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降り注ぐ言の葉の花は束ね得ぬ想いに似て  作者: 深海聡
第2章 光ある場所へ
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メアリーセージの種をまく

「ヴィヴィ姉さま、おめでとうございます」


 練習したとおりに、笑顔を浮かべて祝いの言葉を口に出来たことに、ミランダはそっと胸を撫で下ろした。

 親しい者たちは、ファルファラの思いもヴィオレッタの思いも、全てのいきさつを知った上で穏やかにその選択を受け入れた。

 マノリア様も、「いばらの道よ?」と、苦笑しながらもヴィオレッタの選択を祝福したと聞いている。

 それでも、何も知らない者たちが、陰で、時に面と向かって不道徳だと、尤もらしい噂話をでっちあげてあることないこと非難していることはミランダの耳にすら届いていた。

 そんな状況で、口が裂けても、行かないでなどとは言えなかった。

 現役の術師であるミハイルは領地を留守にしがちであり、その間ペリアを養育し、領地を治める権限を委譲できる人物がどうしても必要だった。

 今の状況で、何の不満も抱かずに形だけの妻の役割をこなせる人物は、そう多くないだろう。

 更に、ファルファラをよく知り、その思いを尊重できる人物と考えれば、ヴィオレッタ以外にいないだろう。


「ありがと。わたしがいなくなったら寂しいだろうけど、泣いてばかりいたらだめよ?」


 スッと手が伸びて、頬を軽く摘ままれる。

 その仕草に、堪えたはずの涙が既に零れそうになるミランダにヴィオレッタが明るい笑みをこぼす。


「わたしにとっては、これ以上のご縁はないのよ。これで色々言って来る五月蝿(うるさ)い人たちも静かになるしね」


 領地に引きこもればともかく、ミハイルの傍にいようと思えばより一層雑音はひどいはずなのに、なんてことのないことのように、あっけらかんとヴィオレッタは笑って言い放つ。


「色々忙しいから、数年は領地に詰めっきりになりそうだけどね」


 思った通りの言葉に、ミランダは自分自身に言い聞かせる。

 分かっていたはずだ、と。

 噂や貴族たちや城で働く者たち、ひいては城下町の住人達、離れた地域の情勢にまで詳しいヴァネッサに、あらかじめミハイルとヴィオレッタを取り巻く状況を説明されていなければ、うっかり引き止めたくなっていたことだろう。

 確たる立場があり、自分の身を守れるだけの手段があるミハイルはともかく、身を守れるだけの実力がなく、後ろ盾もないヴィオレッタは格好の標的だと聞いた時は心底寒気がした。

 どんなひどい目に遭わせられるか、考えるだけで嫌だった。


「ヴィヴィ姉さま、お手紙書きますから必ずお返事くださいね」


 思わず手を取った勢いのまま、我慢しきれずに抱き着く。


「ちょっと、ミランダだめよ。そんな風にしたら、カップが倒れちゃう」


 小言を口にしながらも、笑いをこらえ切れていないヴィオレッタがミランダの背に手を回してあやすように軽く触れる。


「もう、仕方がない子ね」


「絶対に幸せになってくださいね。幸せになってくれなかったら、領地に乗り込んでひと暴れしちゃうんですから」


 涙声で言い募るミランダに、ヴィオレッタは笑いを漏らす。


「そっか。どんなふうにひと暴れするのか楽しみね」


「えっと、冗談じゃなくって、市場に行って美味しそうなものを全部買い占めて、広場に陣取って宴会始めて、周り中の人に一発芸を無茶振りしちゃうんですから!」


 必死になるあまり、涙が引っ込んだ様子のミランダの言い分に、傍で控えていたはずの侍女たちも笑い始める。

 自分が口にしたあまりにもお粗末なひと暴れの内容に、ミランダも真っ赤になって下を向く。


「そんなひと暴れだったら、いつでも大歓迎よ」


 明るく笑うヴィオレッタの目にも、うっすらと涙が見える。


「次に会う時までに、お庭に花畑を作っておくわ。白、紫、青、赤、色々な色があるけれど、わたしはブルーサルビアが一番好き。だから、あちらに行ったら、まずはブルーサルビアの種をまくつもり」


 ヴィオレッタの言葉に、ジュノーが反応する。

 その反応を確かめるようにして、ヴィオレッタは言葉を重ねる。


「最初は上手く咲かないかもしれないけれど、ゆっくりと時間を掛けて育てていきたいと思っているの。きっと、ミランダがわたしを訪ねて来てくれる頃には、沢山の花が咲いていると思うわ」


 花の話しをしていたはずのヴィオレッタの視線が、スッと傍らにそれる。

 挨拶をしたきり、静かに2人のやり取りを見守っていたミハイルがその視線に静かに頷き返した。


「ねぇ、ミランダ。幸せって、人それぞれだと思うの」


 あくまでも明るい調子で、でも言葉を選びながら話し始めたヴィオレッタに、ミランダは腕を緩めてその表情をじっと見守る。

 僅かな変化さえも見逃さないというかのようにじっと見上げるミランダを、ヴィオレッタもしっかりと見つめ返す。


「わたしは、望んで嫁ぐのよ。ファルファラのため? とんでもない。これは、わたしのためよ。わたしは、わたしのやりたいことをしに行くの。ファルファラが守りたかったものを守り、慈しみたかったものを慈しみ、絶対に幸せな家庭を築いてみせる。尊敬と、信頼と、家族愛と。人生に必要なのは、燃えるような情熱だけじゃないって証明してみせるんだから」


