第0話 かくして、お弁当屋さんを始めました
拝啓
日本でお過ごしの親愛なる両親様、私がいたころと変わらずお元気でお過ごしでしょうか?
突然ですが、幼い頃より「人間いつ異世界に行くことになるかもしれないから」という教えのもと、私を育ててくれていたことについて申し上げます。
冗談だと思っていて本当に申し訳ございませんでした……!!
異世界に召喚されやすい一族だとか、本当に嘘だと思っていました……!!
あなたがたの娘である私こと福寄真昼は今、アズトロクロア王国という国がある世界のアズトロクロア王国の首都アロアにいます。
そしてそこで日本のある世界への帰還を目指しつつ、まずは生活基盤を整えるため――お弁当屋さんを始めました。
いまも一生懸命、真心を込めて作っています。
そんな文法などを一切気にしない手紙を頭の中で書いている私は、今日も一生懸命お弁当を作っている。
今日の献立はオムライス弁当のポテトサラダとベーコン&トマトのカリカリ焼き、葉物野菜を添えて――で、一人前七百ジィダ。 この国のお金の価値は割と日本円と近い感覚なので、何となく馴染みやすい。もちろん違うのもあるけどね。
とはいえ、元OLの私に言わせれば『食べに行くならともかく、毎日のお弁当が七百円って高くない!?』と思う――もっと正直に言えばワンコインで押さえたい派だったけど、弁当は好評なのでいまのところ価格を下げる予定はない。いまのところだけどね。
なんせ、この国にはお弁当という概念がない。
一応、パンと前日の夕食の一部をお弁当代わりにする人もいるんだけど、クリームパスタをそのままもってくるようなものも普通で、お弁当向きの食事じゃないから『我慢して食べるもの』って雰囲気だ。
だから強いていうならパン屋が好敵手だったのだが、それもジャムかバターで食べるのが普通で、総菜パンは存在しない。
だからほとんどの人は食堂に向かう。
だけど―― やっぱり仕事の都合で食堂に行ける人ばっかりじゃないのは、日本でもこの世界でも同じらしい。だから、毎日パン食だった人たちからは一定の需要が得られた。
「お弁当文化が浸透した国に生まれてて良かったなぁ」
そう口にしながら、私は炒めていた鶏肉とみじん切りのタマネギに、丹精込めて作ったケチャップとブイヨンを混ぜ入れたものを流し込み、ある程度水分を飛ばしてから白米を投入した。
それが混ざればチキンライスは完成するので、順次お弁当箱にいれていく。それにあらかじめ作っておいた薄焼き卵を乗せてから十字に切りこみを入れ、ライスが覗くようにすれば飾りつけも完成だ。
とろとろ卵もいいけど、お弁当なら断然薄焼き卵のオムライス派なんだ、私は。
あ、食材はそれっぽい雰囲気の物をそう呼んでいるだけで、サイズ感や形は違うものもあって、こういうところからもここは日本でないんだなぁと感じてしまう。
またこの国はお弁当文化の概念がないだけあって、お弁当箱も存在していない。
けれどカゴ作りの技術は発展しており、子供たちが竹皮に似た葉で作った箱を安価で売ってお小遣い稼ぎをしているので、それを買ってお弁当箱にしている。
ただ、それを最初に買うのもお金が必要だった。だからたまたま召喚される前の帰宅途中に購入した縁日の『宝石つかみ取り』などで使われるアクリルキューブを売って資金を作ろうとしたんだけど……それを、この台所を持つ元飲食店経営の老夫婦に見せたら『いくらでもそんなものは買うからぜひ譲ってほしい』と頼まれたので、百円分だけを譲って、お弁当箱と初日の材料費を得ることに成功した。
本当は全部渡そうと思ったんだけど、珍しいものだからそれは持っておけと言われた。
でも、その時のアクリルキューブの扱いが宝石に対する扱いのようだったので、みだりに人には見せずしばらくは隠し持っておかないといけないかなと思っている。
そして老夫婦も良い人たちで良かったと思った。
私が気づいてないなら、だまし取る人だっているだろうに。
この老夫婦との出会いはこの世界に来て、とりあえず情報収集しようとしたときのことだった。
日本ではなさそうなところで言葉が通じるかどうか訝しんでいたのだが、一応こそこそと入った街中の風景や聞こえてくる声で、それは心配しなくてよさそうだということは理解した。
文字は違っていても、なぜか読めたのだ。
だがほっとしたのもつかの間、この老夫婦の家の前を通った時に大声で言い合う声が聞こえてきた。
私はその声に本当に驚き、思わず中の様子を窺ってしまった。
するとなにやら大声の原因は木の腕輪がなんらかの原因で壊れてしまったということが分かった。夫婦喧嘩に割り入るのはちょっとアレかなと思ったんだけど、その時私はアクリルキューブと一緒に買ったボンドを持っていたのです。
