らしくない面々との挨拶
「ここがうちの部屋よ」
新ヴェリスティア帝国陸軍本部の敷地内にある白い二階建ての建物。
その一階の、なんの変哲もないドアの前で足を止め、ロザニーが振り返った。
地下牢で見たときにはわからなかったけれど、ロザニーの瞳は薄い茶色をしている。
ひとつにまとめられている白金色の髪といい、ヴェリアナ大陸ではあまり見ない色だ。
55年前の大戦で敗北し、新ヴェリスティア帝国の支配下におかれることになった旧ファンティエ王国には、栗色の髪と、それと同系色の瞳をもっている人たちが多いと聞いたことがあるから、そちらの血が入っているのかもしれない。
「あ、はい……」
ついさっき配給されたばかりの、着慣れない軍服の襟がひどく窮屈だった。
体の節々はもちろん痛い。
軍医に見てもらったところ肋骨はやっぱり折れていたけれど、やってもらったことといえば、まああまり暴れんように、という指示をもらっただけだった。
暴れる気力なんてこれっぽっちも残ってないから、その点だけは安心だろう。
「ロザニー・ミュレッティ、入ります」
ノックに続いて声をかけ、ロザニーが室内へと踏み込む。
「おっかえりぃ~」
間をおかず、部屋の中から声が聞こえた。
すたすたと部屋に入ってゆくロザニーのあとにくっついて入室し、ディートは驚きに目を瞠る。
部屋自体は大机がひとつと椅子が数脚、それに来客用なのかソファとテーブルという応接セットが部屋の隅に置かれている、特に珍しいものではない。
ディートが驚いたのは、室内に子どもがいたからだ。
褐色の肌に、左右の耳の上でふたつに結われた桃色の長い髪、そして紫色の瞳をした、小さな女の子がソファの上に座っていた。
十歳くらいの年齢に見える。
「ただいま、モモ・モー」
ロザニーは動じることなく、女の子と言葉を交わす。
面識があるらしい。
どうやら勝手に侵入してきた近所の子ども、というわけではなさそうだ。
――とそこまで考えたところで、少女もディートと同じように黒い軍服を着こんでいることに気づく。
「ええっ!? あの、その子も軍人なんですか?」
「そうよ」
「うちゅ、モモ・モーだよ。よろしくね、新米くん!」
ソファからぴょんと飛び下りたモモ・モーが、ディートの前に着地すると、ひょいと小さな手を差し出した。
「ウチュ・モモ・モー、さん?」
「うちゅ、はグェン地方の方言でわたしって意味よ。モモ・モーはグェン地方の小さな村出身なの」
グェン地方は、530前、大陸を三分割して争われたヴェリスティア大戦で負けた、旧グェン王国領だ。
地理的にはヴェリスティア大陸の南東部を指す。
ヴェリスティア大陸は南の一部分が欠けた円形をしており、グェン地方は大陸の片端に位置する。
更にもともとグェン人は固有の言語を使っていたことから、併合されて500年以上が経った今でも、グェン訛の強い者は多い。
「あ、俺はディート。よろしく」
驚きながらも手を握ると、びゅっと握ってぶんぶんと激しく振られた。
肋骨が痛む。
「それで、あっちにいるのがレギ」
「へ? ……うぉっ!!」
ロザニーが手で示した先に、ひとりの小柄な少年が立っていた。
全く気づかなかったけれど、ディートが入ってきたドアの真横の壁にもたれかかっている。
髪も瞳も真っ黒で、軍服も黒いものだから上から下まで見事に黒一色だ。
唯一、縦長の瞳孔だけが金に近い色をしている。
「……」
ディートと同じくらいの年齢に見えるレギは、無言で顎を微かに引いた。
「あ、どうも」
必然、ディートの挨拶も、短いものになる。
「隊長は奥?」
「そですよ。今、ウィルボ大尉が来てて……」
「ウィルボ大尉? あの人も暇ねぇ。ま、彼なら、邪魔してもいいわね。来なさい、ディート」
ロザニーはおざなりに部屋の奥へと続く扉をノックをして名乗ったかと思うと、躊躇いなくその扉を押し開けた。
「あ、は、はいっ」
興味津々で自分を見てくるモモ・モーに「いってらっしゃ~い」と手を振られ、ぎこちなく手を振り返してからディートは慌ててあとを追った。
「おぅ、ロザニーちゃん。今日も美人だねぇ」
部屋には、ふたりの男がいた。
そのうちのひとり、立っているほうが、親しそうにロザニーに声をかける。
長身で軟派な感じのする青年だ。
白髪緑眼という典型的なヴェリス人の外見をしていて、下がり気味の左目のすぐ傍に泣きぼくろがある。
その整った顔から、女性にもてるだろうことが容易に想像できる。
「どうも。隊長、ディート・ティエンを連れてきました」
ロザニーは慣れているのか、青年の言葉をさらりと受け流して、机の向こうの椅子にだらしなく座っている黒髪の男に向かって言う。
男の軍服と軍帽は机の上に放り出されており、袖のない白いシャツを着ただけの姿で、机に肘をつき、けだるそうに煙草を吸っている。
男はこちらを見ない。
ディートからはかろうじて横顔が見えるだけだ。
軍人にも関わらず、左耳の前の髪だけひと房長く伸ばしており、そこに女がつけるような繊細な細工を施された金管の飾りをはめていることからも、あまりいい感じは受けない。
とにかくディートの抱いていた軍人像とかけ離れているのだ。
それを言うのなら、第三分隊の部屋に入ってからずっとディートのイメージは裏切られて続けているのだけれど。
この人が隊長? とディートは信じられない気持ちで男を見る。
「隊長殿、副官殿に呼ばれてるぞ?」
ロザニーに相手にされなかったウィルボは肩をすくめ、苦笑を浮かべている。
「不要だ」
男が短く告げた。
なんだか険悪な雰囲気で、ディートとしては非常に居心地が悪い。
「これは決定事項です」
「俺は許可していない」
「部隊長の指示です」
ふぅ、と男が煙を吐く。
引かないロザニーを前に、なにかを考えているようだった。
その隙をついて、ロザニーがディートを振り返った。
「挨拶を」
促されて、ディートは言われるままに口を開いた。
「あ、はい。本日付けでこちらに配属になりました、ディート……」
「帰れ」
「……え?」
「二度言わせるな。帰れと言った」
ディートは口を開けたまま、固まる。
ロザニーに教えられたとおりの挨拶は、男の不機嫌そうな声に遮られ、最後まで言うことができなかった。




