花車はくるくると絶え間なく 中編
「ミランダ様、おくつろぎのところ恐れ入ります。少しよろしいでしょうか」
許可を求めるファルファラの声の調子が、ここ数日にないほど明るい。
真っ白な紙を前にしてじっと物思いに沈んでいたミランダは、握り締めていたペンを置いて居住まいを正した。
「いいわ。入って」
きっと何か、いい知らせなのだろう。
ミランダの白い頬に、赤みが戻る。
果たして見上げたファルファラは、作り物めいた笑顔ではなく、本当に喜んでいると分かる柔らかな笑みを浮かべていて、ミランダは思わず涙が出そうになった。
互いに伝わらないように気を付けていても、張り詰めた様子のファルファラに自然とミランダも緊張を緩められずに息を殺していた。
甘えてはいけないと思うほど、触れる手の温もりさえも恋しくて寂しくてたまらなくなる。
それを言葉にしてはいけないと思うことまでが、妙に寒々しくて、どうにもならない気持ちがあふれ出しそうで部屋に閉じこもった。
「お客様がお見えなので、恐れ入りますがご対応いただけますでしょうか」
丁重に主に要請する体でありながら、ファルファラの目には隠し切れない喜びがあふれている。
どことなく、ウキウキと弾む雰囲気に自然とミランダも笑顔になる。
「お客様ですか?」
「はい、春の館のロザムンド様が可愛らしいお花の鉢植えをお持ちになりましたので、シーターがお茶を差し上げています」
話題に上ったばかりの、しかし思いがけない相手の名前にミランダは口元を抑える。
「まぁ。そう……」
「ええ。わたくしも応対してみて驚きました。鉢植えを抱えて途方に暮れていらっしゃる様子など、どうしてミランダ様の周囲には似たような方が集われるのかと……」
クスクスと笑みをこぼすファルファラの瞳に揺れている温かな感情に、ミランダの心も温かくなる。
そしてふと気づいた。
主従の適切な距離というのは、何も心の距離を離して壁を作ることではなかったのかと。
対外的に気安い態度を取れなくても、寂しくなっても抱きしめてもらえなくても、互いに抱いている温かい感情を断ち切る必要なんてどこにもないのだと。
ミランダは不意に、そのことがストンと腑に落ちた。
呼び方が、言葉遣いが、振舞いが変わっても、心まで変える必要などないのだと。
きっとマノリアが気付かせたかったのはこのことだろうと、ミランダは思った。
目の前の霧が晴れたような心地に、ミランダはそっと胸を押さえる。
「ファルファラ、すぐに参りますとお伝えして」
引っ掛かってずっと馴染まなかった呼び掛けが、口調がするりと違和感なく声になる。
そんなミランダの様子に、ファルファラもホッとしたように微笑んだ。
「はい」
折り目正しく礼を取って扉を閉めるファルファラを見送って、ミランダは目の前の白いままの紙を見る。
その表面を思わず撫でて、ふと笑みを浮かべた。
あれほど何もないと思っていた伝えたいことが、ぷくぷくと泡のように心の中ではじける。
今なら白紙のままの便箋に手紙を綴れそうだと、ミランダは遠くの大切な人たちの顔をそっと思い浮かべた。
「お待たせいたしまして申し訳ございません、ロザムンド様。先日は可愛らしいお花をいただきましてありがとうございます。本日もまたお花をいただいたと伺っております」
ミランダの入室に合わせて僅かな衣擦れの音と共に立ち上がったロザムンドが、おっとりと微笑む。
ミランダの視線を受けて、シーターがサイドテーブルに乗せられた鉢植えを示す。
ピンク、黄色、オレンジ、白。色とりどりの大ぶりの花がくるくると今にも回り出しそうな可愛らしさで咲いている。
「お花がお好きと伺いましたので、ミランダ様に差し上げたくてわたくしが育てたのです。喜んでいただければ幸いです。……その、ミランダ様とは年回りが近いので、一度お話しをしてみたかったのです」
少し人見知りをする性格なのか、組み合わされた手がもじもじとわずかに動いている。
揺れる瞳に不安と緊張が見え隠れして、ミランダは思わず笑顔になった。
「わたくしも、一度お会いしてみたいと思っていたのでとても嬉しいです」
ミランダの言葉に、不安げだったロザムンドの表情が一気に明るくなる。
その手を自然と取って、握る。
少しだけ汗ばんだ掌は、温かくて柔らかくて何だかくすぐったい感触がした。
「これからも時々で良いので、こうしてお茶を飲みにいらしてください」
「もちろんです。あ、わたくしのお部屋にも、是非今度いらしてください。同室のお姉さまがお菓子を焼くのがとてもお上手なので!」
思わず勢いがつき、声が大きくなったロザムンドがそのことに気付いて真っ赤になる。
植物の存在を察知したのか、いつの間にかその場に加わったジュノーも含めて侍女たちはその光景にこの上なく癒された表情になる。
可愛いは正義だ。
今日も私たちの主は、この上なく可愛らしい。
その上更に可愛らしい存在を呼び寄せるとは、可愛いが渋滞している。何という正義。
彼女たちの横顔には、そんな言葉が書き連ねられているようだった。
ミランダの私室は、今日は季節外れの春で満たされているようだった。
 




