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そう、これはとてもよくあること

 瓦礫を掘り返して埋もれている本を回収し、新帝都に建築中の帝立図書館に持ち込む。

 その僅かばかりの手間賃が、ディートの収入の全てだった。


「今日はこのくらいにしとくかぁ」 


 本を詰め込んだ麻袋の重みをずっしりと肩に感じながら、ディートは腰を伸ばした。

 中肉中背、透き通る白髪はヴェリス人の特徴のひとつだ。


 青みがかった緑眼を空へ向けると、そこにはかつて天を突くほど高く伸びていた塔ライ・ルルシェムの変わり果てた姿がある。


 地上に積もった瓦礫は、破壊されたライ・ルルシェムの残骸だ。

 そして今、かつての四分の三ほどの高さになってしまったライ・ルルシェムの頂上付近には、塔の四分の一を押しつぶし更にそこに覆い被さるようにして広がる白い大地が見える。


 三年ほど前に突如現れ、ライ・ルルシェムを破壊したそれは、本来ディートたちの住むこの世界オルイガには存在しないはずのもの――アーイエシルと呼ばれる異世界だった。


 ディートは頭上の巨大な白い大地を睨みつける。


 三年前、多くの人が死んだ。


 ディートの家族も、幼なじみの少女も、アーイエシルとの空間衝突(ペスコルジョ)の所為で命を落とした。


 落下してきた瓦礫の下敷きになった者ももちろんいたが、最大の死因は致死量の毒を吸い込んだことだった。

 空間衝突(ペスコルジョ)の衝撃でアーイエシルに満ちるアシュパラと呼ばれる物質が地上に降ってきたのだ。


 オルイガの人々にとってアシュパラは、少量を吸い込んだだけで呼吸困難をもよおし、数分で死に至る猛毒となる。

 

 今、ディートが立っているこのライ島は、三年前から無人の島となっている。


 住人のほとんどが死に、僅かに生き残った者はみな大陸に避難したからだ。

 今も、この島には死体が多く埋葬もされないまま残されている。


 地上に降り積もったアシュパラの毒性は当時と比べれば随分薄れたとはいうものの、風などで舞い上がったそれを吸い込み続けることは、やはり健康を害する恐れがある。

 

 だから、この島にやって来る者は少ない。

 ディートのように、他に暮らしの糧を得る方法がなく、生きるためやむを得ず訪れる者以外には。


  

 

 ライ島をぐるりと囲むヴェリスティア大陸の岸に小舟をつけ、ロープでくくりつける。

 捨てられていたものを自分で修復して使っているので、いつ沈んでもおかしくないくらい心もとないけれど、ディートにとっては大事な舟だ。


 顔の鼻から下を覆うようにぐるぐると巻いていた布を首まで下ろすと、ディートは麻袋を背負い、帝立図書館へ向かって歩き出した。


 三年前にライ島から遷都された新帝都ヴェリアナには、現在新しい図書館が建設中だ。

 ただし蔵書はまだまだ少ない。


 大陸中から集められるものは集めているけれど、貴重な本の多くは依然、ライ島の旧帝立図書館跡に埋もれたままだからだ。


 そこで、ディートのような者の出番となる。

 幸い、命知らずな同業者が少ないおかげで、ディートはこれまで生き繋いで来られた。


「よう、ディート。まだ死んでなかったのかい」


 同じように岸に舟をつないでいた女性が、笑顔でディートへ声をかける。


 背はディートよりも高く、捲り上げた袖からのぞく腕には筋肉ががっちりとついていてその辺の男よりもたくましいくらいだが、上衣をはちきらんばかりの豊かな胸が女性であることを証明している。


「幸いね。グワンさんも元気そうだね」


 ディートは苦笑を浮かべながら、背負っている麻袋を抱え直した。


 新帝都ヴェリアナの港には現在新ヴェリスティア帝国軍籍船が集まっていて近づけない。

 ここは港から少し離れた岸辺で、ディートの舟のように古くて小さい舟が幾つもつながれている。


 グワンは三年前の空間衝突(ペスコルジョ)で夫と息子を亡くしており、自分の舟で荷運びの仕事をしているので、毎日のようにここにやってくるディートともすっかり顔なじみだった。


