第23話 互いの真意
庭にはところどころに洋風の灯篭のような照明があるうえ、大きなガラス張りの店内から零れる光のおかげで足元が見えづらいということもない。ただ、広すぎる。ここは本当に飲食店の庭なのか。
そんな中でメアリーは庭の端のほうへ向かった。明かりはどんどん控えめになる。
やがて足を止めた場所はなかなか奥深いところで、ギルバードさんたちのほうはほとんど見えないところだった。でも、あまり店内から見える場所で話をするというのも好まないだろうから、もっと店側でとは言いづらい。ギルバードさんたちのことも角度によってはまったく見えないというわけではないし、だいたい庭の中にいるのだから仮に何かがあってもすぐに対処できる距離だ。
そもそも私の召喚に関わったドイルさんならともかく、私を恋愛の障害物として嫌うメアリーが私と二人きりだからといって気を付けなければいけないことは、口以外ではないはずだ。誘われた理由はいまだ不明確だが、最悪でも罵詈雑言を我慢できれば大丈夫……なはずだ。
だから多少気は重くても我慢するつもりではいる。今日はいままで何も言われていないけれど、ランディさんやギルバードさんの前から外れれば、きっとメアリーの猫ははがれるんだろうな……なんて思っていたら、想像通りのことが起こった。
「引きこもっているだけの方でしたら、てっきり勉学に励んでおられるのかと思っていましたが……まさかあの名作を見て舞台道具の感想とは。文学には少々疎くいらっしゃるご様子ですね」
「お恥ずかしい限りです」
おほほほほ、という具合で言われたら、おほほほほという具合で返すしかない。
ただ、ギルバードさんの親類と言われている以上、あまり馬鹿にされてもギルバードさんに申し訳がなくなってしまう。
あまり得意ではないけど、はったりの言い訳も大切だろう。
「ですが既知のストーリーでも、舞台の素晴らしさは見なければわかりません。初めて見る舞台の素晴らしさゆえですので、どうぞお見逃しを。メアリー様も本ではわからぬ素晴らしさを私にお教えくださるために、誘ってくださったのですよね」
卑屈に聞こえず、相手も立てる。どうだ、これでメアリーも何も言えないはずだ。
慣れない言葉遣いながらすらすら言うことができたことに心の中で拍手喝采しながら浮かべた笑みは、ぎこちなくないことだけを祈っておこう。
でも、メアリーは是とも否ともいわず、ついでにこちらも見ず何か考えているようだった。
慣れ親しんだ人との無言の空間は嫌じゃないけど、気を張らねばならない相手とのこれは居心地が悪い。言葉を発せば揚げ足をとられかねないことを考えれば黙っているほうが賢明かと思うものの、この後苦手な話題を振られるのも嫌だ。
ならばひとまずメアリーが好きそうな話題を提供して時間を稼ごう。
ドイルさんほど軽く乗せられる人も問題だけど、これである程度食いついてくれると嬉しいんだけど……。
「今日のお舞台にメアリー様はどのようなご感想を抱かれたのですか? 私、最後のほうでメアリー様が、もしもあの姫君なら素敵な結末を招きたいと仰っていたのをお聞きしました」
「もちろん素敵な物語だと思いますよ。心に決めた方を一途に思い、そのためには手段を選ばぬ姫君の気持ちはよくわかります」
え、そんなお話だったっけ。
確かに姫君の行いはこの世界の常識ではあり得ないことであっても、想う相手のためにはすべてやっていた。そしてそれが結果的に姫君の立場を危うくすることもあった。……うん、手段を選ばないといえばそうかもしれない。だけど言い方がなんだか物騒に聞こえたんだよね。
「ただ、自分が死に、そして想う相手も殺してしまうような手段は愚かかと思います」
「それは私も同意させていただきたく思います」
私の言葉にメアリーは今までにない笑みを浮かべていた。
それはとても綺麗な笑顔で、けれど背筋に冷たいものが走ることを感じた。
「ですが、私、思うのです。あの物語は最後だけが本当におしいだけで、自分や相手が死なない方法なら、何をとっても愛を貫いたと言えるのではないかと。邪魔は排除することが大切なのだと」
「メアリー様?」
なんだかわからないけど、空気が淀んでいる。そして肌もぞわぞわする。
そんな中でメアリーは私の両手を自らのそれで包み込んだ。
「マーサ様、お願いがございますの」
「どうなさいましたか?」
「----」
「え?」
その途中の言葉は確かに耳に入った。けれど、何を言っているのかわからなかった。それはまったく聞き覚えのない言葉で、知らない語源を聞いたときのように耳に残らなかった。
そして正解の反応がわからず困惑していると、メアリーのほうも徐々に顔をこわばらせた。
「え? どうして倒れてくださらないの……? あなたもまさか、多くの魔力をもっているの……?」
「あの……、メアリー様?」
「おかしいわギルバード様の御親戚なら、魔力はあっても薄いはず……私より濃いと言うのは……それとも、真名が違う……?」
魔力。
