丹桂は桂花より芳しく
ミランダはかすかに鳴る葉鳴りの音に、秋の深まりを思った。
風に吹かれて降り積もる葉の音は、日々小さくなる。
枝に残った、心細げに風に吹かれる木の葉を見上げて、ミランダは小さく息を吐いた。
この音が聞こえなくなる頃には、深々と雪が降り積もるのだ。
エオルが旅立って、ミランダは時折言葉に出来ない空虚さを感じていた。
エオルが残していった鉢植えの花は既に枯れてしまってない。
なるべく早く戻ると言い置いて旅立ったエオルから、あれきり便りもない。
ミランダ自身、迫る冬に向かってゆっくり手紙を認める時間もないほど忙しかったから、仕方のないことだと分かっている。
それでも、ふと訪れた空白が、その空虚さを増すのだ。
心に穴が開いたような感情を、持て余す。
やっと会えたメルカルトもエオルと共に旅立ち、こちらも便りひとつない。
時折窓の外をぼんやりと眺めていた母のことを真似て景色を眺めれば、寂しさだけが際立つようだった。
こういう感情を、母はどうやり過ごしていたのだろうと思う。
口に出せない言葉が降り積もって、その重みに心が沈んでいく。
冬の女王の力を引き継いだミランダは、その立場によって大人たちと同じだけの責任を負わなければならなくなった。
うっかり言葉を発すれば、ミランダには予想もできない影響が返って来る。
現に今、ミランダの私室は季節外れの大量の花に足の踏み場もない状態で、むせ返りそうな香りに満たされて却って落ち着かない状態になっている。
それもこれも、城内の貴族たちが集まる場で、雑談の延長のつもりでエオルから贈られた花が枯れてしまったことをうっかり嘆いたお陰だとファルファラから説明されて、ミランダはうんざりを通り越してゾッとした。
この時期に咲くはずのない大量の花たちは、ミランダには雑多な力の名残を纏っていて、その気配だけでも時々気分が悪くなってくる。
大量の花の贈り物はミランダの心を慰めるどころか、悪夢のような光景となってミランダを今まさに苦しめていた。
「ファル姉さま、もう限界です。このお花……どうにか出来ませんか?」
とうとう半泣きになったミランダに、優しくて厳しい“姉”の顔をして、ファルファラは微笑んだ。
「思ったより、限界が早かったわね。ミランダは、どうすればいいと思う?」
決して甘やかしてくれない様子でミランダに考えを問うファルファラに、ミランダは眉を寄せる。
自力で答えを出せなければファルファラから追試がありそうな気配に、教育者としては一切の手抜きがないファルファラの及第点が出そうな回答を頭をひねって必死に考える。
回答次第では今日のおやつが危うくなるので、ミランダは口をへの字に引き結び、鼻にしわを寄せながら考える。
その必死過ぎるあまり披露された変顔に、ファルファラは表情が崩れないよう、懸命に表情筋を引き締めた。
その様子を、遠巻きに侍女たちが見守る。
まだ幼い主を見守る彼女たちの視線は、限りなく温かく微笑ましげだった。
「捨てることは出来ませんから、冬の館のお姉さま方とマノリア様におすそ分けするしかないかと」
「そうね、それが良いわ。あと、主だったところで構わないから、重要な先にはミランダ自身がお礼状を認めなければならないわね」
にっこり微笑みながら送り主の一覧を差し出すファルファラに、ミランダは笑みを引きつらせる。
「ミランダ。嫌とは、言わないわね?」
「はい。仕出かしたことの後始末はします」
「こちらはわたくしたちが手分けして書きますから、こちらの分は頑張れるわね? もちろん、手紙の内容はわたくしが考えておいたから」
完全に外堀が埋まった状態に、ミランダは肩を落とす。
ミランダが途方に暮れ、現実逃避している間に手早く済ませられたファルファラたちの仕事量を思えば文句など言えるはずがない。