 他の舟の持ち主たちも似たり寄ったりの仕事をして暮らしている。


「あったりまえじゃないか。あんたも無理すんじゃないよ。可愛い嫁さんがあの年で未亡人じゃあんまりだからな」

「嫁さん!? エミナはそんなんじゃないよ。ただ成り行きで一緒に暮らすことになっただけなんだから……」


 グワンの言っている嫁さんというのが、家でディートの帰りを待っている少女のことだと気づき、慌てて否定する。


 エミナとは確かに同じところに住んでいるけれど、それは家賃や諸々の条件を考慮した上で決めたことであって、どちらかといえば兄妹のような関係だとディートは思っている。 


「なにぶつぶつ言ってやがんだ、よっ!」

「うわっ!」


 ばしぃっ、とグワンに尻を思い切り叩かれ、ディートは前につんのめった。

 咄嗟にバランスをとってなんとか転倒は免れたものの、その様子を見ていた周辺の男たちにげらげらと笑われる。


「しっかりしろっつってんだよ、男だろ。まあ、まずはもうちっと体を鍛えないと、そんなひょろひょろじゃあ女のひとりも守れないね」

「ほ、放っておいてくれよ!」


 薄い胸板のことは、ディートも気にしているのだ。

 ぐわははは、と豪快に笑うグワンさんを軽く睨んでから、ディートは足早にその場から立ち去った。



 内海に面しているヴェリアナからは、かつて、ライ島へ向かう船が日に何本も出ていた。


 一箇所だけ欠けた円のような形をしているヴェリスティア大陸の中央付近に位置しており、利用者は多かった。


 だが今ではライ島へ渡る一般人は絶え、大型船も出てはいない。


 渡航者が絶えた代わりに、ライ島住人の生き残りの多くがこの街に移り住んできた。

 財産を失い、住む家も失った者の中にはヴェリアナで家を借りることのできなかった者も多く、ヴェリアナの治安は一気に悪化したという。


 誰もが命の儚さを知り、誰もが無情さを知った。


 ヴェリアナの中でも港に近い場所は特に危険で、通常女子どもだけでは歩かせられない。

 例外としてはグワンがいるが、見かけ通り腕っ節も強い彼女は、男が数人束になってかかってきたところで一瞬でのしてしまう。


 しかし――。


 図書館を目指して足早に近道である裏路地を歩いていたディートは、突然わき道からばらばらと現れた人影に足止めされた。


 悪い予感しかしない。

 麻袋を握る手に力を込め、後退る。


 ディートはグワンとは違い、残念ながら喧嘩はからっきしなのだ。


 相手は男が3人で、年齢は30歳前後。

 袖口や肘の擦り切れた服を着て、その目はディートの麻袋から決して逸らさない。


 ディートは麻袋を背中に隠すようにして、男たちを睨みつけた。


「俺は金なんか持ってない。そこを通してくれ」


 苦労してライ島から集めてきた本をここで失ってしまうと、夕飯のパンにすら事欠くことになってしまう。


「その荷物を置いて行くなら通してやるぜ?」


 けけけ、と口を歪めてひときわ大きな男が笑う。 


「これは……これは置いていけない」


 ぎゅっと麻袋を抱く腕に力を込めると、踵を返して駆け出す。

 なんとしても本を死守しなければならないと思った。


 だが、数歩ほど進んだところで、新たに立ちはだかった男にぶつかってしまう。


 他にも仲間がいたのか。


「ぐっ……」


 そう認識した直後、みぞおちあたりにするどい打撃をくらい、ディートは体をふたつに折った。


「大人しく置いて行きゃあ、こんな目には合わなかったのになぁ、おい」


 がすがす、とディートを蹴る足は止まらない。

 強い衝撃に息が詰まる。


 反撃する術はない。

 ディートは目をつむり、ただひたすら袋を抱えて丸くなる。


 ディートの粘りに男たちが根負けしてくれることを願いながら。

 ――けれどその可能性が薄いことにも、心のどこかで気づいていた。


 こんなことは、ちっともめずらしいことじゃなかった。

 ディート自身も過去に何度もやられているし、街の小道にでも入れば、同じように絡まれている子どもの姿がそこかしこにある。


 それはただの、この街の日常だ。


 そして誰もが、見慣れて、風景のように受け入れてしまっているもの。


 でも、だからといって、苦労してかき集めてきたこの荷物は、簡単に諦められるものじゃない。


 ディートは繰り返される攻撃に耐える。

 背骨が折れるんじゃないかと思うほどの痛みに、思考がふっ飛ぶ。


 意識が朦朧となったその時、ディートの手から麻袋の紐があっけなく引き抜かれた。


 あっ―――――。


 だが、ディートは声を出すことすらできなかった。

 擦れた息が、喉から漏れる。


 目を開くと、遠ざかる麻袋が見えた。

 ずっと力を入れっぱなしで筋肉がすっかり固まってしまったふるえる腕を伸ばすけれど、届かない。


「手間ぁかけさせやがって」


 男たちが、唾と捨て台詞を吐き、ひとり、ふたりと去ってゆく。

 麻袋へと伸ばしたディートの腕は、最後のひとりに踏みつけられた。


「っっっ!!」  


 ディートは声にならない悲鳴を上げる。


 そして、静寂が訪れた。


 しばらくしてから、ディートはようやく重い体をゆっくりと起こした。

 体中が痛むけれど、両手両足はなんとか動く。


 骨に異常がなさそうなのが幸いだった。

 ――そう、幸運だった。


 この程度の怪我なら、明日も仕事に行けるだろう。


 ディートはまるで自分のものじゃないように感じられる体を引きずって、家を目指し、歩き出した。

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