その言葉で、メアリーもまた魔術師なのだろうと気が付いた。
でもランディさんが私に魔力があることを見抜いたように、一目でそれがわかったわけじゃない。というか拘束って……
「もしかして……メアリー様、今、私になにか魔術を行使なさろうとされました……?」
今、私に使う必要なんて思い浮かばない。あるとすれば、害をなそうとする可能性だけだ。
そう思った瞬間、私はその手を振りほどこうとした。けれどその腕の力は細腕の少女だとは思えないほど、強く敵わない。
そんな中でメアリーは私の質問には答えず、しかし納得したようにつぶやいた。
「予定外ですが、私以上の魔力をもつ魔術師であるなら、王族や異界の巫女と同等の力を秘めているかもしれない。それなら実験道具としては使えますから、まぁ、我慢いたしましょう。召喚の生贄にもなり得るかもしれない。少々予定とは異なりますが、意識があっても連れ去るくらいはできますから」
「何を仰っているのですか……?」
王族はまだしも、『異界の巫女』となれば召喚術に関係があるということだ。
ただ、その言葉からは私のことを異界の者だと思っていない。それでも尋常な様子ではないメアリーのことはギルバードさんにすぐに知らせなくてはいけない。
そう思った私はメアリーから返事がもらえなさそうだと判断すると、メアリーが私の手を押さえつけていた力が一瞬ゆるんだことをきっかけにすぐにこの場を離れようとした。
でも、振り返った瞬間、それは諦めなければいけなくなった。
振り向いた先にはわかりやすく怪しい大男が、店内からは見えないよう木々に隠れるようにこちらを見ていた。
うわぁ、これ、絶対メアリーの仲間だ。だってこんな不審者、メアリーの知り合いじゃなければメアリーだって不審がらないはずがない。
そして正直に言うと、今の私はここから逃げられる気がしなかった。
うん、無理。拘束されてなくても無理だ。
でもそれは諦めというより、いまここで無茶な逃走は無理だっていうだけの判断だ。
ただし逃げられないからといって「一緒に来てくださいますね?」と言ったメアリー相手に大人しく降伏するわけじゃない。
「庭にいたはずなのにメアリー様と私が急にいなくなれば、ギルバード様がご心配なさりますわ」
「安心してくださいませ。酔われたマーサ様を我が家で介抱させていただくと、私がお伝えしてきますわ」
「酔いつぶれた、ですか」
グラス一杯でつぶれるほど弱いと思われるだろうか? 確かに可能性はゼロではないけど、不自然な状況は伝わるだろう――って、ちょっと待って。
「メアリー様のお屋敷でお世話になるとお伝えいただくのでしたら、ギルバード様がお迎えにきてくださいますでしょう? メアリー様が私とのお話をもう少しご希望でしたら、私がギルバード様にお伝えして参ります」
メアリーの家で介抱されることになるなら、何か私によくないことが起こってもメアリーの仕業だとすぐにわかるはずだ。むしろメアリーとの折り合いが悪いと知っているので、たぶん回収に来てくれると思う。
だからそれは私にとってはどちらかといえば好都合なのだが、それをメアリーは気付かないだろうか?
「あらあら、そうご心配なさらないでくださいませ。我が家に向かう途中に、馬車とマーサ様は襲われることになりますから」
とんでもない言葉に私の頬は引き攣った。
「まだまだご質問があるかと思うのですが、すべては我が家にいらっしゃったときにお話させていただきますね。ああ、我が家といっても別荘ですよ。私の秘密基地です」
少なくともメアリーの隠れ家までは私は無事でいられるらしい。
それまでになんとか隙を見つければ、逃げ出すことも叶うだろう。ランディさんには止められていたけど、火や水の魔術を同時に行使すれば驚かせて隙を作ることもできるかもしれない。お料理に活用できる程度の威力の魔術しか使ったことがないことがちょっとだけ不安だけど、でも、なんとかなる。ただし驚かせたことで余計に腕を強く掴まれてしまえば逆効果だから、今すぐは使えないけれど……でも、タイミングを計って絶対うまく逃げ切ってやる。
そしてそのように考えているうちに、私の頬に乾いた音が響いた。
次第にそれはじんじんと熱を持ち、私はひくつく頬を抑え、メアリーに笑顔を向けた。
「なんのおつもりですか?」
「これくらい、当然だと思います。だって、ランディ様のお側にいらっしゃるのですから」
要するに八つ当たりか。
全然当然ではないし、メアリーにランディさんの何がわかるんだ。
そう言いたくなったけど、今は我慢だ。挑発のお返しをプレゼントするにもタイミングは後々見つかるはずだ。ここは我慢だ。
それにメアリーが召喚に関わった可能性が濃いのであれば、隠れ家でも何かが見つかるかもしれない。不本意な形でも堂々と入れるのであれば、堂々と様子を覗き見るチャンスでもある。
しかし美少女の物理攻撃も大概痛いということを思い知ってしまった。
美少女は必ずしもか弱いものではないらしい。




