第16話 『類友』と呼ぶのはこのことでしょうか
ランディさんが倒れた日は、結局看病のこともあり同じ部屋に一晩泊まった。
ただし泊まったといっても許可を得たわけではなかったので、翌朝起きたランディさんには朝から雷を落とされた。でも縫物をしていたらアイスを食べ終えたランディさんがふねをこいでいたので、そのまま聞くことができなかっただけなんだよね。一度起きたように見えたけど、ベッドに潜りなおしていただけだったしすぐに寝息が聞こえてきたから、あえて聞くことはしなかった。ランディさんが寝ているところを想像したことなんてなかったけど、案外寝ぼけるタイプだということはなんとなくわかった。だからなんとなく無防備に見えて可愛らしいと思ったのだが――まあ、それは朝になったら般若に代わっていたのだけれど。
でもちゃんと部屋には鍵もかけていたし、横になれるくらいのソファーはあったんだからそんなに怒らなくてもいいと思う。寝顔を見られたのがよほど恥ずかしい……なんて思う人でもないだろうし。
ともあれ、朝食を作りに一度私も屋敷に戻った。
朝はしっかり食べて欲しいけど、久しぶりの朝ごはんなんだし、やっぱり昨日思ったハニーシュガートーストにしよう。それにヨーグルトにフルーツを入れたものだけを簡単に用意する。
そして病室に戻る途中、私は遠目に昨日目にしたばかりのメアリーを見つけて慌てて物陰に身を隠した。朝も早くまだ執務に励むような時間ではないし、そもそも彼女の仕事場が書庫であるなら、この場所からは離れているはずだ。一体なぜこんなところにと思うが、すぐにランディさんへのお見舞い第二弾だと想像してしまった。そうであるなら、絶対面倒ごとになるのは目に見えている。
ダリウス殿下がメアリーの質問を肯定したり要求を聞き入れたりしたとは思っていないが、ここにいるということは……納得できなかったんだろうか? いや、そもそも王子様にお目通りって、そんなことでできるものじゃないよね……? 従弟の従妹はそれができる範疇に入るんだろうか?
でも物陰から様子を窺っていると、メアリーも直接ランディさんの病室に向かう雰囲気じゃない。誰かを待っているようにも見えるけれど……って、あれ、あっちから来ているのってドイルさん?
メアリーもドイルさんの姿を認めたらしく、ドイルさんの方へと向かっていた。
なんだ、ランディさんじゃなくてドイルさんに用事があったのか。
ほっとした気持ちで私は忍び足でランディさんのほうへと向かおうとしたが、そこで声がかかった。
「あら、昨日の――よくわからない御方でしたかしら?」
「なんだ?」
こちらに注目なんてしていなかったはずなのに、どうしてこうなったのか。
「お前はこの間の飯売りだろう」
「あら、ドイル様はご存じなのです? 実はランディ様のところでちょろちょろとしているようで……きっとランディ様もお困りなのです。ですから今日はドイル様にダリウス殿下への御取次ぎをお願いしたかったのですわ」
あ、やはりまだまだ聞けてなかったのか。
でも、そのために従兄を呼び出せるということはやはり身分が高いということと、我儘だということを感じてしまった。
けれど、ドイルさんは表情を歪ませた。
「平民が平民の世話をしているかなにかなら、何の疑問もないだろう。そのようなことでいちいちアレに願い出るなど、我慢できん」
「失礼ですわ、なにゆえランディ様をこのような平民と同列に考えられるのです」
「逆に何が違うという。魔術はできるが、それだけだろう。礼儀すらままならん」
あれ、この二人って案外気が合わないのかな。
私のことそっちのけでランディさんの話へと移ってしまっている。
礼儀に関しては、それこそ『お前が言うな』なんだけど、正直この人たちに関わるくらいなら早くランディさんに朝食を届けたい。私がこの二人に何を言われても気にしないし、ランディさんを馬鹿にされていることにいい気はしないけど、ランディさんならたぶん「かかわるだけ無駄」って言ってくれると思うし……。
でも、こそっと抜け出そうとしても気づかれたら長くなりそうだな。
どうしようかと思っていると、さらに第三者の声が耳に届いた。
「あれ、マーサ?」
その声を耳にして、私は思わず振り返った。
これはギルバードさんの声だ。でも、マーサに該当する人間がここには多分いないはず。
何だろうと思っていると、ギルバードさんの視線は私の方に向いていた。
もしかして、『マーサ』は私の偽名なのだろうか? でも『マヒル』がこの世界では風変わりな響きなら、面倒事を避けるためにもそう名乗るほうが楽かもしれない。とくに、ドイルさんは異界の聖女を探しているのだから。
「おはようございます、ギルバードさん」
「おい、ギルバード。これはお前の知り合いか」
「ええ。母方の縁者ですよ」
打ち合わせすらしていない嘘をギルバードさんは息を吐くようについたけど、え、大丈夫なの? ドイルさんに何も言っていないことはギルバードさんも知ってくれているけど、ギルバードさんがつく嘘に私が合わせられる自信がない。だって、ギルバードさんの母方とか私、知らないよ。
けれど、そんな私を庇うようにギルバードさんは私を後ろに隠した。
「お前の遠縁というならば、なぜ街中で商売などしているんだ」
「実はマーサは長い間病気で伏せておりましたので、現代の常識を学ぶためにも社会見学をさせています。知識の遅れを取り戻すためには高貴な方々だけではなく、庶民の状況も知るほうが早いかと。あとは、こっそり内緒にランディの元で助手のようなこともさせています」
