
ノックをしてからそう声をかけ、私はランディさんの部屋に入った。
すると、床に魔法陣が描かれているのが目に入った。それはメアリーの屋敷で目にしたものとよく似ていた。
「荷物を寄越せ」
「その言い方だとカツアゲみたいですよ」
そう言いながら、私はランディさんに荷物を渡した。
大したものが入っていないが、果たして媒介になり得るものはあるのだろうか。
「この中で一番大事にしているものはなんだ?」
「え? うーん……現金はあんまり持ってないし、カードも再発行できますからスマホですかね」
スマホも買い直せるけど、中身のデータがある以上一番といえばそれになる。
「どれがすまほだ」
「これです。正式にはスマートフォンといって、遠くにいる人と話ができたり、色々調べものをしたり、遊んだりできる素敵なものです。前は電話という名称でお話させてもらったものです」
ざっくりとした説明をすると、ランディさんは目を見開いた。
「遠くの人間と話す技術が、薄いものに入っているんだな」
「ええ。相手も通話を受ける機械を持っていないとだめですし、連絡先も必要ですし電波も要りますけどね。それさえそろえば誰でも手紙を音声に代えて、しかもリアルタイムにやりとりができるんです」
そして言葉を続けた私は、改めて電話というものの凄さを思い知った。魔法の機械だ。
「お前の世界の技術者は色々なことを考えているんだな」
「でも、ランディさんみたいな瞬間移動の技術なんてないですよ」
「移転陣がなければ不可能だ。あれを持ち運べる奴なんていないし、持ち運んだところで座標がずれれば意味がなくなる。それより、そのすまほを寄越せ」
「あ、はい」
スマホを手にしたランディさんはそれをじっと見て、それから他の荷物をカバンにいれて私に押し返してから魔法陣を指さした。
「このカバンを持ったまま、その上に立ってみてくれ」
「はい」
そして言われた通りそちらに進んだんだけど……魔法陣に足を乗せたとき、ふと思った。
媒介となるものを術者であるランディさんが持つのはわかる。
でも、カバンを持ったまま魔法陣の上に立つ必要性は? この魔法陣が確認のためのものなら、むしろここに置くのはスマホのはずじゃ……?
そう思った時、魔法陣の外の縁から垂直に光が放たれた。
「ちょ!?」
慌てて後ろに下がろうとするけど、背中にドンという衝撃を受けて動きは阻まれた。
振り返ってそこに手を当てると、見えないガラスのようなものがそこにあった。
「問題なさそうだな」
「何してくれるんですか!! なんの悪戯ですか」
「お前を元の世界に返す」
「は!? ちょっと急すぎません!? っていうか、今まだ確認って」
「確認はできた。この物質の持つ気と、この移転陣がつなぐ先の気は同一だ。お前のもつ気もな」
淡々とランディさんはそう言うけれど、私としては納得できない。
「俺が大丈夫だということが信じられないというのか」
「それは大丈夫だと思いますけど!! ただ、私まだ色々とお願いしたいことがありまして……!!」
「悪いが、それは聞いてやれない」
「どうしてですか!」
「お前が面倒事に巻きこまれかねない」
「いまさらそんなこと気にしませんって!!」
「だとしても早く帰しておかないと、帰したくなくなるかもしれないからだ」
その言葉に私は衝撃を受けた。
けれどランディさんの様子になにも変化はなかった。
「これが一番大事なら、これは貰っておく」
「そんなものいくらでもあげますけど!! それってどういう意味ですか!」
「わからん。そう思っただけだ」
そして見せたのは嫌な顔だ。まるで詳しく聞くなと言っているようだけど、それで私が納得すると思うのかと胸倉でも掴みたい。
けれど、徐々に光は強くなり、ランディさんがかすんで見える。
「お前がここにいても、変な苦労があるだけだ。さっさと家族の元に帰って、元通りの生活をしておけ」
「今、急に帰ってそんなことができると思います!?」
「何言ってるんだ、できるだろ」
こんな中途半端な状態で帰って何ができる!!
そういいたいけど、言いたいことが多すぎて何から言うのか頭がパンクし、結局言葉は出てこない。
「糸口。助かった。あと、料理は美味かった」
「まだシチューだって」
「ああ、そういえば、そうだったな。でも、その前に。さよならだ、マヒル」
そう言われた瞬間、光が酷く強くなった。
ここに来た時と同じような光の前で、私は既に目を開けているのか開けていないのかわからなかった。
言いたい文句も言えないくらいの光がようやく収まった時、私は自宅の玄関に戻っていた。




