第29話 いただきますとごちそうさま
帰りはギルバードさんの応援にやってきたイクスさんとスピアさんが用意してくれていた馬に乗ることになった。ちなみに外にいた大男も二人が退治してくれていたらしい。ありがたい。
そして当たり前のように手綱を受け取っていたランディさんに思わず『馬に乗れるんですか』と尋ねたらものすごく嫌な顔をされ、乗れないと思っているのかと尋ねられた。
できるできないという以前に日本で交通手段として馬に乗ってる知り合いがいなかったと言えば、少し驚いた顔をしていた。人前で長い立ち話をするのも避けたかったのかすぐに話は切り上げられたけど、今度自動車だけじゃなくて電車やバスの話をしてみようとひそかに思った。もしかしたら喜んでくれるかもしれない。
その後まっすぐランディさんの屋敷へと向かったんだけど、ランディさんと外から一緒に屋敷に帰るのは初めてなので、なんだか不思議な感じがした。まだ朝も早すぎるし、城に戻るのは目立ちすぎるからこちらに帰ってきたのかもしれない。
さて、ご飯は何を作るかだけど――『御心配をおかけしました』の分は後日作るとして、今回はさっと作れる食事パンケーキの出番である。
私が作ったのはみじん切りにした野菜とベーコンを練りこんで焼き上げたものと、千切りのジャガイモをたくさんいれたものの二種類だ。スパニッシュオムレツ風とガレット風で、それぞれ味だけではなく、食感も違って楽しめるはずだ。
ランディさんだと生クリームをたっぷり乗せたもののほうが好みかもしれないけど、今回はおやつではないので、甘いパンケーキはまたの機会だ。
少し早い時間ではあるけれど、朝ごはんにはちょうどいいと思い、イリナさんとマークさんの分のタネも作り置いておいた。渡すときには焼いて渡すつもりだけど、やっぱり焼き立てのほうが美味しいから後回しだ。
熱したフライパンに薄く油を引いて作ったタネをゆっくり落とし、ぽつぽつと穴ができたところでひっくり返す。美味しそうなきつね色の焦げ目がつくとそれだけで食欲が湧いてしまうものなのに、吸い込む空気も胃に刺激を与えるものだから、強力すぎる。
フォークだけで食べられるように十字に切り分け、側に皮を剥いて切ったオレンジを添えた。そしてお茶も準備したところで準備は完全に終了だ。
普段は使われていないランディさんの部屋は二階にあり、私も入ったことはない。一体どんな中身をしているのだろうと部屋に向かい、たどり着いたところでトレイを片手で持ってドアをノックしたけれど、中から返事は返ってこなかった。
おかしいなと思って再度ノックをするけど、やはり声は返ってこない。
一瞬不在なのかと思ったけれど、念のためと思ってドアノブに手をかければそれはあっさりと開かれた。
不思議に思いつつもそのまま中を見渡すと、ソファに行儀悪く座るランディさんは持ち帰った複数の本をテーブルに置き、食い入るようにそれを見ていた。どうも、ドアのノックの音は聞こえていなかっただけらしい。
でも、部屋に一歩足を踏み入れればいつかのようにランディさんはすぐに反応した。
そしていやそうな表情を浮かべた。
「……入る前に一言言え」
「私はノックしたのに、返事を一切くれなかったんでしょう。ずっと待ってたら朝食、冷めちゃいますよ」
「聞こえるように言え」
「言いましたって」
しかし初対面では壁に突き刺さる勢いで本が飛んできたことを思い返せば、こんな場合でもギルバードさん程度に扱われていることにほっとして……いいんだろうか?
