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蒲公英を食む

 名を名乗ることは、力を持つ者にとって特別な意味を持つ。

 本名は言葉に力を乗せて呼ぶことによって、その者を縛る枷にもなる。

 もっとも、そんなことが出来る力ある術師は既に世界にはほとんど存在しない。

 それでも、術を扱う者はたいていが通り名を名乗る。

 例外は、精霊の守りを持つ者と、名の持つ力に従って生きる王族や貴族だ。彼らは世界への誓約に縛られ、その誓約に守られることによって、只人に害されることはない。

 王族や貴族を害せるのは、同じ王侯貴族か、その者の力を上回る力を持つ者、あるいは古の一族と呼ばれる存在。一般的にはその名に色を表す言葉が入る。

 その国を統べる者は国の命、一族の長は一族の魂。今では知る者も少なくなったその言い回しは、ただの例えではない。王が、あるいは長が呪われれば、国は消え去り一族は滅びる。

 それは紛れもない事実だと、この国の者たちは知っている。

 間違いなく、この少年は心無い者たちから迫害を受けるだろう。マノリアは、必要であれば少年に新たな名と身分を与えようと、静かに思いを巡らせた。


『どうぞ、エオルとお呼びください』


 ハッとした様子で居住まいを正し、緊張した面持ちでマノリアに名乗るエオルに、マノリアは意外そうな眼差しを向けた。


『私の小さな主は、実に聡明な方なのです』


 誇らしげに言い添えたエオルに、マノリアは一つ瞬きをして、頷く。


「本当に、驚かされてばかりだわ。あなたの主はあなたを誰にも縛らせないと決めたようね」


『それは主自身についても同様です。我が主は、私がこの身に代えてもお守りすると誓いましたので』


 マノリアを牽制するように笑みを浮かべるエオルに、マノリアは満足気な笑みを浮かべた。


「心強いわ。その調子なら、騎士学校に入れても平気ね」


『騎士学校ですか』


 眉をひそめたエオルに、マノリアは頷く。


「そうよ。その子の力は、守るに値するもの。そう、それこそ国の宝と呼ぶべき力ね。その守りを、年端もいかない子どもが気まぐれに選んだ、素性の知れない従者に任せるとあなたは思う?」


『我が主の傍に侍るに相応しい実力を示せということですか?』


「頭の固い、あるいは人間を駒として扱う者たちを黙らせられるだけの実力と、教養も必要ね。あなたならば皆まで言わなくとも今の自分自身に欠けているものが何か、分かっているのではないかしら?」


 言葉を切り、笑みを浮かべるマノリアにエオルは気持ちを切り替えるように目を閉じ、息を吐く。


『流石に、我が国の者たちとは格が違うか』


 ため息混じりに呟かれた言葉に、マノリアは軽やかな笑い声を立てる。


「あなたの聡明さは、わたくしも買っているのよ。我が国は、長い平和に安穏とし過ぎたわ。この国の未来を創る方の尻を蹴飛ばしてくれると信じているの。だってわたくしは、あなたとその子の後見人なのですから。親がわりのわたくしが、可愛い子どもに目を掛けるのも当然ですし、この成長を願う親ならば、今の騎士学校に子を入れたいと望むのは当然だわ」


『何故と伺ってもよろしいですか?』


「第一王子であらせられるソスラン殿下が、宰相閣下のご子息と共に騎士学校に入られる予定だからよ。どうやら、陛下はわたくしと同意見のようで何よりだわ」


『……我が主のために、ソスラン殿下のお側に侍れということですか?』


「上手く立ち回れば、愚か者から自分の身と主の身を守れるわね。……そして、あなたの主を、妃候補から外すことも出来ると思うけれど」


 どうするの?と、心底楽しそうに問われて、エオルは絶句する。

 とっさに言葉を返せずに視線を彷徨わせるエオルの様子に含み笑いを漏らすマノリアを恨めしげに見上げて、エオルは肺の中の空気が全て空になりそうなほど深いため息をつき、うな垂れる。