第一、ちらっと見えた一覧の長さが全く違うことを考えれば、ミランダには尚更文句など言えないのだ。
「……ごめんなさい」
肩を落とし、すっかりしょげ返った様子のミランダに、ファルファラは柔らかな笑みを浮かべる。
聞き分けが良く、素直なミランダはつい甘やかしたくなる。
だけどそれで困るのはミランダだから、意識して課題を出し、反省を促し、教え込む。
そんなファルファラの思いに応えてくれるミランダのことが、ファルファラは可愛くて仕方がなかった。
「分かったなら良いわ。だけど、次は間違えないようにきちんと覚えておいてね。あなたの言葉は、良くも悪くも、人を動かすのよ」
そういう責任を負うには、ミランダはまだ幼い。
そう思いながら、既に負わされた責任に見合ったふるまいを求められるミランダを支え切らなければならない責任にファルファラは背筋が伸びる思いだった。
「はい」
こくりと、小さく頷いたミランダの頭を撫でる。
「じゃあ、始めましょうか」
ミランダのために、手抜きなんて出来ないから泣いても手加減などしてあげられないけれど。
唇を引き結び、顔を上げてやる気を見せるミランダに、ファルファラは笑みを浮かべた。
雑多にあった花を仕分けして、運び出して。
その合間に書き上がったミランダの確認済みの手紙を預かり、届けるために手配をして。
やっと元の状態に戻った部屋の中を見渡して、シーターは息をついた。
先ほどまで幼い主に代わり、全ての差配をしていたファルファラと目が合う。
ファルファラの手にある一覧には、雑多な貴族たちの名前が書き連ねられているが、ファルファラが担当するのはその中でもミランダに対して快い感情を抱いていない人物たちの一覧だ。
シーターの考えを読み取ったかのように、ファルファラの笑みが深まる。
その笑みに頷きを返して、シーターは手紙を前に難しい顔をしている主の休息のために、お茶の準備を始めた。
「ファルファラ、このお花はどうするの?」
僅かに残った花の中に、ひと際薫り高い花がひと枝残されていて、ヴァネッサはそれを手に取ってファルファラに問う。
「ええ、その金木犀は春の館のロザムンド様からの贈り物ね。折角だから香りを損なわないように花茶にしようかと思っているのよ」
「ふぅん」
「わたくしの育った里にはもう少し薄い色の花が咲く木があるのだけれど、こちらの方が花の色も香りも濃いようで、違うものだと感心していたのよ」
「ファルファラの里のものは恐らく桂花で、こちらは丹桂ね」
気のない返事をしたヴァネッサに代わり、植物が好きなジュノーが目を輝かせる。
「わたしにお任せいただいても?」
「そうね、ジュノーの方が詳しそうだから、お願いできるかしら? どうやって作るのか興味あるから、作り方を見せてもらえると嬉しいのだけれど」
「もちろん良いわよ。下準備をして来るから、出来たら声を掛けるわね」
ファルファラから仕事を請け負い、うきうきした様子で花を持って奥に消えていくジュノーを見送って、ヴァネッサは肩をすくめる。
「わたしは衣装の手入れでもして来るわ」
「ええ、お願いね」
それぞれを見送って、ファルファラも書き掛けた手紙に目を落とす。
この手紙を書き終えたら、時折寂しそうにしているミランダにロザムンドの元に直接お礼に行くように勧めてみようと、そう思いながら。
「金木犀の花は安らぎを与える効能があると、春の館の愛し子なら知っていて贈ってくれたのよね」
だとしたらなんて素敵な贈り物だろうと、心が温かくなる。
触れた時に感じた力の名残の温かな気配も、とても好ましかった。
ファルファラは笑みを浮かべ、花茶が出来たらそれをエオルに送るように進言しようとも、思った。
「きっと、喜ぶわね」
楽しそうに手紙を綴るミランダの笑顔を思い、それを受け取るエオルの喜びを思う。
胸を温める感情をそっと噛みしめて、ファルファラはペンを握る手に力を込めた。




