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降り注ぐ言の葉の花は束ね得ぬ想いに似て  作者: 深海聡
第2章 光ある場所へ
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ロベリアは蕾を守る

 高窓から射す光は石造りの広間を明るく照らし、夏花宮の夏の装いである縹色の装飾が施された室内に居並ぶ廷臣たちも、色はまちまちだが青系統の服を着ているものが多い。

 その中で、ひと際目を引くのが玉座に腰掛けている王、アイオロスその人が身に着けているロイヤルブルーの長衣だろう。


「さて、本日召喚した理由については、そなたの心当たりから聞こうと思う」


 朗々と響くアイオロスの声の重さに、跪き頭を垂れたままの姿勢でアクセルはどうにかこの場を切り抜けようと、必死に方策を探していた。

 キョロキョロと視線のみ動かして状況を探ろうとする父の姿を、アスリンは絶望にも似た気分で眺めていた。


「ヴェレーノ男爵、そなたから何か陛下に申し上げることはないか?」


 アイオロスからの下問に対して答える様子のないアクセルに、宰相のプラタノが厳しい声を発する。

 その声に打たれたように、アクセルは頭をより低く下げたのみだった。

 その様子に、居並ぶ廷臣からざわめきが漏れる。

 失望と不満を表すそれに、高位貴族の不興を買ったと分かる場の圧力に、アスリンは冷え切った手で胃の辺りを握られたような気分になった。


「男爵子息、そなたは何かあるか?」


 これ以上時間を引き延ばすことを許さないという最後通牒が、突きつけられる。

 何も言わなけらば、あるいは何かをしくじれば家門ごと滅ぼされる。

 家族を、家臣を、店を、そこに働く従業員を。

 アスリンの胸の内を、沢山の人の顔が過る。

 そのすべての運命が、自分自身の舌先三寸にかかっているのだ。

 商人として、これ以上の檜舞台はないだろう。

 自分自身を鼓舞して、アスリンは下問に答えるべく口を開いた。


「恐れながら、申し上げます。我が父、アクセルにどうか罰をお与えください。アクセルは恐れ多くも王家および愛し子様を己が意のままに操らんとしております」


「ほう? 愛し子、というと?」


「恐れ多くも、ミランダ様を我が妻にと目論んで方策を巡らせたと聞いております。ですが、私には王の承認を得た相応な婚約者が既におり、ミランダ様にはすでに定まった伴侶がおありとのこと。私がいくら諫めても聞く耳を持たないため、その旨謹んで奏上させていただきます」


 アスリンの言葉に、唸り声とも呻き声ともつかぬざわめきが広がる。

 それは、アクセルの行いが罪だと認められた瞬間だった。

 玉座から遠い位置に佇む新興貴族たちが、ひそひそと囁き交わすのを、王の傍らに控えた宰相と騎士団長が見定めている。

 状況が呑み込めず説明を求める者、訳知り顔で不十分な説明をする者、深刻そうな表情で何事かを考え込んでいる様子の者。

 明らかに狼狽している様子の者を、目線だけで確認してその顔を覚え込んでいく。

 その様子をじっと見ていたアイオロスの顔に、はっきりと落胆と失望の表情が浮かぶ。


「そなたたちは既に理解しているものと思っていたが、どうやらその限りではないようだな」


 言葉を切った王が場を見渡せば、その言葉を聞き逃さぬように水を打ったような静けさが満ちる。


「そもそも愛し子という尊称は、その名を与えられた者を守るためにある。与えられた立場は望まぬ搾取を避けるためのもの。その最たるものは、婚姻だ。愛し子を名乗る資格を有する術者は、その出自の身分如何によらず、己の望まぬ婚姻を強いられることはない。無論、不当な拘束や不利な就労も強いることは出来ない」


 アイオロスが音もなく立ち上がり、傍らに置いてあった大人の握りこぶしほどもある晶石のはめ込まれた杖を構える。

 美しい白銀の光沢を放つ、金属とは違う柔らかで硬質なそれは、王の手の中でするすると大人の背丈ほどに伸びる。

 遠い昔、世界がまだ4つの色を冠する王家に治められていた頃から伝わる秘宝が、正当な所有者の力を受けて光を放つ。


「このリュフェスタは、術者の国。それは正確には術者が治め、尊ばれる国という意味ではない。術者が結んだ盟約・誓約が法として編まれた国という意味であり、それはこの国の一部となると誓った全ての貴族にとって有効なものだと証明しよう」


 その石突でドンと石の床を叩けば、術式が展開する。

 それは誓約の術式とも、制裁の術式とも呼ばれる術式。

 美しくも、残酷な究極の術式だ。


「地の聖霊よ。誓約に定められた制裁により、罪人に贖いを求める。我はこの大地の盟約の主。力の紡ぎ手にして、源の守り手。古の血脈を断たんと欲する愚者に、力の蹂躙を与えん」