『私はさぞかし滑稽に映るのでしょうね』


 少しばかり自嘲気味に呟かれたその言葉に、マノリアは面食らった様子でパチパチと瞬きをして、それから朗らかな笑い声を上げた。


「あなた、それこそ勘違いというものよ。そんなにしっかり服を端っことはいえ握り締められているのに、なんの感情も思い入れもないなんてことがありますか!」


 マノリアの言葉に、エオルは一瞬悲しげな笑みを浮かべ、俯く。


『私をこの場に引き留めるこの小さな命を守るために在れるなら……』


 無邪気に泣ける程幼くない少年は、穏やかに眠る小さな主の温もりを確かめるように、そっとその手を取る。


『ああ。温かい。生きている……』


 絞り出すような、震える声にマノリアはハッとする。

 どんなに普通そうに振舞っても、この少年は全てを失ってここにいるのだと、忘れかけていた自分に愕然とする。

 体の傷は癒えても、心の傷は長らくこの少年を苦しめるだろう。

 それでも、穏やかとは言い難い未来を選ばせるべきか改めて迷うマノリアに、顔を上げたエオルは穏やかに微笑む。


『どうか私を、騎士学校にやってください。私がこの方を守る鋭い刃に、重厚な揺らがぬ盾になれるように』


 穏やかな笑みの中で、その目だけが強い決意を宿して輝いている。

 子どもらしい丸みの残る顔に浮かんだその表情は、背伸びをする子どものものではなくて、その決意の重さにマノリアは胸が痛んだ。


「その決意、確かに聴かせてもらいました。私に叶えられる望みがあれば、聞きましょう」


 マノリアの言葉に、エオルはじっと手元に視線を落とし考え込んだ後、マノリアをまっすぐに見上げて口を開いた。


『人を1人、探してください。年の頃は18、私と同じような色の肌、髪で瞳は黒に金が散っている極めて珍しい色をしています。……彼女は、母の同族であり、後継であり、そして私の姉代りなのです。彼女をどうか、救ってください』


「その娘さんは、売られたのね?」


 エオルの願いに、マノリアは目を細めて問う。自然と低い声になったマノリアに、エオルは頷く。


「そう。急がなければならないわね」


『どうか、お願い致します』


「任されたわ。あなたはまず、体力を戻すことを考えなければね。あちらのテーブルに食べ物を入れたバスケットがあるから、一緒にお食べなさいな。ダンデライオンのサラダも、残しちゃダメよ。あれは薬効がありますからね」


 キッパリとした口調で言い切り、素早く指示を出すために動き出したマノリアを見送って、エオルはミランダを起こさないよう、寝台からそっと降りる。

 部屋の中央辺りにあるテーブルに歩み寄り、バスケットを開けると粗く引いた小麦を使った小ぶりなパンとチーズ、ハム、ダンデライオンとハーブとナッツのサラダが入っていて、エオルは思わず唾を飲んだ。

 行儀が悪いと思いながらも、そっとダンデライオンの葉を摘んで口に入れる。

 馴染んだ苦味と青い味に思わずしかめた顔の、目から大粒の涙が落ちる。


『母上のサラダの味がする』


 涙を乱暴に拭い、鼻をすすり、エオルは微かな笑みを浮かべた。


『美味しくないのに懐かしいなんて、酷いじゃないですか、母上』


 必要なものは必ずしも美味しいものではないのだと、有無を言わせない笑顔で食べさせられた薬草サラダと、逃げ回る小さな妹と、オロオロする乳母と。

 無くしてしまったものばかりで、その温もりに胸が痛くなる。

 でも。

 もう、何も知らなかった無邪気な子どものように、その痛みに泣くことはできない。

 守るものができたから。守って欲しいと言われたから。必ず守ると、誓ったから。

 あどけない顔で眠る、小さな女の子を。


「リラ、リラ。起きて。私のリラ」


 エオルは眠るミランダの肩を、そっと揺さぶった。

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