「ほう、あいつのもとなら大した客も来ないだろうし、慣れるには妥協できるところかもしれぬな」
そうしてドイルさんは私をじろじろと見た。この間わりとひどい言い様だった顔をそこまでまじまじと見るのはやめて欲しい。
「まあ、実に珍妙なやり方だが、それなりの効果は現れていることを考えれば致し方ないことか」
「お褒めいただき光栄ですが……どのようなところがでしょう?」
「あのような場でも一目で私を高貴な者と見抜ける程度には、人々の様子もわかっているらしいからな」
それは服装だけで身分が高そうだって思っただけだし、ほとんどはお世辞だったんだけど……その表情を見る限り、ドイルさんの中では誇張された記憶として残っているようだ。それはとても不本意だけど、この場では助かったと思ってしまうかな。
けれど、ギルバードさんの言葉で今まで私を小馬鹿にしていたドイルさんの態度が少し軟化している。これもギルバードさんのお家柄のお陰なんだろうけど……なんだか、こういう手の平返しや考え方はいやだな。
「ギルバード、従兄殿に飽きればいつでも私のもとへくるといい。その娘にもよいように取り計らってやろう」
「覚えておきます」
「では、行くぞ。メアリー」
「……失礼いたしますわ、ギルバード様」
ドイルさんは何がそうさせたのか実に愉快そうに去っていったけど、メアリーのほうは声に表情がなかった。ああ、これは怒ってるなっていうのがよくわかる。私の名前を聞いたのに、私に対しては無言だったし。
でも昨日はよくわからないってなっていたのに、実はランディさんの弟子なんですってなったら、あの子なら無理もないかな。求婚者を差し置いてほかに女性を側におくなんて、って思っていそうだ。
「大丈夫だったか?」
二人がある程度遠ざかったところで、ギルバードさんは私にそう言ってくれた。
「ありがとうございました」
「いや、いいって。ランディのところに行こうとしてたところだし」
そしてどちらからともなく、ランディさんへの病室へと足を向けた。
「前も思ったんですけど、ずいぶん身分に固執されている方なんですね」
「ああ。あんな考えでも少数派とも言い切れないから、面倒なんだよな」
「お疲れ様です」
大げさなほどの溜息をつくギルバードさんをねぎらえば、ギルバードさんは肩をすくめた。
「ランディは大人しく眠っていたか?」
「一応は。一晩病室に寝泊まりしたことを怒られましたが」
「病室に? ランディがそれで寝られていたのか?」
「はい。一度目が覚めたようでしたけど、そのまま布団にもぐりこまれて、朝までぐっすり」
私の返事を聞いたギルバードさんはぽかんと口を開いていたけど、やがてくつくつと笑った。
「どうなさいましたか」
「いや、あいつでもそんな風に寝ることがあるんだと思ってな」
「人間ですから、当たり前でしょう」
けれどギルバードさんのこの笑い方は、何か別のことを思っているようにも感じられた。ただ、それが何なのかは私にはつかめなかったけれど。
「それ、食事が入っているのか?」
「ええ」
「ランディ、朝飯も食うようになったんだな」
「今日からですけどね」
「そっか」
その表情は先ほどから変わらず楽しそうで、ドイルさんがランディさんに対して抱いていたものとは真逆の感情を抱いているんだなと思えた。
「ギルバードさんみたいな人と友人で、ランディさん幸せですよね」
「お、それもっとあいつに言ってやってくれよ」
「それは気が向いたらですね」
「そうか。でも、俺はマヒルみたいなのが来てくれてよかったと思ってるよ。ランディの言葉に折れないってのは、なかなか柔軟で広い心が必要だからな」
「あら、ランディさんは案外紳士ですよ。ちょっとだけわかりにくいですけどね」
そう私が言えば、ギルバードさんはくつくつと笑いを必死にこらえていた。
「それも気が向いたら言ってやってくれよ」
「いやですよ恥ずかしい」
仮にランディさんに「意外と紳士ですね」なんて言えばどうなるか。少なくともものすごく嫌な顔をされるだろう。それが「何を言っているんだ」なのか「気持ち悪いことを言うな」なのか「意外ってどういう意味だ」というものか、絞り切れないけど……。うん、まだまだランディさんのことをわかりきっているとは言い難いな。
「あとで詳しく言うけど……悪いな、まだアレの協力者について調べはついていない」
「え? あ、はい。調べていただいているのですから、文句なんて言いませんよ」
突然まじめな話になったことに私は驚いたけど、これもドイルさんを見たからだろう。
ドイルさんが私を召喚したことを考えれば、ランディさんが封印してくれたとはいえ、もっと近付かないようにもっと注意しないといけないな。今回もメアリーが気付かなければドイルさんも気付かなかったと思うから、そう関わることもないと思うけど、できるだけ気を付けよう。
「でも、私……あの人の元に召喚されなくてホントに良かったと思います」
これは、確実だ。
「好待遇が受けられたかもしれないぞ」
「それでも、あの人の言葉は聞きたくないです。口が悪いって言葉は二人とも似合いますけど、ランディさんの言葉は尖ってるだけであったかいです。っていうか、ギルバードさんも笑ってるじゃないですか」
もっとも、ランディさんに召喚されたというわけでもなく、むしろランディさんにとっての私は押し付けられた厄介ごとの一部なんだけど、ドイルさんの所に最初から行ってしまっていたらと考えるだけでもおぞましい。
「それ、ランディに言ってやれ」
もう一度そう言われたので、私ももう一度同じセリフで断った。