 広間に、夜よりも深い闇が満ちる。

 王の足元から吹き上がった闇が、アクセルとその他数名の新興貴族へと襲い掛かる。

 声もなく闇に飲まれた彼らは、潮が引くように闇が去った後、塵ひとつ残さず消え失せていた。

 その場にいた高位術者の誰かが喉を鳴らして唾を飲んだ音が、妙に生々しく広場に響いた。

 状況が呑み込めない新興貴族たちが、慌てた様子で周囲を見回している。

 その様子を無感情に眺めながら、アイオロスは元通り小さくなった杖を傍らに置きなおす。


「術者たちよ、そなたたちには見えたと思う。色を持つ者に手を出してはならない。あれらは、この世界のものであって、我らに手出し出来る存在ではないからだ。今の闇の中で起こったことが見えなかった幸いなる者たちよ。願わくは、あの裁きがそなた自身の身に降りかからぬことを。あれは、制裁の炎は決して消えることなく魂を蝕む呪いだ。永遠に引き延ばされた時間の中で焼き尽くされる苦しみに悶えることを望まぬならば、心に刻め」


 アイオロスは、言葉を切って一同を順番に見回した。


「次に愛し子に無体を働くことを計画すれば、誓約の制裁を待たずにこのリュフェスタごと吹き飛ぶだろう。古い血筋の者たちの伝説は、誇張ではない。彼を本気で怒らせたなら、私とて目が合った瞬間に塵ひとつ残さず消し飛ばされるだろう」


 片手で顔を撫で、アイオロスは息を吐く。

 明らかに顔色の悪い王に、事態の深刻さを知っている重臣たちが小さく頷く。


「これにて散会とする。ヴェレーノ男爵子息、アリスンには追って沙汰を申し渡す」


 疲れ切った王が玉座にやや乱暴な仕草で座り、列席した貴族たちは礼を取って順次退席していく。

 それを見守りながら、アイオロスはプラタノに話し掛ける。


「ソスランとラリクスには、後で何か褒美を与えねばな」


「有難き幸せにございます」


「我が施策がこうも裏目に出るとは、本当に、悩ましいものだ」


 小さく息を吐いたアイオロスは、閉じられた扉も見るともなしに見て、そっと玉座を立った。




 後日、ヴェレーノ男爵邸を訪れた男は、目深に外套のフードをかぶり、応対に出た召使にソスランからと言って、鉢植えを1つ言づけたという。

 その鉢植えは、蝶のような可憐な青い花の鉢植えで、彼は笑ってひとこと。


「この花は、以前いただいた花の返礼だということなので、必ずそのようにお伝えください」


 風を孕んで緩んだ外套のフードから零れ落ちた髪は、紺青。

 印象的な切れ長の瞳は、暗がりでもはっきりとわかる青みがかった色で。

 身が竦むような殺気にひるんだ瞬間、彼の姿は幻のように消えていたという従者の報告に、アリスンの顔色は紙のように白くなった。

 震える手で引き寄せた鉢植えは、見た目の可憐さと寄せ植えに用いられる手軽さに反して、植物学や薬草学の本をめくれば取扱注意の文字が必ず書き添えられている毒草として知られている花で。

 アリスンは記憶をたどり、彼が管理している薬草園から消えた花に思い当たり、思わずよろめいた。

 手近な椅子を引き寄せて座り込むと、鉢植えをじっと見つめる。

 そして、ロベリアの花に埋もれるように白い小さな薔薇の蕾がひと枝だけあることに気付いて、息を飲んだ。


「小さな、白薔薇の蕾」


 突然立ち上がると、彼はおもむろに紋章付きの手紙を取り出し、猛然と何かを書き始める。


「これを、桜花亭を定宿にしている夢見鳥に渡せ」


 命じられた従者は、挙げられた名に一瞬目を見張った後、言葉少なに退出していく。

 すぐさま馬を駆り立てて門を出ていくその後姿を見送って、アリスンは息を吐いて天を仰いだ。


「さて、この答えが及第点かどうかは、天のみぞ知る、だな。……父上、お恨み申し上げますよ」


 手塩にかけて育て上げた切り札を奪われることになった男は、小さく呟いて、頭をひとつ振るとその感傷を追い出した。



 数日後、ミランダのもとに特例として専属の侍女がつけられ、その3名全員が護衛を兼ねることが伝達され、冬の館は騒然となった。

 天然の要害に守られた冬の塔に籠ることが出来ない彼女に対しての格別の配慮として伝えられたが、マノリアは掴みどころのない笑みを浮かべてそれを聞いているメルカルトと、苦笑を浮かべるアイオロス、胃が痛そうなプラタノ、澄まし返ったソスランを順に眺めて、大体の事情を察すると眉間のしわを揉み解した。


「本来、冬の館としては他者の介入を歓迎できないのですが、今回ばかりは特例としてわたくしも承認するしかないでしょう。……まったく、殿方は暗躍がお好きなのですから」


 後々まで伝えられることになる、ファルファラを筆頭としたミランダの護衛たちには、青い花の記章が与えられ、その名をロベリアと称されることとなった。

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