 優しい手が、ミランダの両頬を包み込む。

 コツンと額を合わせて、ヴィオレッタはとても穏やかに、そして晴れやかに微笑んだ。


「だから、見守っていて。絶対絶対、幸せになるから」


「私も、ヴィオレッタ嬢の思いに心打たれ、是非にと乞いました。あなたの姉上と、穏やかで幸福な日々を重ねていけるよう、尽力していくことを誓います」


 穏やかなまなざしでヴィオレッタを見つめ、ミランダに微笑むミハイルを見つめ返して、ミランダは小さく頷く。

 そういった機微がまだよく分からないミランダにも、2人の間に流れる空気が、恋人同士が醸し出すフワフワしたような、ウキウキしたような、そんな空気感とは違うことを感じる。

 もっと地に足がついている、目的がはっきりした何か。

 分かるのは、信頼と、同じ方向を、同じように見ているのだと感じさせる、連帯感のような感覚。

 引き留めることも、割って入って邪魔をすることもはばかられる、そんな強固な絆を感じた。

 それは、いつかのファルファラとミハイルから感じた情熱とは違う感情。

 全てが変わってしまったあの日、迷わず戦場に駆けつけたファルファラと、ミランダともども空から落ちてきた彼女を、戦場の最前線に走り出て自分の身を危険にさらしてまで受け止め、その上で素早く安全圏まで退いたミハイルの姿を思う。

 何が何でも互いを守りたい、決して失いたくないと存在の全てで体現しているような、そんな情熱とも違う、もっと静かで穏やかに見える関係。

 補い合い、助け合い、尊重し合いながらも、緩やかな距離感が保たれた、傍らに相手がいなくても揺らがない関係。

 何故だか、その違いはミランダの不安をほんの少しだけ、ほぐしてくれるように感じた。

 上手く説明できないけれど、この2人なら大丈夫だろうと、そんな気がした。


「色々差し障りがあるから、式は挙げず、入籍だけすることになるけれど、わたしはそれで満足しているから」


 結婚式に招待できなくてごめんねと微笑むヴィオレッタに、ミランダは小さく頭を振る。

 上手く言葉に出来ないことばかりで、泣かないと決めたはずの涙がにじんでくる。

 複雑で、解きほぐせなくて、ぐちゃぐちゃの感情を持て余す。

 それでも、ミランダが出来ることなど決まっているから。

 縋りついていた手を離して、姿勢を正す。


「ヴィヴィ姉さまに、光の祝福を、堅固な闇の守りを、水の浄化を」


 行かないで、行かないでと泣きたくなるような思いと。

 どうか幸せになってと、心からの願いと。

 相反するようで、同じ根を持つ思いを込めて術式を編む。

 何度も、何度も、大切で壊れやすいものを薄紙で厳重に包むように、最近出来るようになった繊細な術式を幾重にも重ねて。

 グラグラと、感情が揺れて不安定になる。

 その分を注ぎ込むように、重ねられるだけの術式を重ね、それをグッと圧縮する。

 ミランダにとっては大き過ぎる負荷に冷え始めた指先を温めるように、不意にどこからか柔らかな熱が流れて来る。

 そっとミランダを気遣うように寄り添う熱が、ふわりとほどける。

 ああ、エオルだと思った。

 いつか、力を暴走させそうになったミランダを落ち着かせてくれた、エオルの温かな気配を感じる。

 その気配に励まされながら、ミランダは安定させた術式をヴィオレッタの頭上から被せる。

 複雑な色に煌めく、繊細な布地のようなそれは柔らかな光を放ちながら、ヴィオレッタを包み込む。


「素敵ね。こんなに素晴らしいウェディングベールを贈られた花嫁なんて、わたしだけね!」


 スッと溶けるようにヴィオレッタになじんで消えたはずの術式を摘まみ上げるしぐさをして、ヴィオレッタが華やいだ笑みを浮かべる。

 そして、勢いよくミランダを抱き寄せた。

 その勢いに、思わず息を飲んだミランダがヴィオレッタにしがみつく。

 屈託なく喜ぶヴィオレッタに、ミランダも少しだけ目を見張った後、自然と笑顔になった。

 その様子を、ミハイルも微笑ましげに見守っている。

 もちろん有能な侍女たちの連携により、ティーセットはテーブル上から退避済みだ。

 予想通りの行動に、侍女たちが互いの機転を称え合ったのは、また別の話しだ。


「いつかミランダが結婚する時には、このヴィヴィ姉さまが素敵なベールを贈ってあげるわね」


 暫くの間ミランダを抱き寄せて、力一杯抱きしめて。

 うっすらと涙を浮かべながらもそう言って笑ったヴィオレッタに、ミランダは。


「約束ですよ」


 そう言って、無意識に握り込んでいたヴィオレッタの服を、そっと離した。

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