なんでそんな組み合わせで買っていたのかっていうとテラリウムもどきというか、ミニチュアの幻想的な庭を作ろうとしていたからなんだけど――とりあえずボンドを使ってみるかと申し出た。
もちろんボンドだから完全修復というわけにはいかず、継ぎ目も見えてしまうんだけど……それでも喧嘩していた空気は綺麗に修復とあいなりました。よかった。
そしてその老夫婦は、荷物が多く変わった格好――といっても仕事終わりのスーツでジャケットを脱いだ状態に通勤用バッグと防災グッズを持った姿だったんだけど――の私を、家出をしてきたどこぞの娘だと勘違いしてくれた。
ボンドみたいなものが存在しない世界でそんなものを使ったのだから、庶民にはわからないものを持っているかなり上流階級の人間なのだろう、とも思われた。
家出云々は適当に誤魔化して話を続けると、その腕輪は実は老夫婦がプロポーズの際に用いたものであったらしく、とても喜んでくれた結果、寝床がないなら部屋をひとつ使って構わないと言ってくれた。
私はそのお言葉に遠慮なく甘えることにし、そしてひとまず現状がどのような場所なのか把握するに務めた。どういう理屈かわからないけど、本を見れば知らない文字だけど読むことはできた。
生憎書くことはできないが――そこで、ここが異世界だということを知った。
うん、異世界。
いや、異世界だとはうすうす気付いていたんだけど、理解したくはなかったよね。
仕事を退職して明日から新たな一歩を踏み出すぞと気合いを入れて帰宅して夕飯のメニューを聞こうとした瞬間、足元に魔法陣っぽいものが現れただけなら、なんの悪戯だと話を終わらせたことだろう。たとえそのまま移転したって理解ができなかったと思う。
ただ、その魔法陣に囲まれた私を見た両親が慌てて防災グッズを投げつけ、『ついに真昼にも来たか!!』『勇者として召喚されるときがきたのね! 聖女かしら!?』とやたらわくわくしている様子だった挙句、わけのわからない状態で知らない場所に飛ばされたのだ。
幼い頃から当たり前のように『うちはお父さんの家系もお母さんの家系も異世界に召喚されやすい一族なのよー』って言われてたのが本当のことだったのかと、顔をひきつらせ、それでもまだ冗談の続きなのかもしれないと信じていたのだが――やっぱりか!! と、思わずにはいられなかったよね。
お父さん、お母さん、いままで冗談だと思っていて本当にすみませんでした。
ただ、防災グッズをくれたのはありがたいんだけど、どうせならヒントも欲しかったです。これ、どうやったらこれ、帰れるの!!
ただし両親の口振りを思い返しても、たぶん異世界を渡り歩いた経験者だ。そして、ちゃんと日本に帰ってきている。
だから、異世界に来てしまっても帰れるものなのだと信じたい。
ここが両親が知る異世界と同じ異世界なのかは知らないけど、信じたい。
不幸中の幸いは放りだされた場所が森のような場所であっても、そこは王都の外壁の内部だったことだ。あれが妙な場所に落ちていれば、しばらくサバイバル生活をおくることになったかもしれない。
「ゲームとか漫画とかだと、誰かに召喚されてるのが多い気がするけど……」
そして両親のセリフからも、何かしらの力を求められて召喚されるのがうちの一族だと思うのだが、私がこの世界にきたときは自分の周りには木々しかなかった。
だから召喚されたのかどうかはわからないけど、それでも拠点を得たからには情報収集も開始した。
ただ、老夫婦には家出娘より厄介なものかもしれない異世界人だと思われないように、ひっそり、ひっそりとだけど――。そもそも『聖女』とか『勇者』の力なんて、まるで知らない私になにか期待されても普通に困るけど…!!
でも、その過程で気が付いた。
即行帰ることができないなら、生活費を稼がねばならない、と。
そして街で情報収集していた折に目を付けたのが、お弁当というわけだ。
商売をすれば人と関わることができるから、情報収集も効率が上がるはず。
そう信じて、私はお弁当屋さんを開始した。幸い老夫婦が以前飲食店を営んでいただけあって、キッチンには困らない。もっとも、この調理台も使い勝手は現代日本と違って大変ではあるんだけど、これ以上の贅沢は絶対に言えない。
「さて、今日の分はこれで完成!」
普通なら知らない世界に飛ばされたらもっと混乱していてもおかしくない、かもしれない。けれど私は自分の、福寄真昼というやたら明るい名に恥じぬくらい考えが前向きだという自覚はある。
明るくしてりゃ福がきっと寄ってくる!
そう信じて……さて、今日も元気にお弁当を売り歩きますか!