いずれにしてもランディさんの返事を待っていたら食事が冷めてしまうことは確実だっただろう。
「ごはん、できましたよ」
「もらう」
「はい、どうぞ。終わったら食器を持って行くんで、私もここで食べますね」
普段のランディさんはお城にいるから『私もここで――』とは言いにくいけど、ここはランディさんの屋敷だし気にすることはないだろう。ランディさんの分の食事をローテーブルの上に置き、それから少しスペースを置いた場所に私は自分の分を置いた。思ったよりもソファーが大きかったこともあり、若干遠慮しすぎた微妙な距離があいてしまったが、今更座り直すほうが気になるかと思ってそれはやめることにした。
「では、いただきます」
両手を合わせてそう言った私はフォークとナイフを手に取った。
そしてそこでランディさんの視線を感じた。
「どうされたんですか? 食べないと冷めますよ」
「それは、なんの言葉だ?」
「はい? もしかして『いただきます』ですか?」
「ああ」
そういえば、ここの人がこの言葉を言っているのは聞いたことがなかったなと思いだした。両手を合わせて祈っている人も中にはいるけど、言葉自体はなかった気がする。
何に対して何をいただくのか、それがランディさんには疑問なのかもしれない。
「私が口にしているのは食べ物への感謝の言葉です。命をくれてありがとう、っていう意味です。お野菜やお魚やお肉、すべての食べ物の命をいただいてご飯を食べてるんですよーって、両親から教わりました」
「食べ物への感謝か。お前の世界ではそれが常識だったのか?」
「私の周りには言う人は多かったです。ただ、同じ世界には食事を授けてくださった神様に感謝する人もいらっしゃるので、一概にこの考えが普通なのかはわかりません。ちなみにご飯を食べ終わったときには『ごちそうさまでした』と言っています」
一緒に食べるのがはじめてなので、ランディさんにしたら物珍しかったのだろう。でも、私の言葉を聞いたあと、小声で「いただきます」と言った姿はなんだか可愛らしいなと思ってしまった。
その後は黙々と食べるランディさんは何も喋らないし、表情は難しい。
もしかしたら苦手な食べ物だったのかもしれないと思うけど、私がノックしても気づかないくらい集中していたことを考えれば、そのことを考えているのかもしれないと思った。
そして食事が終盤に差し掛かったころ、ランディさんはぽつりと言った。
「この後、俺が出ていくまで部屋に入ってくるな。声もかけるな」
「なんですか、それ。昨日の今日ですし、ギルバードさんがやって来たらどうされるんですか」
「追い返して構わない。明日でもいい用事だろう」
「じゃあ、そのままお伝えしますね」
『知らん』という風に放ったらかしにするつもりではないらしいランディさんは、どうも本当に何か忙しいのだろう。でも、城にも行かずにさっき読んでいた本を読むつもりなのかもしれない。
そこには召喚に関する記載事項があったのだろうか?
でも、今はメアリーによって犠牲になった方々のことや殿下殺害未遂事件のほうが重大だから、そちらの方を先に探すことだろう。それに仮に送還に関する記載があったとしても、私はまだ行き来する方法を探したい話をランディさんにできていないので、後回しにしてくれたほうが助かるのだ。
「どうした」
「いえ、ちょっと喉にイモがひっかかりまして」
我ながら下手な嘘だと思いつつ、訝しんだランディさんに私はさっと返事した。仮に千切りのジャガイモが突き刺さったなら、むせこんでいたことは確実だろう。
「お部屋を出てこられるのはどのくらいの時間のご予定ですか? ご飯の支度、あるんですけど」
「わからない」
「わからないって……食べますよね?」
「冷めてもいいやつ」
「わかりました。じゃあ、すぐにお弁当を作って持ってきますから、作業するのはそれからにしてください」
食べないつもりではないらしいことにほっとしつつ、それでも詳しいことを言わないランディさんからどう聞き出すか私は悩んだ。
でもひとまず、ランディさんから何か教えてもらえるまでじっと待つべきなのかな。何か焦っているような気もするし、無理はしないでほしいんだけど……なら、私はまずはランディさんが話してくれるようにするために、お弁当をつくることが第一だ。
「何か食べたいものはありますか?」
「米を卵で巻いたやつ」
「オムライスですね。いい加減、名前も覚えてくださいよ」
最初は見向きもされなかったそれは、すっかりランディさんのお気に入りだ。
そういえば、トロトロのオムライスもまだ作ったことがなかったな。
冷めてから食べるんだったらやっぱりできないけど、そもそも私もまだあんまりトロトロタイプは得意じゃないんだよね。今日のお昼ご飯時に練習してみようかな。
そんなことを考えている間に、ランディさんも食事を終えていた。
「じゃあ、食器は持っていきますね」
「ああ」
二枚の食器を重ねてトレイに載せた私は立ち上がってドアへ向かう。
そのときぽつりと「ごちそうさま」の声が聞こえて、顔がにやけそうになるのをぐっと堪えた。あまりにやけてしまえば、イリナさんやマークさんと顔を合わせた時に怪しいことこの上ない。
平常心を保って部屋から出た私は、そのままキッチンへと向かった。
今なら会心の出来のオムライスを作り出せる、そんな気がしていた。




