第11話 彼は王弟の御子息様
「返事もできないのか?」
なんなんだこの人、と、反応が遅れてしまうと、その人は小ばかにしたような表情で私を見下ろしていた。
だから私はにこりと笑みを浮かべた。
「申し訳ございません、あまりに想定外でしたので」
「どういう意味だ?」
「あなた様のような高貴なお方からお声かけをいただくなど、想像できておりませんでしたので白昼夢でも見たのかと思っておりました」
適当にあしらって、気分をよくして帰ってもらおう。
そう判断した私は、心にもないことをつらつらと言ってみた。こんな人に時間を取られるくらいなら、食材を選ぶ時間をゆっくりとって、明日のお弁当も喜んでもらいたい! だいたい、お城に戻らないとランディさんも昼食をとれないし、おやつも作れない。こんな人に構っている場合じゃないのにと思うけど、身分が高そうなので下手な対応は面倒ごとにもなりかねない。
しかしそんなことを考えながら伝えた言葉は、思いのほか目の前の失礼な男に好印象を与えてしまったらしい。
「そうか、一目でそうとわかるほど、気品があると思うのか」
「はい」
そこまでのお世辞はさすがに言っておりません。
なんて突っ込みを心の中で付け加えながら、男の機嫌がよくなるのをじっと見ていた。
よしよーし、このままできるだけ早く立ち去ってくれないかなぁ。そもそもお弁当だって完売しているから、買いに来ていても売れないよ。
でも、こんな自尊心の高そうな男が自分で弁当を買いにくるなんて思えない。噂を聞いても人を遣わせそう。そう思っている間も、男は自身のことを絶賛していた。
「やはり生まれついての品性は隠せないということだな」
そういうものを持ってる人は、まず自分で言ったりしないと思う。
でも、この人の自分への酔いしれ度ってすごいなと思う。絶対にこうなりたくはないけれど、自分がよほど好きなんだろうな。
「娘。そこまで言うなら、その売り物を私に献上する栄誉をやろう」
「申し訳ございませんが、すでに品切れでございます」
「なに……?」
なにって、それはこっちのセリフだよ。
お弁当は大事な商品であって、ぼんくらに渡すために作ってるんじゃないっての!! なんて言えないので、これはもう事故に遭ったと割り切り、笑みを絶やさず言葉を続けた。
「それに、もしも商品が残っていたとしても、あなた様に差し上げるわけにはまいりません」
「理由を述べよ」
「だって、七百ジィタの食事が似合う方ではないでしょう? 人には相応のものというものがございます」
私の言葉に、怒り始めていた男は目を瞬かせて、そして愉快そうに笑った。
「なるほどなるほど、それはもっともだ。身の程をわきまえている心構え、褒めて遣わす」
「ありがとうございます」
失礼すぎる物言いに、タンスの端に足の小指でもぶつけてしまえと呪うのは決して悪いことではないはずだ。どんな環境に育ったらこんな勘違いに成長できるのか、イリナさんと会議でもしてみようか? そんなことを考えながら上っ面だけ笑顔でいると、男はひとしきり笑い終えたようで、息をついていた。
「しかし、惜しいな」
「何がでしょう?」
「貴様がもう少し美しければ聖女である可能性も考慮できるものを。見目に恵まれなかったな」
なんだこの人、殴ってほしいのかな。
と、普段なら真っ先に思ったと思う。今も一瞬はそう思った。
でも、今、この馬鹿はなんていった……?
「『聖女様』、ですか?」
聞き覚えがある――この世界に来る前に聞いた言葉だ。
お母さん、『聖女か勇者か』って言っていたよね?
「貴様には縁のない存在だろうがな。異界の聖女というものは、私のために舞い降りたはずであるというのに」
『異界の聖女』
何も知らなければ、これは冗談だと捉えられたのだろうか? それとも、頭のおかしい人の妄言だと思ったんだろうか? けれど、私にとっては冗談として片づけられない言葉だった。
これほどプライドが高そうな人が、こんな場所をうろついている理由が、もしもその聖女を探すためだとしたら――? もしも、この男が私をこの世界に呼んだことに、関わっていたら?
