近づくふたりの距離と保護者の定義
シャワールームでアシュパラを洗い落としてから、今日の勤務日誌をつけるため第三分隊の事務室へ戻ろうと中庭を突っ切っていたディートは、偶然回廊に立っているエミナを見つけた。
チャンスだ、と名前を呼ぼうとして、エミナが誰かと一緒にいることに気づく。
ちょうど回廊の柱の陰に隠れていて相手が見えない。
気づいていない体でゆっくりと歩きながらちらりと横目でエミナのほうを観察すると、角度が変わったのでようやく相手の姿が見えた。
そこにいたのは、マーセストだった。
またか、とディートは微かに眉をしかめる。
最近、エミナがマーセストと一緒にいるところをよく見かけるのだ。
エミナとマーセストは向かい合い、なにか話をしているようだった。
マーセストはだるそうに柱に腕をつき、体重を預けるように立っている。
エミナは長身のマーセストを真剣な顔で見上げている。
なにを話しているんだろう、とディートは思わず聞き耳を立てるが、距離がありすぎて聞こえない。
知らんふりをして近づこうか、などと考えていると、マーセストがくすりと笑った。
ディートは驚いて思わず立ち止まる。
マーセストの笑顔を見るのは初めてだった。
月の淡い光を受けてか、マーセストの濃紺の瞳の中にきらきらと光る金の輝きが見えたような気がする。
その瞳が、ゆっくりとエミナの顔へと近づいてゆく。
エミナはそれに気づきながらも、動こうとはしない。
マーセストの手が、エミナの制服の襟を留めているホックをはずしたのがわかった。
そんな……。
なんで、どうして、いつの間に、とぐるぐる疑問視が浮かび上がる。
そうこうしているあいだにも、ふたりの距離は近づいている。
これ以上、見たくない。
ディートはふたりから目を逸らし、大股で事務室へと向かった。
「おっかえりー。待ってたんだよー。聞いたよ聞いたよ? レギの諜報能力を侮っちゃだめだよ? ディートくん、今日、これからウィルボ大尉にご飯連れてってもらうんだって? ウィルボ大尉はあれで第一中隊の中隊長なんだよ。偉いんだよ。お給料もうちゅらよりたくさんもらってんだよ。ってことで、うちゅらが分隊を代表して、ディートくんの保護者兼監視役としてついてったげんよー」
事務室の扉を開けるなり、モモ・モーが飛びつかんばかりの勢いでぴょーん、とディートの目と鼻の先に着地した。
その後方で、レギが頷いている。
「保護者? 誰が?」
「うちゅが!」
「このメンツなら俺が年長者でしょ」
ディートのほうがレギよりもふたつほど年上だということは、宿舎で同室なこともあり、既に知っていた。
ふと、レギがなにか言いたそうにディートを見た。
が、普段から口数の少ないレギは、今回も結局なにも言わずにちらりとモモ・モーへ目を移動させる。
なんだ? と首を捻るディートの前で、モモ・モーがぷう、と頬を膨らませた。
「先輩に向かって失礼な!」
「そりゃあ軍歴はモモ・モーのほうが長いだろうけど……。そういえば、モモ・モーってどのくらい前からここにいるの?」
「初等学校を出てすぐだから、もう四年だよ! 十六だよ! ディートくんより年上なんだかんね!」
「じゅうろ……ん?」
ディートは瞬きを繰り返し、今とは反対のほうへと首を傾けた。
今なにか聞こえたような気がしたけれど、よく聞き取れなかった。
「十六歳!」
モモ・モーが自分を指さして繰り返す。
どう見ても十歳ちょいにしか見えないモモ・モーが、ひとつとはいえ自分より年上!?
「……っえええええ!?」
えっへん、と偉そうに胸を張るモモ・モーをまじまじと見る。
身長といい、体つきといい、行動言動その他諸々といい、モモ・モーが自分より年上だなんて考えたこともなかったディートは驚きのあまり目を瞠った。
「だから、保護者だよね」
驚くディートを見て、モモ・モーが勝ち誇った笑みを浮かべる。
「モモ・モーが、年上……」
一方のディートは、衝撃の事実に呆けて立ち尽くすことしかできない。
もはや保護者の定義だとか誰が保護者になるのかとかそういうささいな問題はすっかり吹っ飛んでいた。
固まってしまっていたディートは、扉がノックされた音にはっと我に返った。
「あ、はいっ」
反射的に返事をすると、ドアが開いてウィルボが無駄に整った顔をひょいとのぞかせた。
ディート入隊後もしょっちゅう第三分隊の部屋に顔を出すのですっかり顔なじみだ。
頻繁に顔を合わせるからか、ディートのことも気にかけてくれてくれているらしい。
「よ。帰れるか?」
「あっ! あ、えーと、すみません。日誌がまだ……」
部屋に入るなりモモ・モーにつかまったせいで、日誌のことをすっかり忘れていた。
「いーよいーよ、そんなの明日で。だいじょぶだいじょぶ。明日早く来て書けばいいんだって。さ、行こ行こ」
モモ・モーがぐい、とディートの腕を引っ張る。
「お嬢さんも一緒に来るか?」
「もっちろんだよ! そこのムッツリくんも一緒だよ?」
ムッツリくんと言われたレギは、けれど特に不満そうな顔もせず、ぺこりと軽く頭を下げた。
「おぅ、大歓迎だぜ。どっちみちここに来りゃあ誰かいるだろうと思ってたしな。……で、ロザニーちゃんは?」
ウィルボが部屋の中をきょろきょろと見まわすけれど、ロザニーはディートが部屋に来た時既にいなかった。
「ロザニーさんなら、今日はめずらしくもう帰りましたよ」
「くぅぅ。前もって誘ったら逃げられると思って、ディート以外にはあえて声をかけずにおいたのになぁ。さすがロザニーちゃん、俺の行動を察知したか」
「大尉、そろそろ諦めたら?」
「なにを言うか。ま、いいさ。じらされるのも俺結構好きだから」
「じらすとか、そういう問題じゃないと思うんだけどなー」
「そういう問題さ、きっと。さて、もうひとり新しく入ったお嬢さんがいるって聞いたような気がするけど……」
「あ、あいつ、なんか取り込み中だったみたいなんで……」
脳裏に先ほどの様子が甦り、ディートは思わず早口になりながら説明する。
「んじゃ仕方ないな。そんじゃその子はまた今度ってことで。うし、じゃあこのメンツで繰り出すか。さ、ついて来いよー」
ウィルボに引率され、ディートたちは夜の街へと繰り出すのだった。




