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信じたくない落とし物

「装備は各自使いやすい武器を携帯。ディートくんは拳銃ね。予備の弾倉も用意しとくこと。ライ島に上陸する際には防塵面の着用が義務付けられてるからそれも忘れずに。あとは……」

「あのさ……」

「なに?」


 装備が収納されている棚の前、モモ・モーの説明を聞きながら支度をしていたディートは、それを遮り切り出した。


「あの、殺されたっていう捕虜のことなんだけど……。現場とか、遺体とか、見られないかな」


 ずっと気になっていたのだ。


 入隊して一か月。

 目も合わさなければ会話もしなかったけれど、毎日彼女のために飯を運んでいた。

 それに、昨日の一件もある。


 彼女の金の瞳が瞼の裏に焼き付いて、どうしても消えないのだ。

 昨日あんなにも強い恨みを込めた瞳で自分を睨みつけていた彼女がもういないとは、信じられなかった。


 はぁ、とモモ・モーが呆れたようにため息を吐く。


「出動まで時間ないし、ディートくんは思いっきり疑われてんよ。それでも行きたいの?」

「……ごめん」

「いーよ、別に。んじゃ、さっさと行こ。レギ、見張りの攪乱よろしく」


 モモ・モーはあっさりと承諾すると、隣で黙々と出動の支度を整えていたレギに声をかけた。

 突然よろしくされたレギも別になにも言うことなくひとつ頷くと、すたすたと部屋を出てゆく。


「え、いいの?」

「だって気になるんでしょ? だったらちゃちゃっと見に行って、ささっと帰って来ようよ」

「いや、それはそうだけど……」


 無理だと言われると思っていた。

 出動まで時間がないとか、疑われている時に余計な動きをしないほうがいいとか、断られる理由ならいくらでも思いつく。


「行きたくないの?」

「行きたい」


「んじゃいーじゃん。ぐずぐず言ってると置いてくかんね」

「あ、ちょっ、待って……」


 ディートを残して部屋を出て行こうとするモモ・モーを慌てて追い、廊下に出る。

 そこには既にレギの姿はなく、モモ・モーが歩いているだけだった。


「遺体は運び出されてると思うから、現場の収容所行こー」


 先導するモモ・モーのあとを、ディートはきょろきょろしながらついてゆく。

 普通に行っても、中に入れてもらえるわけがない。


 それなのにモモ・モーは迷いなくどんどん進み、戸惑うディートを引き連れたままあっという間に収容所の近くまで来てしまった。


 どうするのか訊こうと口を開いたまさにその時、パンパァン、という大きな音が響き渡った。


「さすがレギ」

「え、今の……」


 モモ・モーに確認しようとしたが、収容所の中からふたりの兵が飛び出してきたことに気づき慌てて壁の陰に身を隠す。

 背の低いモモ・モーは植木の陰に隠れていて見えないようだ。


「そ。どっかで少量の火薬でも爆破させてくれたんだよ、きっと。ほら、急ご急ご」


 するするっと入り口に吸い込まれるようにモモ・モーが消える。


 収容所の中のことは、ディートのほうが詳しい。

 イエシル人の彼女がいた房の位置も。


 中に入ればディートも幾分覚悟が決まってきた。

 首に巻いていた襟巻きを鼻まで引き上げて進むモモ・モーを途中で追い越し、毎日通った房を目指す。


 いつも閉じられていた扉が、今は開きっぱなしになっていた。


 手前で歩く速度が落ちる。

 現場を確認するために来たはずなのに、見ることを躊躇する。

 既にここに遺体がないことはわかっているのに。


 立ち止まりそうな自分の足をなんとか動かして、房の前に立つ。

 いつの間にか靴先に落ちていた目線をゆっくりと上げる。


 そしてディートは見た。

 房の中に飛び散った赤い色を。


「……うっ」


 ディートは目を瞠り、思わず呻いた。

 採光窓から差し込む光だけで、ここでなにが起きたのかを理解するのは充分だった。


 壁に、天井に飛び散った血しぶき。

 床に広がる赤黒く大きな血だまり。

 部屋の中に満ちる錆臭いにおい。


「頸動脈を一閃、かあ。これなら一瞬で終わらせられるもんね」


 ひょこりとディートの脇から部屋の中を覗き込んだモモ・モーは、ふんふん、と納得しているようだ。

 冷静に、観察している。


 ディートには無理だった。

 首を切られ、ぱっかりと開いたその切り口から血が飛び散る様子を想像すると同時に、血の気がすぅっと引いていく。


 死体はいくつも見てきた。

 けれどライ島で見た多くの死体の死因は灰雪粉(アシュパラ)による発作がほとんどで、それ以外は落下してきた瓦礫の下敷きになったものが多かった。

 それらは依然瓦礫の下敷きになったままのものが多く、

 無残な状態のものを目にすることはほとんどなかったのだ。


「あれ、ディートくん、だいじょぶ?」

「あ、ああ、うん……」


 屈みこみそうになるのをなんとなこらえて、返事をする。


 房の中には水の入ったバケツが置いてあり、ブラシが投げ出された状態で放置されていた。

 見張りの兵が掃除をしようとしていたのだろう。


 これ以上ここにいるのは、無理だ……。


 口を押さえて踵を返そうとした時、なにかが目の端に引っかかった。

 視線を戻し、房の隅を見る。


 そこに小さなものを見つけて、ディートはふらりと踏み出した。

 微かに震える手を伸ばし、拾い上げる。


「これ……」

「なにー? なんかあった?」

「いや。なんでもない。このあいだ来た時俺が落としたヤツみたいだ」


 モモ・モーから隠すように、素早くズボンのポケットにしまう。


「あー、隊長となんかあったんだっけ?」


 モモ・モーも聞き及んでいるらしい。

 幸いにも、それ以上突っ込んでくることはなかった。


「まあ、ね……」


 ズボンの上から、確かにポケットに入っている感触を確認する。


「もういい?」

「ああ、うん。ありがとう」

「うしっ。じゃ、見つかる前に戻ろっか。いっそげー」


 殺害現場を見た直後とは思えない元気さで、モモ・モーが駆けだす。

 出遅れたディートは早くモモ・モーを追わなければならないことがわかっていたけれど、どうしてもポケットの中に入れたもののことが頭から離れない。


 ディートにとってとても見覚えのあるものだが、ディートのものではない。

 モモ・モーにはとっさに嘘をついてしまった。


 拾ったものは、髪飾りだった。

 エミナがディートと出会った時から身に着けている、彼女の数少ない持ち物のひとつで、彼女の過去を知る手がかりになるかもしれないものだ。


 それがここにある理由。

 昨夜見かけた姿。


 それらがひとつの結論を導き出そうとしているような気がして、ディートは唇を噛む。


 エミナが人を殺したりするはずがない。

 見張りのいるこの場所に忍び込んで、捕虜を殺し、見つからずに逃げ出すなんて、そんなことができるわけがない。


 そう思うのに、信じたいのに、状況がそれをすんなりと許してはくれない。


 エミナに会わないといけない。

 今すぐに。


 ディートは逸る気持ちを抑えられないまま、駆け出した。 

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