「凡人には理解できぬか? まあ、仕方なかろう」
私の絶句を、男はいいように解釈してくれたらしい。
「なかなか愉快であったぞ」
そう言いながら去る男を見送る傍ら、自分の背中の右側が少し熱くなった気がした。
それは徐々に刺すような痛みに変わるけれど、まさかこの場で確認するわけにもいかないし、男に気づかれたくもない。そして男の姿が小さくなっていくと同時に痛みは和らぎ始め、息をついた。まだ痛いけど、多分和らぐ。よかった、助かった。
「おい」
「ひっ!?」
「なんだ、その声は」
「あ……ランディさん。どうしたんですか、珍しい」
痛みに気を取られていたせいで、いつもは城に戻るまで離れた場所にいるランディさんが近づいていたことに気が付けなかった。
ランディさんの表情は険しかった。
「帰るぞ」
「え?」
「痛みはいつ生じた。あの男と接触してからか」
それはいつも通りの不機嫌な声色だった。
けれど、そこに心配も混じっていることが手に取るようにわかる。でも、どうしてランディさんが気づいたんだろう。表情にも出したつもりはなかったのに。
だが、答えようとするよりも先に自分の足が、そして身体が地から浮いていることに気が付いてしまった。
「え」
お弁当を入れてきたカゴもふわっと宙に浮き、ランディさんの左手に通される。そして私の浮いた身体には右手が添えられ、次の瞬間にはものすごいスピードで進み始めた。それはまるで風になったと錯覚させられるほどの勢いだった。
やがて、私はいつものランディさんの執務室で椅子の上に降ろされた。
カゴは入り口のほうに放り投げられた。
「あの、ありがとうございました」
「よくアイツに気付かれなかったものだな」
「え?」
何のことだろうか。
そう首を傾げれば、ランディさんは私を睨んだ。
「何もあの男を見て感じなかったということはないだろう」
「馬鹿だとは思いましたけど、そういう話ではないですよね」
「ああ。馬鹿に違いないが、そういう話ではない」
どうやらランディさんもあの人を知っているらしい。身分が高そうなので、それ自体は何ら不思議ではない。
だが、そのほかと言えば――。
「見てそう感じた、というわけではありません。ただ、あの人が私が不細工だから異界の聖女ではないという話をされたあとくらいから、右肩が強く痛み始めました」
「異界の聖女……」
「いや、あの、さすがに私が聖女だ言っているわけじゃありませんよ!! そりゃ聖女様なんていったら大層な美人さんでしょうし!!」
むしろ聖女ではないのはわかっている。
ただ、異界という言葉や身体の反応に引っ掛かりを覚えたのは事実だ。
「確かにお前は聖女ではない」
「もちろんです」
「だが不細工でもない」
その続けられた言葉を私は意外だと感じてしまった。
不細工だって思われていたともおもってない。ただ、あえて否定されたことも驚いた。
「なんだ」
「いえ、何も」
重要なことではないけど、訂正してくれるのはありがたい。
「いずれにしても異界の聖女、と口にしているなら、召喚が行われたことを考えている可能性もある。それに、お前とアレの間に魔力反応が発生していた」
「え?」
「痛みがあっただろう。あの時だ。もっとも、普通であればアイツも接触で気付くはずなんだが」
「じゃ……じゃあ、私が帰る方法も……?」
「手掛かりになる可能性はある。もっとも、喜ぶにはまだ早いだろうが」
思っていなかったことに私は目を瞬かせてしまった。
あれが、私がこの世界にきた原因――そう思いながら息を飲み、私はランディさんが何を考えているのか固唾を飲んで見守った。
だが、その口から発せられた言葉は予想だにしていないものだった。
「とりあえず、脱げ」
「はい!?」
意味が分かりません、となっても仕方がないことだとしか思えない。




