花車はくるくると絶え間なく 後編
「ねぇ、シーター。今日お出ししたマカロンはまだ残ってるかしら?」
幾つか摘まんだ後、お皿に残ったマカロンをそれとなく、しかしじっくりと見ているロザムンドの様子に、ミランダは傍に控えていたシーターを呼んだ。
その様子を、意識していない風を装いながらソワソワチラチラと見ているロザムンドの姿に、部屋の中がどこかふんわりと微笑ましげな、温かな空気に包まれる。
きちんとしているようでも、まだまだ子供だ。好きなおやつは気になるし、食べたい。
「はい。お渡しできるよう、用意してございます」
「そう。良かったわ。では、お帰りの際には間違いなくお渡ししてね」
にっこりと笑みを浮かべて、緊張を誤魔化すようにお茶に口をつけたミランダが視線を向けると、ロザムンドのうるんだ瞳と出会ってミランダはそのままパチパチと瞬きを繰り返した。
「あの、こうして歓待していただいただけでなく、お土産までいただいてしまってあの、お花のひと鉢でこんな……」
過剰に感動している様子のロザムンドに、困惑したミランダは助けを求めてファルファラを見る。
目が合ったファルファラは、かすかに笑みを浮かべるだけで何も助言をくれない。
多少貴重だとしても、好物だとしても、買ってきたお菓子ひとつでここまで感動されるとは、ミランダにとっては完全に想定外だった。
どうすればいいのだろう。カップの表面に視線を落としたミランダは、気を取り直して笑みを浮かべ、カップをソーサーに戻すとマカロンをひとつ摘まみ上げた。
「ロザムンド様。美味しいものは誰かと一緒に食べた方が美味しいですし、お土産話だけよりも、折角ですもの、一緒に召し上がった方が楽しいです。なので、どうぞお姉さま方とも召し上がってください」
言葉を切ると、ミランダは手にしたマカロンを食べる。
ベリーの甘酸っぱさに、思わず笑みが浮かぶ。
その様子を見て、食べようか迷っていた様子のロザムンドも手を伸ばし、マカロンを摘まんだ。
「それに、わたくしにとってはロザムンド様が一生懸命育ててくださったお花の方が、よほど貴重なのです。それと、誰かとこうしてティータイムを過ごすことも」
目を伏せて、何かを考えているような僅かの間の後、ミランダは明るい笑みを浮かべてロザムンドを見る。
「ぜひ、またこうしてティータイムを共にしてください。美味しいお茶とお茶菓子を、用意しておきますから」
明るい、完璧な笑顔を浮かべる主の姿に、ファルファラは表情を曇らせ、気づかわし気にじっとその横顔を見ていた。
「ミランダ様」
「ロザムンド様はちょうど春の館に帰り着いた頃かしら」
静かに名を呼ぶ声に、ミランダは窓の外を眺めたままポツリと呟く。
「何か、ございましたか?」
「いいえ、ロザムンド様がとか、ファルファラや侍女たちに対して何かという訳ではないの」
カーテンを握り締めたミランダの手に、キュッと力が入る。
窓の外はロザムンドが帰った後から再び降り始めた雪が勢いを増し、間近にあるはずの木立さえ見えない。
「ただ、一緒に食べたかったなって思ったの。マカロン、とても美味しかったから。……母さまと」
呟かれた言葉が、涙と共に零れ落ちる。
切れ切れになった言葉の意味に、ファルファラは言葉を探しあぐねて沈黙する。
少しの沈黙の後、ファルファラは顔を上げて笑みを浮かべる。
「お茶を、淹れましょうか。ロザムンド様には開けていない方の箱をお渡ししましたから、まだマカロンの残りがございます」
涙をぬぐって振り向いたミランダに目線を合わせ、ファルファラは微笑む。
「蝶たちと、それから久方振りにヴィーも呼びましょう。皆でお茶会の練習をいたしましょう?」
ファルファラの言葉に、ミランダはコクンと小さく頷いた。
「さぁ、ではわたくしは急いで行ってまいります」
サッと踵を返したファルファラの背に、軽い衝撃が当たる。
背中に感じる温もりと、少しだけ濡れた感触。
ファルファラはそっと苦笑した。
「ありがとう、ファル姉さま」
泣き虫な、妹。
末っ子だった自分に出来た妹を、どうしても甘やかしたくなる駄目な自分のことを唇の端で笑う。
主従としては間違っているこんな関係を、それでも愛おしくてたまらないのだからやめることが出来る気がしない。
誰の手も必要としないかのようにきちんと立とうとする小さな体を、しっかりと抱き留めて包み込んで隠してしまいたくなる。
傷つける視線から、言葉から、存在から。
それが間違っているとしても。
だけど、それは間違っていると知っているからファルファラはそんな自分を笑う。
「どういたしまして」
腹のあたりに回された小さな柔らかな手にそっと触れて、離すように促す。
するりと緩んだ手を置き去りにして、前だけを見る。
感傷を振り切って、足を踏み出す。
受け止めたはずの弱さなど、存在しなかったかのように。
伸ばされた手などなかったかのように。
ミランダの私室の扉を閉めて、小さく息を吐く。
彼女の喪失を埋めることなど出来ないと知っているから、寂しさの向かう先を逸らすことしか出来ない。
今、甘やかしてしまうことは簡単だ。
でも、ファルファラはいつか、それほど遠くない未来にミランダの元を去る日が来るだろう。
だからこれ以上、踏み込んではいけない。
特別になってはいけないと、弁えている。
その位置にいるのは、エオルであり、メルカルトであり、今は亡きリネリアであるべきなのだから。
深々と降る雪は、閉ざされた冬は感情を狂わせる。
冷たい熱に焼かれる心は、温もりを欲する。
「本当に寂しいのは、わたくしの方なのかもしれないわね」
無意識に、左手に嵌めた腕輪の模様をなぞる。
沈黙と静寂は嫌いだ。
失った過去ばかり思い出すから。
ふと上げた視線に、明るい色の花が飛び込んでくる。
思わず視線が吸い寄せられる瑞々しくも愛らしい花に、春風のような少女を思う。
小さく頭を振って感傷を追い出す。
そっと歩み寄り、触れた花からは柔らかな春の陽だまりのような気配が感じられる。
触れるだけで、心の底が温められるような優しい思いが伝わって来る。
ああ、きっと彼女は類まれな癒し手になるだろう。
誰もが引き寄せられ、引き付けられるような温かな人になるだろう。
きっと、その未来を見届けることはファルファラには叶わないだろうけれど。
そっと目を伏せてファルファラは微笑む。
「その未来に、わたくしがいなくても。やはりわたくしにとってもあなたという方は幸いのようです。小さなガーベラの乙女よ」
くるくると絶え間なく変わる、愛らしい表情。
柔らかで希望に満ちた心。
愛され、守られてきた子どもらしい無邪気さ。
ファルファラにもミランダにもない、陽だまりと春風の優しさを宿した少女の姿を思い浮かべながら、ファルファラは目を細めた。
「どうかあなたという幸いが、その光が絶え間なくかじかむ心を温めてくれますように」
ファルファラは真っ白なガーベラにそっと唇を寄せた。




